第242話 「発案③」
会議の翌日、昼過ぎ。俺は今、王都から30分歩いたぐらいのところにある、林の中にいる。
木の密度はそれほどでもないけど、それなりに広い林で、中に入り込むと木々の間から外が見えない。
冒険者の間では、こういった人目を気にしないで済む特訓スポットが十数か所は知られていて、互いに譲りあって使う仕組みがある。
俺以外の冒険者にとっても、人気を避けて魔法を練習する需要というのは確かにあって、大きな理由は安全のためだ。Cランクからの攻撃用魔法は、Dまでの
それに、昔は魔法庁が煙たい存在だったから、変にマークされないようにこっそり練習することが好まれてもいた。今みたいに関係改善されてからは、魔法庁の目を気にする必要はなくなったけど、それでも主に安全のため、こういう仕組みが残ってるわけだ。
そして実際、俺は今から危険な試みをする。
息を整えてから、俺はまず右手に
そうやって感覚を取り戻したところで本番だ。右手の甲で光る、色選器の針を短くしてやる。すると、人差し指から出るマナはだいぶ薄くなった。
薄くなると、魔法の記述には適さない。宙に魔法を描こうとしても、不安定ですぐ消えてしまう。一方で、薄くなった分だけ負担も減るようで、薄い赤や紫のマナを出すことができた――そして、赤紫も。
うっすい赤紫のマナを指から出して、針の長さを少しずつ伸ばしていく。そして、どうにか継続できる程度の負荷を感じた時、俺は手の甲に目をやった。針の長さは、本来の長さの3分の1ってところだった。
つまり、キチンと魔法をかけるレベルの濃さにしたければ、今の3倍近い負担がかかるってことだ。訓練次第ではどうにかなるのかもしれない。でも、ちょっとしたショートカットの心当たりが、今の俺にはあった。
道具入れから
そして、指輪のガラス玉が、注ぎ込むのと同じぐらいの薄い赤紫に色づいた。ここからが問題だ。俺は息をのんで、右手に力をこめる。
こうして指輪に薄いマナを注ぎ込むにあたり、1つ懸念があった。この薄さが、どういった意味のものであるかだ。
今の薄さが、空間中における濃度ってことであれば、注ぎ込み続けて指輪の中の濃度を高めることはできるだろう。
でも、何か混ぜ物がしてあるときの濃度であれば、濃くするには濃縮が必要になる。その濃縮をどうやってやるか、現状では見当もつかない。
指輪にマナを注ぎ続け、変化を待っていると、少しずつ色が濃くなっていった。うまくいくようで安心し、俺はホッと胸をなでおろした。
そうやって赤紫のマナをため込んだ指輪を、一度外してから
そして、魔法を書けるか試してみると……赤紫の
一度右手の装備を解いて深呼吸をする。ふと上を見上げると、まばらな樹冠の向こうには青い空とウロコ雲が見えた。複雑な模様に目を奪われ、ぼんやり立ち尽くしていると、いつの間にか興奮が収まった。
気分を落ち着けたところで、状況を確認する。色選器単体では、赤紫のマナで魔法を使おうとしても、用をなさない濃さにしかならなかった。
でも、一度指輪にため込み、十分な濃さにまでマナを蓄積させれば、指輪で魔法を書くことができた。手回し発電と充電の関係みたいなものだと思う。発電中にリアルタイムで何かしようとしても、きっと大したことはできないだろうけど、ため込めばそれなりに何かできる、みたいな。
こうして、指輪にチャージする手間と時間に目をつむれば、どの色の魔法もできるようになったわけだ。
しかし、今度は指輪のキャパシティーが問題になる。このままでは、矢を3本程度放ってそれでおしまいだ。
だから、次はそのあたりをどうにかする。再び色選器で指輪にマナをためなおし、今度は手袋なし、指輪と色選器ありという状態で矢を放つ。つまり、指輪だけでなく、俺からもマナを出す形になる。
すると、矢は4発撃つことができた。先ほどの、指輪のみの時よりも、1回増えた形だ。
こうして回数を増やせたことは、一応ある程度予想できていた。俺の青緑とは別の色が入った指輪をつけて魔法を書こうとしたとき、出たのは俺のと指輪の中間色だった。色が混ざったということは、俺と指輪の両方からマナが出ていたということだ。では、同じ色のマナを出せる状態であれば、指輪の持ちを伸ばせるんじゃないか……そういう考えで試してみたけど、うまくいったようだ。
