57.春紫苑
春の庭を少女が軽やかな足取りで進む。目的の人物を見つけ、少女は声をあげた。
「イザーク兄さまっ」
「おう、フローラ」
花壇で作業をしていた庭師見習いの少年は、近付いてすぐに腕に抱き着いてきた少女に、元気だな、と感想を零し、軍手を外した手で頭を撫でた。少女、フローラはその
「今日、見せてくれるんでしょ!?」
楽しみでならないといった様子で、フローラは庭師見習いの少年の
「フローラ」
庭師見習いの少年が頷くよりも先に、落ち着いた、だが通りのよい声がフローラの名を呼んだ。その声にフローラはぴくん、と肩を跳ねさせた。
「見せて、くれます、か……?」
悩みながらフローラが言い直すと、声の主は静かな表情を和らげ微笑んだ。及第点をもらったフローラは喜ぶが、まだ続きがあった。
「挨拶もまだでしょう?」
「イザーク兄さま、こんにちは。デニスさんもヤンさんも、こんにちはっ」
言われて気付いたフローラは、すぐさま庭師見習いの少年と彼の父親や弟弟子に挨拶をした。それぞれが
「お仕事中、失礼しましたわ。休憩の頃合いを間違えたみたいで……」
「いや、休憩し損ねていただけだから助かった。ありがとう、お嬢」
リュディアが詫びると、庭師見習いの少年は逆に感謝を返した。彼らの作業の邪魔をしなかったことに安堵を覚えたのもつかの間、彼の返答の内容を吟味してリュディアは眉を寄せる。
「ザクたちは、働きすぎなのをどうにかするべきですわ」
「いっそ時計を庭の各所に配置できればいいのですけど」
「腕時計とかないし、あっても高そうだよなぁ」
「腕時計?」
時を報せる時計があれば彼らもちゃんと休憩を取るのでは、と考えたリュディアに対して、庭師見習いの少年は聞き慣れない単語を口にした。
「手首に巻けるぐらいに小さくした時計のコト」
「では、懐中時計より小さくないといけませんわね」
懐中時計ですら平民では手に入らない。貴族邸の使用人は家令など管理職が携帯している。下町では、日中、教会の鐘が三時間おきに時を報せる。
「まぁ、あっても音鳴らないと気付かないだろうな」
「それでは時計の意味がありませんわ」
無用の長物だとあっけらかんと笑う庭師見習いの少年に、リュディアは呆れる。
音で時を報せる携帯可能な小型の時計など、あったとしても王族か上位貴族などの一握りの者しか持てないものだ。平民にまで行き渡るようになるなど遠い未来の話だろう。お互いそれを承知で夢想の話をしているが、改善案をあげておいて自分から取り下げるとは、随分行き当たりばったりな思考だ。
とりとめもないやり取りと解っていながらも真面目に返すリュディアに、庭師見習いの少年は笑う。指摘のようなことしか返さない自分など可愛げがないと思うのに、彼は笑って受け止めるからリュディアは時折とても不思議に感じる。
「じゃあ、フローラが教えてあげる、ですっ」
そう挙手してはりきる妹は素直だ。言葉遣いを覚えようとしているところで、少したどたどしいのも愛らしい。
「ありがたいけど、それじゃフローラが大変だ」
「いいの。イザーク兄さまに会えるもん」
会う口実が増えることを無邪気に喜ぶ妹を見て、リュディアは自分とは大違いだと感じる。フローラの年頃の自分は理由を探してから会いに来ていた。理由がなくても会いにいけるようになるまで数年かかった。我ながら面倒で可愛げがないにもほどがある。
「けど、俺が頑張らないといけないコトだ。フローラの頑張る時間が減っちまうし」
「……おけーこ、大変だからいいもん」
「お嬢は、ちゃんとやってからきてるぞ」
庭師見習いの少年の言葉を受け、フローラが
「お嬢は、昔から習い事をやってからきてた。サボりにきたコトなんて一度もない」
「あっ、当たり前ですわ……!」
自分を何だと思っているのか、とリュディアはついムキになってしまった。自分から
「な? フローラの姉ちゃんはかっけーだろ」
「うん。お姉さますごい!」
「だから、俺らも自分のコトはしっかり頑張ろうな」
「うんっ」
尊敬に桃色の瞳を輝かせる妹に、リュディアは怯む。内心、口をはくはくとさせたいぐらいだが妹の前で無様を晒す訳にはいかない、と唇に力を込めた。背後で護衛兼メイドのエミーリアも深く頷いているから更に居た堪れない。
