第539話 「決死の闘争④」

 話に聞いたところでは、砦亀フォータスは相手を踏みつけたりのしかかったり、体重を活かした攻撃しかできないらしい。一応動かせる防壁ぐらいの立ち位置なのだろう。

 そんな奴でも、今倒れたままの方々には危険ではあるけど、より差し迫った脅威が一体いる。まずは腐土竜モールドラゴンからだ。こいつを無力化させなければ。

 前にぶっ倒した時は、吐き出させた瘴気を魔法陣に吸わせて、何発も騎槍の矢ボルトランスを撃ち込んだ。しかし、あの時は周辺に瘴気が漏れ出まくっていて、それを反魔法アンチスペルで抑え込んでいた。今回、反魔法を使える仲間たちは、すでに別の仕事がある。

 となると、あまり瘴気をまき散らさないように片づける必要があるわけで――盗録レジスティールでどうにか瘴気を食いつぶせないかと考えたわけだ。

 ただし、盗録を使うにも、前提になるものがある。相手と同じ色のマナを確保することだ。幸か不幸か、そういうマナを吐き出すという点において、モールドラゴンはうってつけではある。

 俺は背後の様子をチラッとうかがった。過去に戦った時のことを踏まえれば、奴にブレスを吐かれても、まだ後方には届かない。やるなら早い方がいい。


 意を決した俺は、奴からの射線が後ろの集団に重ならないよう、斜め前方に駆け出した。俺の動きに、巨竜は反応したように見える。緩慢な動きではあるものの、首は確実に動いていて、迫る獲物に狙いをつけようとしている。

 どうやら俺を標的と定めてくれたようだ。俺は空歩エアロステップを使い、少しだけ高度を上げていった。水平に息を吐かれるよりは、こちらの方が地上へのリスクが低いと考えてのことだ。

 俺が地を離れるや、奴は首を少し後方に持ち上げた。そして、力をためるようなそぶりを見せた後、俺は奴の口におどろおどろしい瘴気の気配を感じた。異刻ゼノクロックで、口から出かかっている瘴気の方向を確認し、回避に移る。

 すると、避ける俺を追うように、奴は首を動かしてきた。しなる鞭のようにブレスが放たれ、空に禍々しい跡を残す。

 やはり、とても油断できる相手じゃない。動きはノロマでも、間合いが相手にうまく作用している。ノロノロと首を動かすだけでも、遠くの広範囲を瘴気で塗りつぶせるってわけだ。

 ただ、注意を絶やさなければ対処はできる。それに、俺に反応して瘴気を――奴のマナを――吐いてくれた。

 後は、あれをどうにか水たまリングポンドリングに込め、マナを確保すればいい。


 しかし、まさか直撃をもらうわけにもいかない。かといって、視導術キネサイトで指輪を操れば、俺のマナが混ざる懸念がある。細工に手間をかける余裕もない。いつかやったように、ジャケットのポケットに突っ込んで……とも考えたけど、それよりもいい案を思い付いた。

 再び飛んで来るブレスを、宙を駆けてかわしつつ、俺は小物入れから指輪を取り出した。そして、その辺に転がっていた物理的な矢を拾い上げ、先端辺りを叩き折る。

 こうしてできた尾羽付きの棒切れに、指輪を通してやると、羽がちょうどいいストッパーになる。リーチは短くて不安なものの、これなら俺のマナを混ぜずに瘴気を吸い取れるだろう。間合いのはかり方はさらに大変になるものの……現時点ではまだ余裕があるくらいだ。

 なにより、迷って手をこまねいていられる状況じゃない。俺は腹をくくって、棒切れ片手に奴のブレスを誘った。

 そして、ご希望どおりの赤紫の吐息が、こちらへ迫る。宙で右に避けつつ、吐息が塗りつぶしていく軌跡の先をイメージし、右腕を伸ばして指輪付きの棒きれをかざす。

 すると、ニアミスぐらいの位置に瘴気が通った。下手をすれば左手が巻き込まれかねない。時間の流れを緩めても決して気を抜けない中、当たっていないはずの左手に強い熱を感じた。内側から何かたぎるものがある。

