第198話 「元長官の戦い②」

 土煙を上げるほどの勢いで跳躍し、突撃してくる魔人の、ギラつく双剣が僕に迫る。

 視界に注意を払う一方で、僕は心の中に精神を集中させた。心の中で時を刻む円盤に指を触れ、円盤の回転に抵抗する。すると、目の前のすべての動きが、どろりと粘性を得たかのように緩慢なものになっていく。遠くで光を放ち続ける焚き火では、火の粉が消えず宙に留まっている。

 そして僕に迫る双刃は、滑らかだけどもゆっくりと、宙を割いていく。その軌跡を見て、僕は次の動きの算段を付ける。横にいて構える槍使いと長剣使いへの対処も必要だ。連中は、まずは双剣使いを走らせて様子を見ようというのだろう。取り立てて目立つような動きも構えもない。

 淀んだ時の流れの中、僕は双刃をかわすべく、横に重心を移動させようとする。タイミング的に避けられるとはわかっている。それでも、いくら動こうと思っていても、力を込めることすら叶わない感覚にはやきもきさせられる。

 それから、事態が少しずつ進行していく。宙を滑る双刃は、僕がいた場所を通過して民家に迫ろうとする。左にかわした僕は、そのまま魔人の右を取る。奴は表情をわずかに動かし、視線を少しだけ右に移した。しかし、まだ僕は奴の視界外にいる。ここが好機だ。僕は右の人差し指を双剣使いに向けて軽く曲げ、魔力の矢マナボルトをいくつか書いた。遅々とした時の流れの中でも、記述の速度は普段どおり――思い描く通り――だ。まずは動きを奪おうと、両脚に数発。それと右手の剣の刃にも一発。これで手元が狂って自傷すればありがたいが。

 矢を仕掛け終わったところで、時の流れを元通りにする。放たれた矢は狙い通りに進んで標的を射抜き、脚と刃を射られた双剣使いは、バランスを崩して剣を民家の壁に突き立てた。

 追撃に奴の背へ矢を放ちつつ、僕は長剣使いに向かって走り出した。すると、長剣使いは弧を描くように動き、決して僕との距離を縮めようとはしない。背後からは槍使いのものと思われる矢が迫り、それ以上の接近はならなかった。再び民家を背に取る形になった僕に、少し離れたところで長剣使いが、それよりも離れた反対側に槍使いが控える形になった。

 そうして互いの距離が定まったところで、槍使いと長剣使いが攻撃を仕掛けてきた。手にした武器は使わず、魔法だけで攻撃だ。軌跡を読めるおかげで、まだ大きな問題はないものの、油断のならない攻撃だ。積極的に攻撃を仕掛けてくるのは槍使いの方で、ボルトの派生魔法を中心に火砲カノンを巧みに織り交ぜてくる。それぞれに違った対応が求められる攻撃で、ゆっくり考える暇がなければ、的確に捌き切ることは難しい。一方の長剣使いはさほどの力量を見せず、現時点ではちょっとした助勢にすぎない。

 そうやって相手の攻撃を捌いていると、双剣使いは悪態をつきながら剣を民家の壁から抜き、獰猛な顔を僕に向けた。しかし、怒りに任せて突っ込むようなことはしない。さすがに学習するか……と思っていると、奴は広場中央の焚き火に向かって歩き出し、多少離れたところで歩みを止め、右腕を上げた。意図が読めた。「やめておいたほうがいいぞ」と声をかけてやると、奴は挑発的な笑みで「そうかい」と言って、磔になった男性に右手を向け、赤紫の光をちらつかせる。

 囚われの彼は、自身の運命を察したのか目を閉じた。しかし、声は上げない。その抵抗心には感服した。

 そして、奴らのリーダー格と目される槍使いは、双剣使いを止めずに攻撃を続けてくる。その視線はあくまで僕に注がれていて、この状況でどうするのかを確認しようというのだろう。油断のない奴だ。

 双剣使いは、これ見よがしに魔法陣を描いた。赤紫の火砲だ。笑顔で「止めてほしいか?」などと聞いてくる。


「撃つのはいいが、1つだけ忠告してやる」

「なんだ?」

「動けないやつに撃つなんて時間の無駄だ」


 すると、双剣使いは腹を抱えて笑い出した。絶え間なく降り注ぐ雨の嵐に釘付けになっている僕が、身の程知らずに見えておかしかったんだろう。奴は地面で転がりながら、火砲の爆発音にも負けないくらい、けたたましい笑い声を上げていた。それから少し経って、ひとしきり笑って満足したのか、奴は満面の笑みでゆらりと立ち上がり、火砲を放とうとした。赤紫の光が、火砲の文の最後の方に差し掛かる。

 その瞬間、僕は可能な限りの力で時を圧縮し、火砲の記述が完成する前に、砲弾の射線でかち合うように矢を放った。魔法の記述なんて咄嗟に止められるものじゃない。誰だって、きちんと書き切るように訓練されている。だから、相手が矢を認識できていようがいまいが、結果は同じだ。

 果たして、僕の矢はちょうど出来上がったばかりの砲弾を射抜き、奴の体が赤紫の爆炎で包まれていく。でも、これで倒せるわけじゃない。大切なのは、これが煙幕になってくれるってことだ。