護衛も兼ねたエミーリアたちが必ず一人付き従うことには慣れたつもりだったが、普段は黙って控えているのに、こういうときに限って反応をみせられるのは困る。
リュディアは
リュディアたちの来訪をきっかけに休憩の時間となり、庭師見習いの少年と彼の自習用の庭に向かうことになった。フローラが自分で歩くと言ってきかないので、庭師見習いの少年が手を繋いで、
一曲歌い終えたときに、庭師見習いの少年は何かを思い出した様子で、可笑しそうに小さく笑った。
「何ですの?」
それに引っかかりを覚え、リュディアが原因を訊くとこちらに
「……いや、お嬢ほんと頑張ったんだなぁって」
「何がですの??」
自分に対する感想を言われたが、何に対してかが判らずリュディアは首を傾げた。
「フローラって今、五歳だろ」
「うん、五歳ー」
フローラは繋いでいない方の手を広げてみせ、肯定する。元気のいい答えに庭師見習いの少年は頷き、だからだ、と言った。
「俺がお嬢に初めて会ったのが、それぐらいだ」
「そうなの?」
「ああ。けど、お嬢はもう上手に喋っていたから、すげぇと思った」
「な……っ」
「そうなの!? お姉さま、すごーいっ」
「なー、すげぇよな」
初対面のときにそんなところに感心されていたとは知らず、今更教えられてリュディアは恥ずかしさに頬が熱くなった。
確かに、あの頃は少しでも両親に自分を見てもらいたくてマナーの稽古を懸命にして褒められる理由を作っていた。妹が生まれて間もなく、両親が盗られるのでは、と焦っていたこともある。そんな自分の努力が初対面でバレていたなんて、恥ずかしいにもほどがある。どうして、成長に個人差があるからだということで流してくれなかったのか。
初対面の自身の態度の悪さを知っているからこそ、そんな点を評価されていたなんてリュディアには想定外だった。
蒸し返されたくない過去をいきなり話題にあげられたことを抗議したかったが、妹が奮起する理由になったようでリュディアは怒るに怒れなかった。
やり場のない感情を抱かされ、リュディアは恨みがましく庭師見習いの少年の隣にいき、彼にだけ聴こえる声量で呟く。
「性格ブスと言っておいて、よくそんなこと……」
「だって、
「は?」
「可愛いのに、これからずっと文句ばっか言って、しかめっ面が固定されたら勿体ないじゃねぇか」
どうでもよかったら放っておく、と彼は言った。そんな風に思って言われた言葉だったなんて、リュディアは知らない。謝罪要求しにいったとき、確かに肯定的に言い換えられはしたが将来的な危惧までされていたとは思わなかった。
どうして今更、とリュディアは頬の熱が顔全体に広がるのを感じた。
彼が訊かないと答えないことが多いと解っている。それでも、五年も経った今、心臓に悪い事実を明かさないでほしかった。ずっと言わずにいてくれてよかったのだ。リュディアは、彼の思い出し笑いを追及したことをひどく後悔した。
それ以降、自習用の庭に着くまで庭師見習いの少年に顔を見られないよう、リュディアは彼らの後ろを沈黙を守ってついていったのだった。
ほどなくして目的地に着き、先に垣根を
ただ花が咲いていた。
それだけの光景が何故かほっと安堵を与え、また色鮮やかさが春を訴え心躍らせもする。状況によっては雑草と呼ばれるような花たちかもしれない小さいそれらは、咲く場所を与えられ、自由に咲き誇っていた。
黄色の
中央の
それでも今の光景に心が春めいた事実を
「フライハイトのようですわね」
「何ソレ??」
庭師見習いの少年は知らぬ名前に首を傾げた。平民の彼には馴染みがないと判り、リュディアは名前の意味を説明する。
「花柄のデザインで有名な店ですわ」
骨董品収集の趣味が高じて起業したというフライハイトの店には織物や装飾品など、様々なものが売っている。だが、一等に人気があるのは店独自デザインの花柄だ。化粧箱の表面や、ドレスのスカートの刺繍などにその柄は無造作に散っているように見えて規則性のある配置になっている。その
「お母様の誕生日プレゼントにフライハイトの宝石箱を買ったことがありますの。その色鮮やかさとよく似ていますわ」
見たときの心躍る感覚も似ているとまでは、リュディアは口にできなかった。
