第522話 「色気のないプレゼント」

 5月28日昼、フォークリッジ家食堂にて。


 マリーさんとレティシアさんは、今はこちらにはいない。今日の昼前から、アイリスさんや俺の仕事仲間と一緒に、壮行会のような女子会に参加しているからだ。たぶん、みんなでケーキをつっついているのだと思う。

 そういうわけで、この食堂は俺と奥様の二人しかいない。思えば、こうしてサシでお茶をするのは、いつぶりだろうか。奥様はいつになくお静かでいらっしゃる。それが逆に、妙なプレッシャーになっている。

 しばらくの間、俺たちはテーブルを挟み、ただ静かにお茶を愉しんだ。奥様手ずから淹れられたお茶は、「マリーほどじゃないけど」と謙遜なされたものの、とてもふくよかな香りで心が落ち着いた。


 そうして一杯目が片付いてしまったところで、奥様が動かれた。自分でやろうと動こうとするも、手でやんわりと制され、ご厚意に甘えることに。すると、奥様は静かに切り出された。


「出発は、あなたも一日?」

「はい」


 俺もアイリスさんも戦場へ向かうけど、配属は違う。俺は殿下直属の近衛部隊で、彼女は諸国連合軍の旗手みたいな立ち位置だ。世の流れだとか、これまでの経緯とか、色々なものが絡み合っての大抜擢だ。

 彼女がそういう役回りを務めることは、きっと名誉なことなのだと思う。各国の思惑はあるだろうけど、単なる客寄せパンダ程度の認識ではないはずだ。このお屋敷にほど近い、あの森の”目”を開放した実績があるし、共和国への滞在中には兵のみなさんの心をつかんだ人徳もある。

 ただ、彼女が大任を得ることに、心配する気持ちはやはりある。あまり危険な目には遭わないだろう。フラウゼ・リーヴェルムの両国は、あんなことを繰り返さないようにと警戒しているだろうし、それは彼女自身もそうだろう。それでも、目立つ立場が敵の注目を引く可能性は高い。

 そして……そういう懸念とはまた別に、個人的に気がかりな部分がある。出し抜けに奥様は「あの子も、偉くなっちゃったものね」と、しみじみ仰った。


「あなたも大変ね」

「ええ、まぁ……」


 何が大変って、彼女と釣り合う男だと、世に認めさせることだ。貴族と平民の身分差があっても結ばれるよう、より頑張らなければならないのは俺の方だ。

 すると……奥様は真顔でとんでもないことを口走られた。


「押し倒したりしないの?」


 お茶を吹き出さないよう、俺は顔の筋肉を総動員して押し留めた。少しむせ込み、どうにか落ち着いてから、俺は改めて奥様に向き直った。


「しませんよ、まったく……」

「私は、別に構わないと思っているけど?」

「そうじゃなくってですね……婚前交渉も既成事実も駆け落ちも無しで、真正面から結ばれてみせますから」

「私たちのために?」


 心底が見透かされたようで、俺はドキッとした。

 俺と彼女で、ちゃんと世に認められようと決めた理由は色々ある。色々ある――けど、こちらの方々のことをおもんぱかる気持ちが圧倒的に強い。俺だけじゃなくて、きっと彼女も。

 もし仮に、色々なものを投げ捨てて、彼女と二人っきりになることを選んだら、どうなるだろう? きっと、こちらのご夫妻に累が及ぶのではないかと思う。マリーさんだって、レティシアさんだって、これまでみたいには暮らせなくなるだろう。それを俺たちは是としない。

「迷惑かけたくないんです」と俺が口にすると、奥様は「やれやれ」といった感じのお顔になられた。


「別に構わないっていうのに……」

「いえ、俺たちがそういうのを嫌っているんです。みんなで幸せになれたらって。だから、そのために頑張るんです」

「そう……まったく、大きいこと言うようになったものね」

「いえ……割と大言を吐くのは、昔っからで」


 そんなことを口にすると、奥様は「それもそうね」と楽しそうに笑われた。



 その夜。晩ごはんをご一緒させてもらい、お茶で一服した後、そろそろおいとまという流れになった。

 すると、今回のお見送りは、アイリスさんだけだった。おそらく、あのお三方が気を利かせてくれたのだと思う。玄関の周囲に視線も感じない。まぁ、俺が帰ったら、アイリスさんに根掘り葉掘り聴くのではないかと思うけど……この子も、聴かれたらしゃべりそうだし……。

 ただ、すでに二人っきりっていうのは、実に好都合だった。帰った後のことを思うと、なんだか恥ずかしさを覚えないでもないけど、俺は意を決して「ちょっと、いいですか?」と言った。

 その言葉が、彼女の中でどういう受け止められ方をしたのかは定かじゃない。ただ、頬に微妙に朱が差しているあたり、何か覚悟やら期待しているようには見える。彼女は消え入りそうな声で「はい」と答えた。


