第287話 「殿下のご要望」

 ラックスが立ち止まったすぐそばには、真っ白な下地にうっすらとした金色の細工が端に施された、立派なドアがあった。

 この先が、殿下のお部屋なんだろう。俺の方を振り返ったラックスは、真面目な顔でうなずいた。

 正直に言うと、かなり緊張するけど、もう深呼吸でどうにか解消できるようなものじゃない。覚悟を決めてラックスにうなずき返すと、彼女はドアをノックした。

 するとすぐに、ドアの向こうから「どうぞ」という声が。殿下のお声だ。


 それから、ラックスが静かにドアを開けると、部屋の入り口すぐ近くに殿下がおられた。

 さすがに王城内だし、ひざまずいた方がいいんだろうか? ラックスの方を一暼すると、彼女は殿下の視界に入らない左手で「はよ入れ」みたいなジェスチャーをした。

 もう、なるようになれだ。「失礼いたします」と声をかけてお部屋に入り込むと、殿下はにこやかに笑われた。いつもの柔和な感じであらせられる。

 しかし……オーラというか、覇気を感じない。もしかしたら、戦場や仕事の場でお会いした時のイメージに引きずられているのかもしれないけど。

 そんなことを考えていると、後ろでドアが閉まる音がした。ラックスが横に並ぶと、殿下は俺たちに話された。


「すまないね、二人とも。いきなり呼び出してしまって」

「いえ、価値ある役回りをいただけて光栄に思います」


 さして緊張した様子もなく、淀みない返答をしたラックスは、軽く頭を下げた。それに倣って俺も頭を下げる。ものすごく形式ばった礼は、求められていないようだ。ここが殿下の居室で、他の目がないからだろう。

 そうして挨拶を済ませると、殿下は俺たちを部屋の中へ案内された。


 殿下のお部屋は、お一人で住むにはあまりに広い。高いホテルの高い部屋、それもスイートの前に仰々しい形容詞がつく部屋みたいな感じだ。

 広い壁と天井は見事に真っ白で汚れ一つない。そんな清潔感と、若干のよそよそしさを感じさせる部屋の中には、意外にもあまり調度品の類がなかった。

 その代わりというべきか、壁の一面には暗い色合いのどっしりとした本棚が並んでいて、ぎっちりと書物が詰め込まれている。

 さすがに、すべてに目を通されているとは思えない。しかし、本棚の前にある広い机には、閉じた本が山と積まれ、開かれた本と書類が散乱している。きっと、いずれ読むかもしれない、必要な蔵書なんだろう。

 本棚の向こうにはベッドがあって、やたら大きかった。天蓋とかはない。あまり寝所を見ていると失礼かと思って、すぐに視線をそらしたけど。

 お部屋の中には来客用と思われる、脚が細身で優美なテーブルもあった。しかし、それを素通りされて、殿下は部屋の奥へ向かわれた。

 そうやって案内された先に、バルコニーがあった。安全のためか、壁から伸びた手すりが胸元ぐらいまであるものの、手すりの柱の隙間からは王都の様子がよく見えた。


 そして、バルコニーに置かれたテーブルには、すでに先客が1人いらっしゃった。アーチェさんだ。彼女は俺とラックスの姿を認めると、座ったまま深々と頭を下げてきた。

 彼女に返礼してから、俺たちは同席した。俺の対面には殿下が座られる形だ。呼び出しを受けたから当たり前なんだけど、こうしてメインの客扱いを受けると、身が強張こわばる。

 すると、アーチェさんがお茶の準備を始めた。なんというか、恐れ多い感じがする。しかし、殿下は苦笑いして仰った。


「"公的"には、私の侍従ということになっているんだ。だから、気にせず仕事させてほしい」

「かしこまりました」


 よく考えれば、アーチェさんがどこに住むかは大変な問題だ。王都の適当な宿でってわけにはいかないだろう。ティナさんに面倒を見てもらおうにも、彼女は転勤族だから、やっぱり不都合があると思う。

 となると、事情を知っていて権限もある、殿下のお側が一番安全なのかもしれない。

 それで、アーチェさんは侍従ということだったけど、装いは従者というより秘書官っぽい。あか抜けた感じではあるけど、この姿のままお役所の庁舎に行っても違和感がない。きっと、城内を歩いても、あまり目立たないようにという事だろう――それでも、雪のような肌と髪は、人目を惹いて仕方がないと思うけど。