店主は、織物と印刷の技術が今より発展したときにはフライハイトの花を直接布全体に咲かせ、平民にまで流通させたい、と遠い未来への夢を瞳を輝かせて話してくれた。子供のように瞳を輝かせる
「へぇ、その店に行ってみたいな」
珍しく興味を持ったらしい庭師見習いの少年の呟きは、願望ではなく感想だった。リュディアはそれに気付き、その呟きを聞かなかったことにした方がいいか少し悩んだ。
平民の彼が行ける類いの店ではない。だから、リュディアも簡単につれていくと安請け合いはできなかった。せめて母親とのお茶会のときに贈った宝石箱を見せてあげようか、と代案を模索する。
自分の呟きを拾ったばかりに、真剣に悩みだしたリュディアを見て、庭師見習いの少年は小さく笑って彼女の頭を撫でた。その小さな衝撃で、思考の海から意識を戻されたリュディアは彼を見上げる。
「そんなに綺麗な柄がたくさんあるのか」
「ええ。素敵でしたわ」
そっか、と彼は笑った。
彼が気にしていない様子なのに、自分が暗い表情をする訳にはいかないと、リュディアは微笑み返した。
貴族のリュディアに当たり前のことが、平民の彼には当たり前にできない。そんなことはこれまでにも今までもたくさんあった。そのたびに、彼は笑った。仕方なくや諦めといった気配は
自分も彼も理解している、逆に貴族だからこそできないこともあると。違う、というだけで、優劣もなくお互いが自身を卑下する必要のないことだ。
今、同じ光景を並んで見れている。そのことの方がずっと大事だと、改めてリュディアは胸に刻んだ。
それから、リュディアははしゃぐ妹とともに春の庭を堪能することにした。
「……それで、またザクがその場の思いつきで言ったのですわ」
「イザークの着眼点は斬新だからな」
嘆息しながら話すリュディアに対して、ロイは興味深そうに聞く。
エルンスト公爵邸の庭で、リュディアとロイはお茶会をしていた。世間では婚約者同士の逢瀬だが、当人たちには友人との近況報告だ。数奇な縁で、二人の共通の知り合いがロイの直臣候補の少年二人だけではなく庭師見習いの少年も含まれている。かつ、庭師見習いの少年の話題をあげられるのは、家族以外はお互い同士だけのため、自然と話題となった。
リュディアは庭での様子、ロイは市井の視察での様子と、お互いが知らない情報を交換する。控えているのがロイの従者とリュディアの護衛というこの場でのみ、談笑できる話題だった。
庭師見習いの少年のことを話していて、リュディアはふと思った。
「あの……ロイ様、時計を施設にしたりできませんか?」
「どうして?」
「貴族と平民では時間の感覚が違いますでしょう? 中央広場に噴水があったり、下町にも井戸など人が集まりやすい場所があると聞きます。そういった場所に大きな時計を設置できれば、同じ視点になれるのではないかと思いまして」
彼は時計を小型にして携帯できれば、と言っていたが、現実的にすぐに実行できないものだ。だが、置時計の更に大きいものを人の往来がある場所に点在させることなら、現状の技術でも可能ではないか。それができれば、身分など関係なくその場にいる者が皆同じ時を刻める。
リュディアなりに真面目に考えた案を聞き、ロイは柔らかく微笑んだ。
「リュディア嬢も、なかなかに面白い観点を持っているな」
「そう、でしょうか……?」
「ああ。街の様子を見る機会が少ないだろうに、そこまでの考えに至るのは凄いことだ」
「それは……、ロイ様が街の様子を話してくださるから……」
王子であり友人でもあるロイから思ってもみない称賛を受け、リュディアは照れてしまう。シーズンオフで帰郷した際、公爵領を管理している祖父から地図の見方を教えてもらった。それ以来、リュディアは王都の地図をよく眺めるようになった。ロイから聞く視察の話は地図のどこなのか、を照合したりするのが存外楽しいのだ。
地図を見ながら、中央広場や遊歩道、井戸などがある下町の小さな広場など、それぞれにどういう人が行き交うのかなど想像したりもしたためか、先程の考えが浮かんだ。
「いや、リュディア嬢はよい
「よろしいのですか……?」
単に、公共施設にした方が一人一人に時計を配るよりは費用がかからないのではないか、という思いつきだ。実際にかかる費用や時間が見積れている訳ではないし、令嬢のリュディアにはそこまでの知識はない。だから、リュディアにとっては、庭師見習いの少年の発言と大差なく現実味がない案だった。
それをあっさり採用され、リュディアは呆気に取られる。王子のロイが動くとなれば、現実味が一気に増した。時間がどれほどかかるかは判らないが、実現可能だと知り、リュディアはただただ驚く。
リュディアの確認に、ロイは少し楽しげに微笑みながら頷いた。彼の頷きに、じわりと嬉しさがこみ上げ、胸が熱くなった。令嬢でしかない自分でも何かの役に立てることが、とても嬉しかった。
「思っていたんだが、リュディア嬢はいつアウグスト侯爵令嬢たちに話すんだ?」
「? 何をでしょう」
「イザークのことだ」
ふと不思議そうに訊ねられ、リュディアは瞠目した。
以前から疑問だったということは、ロイはいつか話すと思っていたようだ。しかし、リュディアは話すことなど考えていなかった。こうしてロイと話せているのだから、そんな必要がどこにあるのだろう。
一体何故、ロイはリュディアが他の友人に彼のことを打ち明ける必要があると踏んだのだろう。
思ってもみないことにリュディアが何を訊けばよいか迷っていると、ロイは苦笑した。
「僕は男だからな。今後、リュディア嬢の相談にのれないことも出てくるだろう」
「カトリンやエミーリアたちでは駄目なのですか……?」
同性の相談相手ならば、既に彼の存在を知っている彼女たちがいる。何故、彼女たちではいけないのか。
「失礼した。リュディア嬢にとっては彼女らも友人だったな。駄目ではないが、……僕は君の友人としてそう思ったまでだ」
そう微笑むロイの言葉に思いやりを感じ、リュディアは考える。
これまで何度か別の理由をつけて庭師見習いの少年のことを相談したことがある。そして、トルデリーゼたちから彼に関わることが話題にのぼらない訳ではない。そのたびに、隠すように話題を逸らせていたが、それは不誠実ではないのか。
彼女らが大事な友人だからこそ、これからも隠し続けることに違和感を覚えた。
違和感に気付くとともに、友人たちを信じ切れていなかった自身の臆病さにも気付いた。彼女たちがそのような人物でないと自分が一番解っているのに、見限られないかと恐れていたのだ。彼女らの人となりを浮かべ、リュディアは決意をした。
「どう話せばいいのでしょう……」
決意をしたはいいが、どう切り出すかまでは判らずリュディアは弱ったように眉を下げる。
「リュディア嬢の心のままに話すといい」
そんなリュディアに、ロイは励ますように微笑みかけた。
ロイと話した数日後、エルンスト公爵邸では少女たちの談笑の声が、ささやかに響いていた。
リュディアの自室で、彼女の友人たちがティーカップの載ったテーブルを囲んでいる。一番最初に友人となった侯爵令嬢のトルデリーゼ、パーティで励ましたことが縁で親しくなった男爵令嬢のザスキア、冷遇されやすい環境にいながら強くなった伯爵令嬢のシュテファーニエ。話す話題は、幼い頃好きだった絵本や最近のドレスの流行などとりとめもない話題ばかりだ。一緒にいるだけで誰かしらが話し、笑い合う。
彼女らと過ごすことが自然なことになったとリュディアは実感する。
「あの……」
「何ですか?」
リュディアが話しを切り出そうとすると、トルデリーゼが促すように微笑み、シュテファーニエとザスキアも聞く姿勢をとる。
「トルデ様たちに聞いてほしい、ことがあって……」
上手く伝えられるか心配になりながら、リュディアは言葉を探す。胸の前で両手を組み、ぎゅっと握ると改めて決意が固まった。
「……わ、わたくしには」
思ったよりも緊張して騒ぐ心臓の鼓動を逃がそうと、一度息を深く吐き出す。
「平民の友人がいますの!」
「わたしも元平民ですけど」
シュテファーニエがきょとんと自身を指差して、首を傾げた。
彼女が母親の再婚により伯爵家に迎え入れられたことは周知の事実だ。その彼女と友人関係でいるため、トルデリーゼたちはだからどうした、という表情だった。
友人らの反応に安堵しつつも、リュディアはまだ伝えていない情報があるのでぎこちなく言葉を紡ぐ。
「彼は、当家の使用人で」
「彼ってことは、男の子なんですか!?」
「それって、王子殿下が嫉妬しません!?」
