第199話 「宿敵」

 戦いの熱が引いて一息つくと、強い痛みが急激に立ち上って意識を占めた。ついでに、禁呪のやりすぎで目がかすみ、足も少しふらつく。斬られた左腕が心配だ。僕は携帯している薬瓶のうち、1つを左脇に挟んで精一杯の力で締め付けた。処置が済むまで、少しでも止血しないと。

 そんなことをやっていると、磔になった彼が、火の粉の爆ぜる音に負けそうなかすれ声で僕に呼びかけてきた。「大丈夫ですか」とのことだけど、彼の格好を見ていると、心配されているのが嘘みたいだ。「大丈夫です」と答えたものの、住民を呼びに行く気力はないし、大声を出す元気もない。幸い、戦闘音があったので、事の成り行きをこっそり見守っていた住民もいるだろう。無事な右手を上げて振り、安全を示す。

 すると、一人、また1人と、不安げにしながらも家屋から住民が出てきて、最終的には集落の全員と思われる人だかりに囲まれる形になった。

 色々と話はあるものの、まずは磔になった彼の救助だ。彼の友人と思しき青年が縄を切り、若い女性が崩れ落ちかけた彼を抱きとめ、そのまま動かなくなった。いや、ほんのかすかに体を震わせている。

 我ながら良いことしたな。そう思っていると、血気盛んな若い衆や男の子たちが、何やら農具や棒を高く掲げだした。それらが振り下ろされんとする先には、もちろん魔人の亡骸がある。首がないのと、右腕がないのだ。気がつけば僕は、「待て!」と、柄にもなく大きく鋭い声を出していた。彼らは追い打ちをやめ、少し非難がましい視線を僕に寄越した。そのうちの1人、生意気そうな少年が口を開く。


「なんでですか。こいつら敵じゃないですか。村の知り合い、こいつらに殺されてるんですよ。だったら!」

「……まぁ、待って話を聞いてくれ。亡骸を辱めるなんて、いかにも魔人がやりそうなことじゃないか」


 すると、彼はハッとして顔を伏せた。手にした棒を地に向け、体をわななかせている。きっと、義憤に突き動かされていたんだろう。他の男衆も、だいたいは彼と同じような反応を示している。ただ、それでも納得いってない人もいるようだ。そんな彼らに僕は言った。


「まぁ、無理に止めろとは言いません。ただ、どうせやるなら最初の一発は、そこの彼に任せてもらえませんか」


 僕が指差す先には、さっきやっと受難から開放された彼がいる。その彼を差し置いて、まず先に自分がという気は起きないのだろう。武器を手にした全員が、なんとか矛を収めてくれた。

 正直、強者の論理だとは思う。戦わなかったやつは手を出すな、というのは。既に亡くなった方がいる中、雪辱を晴らせないのは悔しいだろう。でも、戦いが終わってここぞとばかりに力を振るう人を見るのは、あまり気持ちがいいものじゃない。勝手な話だけど、戦えないなりに気位は保ってほしい、そう思っている。本当に勝手だと思うけど。

 そんな事を一人考えていると、左腕の激痛が僕を現実に呼びつける。痛みが収まる様子は、まったくない。収まるようだと逆に心配になるけど。とりあえず、どうにか処置をしなければ。今後の話のこともあるので、僕は集落の長を呼ぶことにした。


「すみません、こちらの代表の方は?」

「私が村長です」


 出てきたのは、少し背が低めの初老の男性だった。


「今後の対応について話し合いたいのですが、なにぶん負傷しておりまして……まずは処置をさせていただきたく」

「では、私共の中でも、手当が得意なものを……!」

「いえ、きれいな布と紐と、強めの酒と、できれば光が入らない小屋をお貸しいただければ」


 僕の申し出に、村長さんは少し怪訝な表情をしつつも、さっそく指示を出して依頼の物を用意してくれた。布と紐は、確かにきれいでまっさらだ。酒の方は、なんか上等なやつに見える。気を利かせてくれたようだ。傷口に使うには、少しもったいない気もする。