俺の独力では魔法を使える濃さにはならず、指輪のみでは矢3回が限度、両方合わせて4回。つまり、俺の分で3割強のアシストになったわけだ。薄いマナにしては上出来だろう。
ここまでは、期待通りのことができた。一度深呼吸をして、指輪にマナを入れなおす。そして、また呼吸を整える。
目を閉じて気持ちを落ち着けようとすると、静かな林で枝葉が擦れ合う音が、妙に大きく聞こえた。ノイズみたいな木々のざわめきに、心が乱される感じがする。
「よし!」自分に言い聞かせるように、少し大きく声を出してから、俺は右手を構えた。そして、赤紫のマナで魔法を描く。継続型の
何もない林の中に、急に現れた赤紫の霧――すなわち、瘴気――は、前の戦いのことを思い出させた。ほうき片手に瘴気へ突っ込んだ時よりは、全然大したことがない瘴気だけど、確かに目の前に瘴気がある。
胸に握った手を当て、深呼吸。新鮮な林の空気を、目一杯取り込む。そして俺は……自分で作った瘴気の中に入り込んだ。最初は息を止めていたけど、勇気を出して呼吸をしてみる。すると、ネクタイをきつく締められたみたいに息苦しくなった。
でも、呼吸困難って程じゃない。それから俺は瘴気の中でしゃがみ……腕立て伏せを始めた。
続けるうちに、自分の体を普段よりもずっと重く感じ始めた。やったことないけど、高地トレーニングってこんな感じだろうか。
さらに続けていくと、五感に霞がかかったようになった。唯一の例外は聴覚で、自分の呼吸よりも木々のざわめきがクリアに聞こえた。いや、幻聴かもしれない。俺を取り巻き、ざわめく木々が、信じがたいバカを見た人々みたいに感じられる。実際、とんでもないことをしていると思う。ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだろう。
やがて、俺は地に突っ伏した。何回腕立てをやったかなんて数えていない。
そして、俺がダウンしたのと同時に、急速に赤紫の霧が晴れていった。これは期待通りだ。腕立てを続けられないくらい集中を乱され、薄霧の維持ができなくなったということだ。つまり、自分の限界を超えて瘴気に飲まれ続ける心配はない。まぁ、確証を得たのはぶつつけ本番ってわけだけど、反例になりうる要素が思いつかなかったから、試すのにそこまでの恐怖はなかった。
霧が完全に晴れて、俺は寝返りを打って大の字になった。梢が日光を浴びてきらきらと輝いている。風に揺れる木々の音はそのままだったけど、今は妙に静かに感じた。
息が整ってから、指輪にマナを込めなおし、また呼吸を落ち着ける。今度はスクワットだ。耳を通して脳裏に響くノイズを無視しつつ、俺はトレーニングを開始した。
スクワットの後は腹筋を続け、一通り終えた後で俺はまた地に寝っ転がって空を見上げた。
縦横に走る枝葉で区切られた空は、ウロコ雲の白と青が混ざり合い、不思議なモザイク模様になっている。俺は静かに深呼吸を繰り返しながら、頭上に張り巡らされた枝の迷路を目で追った。そして、次第に思考は自分の中に入り込んでいく。
瘴気を克服することは、俺には必須だと思っている。俺が世界を行ったり来たりした件が、魔人側には知られてないなんて考えるのは、あまりにも無邪気だと思う。
俺個人を付け狙うような動きこそないものの、そう動くだけの理由がないだけで、そのうち狙われる可能性は十分にあると思う。だから、その時への備えは必要だ。
それに、この世界の慣習や常識にとらわれない俺だからこそ、こうして個人的に取り組めることもあると思う。瘴気への抵抗力を身に着け、高負荷な訓練で耐久力を養うことで、他のみんなの力になれることも、きっとあるだろう。
そういうわけで、俺にとってはやる価値のある試みだけど、社会的に認められるものでもないとはわかっている。