 アーチェさんの、少しぎこちないお茶汲みを眺めながら、そんなことを考えていた。


 茶の準備が整うと、殿下が笑顔で仰った。


「まずは、先の仕事に関して。君がいなければ、いつ終わっていたことか。本当に、お疲れ様」

「あ、ありがとうございます」


 思いがけず優しい声音でお褒めのお言葉をいただき、かなり恐縮してしまった。しかし……この件だけで俺を呼び出すものだろうか?

 最初は少し妙に思ったけど、よくよく考えると、ありえなくはない話だ。あの仕事があったからこそ、王家のルーツにまつわる情報を得られたのだから。そのことを以って、王族としての礼をいただけたのかもしれない。


 ただ、次に気になったのは、ラックスがどこまで知っているかだ。

 閣下のお話では、例の暴露話は近臣や重臣に限定して話されたらしい。その臣下の中に、ラックスの御父上が含まれている可能性は十分にある。彼女の家系は貴族じゃないけど、なんというか……平民の頂点にある感じの、超名家らしいし。

 まぁ、彼女の方を見ても静かに茶を楽しんでいるだけで、何も答えは得られなかった。


 その後、殿下はラックスとアーチェさんに聞かせるように、軽く遺跡調査のお話をなされた。

 しかし、本題はそれではなかったようだ。一度話を切り上げられた殿下は、茶を一服されてから、話を切り出された。


「去年の秋、君は友人のために、結婚式を華やかに盛り上げただろう?」

「はい」

「また、ああいうことはできないかな?」


 ああいうこと。そう言われて俺は、卓を囲む女性二人に視線をやった。いや、まさかね。

 すると、俺の視線を読まれた殿下が、笑って仰った。


「今、変なこと考えたかな? 私が式を挙げるわけじゃないよ」


 やっぱり早とちりしたようだ。ラックスには「ふふっ」と笑われて、顔が少し熱くなる。そんな気恥ずかしさを紛らわすように、俺は殿下に向かって真意を尋ねた。


「ご要望にお応えするためにも、詳細にお話ししていただきたく存じます」

「いや、すまないね。からかったみたいで。気を悪くしないでほしい」


 殿下はそう仰って、いくらか申し訳無さそうに微笑まれた。親しみを向けられているのはわかるし、それ自体は光栄で、喜ばしくも思う。

 問題は、用件の方だ。殿下は仰った。


「これといった考えはないんだけど、何かこう……大勢で楽しめる催しのアイデアとか、ないかなと思って」


 ずいぶんとフワフワしたことを仰る。何かしらのイベントをご所望ということはわかるけど、それ以上の具体的なところがはっきりしない。

 期日や規模、予算について尋ねてみると、殿下は少し気弱な感じになられて、逆に面食らってしまった。


「あまり、具体的なビジョンはないんだ。ただ、そういうのがあったらいいなって……」


 それから殿下は、「変なことを頼んで、ごめん」と続けられた。

 どうしよう。

 俺自身、どういうイベントにすればいいのか、まるで構想がない。でも、断るのはちょっとな……という感じだ。このタイミングで、明るい気持ちになれるイベントを求められる、その理由については察しがつく。