 そして、懸念だった小屋の方も、おあつらえ向きのものがあった。雨戸を閉め切れば、光が入らない。用意をしていただいたことに礼を述べてから、僕は住民のみなさんに、はっきりと大きな声で言った。


「小屋の中で傷口の処置をします。少し物音が聞こえるかもしれませんが、気にせずに。中を覗いた場合、法によって処罰されますので、ご注意を」


 その言葉に、少しだけ興味を持っていたように見える小さな子達が縮こまり、親御さんの影に隠れた。

 そうやって事前に人払いを済ませたところで、僕は小屋の中に入った。中は真っ暗だ。誰も覗けはしないだろう。これで安心して作業に取りかかれる。

 僕は光球ライトボールを作って小屋の中を照らし、戸を閉めてから適当な椅子に座った。

 まずは紐での止血だ。脇の薬瓶を取ってからすぐ、右手と歯で左腕の付け根を締め上げる。遅滞していた血がだばだば出てきたものの、必死の食いしばりでなんとか止めることはできた。そして、机の上に左腕を乗せる。たったそれだけの行為でも、激痛が襲ってきた。

 しかし、大変なのはここからだ。まずは患部を確かめないと。幸いというべきか、剣で斬られただけあって、患部周りの服の解体は楽だった。傷口に触れないよう、右手のナイフで慎重に袖を切る。

 袖を切り終わると、左腕を守ってくれたナイフの刃が床に落ちた。刃の切断面は、見事なものだった。最初からこういう品であるかのように、きれいにスパンと切断されていて、連中の腕前の程をあらためて思い知った。刃がこうなっては、柄の方も使えないだろう。着ている方の袖からナイフの残骸を取り出した。

 そして患部は、触って確認する気は起きないものの、かなり出血している。まぁ、つながってるだけマシだ。骨に達した感じもなし、手を動かせないこともない。

 では、治療の本番だ。いただいた布を半分に切り、片方は歯で噛み、もう片方を酒で濡らして患部を拭く。それだけで頭がクラっとする。しかし、この程度で倒れていては話にならない。腰の道具入れから傷薬を取り出し、もったりとしたそれを患部に盛った。さほど刺激性がないのは幸いだ。

 それから僕は、患部を中心に魔法陣を描いた。深い青色の時計盤が室内を照らす。これからの痛みを思うと気が遠くなるばかりだが、僕は意を決して脇の紐をゆるめ、血流を穏やかに回復させていく。そして、完全に紐を緩めたところで、僕は時計盤の針に指を触れ少し時を前倒しする。針を少し動かしただけでも、早めた時の分の痛みが濃縮されて襲いかかってくる。精神を破壊されそうな激痛だ。

 そんな苦痛の中、僕は考えた。なんでこうまでして、痛い思いをしているんだろうか。それは、僕の元部下が――まぁ直下の部下じゃないけども――この件に噛んでいて、そもそも9月の件でも借りがあるからだ。僕が着任した時点で魔法庁内部の結構な勢力を掌握されていたとしても、それを押し返すのも僕にできる役目の1つだったはずだ。もっとうまくできていたんじゃないかと、そういう自責の念はある。

 そういう使命感や責任感、ついでに奴への意趣返しが動機になって、尋常じゃない痛みでも意識を手放さないでられる。まぁ、恐ろしい苦痛ではあるけど、キツイのは最初の方だけだ。治癒が進めば加速度的に楽になる。

 布を噛み締め、少しずつ患部周りの時間を前に進める。左腕の感覚が少しずつ曖昧になる。痛みでわけがわからなくなっているのか、使い物にならなくなっているのか判然としない、危険な状態だ。一旦時間の操作をやめて様子を見る。それから、痛いのを覚悟で左手を動かそうとすると、やっぱり痛みが走るもののなんとか動かせた。少し麻痺してる感じはあるけど、それは致し方ないだろう。