「いや、大したことじゃないんですけど」

「はい」

「……大丈夫ですか?」

「は、はい」


 本当に大丈夫かな……彼女の緊張がこちらまで伝わってくるようで、俺もちょっとずつヤバくなっていく。そこでお昼の、奥様との会話を思い出し、それが追い打ちになって余計に。

 目を閉じ何回か深呼吸をして、どうにか気分を落ち着けてから、俺は改めて彼女に切り出した。


「外で、ちょっと話しませんか?」

「……そうですね、そうしましょう」


 そうして玄関を出ると、顔のほてりを冷ますような、心地よい夜の空気に包まれた。空に星は、あまり見えない。昼から曇り模様だった。まぁ、空に贅沢を言っても仕方ないか。

 玄関正面から離れ、俺は屋敷の横へ回り込むように歩いた。その後ろを、ややいぶかしみながらも彼女が続く。

 そして、俺は空歩エアロステップで屋敷の壁沿いに、宙へ駆け上がった。振り向くと、少し驚き気味の彼女がいたけど、俺の意図を察したのか、すぐに頬を緩めて着いてきてくれた。


 空歩で登っていった俺たちは、お屋敷の屋根についた。斜面のてっぺんに、二人で並んで腰を落ち着ける。「前にも、こんなことありましたね」と話しかけると、彼女は静かにうなずいた。

 相当緊張しているのだと思う。そんな彼女を愛らしく思うのと同時に、今から切り出す話に対し、今更ながら抵抗感を覚えた。イイ雰囲気になっている気はするけど、それをぶち壊してしまうのではないかと。

 それでも、言わなければならないことと思い、俺は心を決めた。肩掛けカバンから、俺は白い腕輪を二つ取り出し、一つを彼女に手渡した。


「これは?」

「とりあえず、つけてみてもらえませんか?」


 そう言いつつ、俺は自分用のを先に腕につけてみせた。その様を見つつ、彼女もそれに倣って腕輪を装着。そこで俺は、自分の腕輪にマナを注ぎ込むイメージをした。すると、彼女の腕輪に青緑の光が灯る。


「……外連環エクスブレス?」

「いえ、その試作品と言うか……ウォーレンが今研究している奴です。声は飛ばせませんが、マナだけは飛ばせるってもので」


 すると、彼女は俺の腕輪にマナを飛ばしてきた。俺が飛ばしたのよりも、こっちへ来ている光の方が明るく見える。その鮮やかな紫の光に、「さすが」という感心と、妙な闘争心が湧いてきた。

 ただ、そういう感情は、彼女の顔を見ていると奥の方へ引っ込んでしまった。右腕につけた腕輪を、彼女は左手で慈しむように包んでいる。

 これから掛ける言葉が、この微笑みをぶっ壊してしまう――そこに強い抵抗を覚えつつ、俺は未練を振り切って本題を打ち明けた。


「安否確認用です」


 すると、彼女の顔が一瞬だけ曇り、そのあと寂しそうに微笑んで言葉を返してきた。


「なるほど、そういうことですか」

「お互い、敵に顔を覚えられてますし……狙われていてもおかしくありませんから」


 つまりはそういうことだ。相手の消息がわからなくなったとき、一度自分のマナを送りつけて反応を要請する。それで少し待っても返事がなければ――。

 考えたくはないパターンだけど、そういう備えは必要だ。なにしろ……。


「俺が転移で飛ばされたことが、一回あったじゃないですか」

「……はい。それが何か?」

「こないだの共和国での戦いで遭遇した魔人が、どうも俺をふっ飛ばした男の上役のように思えまして。奴も、ああいうことをできるのではないかと」


 そこまで言って――彼女の返事はなかった。ただ、思いつめたような顔で俺を見つめてくる彼女に、胸が締め付けられるようだ。

 ただ、ここで言いたかったのは、こういう懸念だけじゃない。気休めでもなんでも無い、前向きな覚悟こそが、今伝えたいことだ。本当にそうなってしまう前に、彼女にだけはと。


「飛ばされても、ちゃんと帰りますよ。この腕輪だって……反応は鈍くなるだろうけど、それでも通じ合えると思います」

「……本当ですか?」

「……たぶん。あのときだって、あなたのマナを探して、ここまでやってきたんですし」


 この、一度やり遂げたという実績は、前に潜む不安に向き合う勇気になったくれたようだ。彼女は表情を柔らかくして、「そうですね」と言った。

 そうして言うだけのことは言って、俺は空を見上げた。雲に覆われ、真っ暗な夜空だ。すると、右腕のあたりでピカピカ光るものが。


「……割と楽しんでません?」

「いえ、いざという時に使えないと困りますし、予行練習ですよ」


 とは言うものの、そういうのが必要な彼女じゃない。ただ……必要がない時に光らせて遊ぶ子じゃないのは確かだ。だったら、今ぐらいはいいだろう。

 そこで俺は、彼女に倣ってやり返してみた。彼女の右腕で、俺のマナが光りだす。


 そうして俺たちは、少しの間、借り物の魔道具で遊びつつ談笑した。月明かりも星明かりもない、暗い空の下、俺たちの光だけが辺りを包んだ。ただただ幸せだった。

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