 それから俺は、ほんの少ししか距離の猶予がない間合いを保って、瘴気を吸わせ続けた。ガスバーナー直火で焼きマシュマロ作ってる気分だ。


 ようやく瘴気の奔流が落ち着くと、中からは瘴気をたっぷり吸った指輪が現れた。これならいいだろう。肝を冷やすような手口ではあるものの、これなら後で何回か試行できるかもしれない。これからの魔法がうまくいくかどうかわからない中、そういう機会を得られるのは重要だ。

 現時点で、ブレスの標的は完全に俺に定まっている。そこで、避け続けるだけで足止めできないか……とも考えはしたものの、それは無理なようだ。俺を標的に定めつつも、奴の進行方向が変化する様子はない。ただただまっすぐ、より獲物が多い方へ歩み続けている。

 やはり、ここでどうにかしなければ。


 俺は奴を無力化するため――まずは深呼吸をして、異刻を使った。思考を落ち着け、事に臨む。

 重要なのは、ドラゴンを無力化することだ。別に倒さなくてもいい。というか、倒してしまうことがかえって裏目に出る可能性がある。

 というのも、あんな大物を倒せば、より後方に控える敵がどういう反応を示すか、わかったもんじゃないからだ。できれば、傍目には大物が健在であるように見せかけたうえで無力化し、この場を離脱したい。

 そこで、奴を無力化させるために、俺は盗録を使う。無力化と言っても、完全に動けなくするんじゃなくて、瘴気を吐き出せないようにするだけでもいいかもしれない。ブレスという飛び道具を奪えば、それだけ救助と離脱の時間を稼げるだろう。仲間の仕事も捗るはずだ。


 しかし、盗録を使うとしても、考えるべきことは色々ある。

 今回は相手のマナを素早く浪費することに重点を置いている。そのために、本来は器の状態で展開させる盗録に、今回は文も合わせてさらなる無駄遣いを図るわけだ。

 問題は、何の文を使うべきかだ。そもそも、敵の体内で作った魔法が、どんな挙動を示すかもわからない。とりあえず、単発型はダメだ。複製術の仕様上、コピーできない。

 となると、使うべきかは継続型の何かってことになる。思考を加速し、今まで覚えた魔法を再検討していく。

 そして、俺は使う魔法を決めた。泡膜バブルコートだ。奴の体内に泡膜をいくつも作り、その上で外部から攻撃を加える。

 体内に泡膜を展開したとして、どういう感じになるのかはわからない。ただ、これがうまくいくと仮定した場合、俺からの攻撃にさらされる表層付近で、再展開が活発になるはずだ。そうなると、攻撃時に外へ漏れ出る瘴気を、複製時に吸い込んで無害化できるかもしれない。


 ただ、他にも考えるべきことはある。攻撃魔法はどうすればいい?

 選択肢はいくつかあるものの、ここは騎槍の矢がいいんじゃないかと考えた。他の魔法では、敵の表面を傷めつけることはできても、内部の泡膜まで威力が到達するかはわからない。魔力の火砲マナカノンの場合、瘴気が飛び散る危険性もある。

 貫通させるなら心徹の矢ハートブレイカーも選択肢に入る。しかし、相手を確実に貫通できるのは、防御系魔法で阻まれなかった場合だ。今回の用法では、敵の体内に展開した泡膜のうち、一番外側一つ割って終わるかもしれない。それに比べると、騎槍の矢の方が安定して強そうだ。

 騎槍の矢を使う場合、射程の短さがネックになる。可動型で魔法陣を先に動かすことで対処する。この魔法陣に、奴から噴出したマナを吸わせて再装填できればいい。それに、以前もこの手口で勝てたという信頼がある。