まず、色選器が大問題だ。マナの色に基づく個人識別は、これ一つで用をなさなくなる危険がある。他人の指紋を模倣できる手袋みたいなものだ。魔法庁が以前より寛容になったからって、色選器の存在を許すとは考えにくい。
それに、かなり制約があるとはいえ、一平民の手で瘴気を再現できるってのも大問題だろう。
だから、このことは誰にも言えない。
しかし、言えない理由があることを、心のどこかで喜んでいる自分に、俺は気づいた。
ほうきの件でも
今やってる、このトレーニングについて、やる理由も言えない理由も、俺にとっては本物だ。
でも、言えない理由が解消された時、本当にみんなに打ち明けられるだろうか? 自分だけの秘密にとどめておきたい、そういう気持ちがあるのを、俺は完全には否定できないでいる。そのことが、みんなに対して申し訳ないし、みっともなくも思った。
☆
瘴気トレーニングを何セットか続け、かなり疲れた俺は、王都に戻るなり孤児院へ向かった。ちょっとした気疲れもあるので、孤児院の子達と遊びたくなったからだ。
孤児院に入ると、今日はジェ二ファーさんが先生としてやってきていた。顔を合わせるなり、彼女が心配そうに聞いてくる。
「大丈夫? なんか、疲れてる感じだけど」
「そう見えます?」
「ちょっとね」
すると、彼女と遊んでいた子が会話に混ざってきた。
「せんせー、どうしたの?」
「いや、ちょっとね……」
「ちょっとって、何? どうかしたの? 元気ないけど大丈夫?」
「わかった! フラれたんでしよ!」
どんどん会話に混ざろうとする子が増えてきて、ジェニファーさんは困ったように微笑んだ。勝手に盛り上がるこどもたちを、院長先生がなだめつつ、視線で俺に発言を促した。
「別の仕事で、ちょっと疲れてるだけだからさ、気にしないで」
「でも、隠し事は良くないよ~?」
色々と隠し事がある身に、今の指摘は深々と突き刺さった。咳払いをして気を取り直し、話しかける。
「大人になると、自然と隠し事は増えるんだ」
「減ることはないの?」
利発な子の質問に、はっとさせられた。他の先生方も、それまでの笑顔から少し真面目な表情になっている。俺がどう答えるか、それに興味があるみたいだ。そうして急に静かになってから、俺は答えた。
「減らすのは難しいけど、頑張って減らせる人は立派だと思う」
「アイリス先生みたいに?」
「そうそう……?」
うなずいてやって、急に何か引っかかるものを感じた。確か、アイリスさんは、ここでは名前を伏せていたはずだ。それに、隠し事の文脈で名前が出たってことは……なんとなく、予想はつくけど。
「アイリス先生が、どうかした?」
「伯爵様のお嬢様なんだって、この前教えてくれて」
ああ、やっぱり。でも、彼女が本当のことを打ち明けたわりに、こどもたちにあまり変化は見られない。というか、年少の子の方は良くわかってなさそうで、大してリアクションがない。
一方で年長の子たちはというと、柔らかな笑みを浮かべていた。その中の一人、生意気なところもあるけど察しの良い女の子が口を開く。
「最初はびっくりしたけど、他の先生たちが普通にしてるから、いいのかなって」
「ああ、なるほど……」
最初は、彼女の出自がバレないようにと気を遣っていた部分もある。でも、どの先生もある程度すると、彼女を一般人扱いするのが当たり前みたいになっていた。礼を失するほど砕けたりはしなかったけど、よそよそしくもなくなっていた。ラウルは、まぁちょっと硬い感じだったけど……。
そういうのを見たから、こども達も付き合い方を大きく改めたりはしなかったんだろう。
「それに……やっぱり私達、アイリス先生のこと大好きだし」
「それはわかる」
前に、みんなに身分を打ち明けるつもりだって話を聞いたときは、少し心配に思っていた。でも、実際にはこうして何事もなくて、本当に良かった。
そして……ふと、俺がここに通い始めて1年ほどたったことを思い出した。去年のあの時、彼女は身バレを恐れていたけど、今はもう違う。
それが、とても嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます