第523話 「いざ決戦の舞台へ①」

 6月1日夕方前。今日はいよいよ、決戦地であるマスキア王国へと発つ日だ。俺たち近衛部隊は、北区の公会堂に集合した。

 部屋の中にいるのは、俺たち隊員だけじゃない。名目上の指揮官であらせられる殿下、書類上の隊長であらせられるハルトルージュ伯、そして宰相閣下に軍や政務の重臣の方々……。

 そうそうたる顔ぶれに、さすがの悪友連中も表情が硬い。軽口をたたくのがはばかられるような、厳粛な空気が漂っている。上の立場の方々は、別に圧をかけるようなおつもりではなさそうで、俺たちに向けられる視線には、期待や敬意を感じる。そういう目が、なおさら身を引き締める。

 すると殿下は、にこやかな笑顔で俺たちに仰った。


「君たちの参戦は、本当に心強く思う。ありがとう。この場にいない隊員も、きっと王都の守りに貢献してくれることと思う」


 殿下が仰るように、近衛部隊の全員が戦場へ向かうわけじゃない。今回ばかりはさすがに……と、ご家族や恋人が引き留めるケースがままあった。そこで、隊員本人と親密な方々を交えて話し合った結果、今回の参戦を見送ってもらった戦友が何人かいる。

 ただ、残るものはいても、隊員全員が少なくとも参戦の意志表明だけはしてくれた。同調圧力みたいなものは、なかったと思う。あくまで、自分の気持ち一つで決断してくれたはずだ。

 それは、この場に集うみんなの顔を見れば、そうと信じられる。緊張は見て取れるけど、同時に強い戦意や、使命感も感じられる。本当に、みんな頼もしいばかりの面構えだ。

 しかし、そんな隊員たちに対し、殿下は複雑な心情を抱いていらっしゃるようだ。にこやかな笑顔がやや曇り、静かな口調で仰った。


「君たちの献身に対し、私たちがどれだけ応えられるかはわからない。少なくとも……来月の昇格試験について、私たちの方からは何もできない」

「そんな殺生な~」


 殿下のお言葉に対し、調子のいい奴がすがり付くような声を出し……わずかに間を開けてから、場が笑いに包まれた。

 まぁ、半分近くは苦笑いしているんだけど。この状況でも諦めきれないぐらい、ちゃんと勉強してきたのだと思う。俺は早々に諦めていて、もう来年に持ち越すつもりだ。それに比べれば、みんな偉い――などと思っていると、悪友から「リッツはどうなんだよ~?」と尋ねられた。


「俺はもう諦めてるけど。ダメもとで受けて、また来年かな……」

「便宜図ってもらおうぜ~」

「いや、ダメに決まってんだろ」

「くそ、魔法庁の人みたいなこと言いやがって、リッツの癖に」


 そんなこんなで場の空気が崩れ切った頃、殿下がハルトルージュ伯に、急に話を振られた。


「君から、みなに何か訓示などは?」

「こ、この空気で、ですか」


 微笑を浮かべつつ、尻込み気味に閣下が応じられると、ちょっとした笑い声が起きた。そんな砕けた空気の中、少し咳ばらいをなさってから、閣下は俺たちに向かって穏やかな口調で仰った。


「君たちに同行できないのは、非常に残念だ。現場で肩を並べ、君たちの勇姿を直に見てみたい。それが叶わないのなら、せめて武勇伝だけでも聞かせてほしい。君たちの武運と、無事の帰還を祈る」


 閣下からのお言葉に、俺たち隊員一同は無言で頭を下げた。それから全員顔を上げると、殿下が柔らかな表情で口を開かれた。


「では、ほどよく引き締まったことだし、そろそろ出発しようか」

「……割と一言余計では?」


 俺がツッコミを入れると、周囲から含み笑いが漏れ聞こえた。俺の言を指して「不敬」と非難されることはなく、また、引き締まった空気を再び崩されても、伯爵閣下はにこやかでいらっしゃる。

 そんなリラックスできる空気の中、俺たちは公会堂を出た。


 殿下のご出陣になるわけだけど、王都は静かなものだ。というのも、昨日すでに出陣式が済んでいる。今日の出発は、お忍びみたいなものだ。

 昨日の流れで出発しても……と思わないでもないけど、殿下のご意向は「出発は身内だけで静かに」というものだった。まぁ、静かだったかどうかは微妙だけども……緊張感の中にも、心のゆとりのようなものはあって、それは何よりだった。


 転移門管理所の前に着くと、ここまでお見送りについてきてくださった方々が、戦場へ向かう殿下と俺たちに頭を下げてこられた。立場や肩書の差を思えば、こうして礼を尽くされることに恐れ多さはある。同時に、託されたものの重みを改めて感じ、気力が満ちてくる。

 見送られながら管理所の中へと入った俺たちは、管理所の方からも激励の言葉をいただいた。

 俺たちよりも視点が高くて広いはずの天文院の方でも、ここまで多くの国が手を取り合う大事には、お目にかかったことがないのだろう。興奮と心配入り混じる彼の表情に、俺たちが――いや、人類が――未知の領域へと突入しようとしていること、まさに歴史の最先端にいるという意識を新たにした。

 そして、俺たちは互いに顔を見合わせ、静かに門をくぐった。


 門を超えた先では、管理所の職員さんのみならず、こちらの国の高官と思しき方々が出迎えてくださった。

 このマスキア王国は、フラウゼから見れば大陸の反対側にある国だ。転移門ぐらいでしか行き来できない位置関係にあって、民間での交流はほとんどと言っていいほどないらしい。だいぶ縁遠い友好国みたいな感じなのだろうけど……こちらの方々は大変腰が低い態度で俺たちを迎えてくださった。

 転移門から出る道すがら話していただいたところによれば、種族同士の雌雄を決する戦いだという認識はあるものの、あくまで自国がふっかけられた戦いという感覚だそうだ。そして他国からの参戦を、救援のように感じているとのこと。


「遠地より駆けつけていただきましたこと、何とお礼申し上げれば良いか……」

「いえ、あなた方がお気になさるようなことでは。立場が逆なら、きっとあなた方も手を差し出したことでしょう」


 感謝の言葉に殿下が返されると、高官の方は少しためらいを見せた後、苦笑しながら口を開かれた。


「実を申し上げますと、敵に挑まれたのが我が国で良かったと……そう感じる者は少なくありません」

「と言うと?」

「他国の軍に比べますと、我が方は質よりも量に寄っておりますので。迎え撃つのであればまだしも、他国へ馳せ参じようものなら、お力になれるものかどうか……」

「なるほど」

「……ですから、量を誇る我が国の軍に、皆様方のような精兵をお招きすることができたのは幸いでした」


 そんな話を聞いて、俺はふと違和感を覚えた。確かに、こういう状況は俺たち人間側諸国にとって好都合だろう。しかし……そもそも、この国で雌雄を決しようと持ち掛けたのは、向こう側の将だ。自分たちが不利になることを承知で、申し出たというのだろうか?

 俺と同じような疑問を抱いたのか、仲間の一人がおずおずと手を上げ、尋ねた。


「連中はなぜ、貴国と決戦しようと思い至ったのでしょうか?」

「それは……」


 高官の方が言い淀む。敵が理にそぐわない選択をしているという認識はあっても、理由までは判然としないのだと思う……というか、奴らが何を考えているのか、誰も即答できない。そんな中、殿下が口を開かれた。


「ラックス」


 呼ばれた彼女は「やっぱりな」とでも言いたげな、苦くひきつった微笑を浮かべている。少し間を開け、彼女は自説を口にした。


「完全に憶測ですが」

「だろうね」

「……単に正面からの決戦を挑みたかったのではないでしょうか? これまで、敵の動きは策謀に寄っていたと思われますが、それは王都に住んでいたからこその印象かもしれません。各国の最前線においては、魔人に対する印象が、本拠地側とはまた違うものと思いますが……」

「確かに……私が最前線にいた頃は、策を弄するよりも真っ向からの戦闘を好む敵が多かったように思う」


 なるほど。魔人はどいつもこいつも悪辣なのだとばかり思っていたけど……力のぶつかり合いを好む奴も相当数いるってことか。そして、そういう連中が今回の戦いの相手かもしれないと。

 自分たちとは視点の違う彼女の話に、みんなも強い興味を示した。そんな中、彼女は話を続けていく。


「共和国での戦いにより、向こう側の上部でパワーバランスが変わった可能性が高く、その影響もあると思われます。であれば、武功を挙げてのし上がろうという者が出るのはおかしくないでしょうし……」

「それを汲み上げ、決戦の場を設けたと?」

「かもしれません。この戦いを陽動に、背後で動こうという者もいるでしょうが……それはあくまで便乗であって、魔人側という一大集団としては、この決戦が本命のようには思います。私たち人間側に有利な条件が揃っているのは、戦いに応じてもらうための、無言の譲歩ではないでしょうか。それに……」


 そこで言葉を切った彼女は、少しの間口を閉ざした。こういう時、彼女は割と容赦のないシビアなことを口にする。思わず身構え、俺は彼女の言葉を待った。


「今の人の世には、互いに手を取り合おうという潮流を感じます。それが結実する前に、武功を挙げて成り上がろうという配下の気勢をあてがい、出鼻をくじこうという目論見があるのではないでしょうか。経過次第ではありますが、ここで私たちが負ければ、後がないように思いますから」


 考えたくもないシナリオではある。しかし、そんな暗い予想でも淀みなく堂々と語る彼女に、この場の多くは舌を巻くような感心を向けた。

 結局の所、彼女が最初に言ったように、全て憶測でしかない。敵を侮ってはならないけど、不安にかられて影を膨らませたって仕方がない。そういう、気持ちの面で負けていては話にならないけど……みんなを見る限り心配はなさそうだ。うつむき加減で歩く奴は、一人もいない。

 そして、長い廊下も終わりに差し掛かってきた。「ラックスのおかげで退屈しなかったぜ」「そりゃどうも」などと軽口を交わしながら、俺たちは管理所を出た。

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