 仮に、再装填用として吸えるほどの瘴気が、奴から出てこない可能性もある。ただ、それは良い傾向なのでは無いかと思う。そうなったら、おそらく奴自身も自分のマナを自由には使えないだろうから。


 やることが決まった俺は、標的に向かって左手を構えた。マナ遮断手袋フィットシャットをつけた手で、指輪が赤紫の小さな光を放つ。

 そして、俺は泡膜展開型の盗録を撃ち込んだ。タイミングを図って、奴の中で心徹の矢の外装を解き、内部から魔法陣を展開させる。勝手にマナを食い散らかしては、無限増殖する藍色の泡膜だ。

 撃ち込んだ魔法が増殖するのを待つ間も、奴のブレスが襲いかかってくる。回避のために空歩と、それなりの強度の異刻を使いつつ、改造版の盗録も操り……この後、騎槍の矢を搭載したドローンみたいな魔法陣も飛ばすわけだ。


――まぁ、なんとかなるか。


 アイリスさんを助け出すための一人旅は、俺を確実に強くしたらしい。あるいは、自分で自分をいじめ抜いたというか……。ともあれ、これだけ負荷のかかる魔法を同時に操っても、音を上げるような心身じゃなくなっている。

 それに、俺が背負っているもののことを思えば……これぐらい、できなくてどうする。


 懸念だったのは、奴の体に撃ち込んだ魔法の行方だ。目の前で起きていることに注意しつつ、脳裏に浮かぶ魔法のイメージへ意識を少し傾ける。

 すると、目論見通りだった。奴の体内で藍色のマナによる魔法の球体が、その勢力を拡大しつつある。これが本当に泡膜なのかどうか、検証する余裕はない。ただ、奴の瘴気が別の色に置き換わっていっていることに、疑いはない。


 続いて俺は、攻撃用の魔法の準備に取り掛かった。

 まず、考えるべきは色だ。泡膜を貫通させたくはない。今回、削りたいのはHPじゃなくてMPマナだ。となると、寒色系じゃなくて暖色に染めた方がいい。それと、再生術による再装填の速度を考えると、低位の色の方が好ましい。

 そのため、再生術で黄色い騎槍の矢を打ち込むことに決めた。これを可動型で相手の方へ持っていく。

 攻撃方法を定めた俺は、右手を構えた。前にもやった魔法だ。サシの状況の上、背後に負うものがあるプレッシャーの中、それでも俺の指は書くべきをきちんと書き上げた。一発、黄色い槍が手元で輝いた後、それを奴の目前まで飛ばしていく。

 このドローンが敵に接触するまでの間、俺は敵の体内に仕込んだ泡膜の群れを背の方へ動かした。再展開用の空きを作りつつ、できあがった泡膜を寄せてまとめて破壊するためだ。

 しかし……すでに動き出したものの、問題は山積みのように思える。こうして一対一になって、三分も経ってないんじゃないか? それなのに十数分は一人で考え事をしていた気がする。本当に、考えることばかりだ。


 そして、一人積み重ねた準備が、連鎖的に動くときがやってきた。奴の正面から背の方へドローンを動かし……攻撃準備に入る。再攻撃のために、俺からマナを拠出してやる。奴の攻撃の合間を縫い、遠隔でマナを注ぎ込む。相当な重労働だけど、息が荒くなりつつも、どうにかマナを押し込めた。

 すると、奴の背の方で黄色い閃光が走った。それと同時に、俺の脳裏にある藍色の球体の集合体が、槍の一撃でぶち壊された――よし、敵の体内でも泡膜を張れた!

