第228話 「あの人の故郷③」

 俺達は茶とクッキーをゆったりと楽しんでから、再度市場に向かった。

 人混みに入り込む前に、アイリスさんが1枚の紙を取り出して広げてみせる。今回の市場調査の目録らしい。とはいっても、実際には今回の転移許諾に関して世話になった方々へのお土産リストってところだ。

 まったくもって公私混同ではあるけど、彼女は「こういう息抜きも必要ですよ」と苦笑いした。確かに、これぐらいの役得がないと、彼女も上の皆様もやってられないだろう。お遣いに出されている彼女が楽しげなこともあって、職権乱用などと責める気はまったく起きなかった。

 土産は今買うと荷物になるからということで、今は下見の段階だ。それで、市場を一通り回ってみてから昼食をとって、それも済んだら川へ向かう。

 しかし、油断をすれば一気に時間を持っていかれそうなくらい、市場には様々な出店がある。大通りの両脇を埋める出店が扱う品は、生鮮品に工芸品、衣類に古書と多岐にわたり、思わず目移りしてしまう。

 しかし、俺よりもアイリスさんの方が、この市場に胸がときめいているようだった。知らない工芸品を手にとっては、色々な角度から眺め回し、売り子の方に弾んだ声で話しかけている。

 そんな彼女の姿を見て、とても微笑ましく思った。今日の変装は中性的な格好なんだけど、それでも普段よりなんだか年頃の女の子に見える。周囲の活気に呼応するみたいに、屈託のない明るさが内からあふれて、きらめいている。

 そんな彼女の姿を見て、魅力的に感じている自分に気づいて、ハッと我に返った。普段よりも生き生きとして見える彼女は、もしかしたら生まれた国においてこそ、自分を抑え込まなければならないのかもしれない。もちろん、王都にいたって魅力的な子には違いないけど、今の姿と見比べると、年齢以上の思慮が強く働いていたんだろうと感じる。それも彼女の意志には違いないだろうけど、素ではないのだと思う。

 そうやって、まじまじと彼女を見ながら考え事をしていると、「どうかされましたか?」と尋ねられてしまった。気恥ずかしさに視線を反らしつつ、返答する。


「いや、その……お供え物とか、どうしようかと」

「そうですね……」


 今考えていることをそのまま口にしたら、興ざめもいいところだ。そう思って、その時ひらめいた考え事を口にすると、彼女は曲げた指を口元に当てて考え込んだ。とりあえずごまかせたようで、心の中で胸をなでおろした。

 結局、お供え物は持っていかないことにした。というのも、フィオさんの性格から言って、彼女は逆に申し訳なく思うんじゃないかと感じたからだ。食べ物はその場で俺に食べさせそうだし、献花なんかは花に悪いと言うんじゃないかと思う。


 昼食は、周囲の様子を見て少し早めに取ることにした。そもそも、こことフラウゼとは時差が1時間近くあり、あっちを発ったのが10時でも、こっちでは9時だ。腹具合もちょうどいい感じに減っている。

 店探しは、その気になればいくらでも時間が潰れそうだったから、目についた店に入ろうということになった。

一旦市場の人混みから抜け出し、民家と商店が入り交じる区画へ歩いていくと、現地の方が使うものと思われる大衆食堂が視界に入った。木製で結構大きめの店内は、結構繁盛している。観光客の口に合うかどうかは定かじゃないけど、合わなくても旅行のいい経験だと思って、その店で食事を取ることに。

 ドアを開け、ベルがカランカランと鳴ると、すぐに元気のいい店員さんがやってきて、俺達をテーブル席へ案内した。


「メニューをどうぞ! ご注文は後になさいますか?」

「ええっと、そうですね……」


 メニューにざっと目を走らせると、郷土料理らしきものはさっぱりわからなかった。アイリスさんも、かすかに深刻さの入り混じった表情で、首を横に振っている。俺は店員さんに、助け舟を求めた。


「観光でこちらに来ているんですけど、何かオススメってありますか?」

「うーん……どれでも美味しいですよ!」


 冗談交じりに言い放った店員さんは、それから笑顔で言葉を付け足した。


「穀類とモツの煮込みが、旅行の方には人気ですね。名物ですし、旨味が強くて、食べた! って感じしますし」

「では、それを」

「私もお願いします」


 その後、店員さんのすすめでサラダもついでに頼んだ。料理を待つ間、アイリスさんは「調べておけば良かったですね」と困ったように笑いながら言った。


「いや……調べても選ぶのに時間がかかって、結局聞いてたかもですよ」

「ふふ、それもそうですね」


 それから、見て回った店のことを話していると、あっという間に時間が過ぎた。煮込みということで時間がかかるかもと思っていたけど、ほとんど待ち時間を意識することなく料理が運ばれてきた。

 メインの煮込み料理は、少し色合いが寂しい。薄めのベージュ一色のリゾットといった感じで、穀類は麦のように見える。それに、見るからに歯ごたえの良さそうな細切れのモツが惜しげもなく混ざっている。かなり具だくさんだ。

 食前の挨拶を軽く済ませ、リゾットをスプーンですくって口に運ぶ。すると、濃厚な旨味が口の中を満たした。たぶん、チーズか何かの発酵食品を使っているんだと思う。そして、穀類とモツを噛むほどに、旨味がますます溢れ出す。どちらの具材も弾性に富んでいて、なんというか、噛んで食べる喜びを感じさせてくれた。

 メインディッシュはそんな感じの、見た目よりもずっとパワフルな料理だった。だからこそ、ピクルスの盛り合わせみたいなサラダが、ちょうどいい箸休めになってくれている。葉野菜と薄切りの根菜は、しょっぱさも酸っぱさも控えめで、むしろ食材本来の味を引き立たせるぐらいの味付けだ。それぞれの野菜の歯ごたえもしっかり残っていて、食感とみずみずしさが心地よい。

 気がつけば、サラダが先に切れかかっていた。俺もアイリスさんも、遠慮なしにシャクシャク食っていたからだろう。まだ、お互いにリゾットはそこそこある。視線が合って、彼女はほんの少し顔を赤らめた。野菜をフォークで刺しつつ「まだ要ります?」と尋ねると、だいぶ躊躇した感じの間があって、彼女は首を縦に振った。

「すみません」と店員さんを呼んでサラダの追加を頼むと、店員さんは「お気に召したでしょ~?」と得意げだ。なんだか術中にはまったようだけど、美味しいからいいか。


 昼食の後、俺達は王都東の城門へ向かった。あっちの王都と似たような感じで、怪しい魔道具の検出機構は備わっているようだ。あまりジロジロ見ていると怪しいから控えておいたけど。

 問題は、身分照会だ。俺もアイリスさんも、持っている身分証は、あくまでフラウゼ王国での身分を保証するものにすぎない。なので他国では、持っている身分証の正当性を示すのに、別の書状が必要だ。今回は転移の許可証がその役割を果たしてくれるわけだけど、市場調査に来ておいて王都を出るってのは……。

 怪しまれる前に、アイリスさんが腹をくくって「実は観光もしたいと……」と言い出すと、門衛の方はにっこり笑った。


「こういうことは良くあると存じ上げておりますので、お気になさらないように」

「……はい、ありがとうございます」


 わずかに沈んだ口調で、彼女は答えた。半ば容認されている役得とはいえ、やっぱり罪悪感とか恥じらいはあるのだろう。割といい加減な俺でさえ、そういう気持ちはあるのだから、彼女ならなおさらだと思う。

 それから、門を出る手続きを済ませた俺達は、ほんの少しだけ早足になってその場を立ち去った。


 王都の外には草原が広がり、街道がずっと遠くまで続いている。遠くには集落も見えて、国が違っても似たような光景を目にしたことに、不思議な安心感を覚えた。

 しばらく2人で、無言で歩いた。アイリスさんは城門から十分に離れても、なかなか話しかけてこない。良心の呵責と戦っているのかもしれない。しかし、このまま無言で歩くのも……そう思って、俺は話題を提供した。

「言葉、他国でも通じるんですよね。それが意外でした」と言うと、彼女はキョトンとした表情を俺の方に向けた。それから結構長いこと静かに考え込む。そして彼女は、かなり言葉を選びながら尋ねてきた。


「リッツさんが生まれた世界では、いくつも言葉があるのですか?」

「まぁ……めちゃくちゃたくさんありますね。国の数というか、民族の数だけ言葉があるかもしれません」


 驚きに目を見開いた彼女だったけど、ちょっとしてから視線を伏せた。何か言いづらそうにしている気配に気づいて、俺は原因らしきものに思い至った。「俺に配慮してくれてます?」と聞いたけど、彼女は反応を示さない。まぁ、聞かれて「はい」と答える性格じゃないのはわかってる。俺はもう少し続けた。


「思い出して、まったく辛くないってことはないですけど……自分の中では踏ん切りついてますし、興味を持ってもらえるのは嬉しいですよ」

「……そうですか?」

「そうそう」


 普段よりも意識して軽い感じで応じると、彼女は少し切なそうな感じではあるものの、確かに笑ってくれた。


「ありがとうございます。でも、私の方が気にしてしまってますから……聞くのはまた今度ですね」

「わかりました。いつでもいいですよ」

「はい。それに、リッツさんの方が色々気になってることもあるかと思いますし」


 確かに、この世界に対して疑問に思っていることはまだ多い。

 一番気になっているのは、言葉と歴史だ。2つの王国で同じ言葉を使っていることについて、広く使われている言語という解釈もできるけど、アイリスさんの反応から、この世界では統一言語を使っている可能性が高い。

 それに、この世界での紀年法は統一歴で、名前からして色々察しが付く。各国で統一された暦を使いだして、同時に言葉も統一されたんじゃないか。だとしたら、統一される前はどうなっていたんだろう。魔法に使われる文の言葉と、今の言語が違うことから考えても、昔に何かものすごい出来事があったのだろうと思う。

 そんな話をアイリスさんにすると、彼女は真剣な顔で時折うなずきながら話を聞いていた。そして、彼女に意見を求めると、彼女は静かに答えた。


「歴史上のある時点で、大きく文明が後退したのだろうとは言われています」

「その、ある時点っていうのは……」

「正確にはわかりません。ですが、おそらくは統一歴の始まりより前に、今より進んだ文明があったと考えられてます……あまり、広く知られている話ではないですけど」


 そういう一般的ではない話を、よく知っているのが魔導工廠だ。あそこのみんなは、もちろん新しいことに取り組んでもいるけど、昔の進んだ技術を復活させることにも心血を注いでいる。まぁ、今修繕している闘技場は、技術的な資料が残っている程度には新しい存在のようだけど。

 これから会うフィオさんは――大変失礼な言い回しにはなるけど――かなり昔の時代の方だ。それでも、統一歴650年辺りの方で、歴史の始まりよりもずっとこちらに近い。だから、たぶん紀元あたりのことについては、彼女も知らないだろうと思う。明治の方に鎌倉幕府のことを尋ねるようなものだ。


 史料すらない昔のことに思いを馳せると、気が遠くなるようだった。現世に居た頃には、あまり気に留めることはなかったけど。

 どこまでも続くように見える青い空を見上げて、人間って変わるもんだな、そう思った。

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