 治癒が安定してきたところで、一度傷薬を拭ってから酒で患部を拭き、再度傷薬を盛る。傷薬の持ちが良すぎて不安になるくらいだけど、僕の用途から言えば好都合だった。それでも原料は気になるけど……。

 そんな一連の処置を繰り返すと、傷口は完全にふさがった。魔法陣の形に沿って、少し皮膚の感じが違うものの、一目で変に思われるほどじゃない。左腕の患部周りの感覚には違和感もあるが、それも当然のことだ。おそらく3週間ぐらいは前倒ししている。自分の体であって、そうでないように感じるわけだ。

 そうして処置が終わったけど、治った傷口を見せると化け物と思われるだろう。少し気持ち悪いけど、さっきまで噛んでいた布を皮膚に当て、その上に血みどろになった布を巻きつけ、紐で縛る。そうすれば、傍目には悟られないだろう。


 偽装も含めて作業が終わったところで、僕は小屋の外に出た。すると、不安そうな視線が僕に集中する。「大丈夫ですよ」と言って落ち着けようとするも、やはり不安なのは変わりないようだ。大勢の方は、いたましげな顔で血みどろの左腕を見ている。というか、僕の左半身は全体的に赤黒く染まっている。無理もないか。

 そうして注目を集める中、僕は魔人達の亡骸に視線を走らせた。特に変わりはないようだ。まぁ、あのままってわけにもいかないだろう。いずれは処分するか弔うかという話になるだろうけど、そこまで僕が立ち入ることはできない。ここの方々が判断することだ。

 そうして少し考え事をしていたら、村長さんに今後のことを尋ねられた。早く決めなければ。住民の方々も交えての話し合いになったけど、実際に取り得る選択肢はそう多くない。

 最初に出たのは、ここに兵士の方々を呼び寄せてはというものだ。しかし、多く集めての拠点化は難しいだろう。そういった動きに気づかれると、ここが戦場になりかねない。そうなれば、人命や財貨の安全の保証は難しい。

 では、ここからこっそり離脱するのは……という意見も出た。しかし、こんな星あかりもない真夜中に、非戦闘員をつれて逃亡するというのは、はっきり言って自殺行為だ。明確な避難先も定まっていない。おそらく、安全地帯にたどり着く前に、敵に捕捉されるだろう。少なくとも、夜明けまでは住民はここにそのままというのが合理的だと思う。

 そこで僕は、ここに兵をこっそり招き入れ、住民と一緒に民家に籠もらせる案を提示した。少量の兵であれば、たどり着くまで敵に察知されない可能性が高い。また、兵を民家の外で張らせれば奪還されたとバレる一方、民家に隠してしまえば問題ないはずだ。見張りの魔人がいない件は、連中も命令を無視して先走ったということにしておけばいい。

 まぁ、策に穴があるのは自分でもわかっている。ただ、こちらの方々の安全と安心を考慮するのなら、僕が考えた案が妥当だろう。村長さんの賛意もあって、集落全員の同意を取ることができた。

 話がまとまったところで、僕は再度礼の小屋に向かった。もちろん、「覗くな」と一言断って。客観的に見るとかなり怪しい気はするけど、誰も変に思わないでいてくれた。


 小屋の中で僕は右の袖をめくりあげ、外連環エクスブレスを露出させた。そして相手先を呼び出すと、ものの数秒で女性が返答してくる。宰相様の秘書官だ。腕輪越しでもわかるくらい、声は固く緊張しきっている。