異性の友人だと判明した瞬間、シュテファーニエとザスキアが思わずテーブルに両手を突き、腰を上げた。勢いのよい反応に、リュディアは多少怯む。
「いえ……、ロイ様も知っているので、そういったことは」
「……もしかして、私が会ったことのある方ではありませんか?」
記憶を思い返しながら、トルデリーゼがリュディアに問いかける。
トルデリーゼは、数年前にパーティで数度彼の顔を見ただけだというのに、覚えているというのか。その事実にリュディアは驚く。
「覚えていますの……?」
「ああ、やっぱり。あの同志の方ですね」
リュディアの問い返しを肯定と受け取り、トルデリーゼは両の
「まさか、
トルデリーゼの満足そうな様子に、ザスキアも自身のダンス相手になってくれた少年のことを思い出す。リュディアと歳の近い異性で思い当たるのは彼しかいなかった。
「あ、聞いたことがありますっ。それって、わたしがディア様たちに会う前にいた、おばけみたいな人ですよね」
「おば……」
本当にいたんだ、と感心するシュテファーニエの発言に、リュディアは言葉を詰まらせる。当時、萼の君と噂されていたのもむず痒かったが、彼が人外のように扱われるのも釈然としないものを感じた。彼は人間だ。
自分だけ会ったことがないシュテファーニエは、いいな、とトルデリーゼたちを羨ましがっていた。
「
トルデリーゼは安堵に胸を撫で下ろす。エルンスト家の従者だと紹介を受けたのに、邸を訪ねても見かけることが一切なかったことが気になっていたらしい。
「それは、彼は本当は庭師見習いなの、で……」
「花の名前に詳しい訳ですね!」
得心がいったザスキアは、ダンスも上手なんて凄い、と表情を輝かせる。
一人だけ解らないシュテファーニエが事情を訊くと、ザスキアは嬉々として当時のことを彼女に説明した。その説明に感心したような相槌を打って聞いていたシュテファーニエは、最終おばけじゃなくてよかったと結論付けた。見たことのないシュテファーニエには、萼の君の噂は怪談の類いだったらしい。
ロイが事もなげに言ったように、トルデリーゼたちが受け止めてくれたため、リュディアは呆けてしまう。
「変に、思いませんの……?」
リュディアの質問に、三人は一度顔を見合わせ、それから微笑んでみせた。不敵と思えるほど、確信的な笑顔だった。
「ディア様を大切に思っている方ですから」
「少しお話ししただけでも、それが分ります!」
「会ったことはないですけど、ディア様のお友達なら悪い人じゃなさそうです」
当然だ、とそれぞれの言葉で答えてくれる三人に、リュディアは温かいものが胸にこみ上げる。トルデリーゼたちと親しくなれてよかった、と心の内で思ったが、それよりも言葉にすべきことがある。
「ありがとう」
こみ上げる感謝を口に載せ、リュディアははにかんだ。
友人たちと笑みを交わし合い落ち着いたところで、友人の一人のシュテファーニエが主張をするために挙手した。
「ファニー様、どうしましたの?」
「
「え」
「皆さんが知っているのに、わたしだけお友達さんを見たことないです」
そう言って
どうしたものか、とリュディアは思案する。この人数で押しかけては作業の邪魔だろうし、彼の父親、デニスの外見は誤解をされやすい。特にザスキアなどは心の準備が必要だろう。逆に、向こうもヤンなどが複数の令嬢に遭遇しては、恐縮してしまかもしれない。
「あ……、今頃なら、テラスから見えるかもしれませんわ」
こちらから確認する方法にリュディアは思い至る。
最近の作業は、裏庭の花壇の手入れが主だったはずだ。リュディアの自室は裏庭に面しているため、遠目に確認できる可能性がある。
リュディアの提案に乗り、シュテファーニエたちはテラスに出る。二階テラスからは花壇に咲く春の花たちが一望でき、三人は一瞬目的を忘れ感嘆の吐息を零した。
気を取り直して人影を探し始めるも、なかなか見つからず、三人は
「いましたわ」
「えっ、どこですか!?」
見つけたリュディアの隣いたシュテファーニエが、声に反応してリュディアの視線の先を追う。
「あ。おっきい人がいますね」
「近くに二人います……どちらでしょう?」
「えっと、デニス……体格の大きい庭師の右側の方ですわ」
