第225話 「フィオさんの調査②」

 ○フィオリア・エルミナス

 エーベル王国の大魔導師。生没年不詳。統一歴630年生まれ、658年没の説が有力。

 同国及び隣国が大攻勢を受けた戦役において、多大な貢献をした魔導師とされる。

 しかし、挙げたとされる功績に比して、戦史に残る確かな証拠に乏しいことから、国難に際して作り上げられた架空の人物という説が根強い。

 別の説としては、当時、当該諸国で活躍していた中核的な魔導師達の集合的な名称として、この名を用いたというものがある。史料や逸話から、おそらくは死霊術ネクロマンシーを使ったのではないかと思われる戦いもあり、禁呪使いに対する誹謗中傷から使い手を守るためという推定は、架空の人名という説を支持する。

 同時期の戦役が終結し、一時的な休戦状態になって以降、この名が戦史に刻まれることはなく、当該国の史書にも名を残すことはなくなった。このことについては、彼女もしくは名前を共有していた中での中核人物が戦死したという見方が有力である。



 今は……確か統一歴803年だったと思う。だから、この記述が正しければ150年くらい前の人物ってことになる。それだけでも途方も無い話だけど、ひっかかったのは死霊術についての言及だ。身に覚えがないわけじゃないけど、こうして実際に意識させられると、腑に落ちると同時に妙な寒気を覚えた。

 しかし、この情報は手がかりではあるんだろうけど、当の人物だとハッキリわかったって感じじゃなくて、もやもやするところが多い記述だ。歴史書に明確に、死霊術師ネクロマンサーだったなんて書きづらいのかもしれないけど。

 俺はそんな、スッキリしない気持ちを味わっていた。情報を探しだしたラックスも、何やら煮え切らない様子で微妙に首を傾げている。ほんの少し困惑気味に、彼女は俺に聞いてきた。


「この人で、間違いなさそう?」

「……まぁ、そうかな」

「ふうん」


 すると、彼女は静かに考え事を始めた。そして、真剣な表情に動揺が滲み出していく。その時俺は、自分の過ちに気づいた。

 彼女は、死霊術の部分について考えているに違いない。俺は、フィオさんに世話になったとラックスに告げていた。そのフィオさんが、死霊術師だと今知った。そして、ラックスは俺が異世界の生まれだと知っている。それらのピースをつなぎ合わせていって……聡明なラックスが、俺がこちらの世界に来るに至った契機にたどりつく可能性は、十分にあった。

 調べ物の手伝いということで、軽く考えすぎていたのかもしれない。まさか、死霊術師だっただなんて記述があるとは思わなかったからだけど。巻き込んでしまった、そう思った。もちろん、ラックスが真相にたどり着かない可能性はあるし、もし感づかれたとしても、アイリスさんと一緒にはぐらかせば察してくれるとは思う。しかし……。

 この後のことについて思いを巡らしながら、アイリスさんの方に視線を向けると、彼女は真剣な眼差しを俺に向けていた。そんな彼女にうなずいて、「ちょっと相談してくる」とラックスに伝え、俺達は席を立った。


 カフェを出て、図書館の陰に着くなり、先にアイリスさんが口を開く。


「リッツさんの気持ちが許す範囲で、多くを伝えるべきだと思います」

「……彼女に迷惑じゃないでしょうか」

「驚きはすると思います。でも……」


 やはり、彼女にとっても一筋縄では行かない話のようで、一度言葉を切ると口をつぐんだ。それから少し経って、静かに、だけど真正面から、彼女は俺に考えを述べた。


「こういう、重い話を知っていてくれる味方も、リッツさんには必要だと思います。それに……あの子は、リッツさんに言わせようとはしないでしょうけど、知りたいのではないかと思います」

「……そうなんですか?」


 予想だにしないことを言われて、思わず困惑する俺だけど、一方の彼女は結構自信があるように見える。それが、俺を安心させようとするためのものか、本心からの態度かは、すぐにはわからなかったけど……「賭けてもいいですよ」と微笑みながら言う彼女の言葉に、俺はこの後を託すことにした。


 席に戻ると、ラックスは何事もなかったかのように読書していた。ものすごく落ち着き払っていて、なんだか狐につままれているみたいだ。そんな彼女は、近づく俺達に気づいて話しかけてきた。


「場所変える?」

「そうだな、甘いものでも食べようって話だったし」

「そうだね。ごちそうになります」


 淡々と、でもほんの少し嬉しそうにしながら、彼女は言った。先程までの密やかな動揺は、今や影も形もなかった。俺達が離れている間に何があったのかはわからないけど、何らかの気持ちの変化はあったのだろうと思う。

 カップなどをカウンターに返してから、俺達は甘いものを食べに向かった。メルの取材で使っていたケーキ屋だ。最近はご無沙汰だったから、単純に食べるのが楽しみでもあるけど、店を選んだ理由は屋上席だ。内密の話になるってことで、人目を気にせずに済む場所として、最初に思い浮かんだというわけだ。

 店の前に着いて中の様子をうかがうと、案の定女性客ばかりだった。ちょっとくらい男性客がいてくれたほうが良かったんだけど、致し方ない。しかし、女の子だけとこの店に来たのは、今日が初めてだ。そんなことを意識すると、妙に緊張してしまう。

