第209話 「対人メタ」

 白いマナを俺も使えるようになるかどうかという話だけど、まずは白いマナが何であるかというところからだ。

 そこでフィオさんは、俺の前で実演を始めた。深い青色で刻み始めた器は、初めて見る染色型で白に染まる。それから、魔法陣ができあがって白い光球ライトボールが現れた。

 この白い光球自体は、前に見たことがある。アイリスさんと会った初日に使っていたやつだ。そのあと、俺が光球を覚える頃になって彼女に聞いたところ、白い光球はリッチな魔法とのことだった。

「白くすることによる効果とか、ないんでしょうか」と尋ねると、フィオさんは首を横に振った。


「白色には、他の色のような色固有の力というものがないわ。見た目のためだけに使われる色というところかしら」

「でも、使う人が少ないのなら、光盾シールドには向いているんじゃ?」

「白く染めるのは、結構大変なの。赤や紫のマナを持つ人達でもね」


 赤と紫が端っこのてっぺんにある色の谷だけど、一説によれば白色はその谷の上にあるらしい。すべてが混ざり合ってできた白色が、地に降り分化して虹の七色になるんだとか。

 白色が上にあるという話が正しいのなら、白色から他の色に変えるのは容易だろう。その推定は、奴と対峙したときに七色の矢の雨を降らされたことからも明らかなように思う。あの時の奴は、無理して頑張って……みたいな感じじゃなかった。本当に、自分の力の一端として、軽々と赤や紫に染めていた。


「他に、相手が白いマナを持っていると思われる証拠とか、材料はあるかしら」

「奴が魔法庁に潜入していたときには、さすがに別の色だったと思うんですが……そう考えると、ある程度は自分の色を自由に変えられるのかもしれません」

「なるほど。その基礎として、白色があるという感じかしら」

「そう思います」


 奴の特性については、ひとまずの仮設を立てた。では、どうやってそれに対応するか?

 今、フィオさんは白い染色型を使ったけど、俺が求めているのは染色型以外の染め方だ。もちろん、染色型にも使い所はある。例えば奴が白い光盾を張った時なんかは、白く染めた矢を射てば透過させることができるだろう。

 しかし、俺は自分の指先から出るマナを、魔法陣に達するまでに染色したい。指から出るときのマナさえ合わせれば、他人の魔法陣に干渉できるのは、これまでの実験からわかっている。

 だから、自分のマナを白く変化させる事ができれば、奴が魔法を書きかけている時、あるいは書き終わってから起動中に何かできるかもしれない。奴が魔法陣を書き終わってから実際に転移するまでには、タイムラグがあった。そのときに阻止できれば、今度あったときにまた飛ばされずに済むだろう。

 そういうわけで、「染色型以外を」という俺の申し出はそれなりに正当性があるものだと思うけど、フィオさんはだいぶ悩みこんだ。そういう魔法があるのかどうかはわからないし、難しすぎて教えるのをためらっているのかもしれない。

 でも、もしかしたら道義的な理由ってのが大きいのかもしれない。俺がやろうとしてることっていうのは、言ってみれば指紋なりDNAなりをいじくって、どうにか他人になりすましたり認証を突破したりしようという企みに近いわけだから。

 実際、フィオさんの悩みはそのあたりのようで、彼女は少し困ったように笑って「あなたって、ちょっと危なっかしそうだから」と言った。


「そういうところが気に入られているものとばかり……」

「まぁ、それはあるけど……」


 そう答えたフィオさんは、どうやら決心したようだ。「少し難しいし、思った通りのものじゃないかもしれないけど」と言いつつ、俺にも見えるように右手を構えた。

 それから彼女は、右手の甲にちょうどぴったりの大きさの、深い青色の器を浮かび上がらせた。器の内側は複雑な模様だけど、文がないおかげで外縁部はスッキリしている。そして、中心から外に向けて一本の線が伸び、外殻に接している。ちょうど、時計を思わせる感じだ。手の甲の器には他に、外縁部に1つ小さな輪っかが直交するように接していて、それは人差し指の奥にはめた指輪のようになっている。

 これで準備ができたようだ。フィオさんは「よく見てて」と言って、人差し指からマナを出した。深い青色だ。そして手の甲の針を左の人差し指で動かすと、甲の器と出てくるマナの色が、少しずつ変わっていく。青色から緑へ、そして黄色へ。

 出てきた光の線は、ひとつなぎのマーブルな感じにはならなかった。色を変える瞬間、それまで書いていた部分が消失する。そのため、宙に留まるのは常に一色だ。

「どうかしら?」とフィオさんは聞いてきた。しかし、即答できないくらいに、頭の中で様々な考えや疑問が湧き上がった。

 針を動かすことで、色を変えて見せていた。その針は円周上に沿って動く。俺が教わった色の谷は端っこがあって、そこに赤と紫がある。でも、フィオさんの手にあるのは円だ。円には端がなく、閉じてつながっている。その円周上に赤と紫があるのなら、その間には……。

「赤紫も再現できるんでしょうか」と尋ねると、フィオさんは真剣な面持ちで口を閉ざした。それから、眉を下げて弱ったように笑う。


「そういうところが、危なっかしいわ」

「すみません」

「悪いことではないけどね……一応、赤紫もあるわ。でも、危ないから気をつけて。もっとも、負荷が強くて染められるところまでは、なかなか到達しないと思うけど」


 意外にもあっさり教えてくれた。それに少なからず驚き、呆けた顔をしていると、「教えないと、無理に試しかねないと思って」と続けて言われ、思わず苦笑いしてしまった。

 もちろん、ある程度の分別はあるつもりだ。でも、分別が好奇心を完全に押さえつけられるかと言うと、ちょっと微妙なところがある。だから、こうして教えてもらえたのは本当に良かった。

 フィオさんの実演が済んだ所で、今度は俺が試しにやってみる番だ。彼女は手の甲に描いていたものを今度は地に刻み、それを俺が模写していく。

 もちろん、最初のうちは失敗した。右手の甲に魔法を描くなんてやったことがないからだ。フィオさんからアドバイスを貰ってやっていくうちに、少しずつだけどものになっていく。

 それから1時間。のろのろ描いた感じではあるけど、なんとか使えそうな器ができた。現段階じゃ実戦利用はできないけど、とりあえずの検証はできる。

 できあがった器の針は、手の甲の付け根からちょっと右の方にある。その針を見ていると、少しドキドキする。はやる気持ちを抑えてフィオさんに視線を向けると、彼女は暖かな目で俺を見てうなずいた。

 ゴーサインをもらって、俺は人差し指からマナを出しつつ、少し手の甲の針を動かす。針を右に動かせば、最初の青緑から青へ。左に動かせば、色は緑に変わっていった。普段とは違う色のマナが出る。その事実に、俺は新鮮な喜びや興奮、そして後ろめたい楽しさを覚えた。

 しかし、喜んでばかりもいられない。このやり方で青色のマナを出すのには、青色の染色型でやるのよりも継続的な負荷を感じる。フィオさんによれば、このやり方は染色型よりも効率が悪い。というより、染色型が効率性に優れていて、こっちは柔軟性重視のようだ。

 というわけで、普段と同じような感覚でマナを出していると、すぐにへばってしまうだろう。でも、他人の魔法陣に介入して邪魔をするのなら、瞬間的に色を揃えられればそれでいい。そうやって割り切って使うのなら、なんとかいけそうだ。

 とりあえず、現状でどこの色までやれるか試してみる。藍色は、無理じゃないけどかなりキツい。空歩エアロステップで藍色はよく使っているけど、その時の比じゃない倦怠感が襲ってくる。藍色の先、紫ともなると絶望的だ。

 逆方向の暖色系はというと、黄色を超えて山吹色に差し掛かるだけでヤバい。心臓が跳ね上がったように反応し、とてもじゃないけど橙色には届きそうもない。俺がまだ、今のやり方に慣れてないだけなのかもしれないけど、橙も赤色も、夢のまた夢という感じがする。

 そして……針を動かして試した感じと色の配置から言って、中指あたりに針をやると赤紫になりそうな感じだ。赤紫のマナを使う連中のクソっぷりを考えると、中指ってのはお似合いな気がする。

 そんなこんなで、色に対する理解が深まった気はするけど、肝心の白色はなさそうだった。念のためにフィオさんに尋ねてみると、彼女は申し訳無さそうに言った。


「指先から出るマナを変えるとなると、このやり方しか知らなくて……これで白を出すというのは、考えたことがないわ」

「そうですか。ところで、この色変えって、何か名前が?」

色選器カラーセレクタよ」

「それと、こういう文なしのって、厳密には魔法じゃないって聞いたんですけど、何か呼び方は?」

「文無しでも機能する器は、超記述メタスクリプションって呼ばれているわ。でも、あちらへ行っても内緒にしておいてね。あまり一般的なやり方ではないから」


 やっぱり、魔法庁の基準から言うと、好ましい形態の手法じゃないんだろう。というか、色選器は身分詐称が捗りすぎるから、とてもじゃないけど公言できない。

 色選器で白色を出す方法はわからない、そうフィオさんは告げた。それから俺が右手の甲を眺めていると、不意に彼女と視線が合った。何やら、ちょっとだけ興味というか期待のこもった視線の彼女と。それが恥ずかしくなって咳払いをすると、フィオさんから含み笑いが漏れた。


「……まぁ、危なっかしいなりに、何かやってみます」

「ええ、楽しみにしているわ」


 フィオさんの言葉に、皮肉めいた感じは一切ない。本当に心の底からの言葉で、この状況を楽しんでいるようにさえ感じる。そういう場合でもないだろと思わないでもないけど、悪い気はしなかった。

 あらためて、俺は右手の甲を見た。今日覚えたのは、色の谷が実際には色の円……色相環なんじゃないかってことだ。それで、これまでは端があった線が、閉じた円になった。

 同様にして、色の広がりを拡張していけないだろうか。手の甲には魔法陣の円があるけど、実際には針の終端が円周上を動いているにすぎない。その動きは、実質的には線分上を動くのと同じ、一次元の動きだ。

 これを、二次元の動きに拡張できないだろうか。円周上に濃い色があるのなら、内側に進むにつれてパステルカラーになったりは?

 俺は甲の針に左の人差し指を置き、頭の中でイメージしながら、針を縮めるように円の中心に向けて動かした。すると、イメージ通りに針は縮んで、時計の短針のようになった。針の先端は、円周上から離れて円の内側にある。

 そして甲の器と、指から出るマナの色が変わった。でも、その変化は望んでいた通りのものじゃなかった。一見すると、思惑通りに色は薄くなったけど、違和感がある。

 特に気になったのは、色の変化よりも負担感だ。前よりもマナを出すのが楽に感じる。試しに暖色側へ短針を動かすと、針が長いときよりもずっと楽にマナが出た。薄い橙色のマナが。

 今望んでいるのは、白に近い色のマナを出すことだけど、今出ているマナは方向性が違う感じがした。本当に欲しいのは白の絵の具を混ぜたような色で、今出ているのは水で薄めた色って感じだ。

 望む方向性とは違う結果に、フィオさんは若干落胆したようだけど、そのあと俺を慰めるように微笑みかけてくれた。そんな彼女に対し、「まだまだ」という言葉が口をついて出た。我ながら、かなりナマイキな発言だと思う。でも、フィオさんはなんだか喜んでくれた。無言で、柔らかな笑顔を向けてくれている。

 口先だけにならないようにと、俺は目を閉じて考えた。たぶん、針を縮めるのは、指から出るマナの量というか勢いを絞るようなものなんだろう。だから、負荷は減るけど薄くなる。

 となると、針の長さはそのままで、針が円周上になければ……どうなるかはわからないけど、やってみる価値はありそうだ。

 俺は、自分の初期位置とでもいうべき青緑に針を戻した。それから、平面状を動かしていた針を、高さ方向へ動かそうとする。しかし、手の甲での針の動きは、時計をイメージしている……イメージしてしまっている。その強力な固定観念に縛られて、針は平面上に釘付けのままだ。時計というイメージに代わる何かで上書きしなければ、針を上に動かせそうにない。

 そこで考えたのが、ジョイスティックだった。これは水平にまで傾けられる、ものすごく柔軟でcoolなジョイスティックなんだ。そうやって頭の中で言い聞かせ、頭の中のイメージと現実を重ね合わせながら、左の人差し指の腹を針もとい棒に押し当てる。それからゆっくりと起こしていくと、棒は円周上を離れた。今や、棒の先端は球面上にある。

 すると、マナの色にも変化が現れた。青緑に白が少し混ざり、若干パステルカラーに近づいている。さっきのように水で薄めて、下地が透けるような感じはない。

 それに、もとの青緑のときより、今の白色が混ざったほうが負荷は大きく感じる。疲れること自体は困るけど、白色が負荷のある色だという情報には合致する。

 たぶん、これが正解なんじゃないかと思ってフィオさんに向き直ると、彼女は目を見開いていた。それから、表情を柔らかくして言った。


「本当に、驚いたわ」

「口だけで終わらなくてよかったです。でも、白く染めるのはすんごく大変そうですけど」

「そうね。ところで、相手の正確な色ってわかるかしら?」


 確かに、相手の色が正確にわからなければ、相手の魔法陣には干渉できない。そこで俺は、転移の際に奴のマナを吸った水たまリングポンドリングを取り出した。

 この魔道具については、フィオさんも知っていたようだ。しかし、合点がいったような表情でうなずいた後、彼女は少し心配そうになって言った。


「練習の機会は限られるわね。慎重にやらないと」

「あー、そのことなんですけど、実は考えがあって」


 そう答えると、彼女は少し怪訝な顔をしたあと、静かに俺のことを見守ってきた。

 そんな視線を感じつつ、俺は例の手袋と白いマナの指輪を右手に装着した。そして奴のマナで、書き損じがないように慎重に魔法を書いていく。

 書いたのは収奪型を合わせた薄霧ペールミストだ。周りからマナを吸って、自分の色の霞に変える。その自分の色というのが、今回は奴の白色だ。

 ただ、普通に収奪型を使ったのでは、周囲のマナを吸い尽くした後は役に立たなくなる。そこで俺は、白い魔法陣のそばに、今度は自分の青緑で霞を作った。

 すると、白い魔法陣は周囲の青緑の霞を吸い込み、吸った分だけ白い霞を吐き出す。そうやって出てきた白い霞に空っぽのリングを突っ込むと、リングは少しずつマナを取り込んで白に染まっていく。こうすれば、奴の白いマナを無駄に消費すること無く、俺のマナを奴の白色に変換して、練習に気兼ねなく使えるというわけだ。

 一連の反応で、もとは1つだった白いリングが、2つ3つと増えていく。その様子に、フィオさんは驚きつつも、俺に感心したような笑みを向けてくれた。

 しかし、そんな笑顔が曇り、彼女は少しためらうように口を開いた。


「悪用して、捕まらないようにね?」


 俺は吹き出した。

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