 だから、受けてもいいかなと思った。

「どうなるかわかりませんが、検討します」と答えると、殿下はお顔をほころばせて「ありがとう」と仰った。

 お話はそこまでだった。急に呼んで急な話を持ちかけたことについて、殿下に何度か詫びられながら、俺たちはお部屋を後にした。



 門衛の方に挨拶をして、王城の敷地を出たところで、俺はやっと体にのしかかっていた重みが取り除かれたような気がした。

――いや、重いのか軽いのかよくわからない荷物はある。この先どうするか考えながら、ラックスと一緒にエスターさんの店へ歩いていく。

 すると、彼女が真剣な顔で話しかけてきた。


「何か、案はある?」

「さっぱり」

「そっか……今回は私も手伝うよ」


 彼女の方を向くと、彼女は顔の力をフッと抜いた。


「連絡係も必要だろうし、話を聞いてた私が無関心っていうのもね」

「ああ、なるほど。ところで、ラックスからは、何かアイデアは?」

「ないよ」


 真顔でスパッと返された。それから彼女は、少しだけ挑発的な笑みを浮かべる。


「あなたが主役なんだから。がんばれ、画伯」


 確かに、殿下は俺にお声を掛けられたわけだ。ここでラックスにネタ出しで先んじられると、ちょっといただけないものがある。

 それに、この件に関して前向きになれる理由もある。

 きっと、アーチェさんからの例のお話を受けて、色々思うところがあって……その気晴らしにと、殿下は俺に打診されたのだろう。

 でも、あの話で苦しい思いをしたのは、殿下だけじゃない。俺が世話になったことのある貴族の方々の中にも、つらい思いをされた方はいるだろう。

 そんな方々の気晴らしになれるのなら――正直に言うと、ちょっと無理難題な丸投げに感じないでもないけど、それでも本気で打ち込む価値を感じた。



 彼らが去ると、広い自室がいつもよりもさらに寂しくなった。

 少し名残惜しさを感じながらバルコニーに視線をやると、アーチェが不安と謝意が入り混じったような表情で話しかけてきた。


「先ほど、殿下がリッツ様にご提案なされた件ですが」

「それが、何か?」

「私が余計なことを申し上げてしまったのではないかと……」


 彼女が察したとおりだ。あの話を聞いて、気晴らしを求める気持ちは確かにある。そして、そのために彼らを呼んで希望を押し付けてしまったのも、事実だ。

 しかし、あの話が余計なものだったというのは、私は違うと思う。


「あなたが気にすることではないよ。聞かせてほしいと願ったのは私だし……確かに、聞けて嬉しい話ではなかったけど、だからといって本当のことを知らないまま生きたのでは、かえって哀れに思うよ」


 私が本心からの言葉を返すと、彼女の表情はそのままだったけど、特に反論はしなかった。私の言に、ある程度納得はしたのだろうけど、それでも何かしら負い目のようなものを感じているように見える。

 しかし、私としては、彼女から責任を取り除いてあげたかった。後の世に歴史を伝えるために、生まれ育った御代を離れるという孤独を味わっているのだから。

 例の件から話題をそらそうと、私は彼女に話しかけた。


「心を悩ませる問題は、他にもたくさんあるしね」


 私がそう言って室内のテーブルにつくと、彼女は向かいに座った。

 心配事と言えばきりがない。その中でも気にかかるのが、先の会合の件だ。

 彼女からの話を伝えるために、主だった重臣を集めた。しかし、第3都市クリーガからロキシア公爵とベーゼルフ侯爵の両名が未出席だった。公爵は体調が思わしくないとのことで、侯爵は領内で起きた魔人の集団との戦いに勝利し、今は帰還の途にあるということだけど……。

 王都からの距離ゆえに、第3都市は管理が行き届かない部分が少なからずある。そんな中で都市が問題なく運営されているのは、この両名の手腕によるところが大きい。

 しかし、不穏の種をつぶさに摘み取ってくれている彼らが、一時的にではあるものの、他者に都市を委ねる形になっている。他にも力のある貴族が控えているとはいえ、やはり気がかりだ。


 心をかすかに騒がせる、漠然とした不安に瞑目していると、不意にアーチェの声がした。


「殿下」

「何かな」

「何か、私にできることは、ございますでしょうか」


 ああ、困った。私としては、黙ってニコニコしてもらうか、愚痴でも聞いててもらいたいんだけど、いずれにしても今の彼女には負担になりそうではある。

 さりとて、「無いよ」とも言えない。何かお役目を与えないと。そのために、彼女は時を越えて、こんなところに仕えているんだから。

 そこで私は、妙案を思いついた。


「アーチェ、君にはまず、今の時代の風習や文化について、書でもっと学んでほしいと思う」

「……それが、殿下のためになることなのですか?」

「君は、お忍びのときに、私に恥をかかせる気なのかな?」


 笑顔で、ほんの少し詰問するような口調で言ってやると、一瞬真顔になった彼女は表情を緩めて、本棚へ小走りで向かった。

 これでいい。

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