「いかがなされましたか?」

「最初に攻撃を受けた集落ですが、見張りの魔人の排除に成功しました」


 すると、息を呑む音が聞こえ、やや興奮気味な声で話しかけてくる。


「周囲の状況はいかがですか?」

「兵が広く散逸している印象はあります。集落近辺では、他に1体見かけた程度です」


 それから僕は、これまでに得た情報と所見、住民との合意に至った案について話した。

 一通り伝えるべき情報を伝え終わると、彼女は「前線に奪還宣言を流してもよろしいですか?」と聞いてきた。相手にバレない範囲で伝えて、士気を高揚させようということだろう。「もちろん」と返答すると、彼女は宰相様を含め、他部署への伝達に動くと言い、僕らは通信を切った。

 これで少し事態は好転するだろう。問題は、奴がいつ気づくか、どう出るかだ。



 木々がまばらな林も、今日は少し騒がしい。風に煽られて擦れ合う木の葉の音が、まるで僕をせせら笑うように聞こえて、煩わしかった。


 各部隊からの連絡は、少しずつ減っていった。連中が止めても動くだろうというのは、事前にわかっていた。だから、連絡が減っているのは交戦中ということか、あるいは倒されたかのどちらかだろう。

 兵が減るのは、さして問題ではない。どうせ大した役目もあてがわれず、腐るかくすぶるしかできない連中だ。そういう連中の命を投げつけ、民衆の不安を引き起こして政治不信を招き、本命である3月の戦闘への牽制とする。合理的な廃物利用のはずだ。

 だから、僕の作戦を無視して先走ろうが、それで勝手に死のうが、僕には関係なかった。先走りが揺さぶりになるのなら、それでいいとすら考えていた。

 しかし、それでも気になったのは、夜間の不意打ちにも関わらず人間側がうまくやっているように感じることだ。敗走してきた連中は、口を揃えて人間の士気の高さに言及した。

 そんな敗戦の弁の中でも、特に気がかりだったのが、ほうきで空を飛ぶ衛生兵の存在だ。そいつは瘴気の中に飛び込み、中から人を救い出したという。そんな証言を、何回か別々の敗残兵から聞いた。

 ほうきと言えば、真っ先に思い浮かんだのが、魔導工廠のあの小柄な女だ。色々と理由をつけて研究を妨げていたものの、結局やめさせることはできなかった。それが今になって、僕の作戦の邪魔をしているというのか?


 命令違反した連中が勝手に死ぬのはどうでもいい。しかし、思ったほどに連中が戦果を稼げていないのは、無様に敗走してくるのは、癪だった。たとえ開戦時点で目的を達成できているとしても、奴らの失態は、僕が指揮官として劣っているような気にさせる。

 その、思うようにいかない戦局の原因に、ほうきの存在があるのかもしれない。瘴気を物ともせずに飛び回り、人間たちを救っているのなら、それは連中にとっては心強い存在だろう。

 僕は、そのほうきを見た中でも、詳細な報告をできた者に近づいた。すると、そいつは「ヒッ」と情けない声を上げ、地に尻を付けたまま少し後ろに下がった。


「おい」

「な、なんだよ」

「ほうきに乗っていたという者は、なんと呼ばれていた?」

「……リッツ、とか呼ばれて」


 目の前の男は、それ以上言葉を続けず、顔を硬直させた。

 リッツ……リッツ・アンダーソン。目の森の戦闘に関与し、僕が手を回して牢に入ったものの釈放され、以降もチョロチョロ動き回っていた、あの男が。

 頭の中で「なぜ、殺しておかなかったのだ?」と言う声がした。大師の声だ。いや、ただの幻聴だ。「どうして殺さなかったの?」という声が続く。例の売女の声だ。いや、これも幻聴だ。そんな事は言われてない。言われてない。


「お、おい……大丈夫か?」

「黙れっ!」


 腹の底からの絶叫に、その場の魔人のすべてが凍りつき、木々のざわめきも止んだ。

 そうして訪れた静寂の中、僕の頭の中では声が大音響で響き続ける。自分が割れて砕けそうな苦痛の中、僕は一つの結論に至った。


 奴が来てから、少しずつ物事がおかしくなったんだ。だから、始末しないと。

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