③-2

「月が綺麗だ」

 安倉が呟いたひと言を、救急隊員は死の間際の妄想ととったのか、慌ただしく再処置の準備を始めた。

 安倉の目は開いていたが、捉えているのは救急車の天井だけだ。

 だが、彼の視界には、真っ暗な夜空に大きな月がまあるく光っていた。

 義堂と話すときはいつも、夜だった。

 その中、空を見上げるようになったのはいつからだっただろう。

 夜は、彼の敵である世界を、黒く染めて見えなくしてくれるものだった。

 それがいつしか、暗い世界にいる安倉を照らしてくれる月のある時間となった。

 真っ暗に思える夜空にも、小さく瞬く星々が広がり、その下にある地上では蛍光灯が必死に暗闇に抵抗しようと輝いている。

 太陽に照らし出された世界より、よっぽど魅力的で美しいではないか。

 そんな世界でしか生きられない自分だったから、太陽のような義堂に付いていけなかったのだろうか。

 いや、違う。

 彼女は昼も夜も、同じような世界にしてやろうとしていたのだ。

 彼女のお蔭で、自分も世界が見えるようになったではないか。

 安倉の目に映る夜空は、月以外にも星が瞬き、それは美しかった。月は自分で輝いていないとしても、光っているのは嘘ではない。自分で光っていないだけで、月がなければ夜は照らされないではないか。

嘘とは何だろう。

事実ではないこと。人を騙すために言う、事実とは違う言葉。

だが、嘘が真実ではないと、誰が言った?

真実とは何だ?

うそ偽りのないこと。本当のこと。

本当のこととは? 〝本当〟にうそ偽りがないとでも?

それを決めるのは、誰だ?

その答えを知りたくて、俺は、義堂は、この戦いを始めたんじゃないのか?

――その答えに、俺は、辿り着いた。

だからこれだけ、満足しているのだろう。

 満天の星が、世界を彩っている。

 世界は闇でも、敵意に溢れた地獄でもない。

 こうして見るべきところに立ち、見るべき人とともにいるならば、あっという間に光に満ちた場所になる。

 そこかしこに暗闇が残っていても、それすらこの景色を際立たせるアクセントだ。

 ――なあ義堂、俺はお前に最後まで嘘を吐き続けたが、お前はそれに気づいていたかな。

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