――敵の体内でも魔法を展開できる……つまり、自分の体内でもできる? 新事実に色々と検証すべき疑問が浮き上がるものの、俺はそれを思考の外に追いやった。今はそういう事を考えている場合じゃない。

 突撃槍の一撃を受け、俺はその背からマナが漏れ出るのを見た。赤紫の瘴気にしては、青に寄っている。おそらく、割られた泡膜のマナが混ざり合って吹き出たんだろう。

 そして、破壊された泡膜の集合体が、その傷を埋め直すように魔法陣を再展開していくのを感じた。これは思惑通りだ。


 しかし、泡膜の再展開よりも、槍の方が早い。吹き出した藍色混じりの瘴気を黄色に転換し、再び重い一撃が奴の背に打ちつけられる。今度の噴出は、さっきよりもずっと、普段の瘴気に近い色合いだ。

 現状においても、敵の内外からマナの無駄遣いを強制できている状態ではある。外からは負傷を与え、誰もいない上方へ瘴気を吹き出させ、内部では勝手に瘴気を他の色のマナに変えて些細な防御に。内応付きの攻城戦みたいなもんだ。

 ただ、まだやれることはある。俺の負担を踏まえると、これ以上の攻撃は難しい。相変わらずブレスが飛んでくるし、魔法の制御もしなければならないからだ。

 できる工夫は、攻撃の角度だ。今回の目的は敵の無力化にあって……つまり、さっさと瘴気を枯渇させたい。

 そこで重要になるのが、泡膜の展開速度だ。早い話、敵の体内にちょうどいい空きスペースを作ってやればいい。そうすれば、別の複製を作る反応が始まる。そうやって、再展開が行われる表面積を増やすのが、時間あたりのマナ浪費量を増やすことにつながるというわけだ。


 そのために、俺はドローンの傾きへ意識を向けた。一箇所だけを打ち続けるのではなく、泡膜の群れが健在な部分を優先して打つ。普段とはまるで逆の攻め方だけど、今回はこれでいい。

 背の上から真っ直ぐに突き下ろしていた槍は、俺の意志で傾き、奴の背を斜めに突く格好になった。それまで無事だった部分が打たれたことで、傷口からは泡膜分の残滓ざんしが混ざった瘴気が吹き出る。

 こうして、角度を変えた突きを行うことで、俺は体内での泡膜再展開の余地を作っていった。槍の乱撃がぐるんと回って一周しても、傷口の再展開が完了はしなかったものの……治りかけと呼べる状態にはなっていた。そこへまた槍を一突き。再びマナの浪費を加速させる。

 このマッチポンプな攻防は、おそらく体内での泡膜展開速度がボトルネックだ。これ以上の干渉手段は思いつかない。これでどうにか……ブレスをかいくぐり、魔法を操り、俺は祈った。


 そして……普段よりも数倍、長く感じられる攻防の中、俺は違和感を覚えた。奴が吐き出すブレスの色が、青に寄っているような?

 確認のため、俺は奴が吐き出した瘴気の奔流を前に、左手をかざしてみた。指にはめた指輪に比べ、やはり色が青に寄っている。

 これはたぶん、割られた泡膜分のマナが、奴の体内で滞留しているんだろう。複製の方はもともとベースの色が赤紫だ。小細工しなければ、藍色よりも同色を選択的に捕らえていく。


 吐息の色が変わるという形で、一度変化が始まると、進行は劇的だった。体内のマナが別に染まりかけるということ事態、本来は存在し得ない分水嶺だったのかもしれない。ブレスはどんどん青に寄り、勢いも衰え、吐き出す間隔が伸びていく。

 そして……奴は足を動かさなくなった。そこで俺は、奴の背を打ち続ける槍を、マナへと還元した。体内に仕込んだ、泡膜は解かない。これが内なる拘束具になっているからだ。

 槍を消した理由は、コイツをこのまま殺せば、後方の敵に妙なアピールになってしまうからだ。それに――少しだけ哀れに思った。動けなくなりつつある、腐りかけのこの竜は、少なくともここでは誰も殺していない。ただ、俺に一方的に虐められていただけだ。


 そうして追撃を手仕舞いしたところで、俺の背の方が騒がしくなった。後方から近づいているという増援が到着したんだろう。

 しかし、まだ巨獣はここにいる。動かなくなった腐土竜に代わり、鈍亀が地を鳴らしてその健在ぶりを誇示してきた。次はコイツか……。

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