第335話 「反省会②」

 王都近郊に対する攻撃から帰還の後、程なくしてグレイは、大師からの呼び出しを受けた。紛れもない独断専行であり、こうした事態の覚悟はすでに済んでいる。


 長い廊下を一人歩きながら、彼は今回の攻撃について反芻した。王都や国の政治に携わる者に対し、一定の牽制にはなったであろう。

 しかしながら、自らの死霊術ネクロマンシーを破られた。その事実が、大師の部屋へ向かう足取りを重くさせる。詳細な報を求められれば、答えざるを得ない。

 そこでふと、彼の脳裏にカナリアの存在が思い浮かんだ。彼女は大師直属の配下だ。師の命を受ければ、平然とした顔で思考を読みにかかるであろう。そうなった場合の屈辱を思い、グレイの顔が険しくなる。

 いっそのこと、あいつを協力者として巻き込もうか……そのような考えが、一瞬だけ浮かんですぐさま消えた。彼女は、あくまで彼の行動を黙認しただけだ。協力者というには程遠い。

 無論、その事が大師の耳に届けば、彼女も何らかの責を負わされる可能性はある。しかし、それで自身への追及の手が収まるとも思えない。彼女の不興を買って、それでお終いだろう。


 結局の所、一人で大師と向き合う他なさそうだ。大師の居室を前に、彼は一度深呼吸をしてから、ノックをした。すると、少し遅れて「入れ」という声が、厚みのあるドアの奥から響いた。無言でドアを開け、グレイは部屋に入る。


 居城の廊下は純白で、光に満ちている。大半の居室もそうだ。

 しかし、大師の居室は異様に薄暗い。まるで光を嫌うかのようなその部屋は、四方八方を本棚に囲まれており、数少ない調度品の類も、黒に近い色合いをしている。

 そんな陰気な部屋の主は、部屋の中央にあるテーブルに腰かけ、来訪者にさして注意を払うことなく本を読んでいた。

 こういった大師の態度は、グレイにとっては初めて見るものではなかった。特に声をかけることもなく、彼は大師の傍へ歩を進める。

 そして、彼はテーブルの横に着いた。余分のイスはない。もっとも、勧められてもグレイに座る気はないし、大師はそもそも勧めないであろう。

 彼が傍らに立っても、大師は目立った反応を示さなかった。態度から思考を読み取れる相手でもないが、静かな威圧感だけは確かにあって、グレイの肌を刺す。

 それからややあって、大師は本を読みながら口を開いた。


「なぜ動いた?」

「……動くな、という命を受けておりませんでしたので」


 グレイの返答に対し、大師は静かに本をめくり続ける。それからまた少し沈黙が続いてから、大師は言った。


「では、動く前に、なぜ相談しなかったのだ?」

「この程度の仕掛けで、大師様を煩わせることもあるまいと」


 すると、大師はゆったりとした動作で本を閉じ、テーブルに置いた。

 そして大師は、ここで初めてグレイに視線を向けた。その眼は、どこまでも冷ややかだ。


「どのような意図があって動いた?」

「新政府と我らのつながりを匂わせてやれば、旧政府側は動揺することでしょう。それに、人間相手ということで手心を加えようという者どもと、″裏切り″への義憤に燃える者どもとで、協調を乱すことも期待できるかと」


 取ってつけたような言い訳ではない。彼なりにこの状況を鑑み、人に対する悪意を尽くして考えた理由である。

 しかし、大師は彼から無感情に視線を逸らし、テーブルの上の本を見つめた。何一つ、興味がある話は聞けなかったとばかりに。

 やがて、大師は口を開いた。


「今、あの国が直面しているのは、人間同士の戦いだ。どちらが勝とうが、それは問題ではない。国内には禍根は残り、他国との関係も微妙なものになるだろう。そうして出来上がった溝が、次なる策を打つ隙になるかもしれぬ」


