第272話 「待ち受ける者は」

 首尾よく扉の封印を解くことに成功したものの、すぐ前進とはならなかった。扉の表面を覆う魔法陣が消えた一方で、別の仕掛けがないとも限らない。

 そこで、ティナさんに加え、リムさんや工廠のメンバーが、様々な検査器具を用いて扉を調査していく。数分もすると、あらかた調査が終わったようで、工廠職員の1人が声を上げた。


「表層部にマナが流れる仕組みのようです。魔法陣が消えた個所の刻印に、若干ですがその形跡が」

「ええ、どうやら内部にも再生術を仕込まれているようですわね」


 放っておけば再展開される。それにかかる時間がどれぐらいかはわからないけど、とりあえず扉を開けないことには始まらない。

 そこで、今度は冒険者の中でもタフなメンバーが、扉を開けることになった。開けた時、何らかの仕掛けが発動する可能性も考慮し、俺達がバックアップについて少しずつ扉を開ける。

 すると、両開きの扉は意外にもすんなり開いた。先の通路は真っ暗だけど、不穏な感じはない。少し肩透かしではあるけど、何事もなくて何よりだ。

 こうして先への道ができたわけだけど、その前にティナさんはしゃがんで、扉と床の間に何かを突っ込んだ。「こうしておけば、構造物を傷めずに開けっ放しにできますわ」と言って彼女が掲げたのは、簡単に言えばドアストッパーだ。順番に触らせてもらったところ、樹皮らしき素材でできていた。しなやかだけど、かなり強靭だった。これをたたんで適当な形状を作り、隙間に挟んで開けっ放しにするわけだ。

 そうやって扉の再ロックを防ぎ、念のため工廠職員のうち2人を残して先に進むことになった。2人残すのは、扉を開けた状態で再度調査するためだ。ティナさんに言わせれば、「何事もないだろうけど念のため」とのこと。それと、笑いながら「用心深いのは職業病ですの」とも。


 足を踏み入れた続きの通路は、言わば未踏エリアだ。さすがにティナさん――もといティナ様――を危険にさらすわけにはと、冒険者の中でも使命感に燃える、ノリのいい連中が先行する形になった。まぁ、対人的には軽率だけど、仕事はしっかりやるから大丈夫だろう。

 そんな悪友たちは、普段の態度とは裏腹に、前方への注意を絶やすことなく少しずつ進んでいく。安心できる仕事ぶりの彼らにティナさんが「頼もしいですわ」と優しげな声で言うと、連中の大半は鼻の下を伸ばした。幸せそうだからいいか。

 進んだ通路の先には、結構広めの階段があった。足場は金属製で、叩いてみたところ劣化している様子はない。ただ、念のために空歩エアロステップを使える者は階段を踏まずに下ることに。

 少人数ずつ慎重に下りていって、全員下りきったところで、ティナさんが真面目な表情で話しかけてきた。


「この先におそらく部屋があると思われます。その際、注意すべきことをお伝えしますわ。ドアを開けるときは最低でも二人一組で。開ける役と、中をうかがう役で分けるように。細心の注意を払って、臨んでくださいまし」

「中にあり得る警戒すべきものは、例えば?」

「例えば、天井の崩落、居住者や大昔の同業者の遺骸、腐敗した空気、住み着いた生物……といったところですわね」


 やっぱり、そういうホラーなものがあるのか。静まり返った俺達に、ティナさんは安心させるような明るめの声で言った。


「ここまで進んだ感じでは、そういった空気は感じられませんわ。おそらく大丈夫でしょう。それでも、開けるときは慎重に」


 そういうわけで、通路に並ぶ部屋の一つを、試しに開けてみることになった。先導する仲間の1人が、のっぺりした材質に据えつけられたドアノブを布越しに持って、少しずつドアを開ける。

 中をうかがう見張り役は、特に反応を示さなかった。目に見えて変な色の空気が流れだす様子も、異臭もない。

 どうやら、ホラー展開はなさそうだ。そう思ったところ、周囲の空気が弛緩したような気がした。

 そして、ドアを完全に開けて、ランタンで中を照らすと、部屋の中にはべッドと棚が見えた。居住者はいない。さらに中に入って見てみても、ベッドや棚といった据え付けの家具以外に、目立ったものは見当たらなかった。

 他の部屋についても同様だった。発見らしい発見はない。ティナさんが慣れた手際で、ベッドや棚の隙間に細い棒を刺して探ってみても、小物1つ見つからなかった。

 目立った発見がないという事実に、少し期待外れというか、落胆みたいな空気が漂う。すると、ティナさんが真面目な顔で言った。


「どうやら、計画的に引き払われた遺跡のようですわね」

「この先に、何かあるのでしょうか……」

「おそらくは。扉の仕掛けを用意するにも、相応の労力が必要だったはずですわ。現代で言えば禁呪にあたる魔法を、ただの空き家に使うものでしょうか?」


 確かに、ただの施錠ロックであればともかく、ミスったら暴風で吹っ飛ばされるような罠を仕掛けるのは、ただの空き家の防犯としてはやりすぎだろう。

 ティナさんの見立てでは、この通路に並ぶ部屋は、この遺跡における居住区だったのではないかとのことだ。それで、遺跡を放棄した際に、各自の私物を持って引き払ったから、こうしてもぬけの殻になっているのではないか。