 そうやって、ドアを開けるのにほんの少し逡巡していると、俺の前にスイっと滑り込んできたラックスが、こともなげにドアを開ける。そして、やってきた店員さんに、ラックスは屋上席の使用をお願いした。考えてみれば、彼女も色々と、人目をはばかる会話の機会があるのだろう。店員さんも、ラックスのことはよく知っているようで、すんなりと俺達を屋上へ案内してくれた。

 屋上のテーブル席に着いてオーダーを済ませ、ケーキと茶が運ばれてきたところで、ラックスが切り出してきた。


「……たぶん、リッツの方から何か言いたいんじゃないかと思うんだけど」

「ああ、今話すよ」


 俺は、自分がいっぺん死んでから今日に至るまでの顛末で、世界を行ったり来たりする部分を重点的に打ち明けた。その間ずっと、ラックスは微動だにせず、正面から真剣な表情で俺を見つめていた。その考えは読めないけど、真摯に思っていてくれているのだろうとは、何となく感じる。

 一方、アイリスさんの方はというと、ちょっと切なそうな表情をしていた。いっぺんあっちに戻ってから、またこっちに帰るまでの間の話は、今日が始めてだ。そこんところで、色々と思うところがあるのだろう。

 あまり長々と話をするのもどうかと思って、要点に絞るように意識し、どうにか話し終える。すると急に静かになって、そよかぜがテーブル上のパラソルを小さく揺らす音だけが、妙に大きく聞こえた。

 話し終わってからも、ラックスは静かだ。目を閉じて考え事をしている。


「……あのさ、こんな話聞かされて、迷惑じゃなかった?」

「言ってから聞く?」


 わずかに呆れた感じの笑みを浮かべた彼女にツッコミを入れられ、俺はちょっと恥ずかしくなって視線をそらした。そんな俺に、彼女がちょっと柔らかな口調で話しかけてくる。


「あなたが、自分の故郷よりも、こっちの世界を……私達のことを選んでくれたって、私知ってたから。だから、今の話は聞けて良かったと思う……ありがとう」

「……こちらこそ。ありがとう」

「ん。ケーキも、ごちそうになります」

「はいはい」


 それまで誰も手を付けてなかったケーキに彼女がナイフを入れると、それが合図になって全員ケーキを食べ始めた。ちゃんと、甘さを感じる。

 食べ始めて、だいぶ和やかな空気になってきたところで、「どうして調べてたの?」とラックスが尋ねてきた。


「実はさ、フィオさんと約束してて、次にあの人を呼ぶときは故郷でってことで……」

「なるほどね」

「まぁ、故郷っていっても、国しかわからなかったけど」

「あれ以上は難しいと思います」


 アイリスさんの指摘に俺達はうなずいた。複数人の寄せ集めだか、あるいは禁呪使いだから情報を伏せられたのかは知らないけど、彼女の細かな出自までとなると、調査は難しいだろう。ただ、国と来歴がわかっただけでも十分だとは思う。彼女と会った当事者として、例のエーベル王国とやらの名所旧跡であの人を呼べば、ある程度は認めてくれそうな気がする。

 問題は、その王国がどのへんにあるかってことだ。ラックスに尋ねると、彼女はパンケーキにナイフで地図を描き始めた。「すごく、上手ですね」と感心して言うアイリスさんに、彼女は「親の教育の賜物です」と返す。

 そうして出来上がった簡易的な地図の上で、彼女はちょっとした講釈を始めた。


「エーベルは、フラウゼから見て北東にあって……直接行くなら船かな」

「時間は、どれくらいかかる?」

「たぶん、3週間ぐらい」


 あわよくば、近場だったら4月までに……そんな事を考えていたけど、さすがに3週間では無理だ。まぁ、別の機会に行けばいいとは思うけど、それでも少し落胆はある。そんな俺に、アイリスさんが話しかけてきた。


「転移門でしたら瞬時ですよ?」

「いや、それはそうでしょうけど……使わせてもらえませんよね?」


 国の管理下にある重要設備だけに、俺みたいな平民が安易に使えるようなものじゃない。しかし、そう考えているのは俺だけのようだった。アイリスさんもラックスも、諦めた様子はなく、静かに考え込んでいる。先に口を開いたのは、ラックスだ。


「使える階層の人間が、半ば観光目的で使うのは、ままあることだから……」

「はい?」

「内緒ね」


 そう言って微笑む彼女によれば、さすがに出先で問題を起こすのは論外ではあるものの、転移門の使用を許されるぐらいの社会階層の人間には、年に2~3回程度の私用は容認されているらしい。まぁ、その私用でもそれらしい名目は用意するらしいけど。「それぐらいの役得がないとやってられん」というのは、彼女のお父上の談だそうだ。

「私のお父様も、実は似たようなことを……」そう言って困り気味の笑顔で、アイリスさんも認めた。


「……しかし、さすがに俺みたいなのは、使わせてもらえないですよね」

「……どうでしょうか?」


 アイリスさんの顔に諦めはまったくなく、むしろ目には輝くものもある。ラックスも。そして彼女達は、互いのケーキをつっつきながら、その場でヒソヒソと作戦会議を始めた。

 俺1人が取り残される形になって、ちょっと涼しい風が通り過ぎた。空は晴れて見通しがよく、清々しい1日だ。

 ベリーだらけの甘酸っぱいケーキを口に運び、目の前の女の子たちを見ながら思った。どうなるかわからないけど、任せてみるのもいいかな。

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