「顔まではよく見えませんね。なのに、見分けがつくディア様は凄いです!」
シュテファーニエが一番判りやすい庭師の姿を見つけ、トルデリーゼが庭師見習いたちの姿を認めた。リュディアが目的の人物を教えると、ザスキアが眼を細めてよく見てから、区別のつくリュディアを
リュディアは家の使用人だから難しいことではないと答える。確かに作業着のため遠目には似て見えるかもしれないが、彼は
個人として知っているが故に区別ができるだけなのだが、ザスキアには
「どんな人なんですか?」
眼を細めるだけではなくつま先立ちをしてみたり、可能な限り顔を判別しようと努力してみたが無駄に終わったシュテファーニエは、知っているリュディアに直接訊くことにした。
訊かれたリュディアは、花壇で作業をする庭師見習いの少年を眺めながら、どう説明したものかと考える。彼の人となりを知っているリュディアには、見えずとも彼が楽しそうに作業しているであろうことは想像ができる。もしかしたら、鼻歌を口ずさんでいるかもしれない。
「彼は、ザク……イザークといって、幼い頃からよく相談相手になってくれていましたの」
「じゃあ、
シュテファーニエの相槌に、頷いていいものか、とリュディアは思う。幼い頃から一緒にいた、となると使用人なら彼よりメイドのカトリンの方が適切に感じた。けれど、カトリンも彼も使用人であり、幼馴染という気安いだけの間柄かというとそうではない。
かといってどういう名称が当てはまるか判らず、リュディアはただ微笑む。
「何かというと庭のことばかり考えているので、彼に庭師は天職なんでしょう。でも、面倒見がいいというかお節介というか……、困っている人を視界に入れると手助けしようと動いて、わたくしのダンスの代理など、しなくていいことまでしてしまいますの」
ダンス代理も、彼は断れた。ロイと出会ったきっかけも迷子案内だというし、ニコラウスを庭につれてきたのは避難させるためだった。自分だけではなく、初対面の相手でも放っておけない
彼は、自身にできる範囲だと解ると手を伸ばす。自身の手に余る場合は、ちゃんと人を頼るが、見なかったことにするという選択肢がまずない。ほとんどの人間が眼を逸らすことに、彼は向き合う。
「本当に、どうしようもありませんわ」
のびのびと好きなように生きているようで、他人を
だから、笑うしかなかった。
「大切なんですね」
シュテファーニエの確認に、リュディアは否定するはずもなかった。
「ええ。わたくしがわたくしでいるために必要な人ですわ」
リュディアが自分の心を抑えようとすると、彼は必ず気付くのだ。自分を曲げずに、今
断言するリュディアの姿は凛々しく、シュテファーニエたちの瞳に気高いものに映った。
「イザークさんという方は、よい友人なのですね」
「素敵な方ですからねっ」
トルデリーゼが満足げに微笑むと、ザスキアは頬を紅潮させながら同意する。
いい人だろうというのは解るが、作業着姿しか見ていないシュテファーニエにはザスキアの反応は首を傾げるものだった。もう一度、彼に視線を向けてみるが、下町にいた頃によく見かけた格好で、素敵だと頬を染める要素は感じられない。
「わたしたちより背が高そうですけど歳上の方ですか?」
彼の父親だという庭師が大柄だったので気付きにくかったが、背格好は庭師見習いの少年も自分たちより高そうだとシュテファーニエは気付いた。彼女の問いを、リュディアは肯定する。
「もうすぐ十三になりますわ」
「じゃあ、万が一受かったら再来年には入学しているかもしれませんね」
「受かる……?」
何に、とリュディアが首を傾げるので、シュテファーニエも同様に首を傾げた。
「魔力量測定の時期でしょう? 受かったら魔導学園で寮生活ですね」
リュディアたち貴族は魔力量が多いのが通常のため、魔力量の測定はただの通過儀礼だった。しかし、魔力量測定は平民には大きな行事だとリュディアは知る。平民が受かったときのために学園生活を保障する資金補助制度があると、以前公爵の父が言っていたことを思い出す。魔導学園の入学資格を得ることは、平民には大きな意味を持つと気付く。
「寮……」
彼の魔力量が入学基準値に達するかどうかは判らないが、もし受かった場合、自分が入学するまでの二年はほとんど会えなくなる。
