①-2

 信藤が本を著してから、義堂は早速〝義堂真実〟の遺志を継ぐもの、としての〝多賀翼〟を演じ始めていた。

 もとより、〝義堂真実〟の頃からひとの願望を叶え崇拝を集めてきた人物だ。そういったことはお手の物だろうし、〝いい子ちゃん〟という殻を破り好き勝手出来る上に〝復活〟の象徴として下駄も履かしてもらっている。あの頃よりも信者の獲得は容易と言ってもいいだろう。

 もうすぐ、彼女が言う新しい世界の片鱗が、見えてくるはずだった。

 なのに、どうしてか安倉には、高揚感というものがやってこなかった。

 目標はもうすぐそこにある。なのに、どういうわけかつまらないのだ。

 義堂は地道に講演を開き、信者獲得に勤しんでいる。

 犬飼は警察内部できな臭い雰囲気がないか鼻を利かせつつ、好奇の眼を向けてくるマスコミ対策にも効いていて、スイーパーとしての役割を安倉以上にこなしていた。

 自分は、何ができるのだろう。

 それこそ義堂が言ったように大事な局面以降、何もできていないことに口惜しい気持ちになっているのかもしれなかった。

 新しい景色を見せる代わりに働け、と義堂は言っているのだから、働く必要がなければそれを待てばいいだけの話なのだが、もうそういう次元の話ではなくなっていた。義堂の夢は、安倉の夢になってしまったのだ。

 今日もまた、義堂は熱心に講演を行っている。それを参加者の眼には映らないよう建物の外で見守りながら、考えた。

ふらり、と犬飼が姿を見せる。あいつがいるなら自分はここに居る必要もないだろう。

 安倉は壁から身を剥がし、その場を離れた。

 ゆっくりと歩きながら、街へと向かっていく。

 春先を迎えた街は明るく、うららかな光に包まれていた。

 こんな穏やかな世界に、自分もいつか住めるのだろうか。

 その時、後ろから怒ったような叫び声が聞こえた。やはりこんな気持ちのいい気候でも、世界に不満を持ったものは他にもいるらしい。それとも、こんな気候だからだろうか。

 安倉は無視をして歩み去ろうとした、そのとき、背中に衝撃を感じ、目を見開く。ゆっくりと振り向くと、眼鏡姿の小さな男子が背中にくっついていた。

「……なんだ、お前?」

 荒い息を吐いて、離れない。訝しみながら突き放すと、からん、と乾いた音が聞こえた。目をやると、ナイフが落ちている。

 腰の辺りが、温かい。手をやると、服に染みた水気を感じた。

 ゆっくりと、手を放す。既に、悪い予感はしていた。まさかな、とは思ったが、悪い予想は、大抵当たる。赤く、染まっていた。

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