 そこで言葉を切った大師は、グレイに視線を向けた。にらみつけられたわけでもないというのに、心中を冷たく射抜かれるような感覚を覚え、グレイはわずかにたじろいだ。


「我らとの関与が明るみになれば、裏切り者を切り飛ばして解決となりかねぬ。戦後の混乱期も、より短いものとなろう」

「恐れながら……それは、旧政府が勝った場合の話でございましょう。ならば、奴らに勝たせぬ策をこそ用いるべきでは?」

「このような形の戦になった時点で、あの国はすでに負けている。勝敗などは関係ない……魔人の関与などという、挽回の口実さえ与えなければな」


 大師の口調は、実に落ち着いたものではあったが、そこには侮蔑の響きもかすかにあった。物わかりの悪い下々に、わざわざ諭さなければならないことへの徒労感とともに。


 大師が語る考えに対し、理解が及ばないグレイではなかった。

 大師は戦の勝敗を重視していない。どう転ぼうが、こちら側にはうまく働く。効率的な策略ではあるが、グレイの耳には、腰の引けた対応に聞こえてならなかった。

 無論、新政府が勝てば、その方が魔人側にとっては大きな利があるだろう。首脳陣にはすでに息がかかっており、事実上の傀儡政権となる。それが、今後人の世にどのような混乱をもたらすか……そう思うと、沸き立つ暗い喜びを抑えられない。

 それなのに、大師は「どちらが勝っても」などとお利口な策を取ろうという。

 大師からすれば、勝敗に拘泥することは浅いのであろうと、グレイは考えている。その一方で、彼から見れば、大師こそ浅い満足を求めているようでもあった。

 そうして煮え切らない思いを抱いた彼は、せめてもの抵抗に、思い切った口を利いた。


「下の者が手の上にいなければ、ご不満ですか?」


 その放言に、大師は固まった。

 しかし、それも一瞬のことだ。次第に、場違いなほど彼の表情が崩れていき……終いには、大師は腹を抱え、全身を小刻みに揺らした。


「クッ、ククク……ハッハッハ! 粋がって跳ね返って見せても、結局は我が手を出ておらぬではないか!」


 グレイは、感情をあまり強く表には出さない。せいぜい、人間――生死問わず――を弄ぶときのように、快に身を委ねている時ぐらいである。

 しかし、そんな彼も、今は顔に熱いものが昇るのを感じた。激しい含羞がんしゅうと怒りが、彼の心をかき乱す。

 彼の目に、自身を笑う大師は、ポーズでそうやっているようには見えなかった。暗い部屋に響く乾いた笑い声が、彼のプライドを蹂躙する。床に散らかしたグラスを、無造作に踏んで遊ぶように。


 笑われ続けても、グレイは一切反論できなかった。一国を相手取り、大小様々な策略を以って今の状況を作ったのは、他ならぬ大師である。彼に比べれば、グレイ自身は巨悪に便乗する小悪党に過ぎない。

 五星の直属幹部という立場だけあって、グレイは自身の立ち位置を、この場でもよく理解していた。権力の差だけではない。むしろそれ以上にある力量の差は、認めざるを得ないところであった。


 やがて、ひとしきり笑い終わって満足したかに見える大師は、若干ニヤケた顔でグレイに告げた。


「久々に笑わせてもらったぞ、礼を言う」

「……そのために呼ばれたのですか?」

「そうなる可能性があると、踏んではいたがな……下がって良いぞ」

「……はっ」


 精神力を総動員し、平常心を表層に塗りつけ、グレイは一礼してから部屋を立ち去ろうとする。その彼の背に、大師の冷ややかな声が飛んだ。


「今後は好きにせよ。期待はしておらぬ。ただ、私以外にも笑われぬようにな」


 それに反応することなく、グレイは歩き続け、部屋を出た。向き直り、重く分厚いドアを閉める。すると、こらえきれなくなった衝動が、拳になってドアを打った。鈍い音とともに、ドアがかすかに揺れる。

 一発殴ると、もう止まらなかった。ドアの向こうで大師が聞いていようが、お構いなしだった。

 そして……何発殴っただろうか。気がつけば、彼の両手は拳として用をなさないまでに変形していた。時折、湿った音を立てて飛び散った肉片は、すでに廊下の上で白い砂と変わり果てている。


 そこまでやって、やっと彼は長いため息を吐いて、落ち着きをやや取り戻した。しかし、腹の底にはまだ煮えた情動が溜まっている。不甲斐ない自分と、それを笑った大師への、激しい怒りが。

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