その事実に気付いて、リュディアは愕然とする。
シーズンオフで一時的に会えなくなるのとは違う。自分が邸を離れる可能性は考慮していたが、彼がいなくなる可能性なんて微塵も考えていなかった。
エルンスト公爵邸の庭に彼はいつもいる。
それがリュディアにとって普遍的なものだった。
「近所だったお姉さんとか、もし受かったら学園にいる間、貴族のお坊ちゃんと恋人になってひとときの夢を見るんだってよく言っていました」
「恋、人……?」
シュテファーニエの話の中で、その単語だけがリュディアの耳に残る。
学園に通う頃には彼も年頃になっている。流石に庭だけでなく異性に興味を持ったりするのだろうか。シュテファーニエの知人の女性のように、ひとときの夢でもと想い焦がれる相手ができたり――
その先を想像しようとして、リュディアは力が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「ディア様?」
そんな彼女の隣にしゃがみ、トルデリーゼが支える。シュテファーニエたちもどうしたのか、と心配して近付いた。
リュディアの肩を支えながら、トルデリーゼは視界の端でこちらに駆け寄ろうとするメイドの姿を見た。しかし、そのメイドは彼女よりも幼い、袖を余らせたメイドに押しとどめられる。彼女らが主人を心配していることを理解し、トルデリーゼはこちらに任せるよう目配せをする。
メイドたちが控え直したのを確認して、トルデリーゼは頼りなさげに自身の腕を掴む友人に向き直った。視線がかち合うと、リュディアはニゲラの花のような青い瞳を不安で揺らした。
「……トルデ様」
「はい」
「ザク……、ザクは、いつもこの庭にいて、……だから、いなくなるなんて、誰かを想うかもしれないなんて」
可能性を認識したのが唐突すぎて戸惑うリュディアに、トルデリーゼは安心させるように微笑む。
「どう感じました?」
胸中に渦巻く感情を吐露していいのだ、と許され、思ったよりも簡単に口にだしていた。
「……嫌、ですわ」
彼に会えなくなることも、彼に想う誰かができることも、仮定するだけでも嫌だ。強い拒絶とともに思い出すのは、どうして陽溜まりのような彼の笑顔なんだろう。
「ディア様、ごめんなさいっ」
勢いよく頭を下げ謝ったシュテファーニエは、おろおろと泣きそうな表情をしていた。何の謝罪か解っていないリュディアは虚を突かれる。
「わたし、そんなにイザークさんを好きだと知らなくて……っ」
「へ?」
「え?」
リュディアらしからぬ間の抜けた疑問符に、シュテファーニエもきょとんと眼を丸くした。
数秒、時が止まったかのような沈黙がテラスを包む。
沈黙を破ったのは、思考とともに呼吸も止めていた可能性の高いリュディアだった。
「…………す……っっ!?」
ぼっと、火が点いたように顔を真っ赤にしたリュディアは、トルデリーゼの袖を掴んでいた力を無意識に込める。縋りつかれるようになった友人に、トルデリーゼは眼を細める。
「ふふっ、自覚されたんではないのですか?」
「そ……、そんなことを言われましても……!」
想いを自覚することと、人に自分の想いを知られることは別問題だ。人に言葉にされると、とてつもなく恥ずかしい。
「王子殿下の前でも
「キア様まで!」
微笑ましさでいっぱいになっているザスキアが追い打ちをかけてくるので、リュディアは恨みがましい声をあげてしまう。けれど、真っ赤な顔で抗議をしても効果はないらしく、友人たちは微笑むばかりだ。
メイドのカトリンたちまで微笑んでいる気配がしたが、これ以上認識しては一向に頬の熱が下がらないとリュディアは気付かないフリをする。
どこまで読んでいたか判らないが、なるほど、ロイの提案は正しかった。
彼を知らない友人らに打ち明けることで、まさか自分の想いを自覚することになるとは思わなかった。また、友人らに想いを知られたことで、一人で思い悩む未来が強制的に消え去った。
それにしても、次にどんな顔をして彼に会えばいいのだろう。
数年先の問題ではなく、すぐそこに迫る問題にリュディアは頭を抱えたい心地だった。
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