 だとすれば、この先に求めるものがある。希望的観測という感じではなく、あくまで自信を持って語るティナさんに元気づけられた俺達は、さらに通路を進んだ。


 そして、つきあたりにまた扉と魔法陣があった。今度はシンプルな魔法陣で、紫色に染めた施錠が施されている。新たな障害を前にして、ティナさんは声を上げた。


「アイリス様、よろしいでしょうか?」

「はい、ティナ様」


 そこかしこで噴出し笑いが聞こえた。ティナさんは笑顔だけど、若干困ったような感じもある。さらに殿下が「私もそう呼ぼうかな」と追い打ちをかけられ、ますます笑い声が大きくなった。

 やがて笑い声がやむと、アイリスさんが前に躍り出て、扉に解錠アンロックを試みた。かけられた施錠と同じ染色型の解錠により、扉の封が解かれていく。

 紫の染色型と解錠を使えるのなら、アイリスさん以外でも魔法自体は使えるだろうけど、やはり立場的な問題はあるようだ。赤とか紫といった、高員な色の施錠が施されている場合は、そういう生まれの方にご助力願うのが通例なんだとか。

 で、アイリスさんと殿下にお越しいただいているのは、まさにこういう事態のためらしい。まぁ、あのおニ方であれば、純粋に好奇心から同行を申し出られそうだけど。


 ともあれ、次の扉も空いたところで、また調査用に工廠職員を残し、扉を開けっぱなしにして俺達は進んだ。

 そうして進んだ通路の先は、半円を描くように曲がっていた。そこを回ると、入り口みたいな長めの坂道が続く。壁や床の材質は変わりなく、空気の質も同様だ。坂道を転げ落ちる心配はあるものの、それ以外に不穏な感じはない。遺跡入り口の時よりかは、みんな慣れたようで、普通に会話しながら少しずつ坂道を下っていく。

 すると、仲間の1人が「ティナ様」と呼びかけ、含み笑いが漏れた。その笑い声がやんでから、声の主が本題を切り出す。


「先ほどアイリスさんが扉を開けた解錠と、ティナさんが扉を開けた時のとでは、少しやり方が違ったように見えたのですが」

「ええ、かなり条件が厳しいのですが、魔道具が展開する魔法陣を解除する技を使いましたの」

「それは……私たちも知りませんね」


 魔法庁の子が話に混ざってそう言うと、ちょっとざわめいた。しかし、ティナさんはあまり気にした様子がなく、さらりと答える。


「工廠の職員であれば、馴染みのあるテクかと思われますわ。いかがでしょう?」

「いや、わかりますけど……人力ではやらないスね」

「ふふ。これが私の特技ですもの」


 おそらくは工廠職員が機材や設備を使ってやるところを、ティナさんは自分の手でやっているという。その卓絶した技量に、称賛と感嘆の声があがる。

 その次に話題にあがったのは、ティナさんが魔法陣を解除していた時に使っていた、手の甲で光っていた物だ。俺にはかなり身に覚えがある。変なリアクションを取るまいと、努めて平静を装っていると、ティナさんが手の甲に例のを作って講釈を始めた。


「これは色選器カラーセレクタという……魔法ではありませんが、教えてしまっても構いませんかしら?」

「名前や概念程度であれば大丈夫です」


 魔法庁職員の許可を得て、ティナさんは短いため息をついてから言葉を続けた。


「色選器というのは、超記述メタスクリプションと呼ばれるもので、文を合わせなくても機能する器の一種ですの」

「初めて聞きますけど、基準外の魔法……みたいなものなのでしょうか?」

「一応、第3種禁呪ですわね。ただ、審査は厳しいと思いますわ」


 すでに色選器を知っていて、こっそり使っていた俺としてはドキドキものだったけど、ただの第3種禁呪と聞いて安心した――いや、禁呪なんだから安心するのもおかしいかもしれないけど。ともあれ、ダメもとで今度、色選器の使用申請をしてみようかとは思った。


 そうやって話しながら坂道を下っていくと、先に変化が現れた。ずっと先の地面に砂が見える。いきなりの光景に、みんな身構えた。

 そして、警戒しながら下っていくと、前みたいにドーム状の空間が広がっていた。床は縁の形状から察するに、すり鉢状になっていて、それが砂でかなり埋まっている感じだ。すり鉢の端、50センチぐらいの斜面だけが、通路と同じ素材でむき出しになっている。

 そんな空間の向こうの端には、やはりというべきか施錠で封印された扉が見えた。今度は黄色だった。あれを開ければ次へ進めるんだろうけど、この砂が何か仕掛けてくるのは間違いないだろう。

 円形の空間に立ち入ることなく、坂道から様子をうかがっていた俺達だけど、こうして待っているわけにもいかない。砂場にめがけ、仲間の1人が、常備しているという拾った小石を投げつける。しかし、反応はない。


 そこで、試しに俺が空歩を使い、中に入ってみることになった。危険担当の冒険者勢の中では、空歩に一番慣れ親しんでいるからだ。

 意を決して、足を空間内に踏み入れる。そうして、砂場の上空に差し掛かったところで、砂場を黄色く輝くマナが疾走した。とっさに高度を上げてから地面の様子をうかがうと、黄色いマナの光がいくつもの円を砂場に刻み、それらが同じ魔法陣になっていく。

 やがて、150センチぐらいの砂の人間が8人、魔法陣から浮かび上がるように姿を表した――いや、8人どころじゃない。まだまだ魔法陣は増えていく。その砂の人間たちの、のっぺらぼうの顔が俺を見上げてきて、額から流れた汗が地面に滴り落ちた。

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