 僕は奴の首を中心とする魔法陣を書いた。大きな首枷のような、その絶息の環リーサルチョーカーの内向きに、赤く染まった槍が無数に突き出して、円は真っ赤になった。

 そして僕は、奴に向かって駆け出す。別に、この魔法で首を落とせるわけじゃない。首あたりのマナの流れを、強力に抑制するだけだ。でも、爆炎に巻き込まれた一瞬でマナをせき止められ、奴は自身の生を確信できない状況にある。僕はそこを突く。

 全力で駆けて近寄ると、槍使いの「おい、しっかりしろ!」という声が響いた。煙に紛れて使った魔法は知れてないはずだけど、叫びは的確なものだ。改めて、槍使いに感心を覚えつつ、僕は腰から剣を引き抜き、双剣使いの首筋に斬りかかった。すると、大した抵抗もなく、刃は赤い魔法陣に沿うように首を通り抜ける。やがて首が落ち、砂が砕ける音がして、胴体は力なく倒れた。

 それからすぐに煙の外に出ると、入れ違いみたいに砲弾がやってきて、遺骸を粉々に吹き飛ばした。切り替えの速さは見事なものだ。飛び退き、光盾シールドを構えつつ、追加でやってくる砲弾を矢で相殺する。


 すると、今度は槍使いが距離を詰めてきた。矢を放ちながら駆け寄り、十分近寄ったところで泡膜バブルコートを展開し、両手で構えた槍で雨のような突きを繰り出してくる。槍術に専念するため、魔法を攻撃に回すことを諦めたのかもしれないが、油断できる相手じゃない。そういうブラフの可能性は十分にある。

 時の流れを遅延させつつ、槍の嵐をなんとか切り抜ける。長剣使いは、あいも変わらず申し訳程度に矢を放ってくる程度だ。しかし、まだ抜いてない奴の長剣が不気味だった。

 槍を回避し矢で泡膜を消しつつ、さらに本体への反撃を加える。すると、槍使いは叫んだ。


「剣を抜け!」

「いや、しかし……」

「まとめて斬れ! 浅ければ再生できるかもしれん! それに、このまま続けられるような相手じゃないぞ!」


 双剣使いがやられるまでは、一番冷静に状況を観察していたように見える槍使いだったが、今では焦りを隠そうともしない。その態度に意を決したのか、長剣使いはそれまでよりもずっと敏捷に移動を始め、槍使いのかなり後方で何らかの構えをとった。

 ああ、なるほど。槍使いと、その攻撃を壁にして、本命の動きを隠そうというのだろう。まとめて斬るだの何だという話だから、おそらくは一気に駆け寄って抜剣し、斬り抜ける感じの攻撃か。双剣使いの突撃の速度も相当なものだったが、今回のはそれ以上と考えたほうがいい。

 そんなことを考えていると、槍使いは攻撃を激化し始めた。突きの連続の間に、一瞬で魔法を織り交ぜてくる。逆さ傘インレインの魔法陣から、僕に向けて円錐状に拡散する矢の雨が飛んできて、矢に紛れるように槍もついてきた。本当に油断できない相手だ。

 この魔法に関して言えば、手っ取り早いのは横への回避だ。しかし、横に避けようとしても槍が待ち構えている。さっきからの奴の槍撃は、横への回避を牽制するかのような動きが見て取れた。おそらく、僕と連中を一直線上にとどめ続けようという腹づもりなのだろう。

 結局僕は、後ろに距離を取りつつ光盾を多段化して、雨を受けることにした。奴の目論見に乗る形になるが、仕方ない。一直線の斬り抜けは奴らにとってもリスクがある。それを利用してやるだけだ。槍使いから離れすぎない距離につけて、僕は守勢を続ける。

 そうして、槍と雨の嵐をしのいでいると、槍使いは「やれ!」と叫んだ。その声に合わせて、僕は咄嗟に体を右に動かす。少しでも、長剣使いを視認できるアングルを取るためだ。その姿が見えて奴の構えから狙いを類推した僕は、右腕を攻撃に、左腕を防御のために構えた。

 すると、槍使いの後方で構えていた長剣使いの脚から、赤紫のまばゆい光が走り、僕は負担を顧みずに時の流れを抑制した。

 長剣使いの猛進は、理解し難い速度のものだった。世界のすべてが、蜜に沈められたかのように微動しかできずにいる中、長剣使いは普通に歩くような速度でこちらに向かってくる。僕がこうして禁呪の助けを借りていなければ、とっくの昔にぶった切られているところだ。

 そして、長剣使いは滑らかな動きで剣を抜いて構え、前に進みつつ斬撃の体制を取り始める。そのタイミングは槍使いの横を通過したギリギリで、僕だけを切断する絶妙なものだった。槍使いだけが手練だと思っていたけど、長剣使いも一芸特化なりに卓絶した武芸者だ。その手腕に感心しつつ、用意しておいた右腕で火砲を書いた。槍使いも長剣使いも、今や攻撃にすべてを賭けていてノーガードだ。火砲の一発で殺せるかもしれない。奴らが無防備に集まったこのタイミングが、僕にとっての一番の反撃の機会だ。

 しかしながら、自分自身の心配も必要だ。反撃がうまくいって、まとめて相手を始末できたとしても、この突撃の勢いまで殺せるものとは思えない。斬撃が胴狙いなのはわかる。それを左腕に隠した短剣の刃で受けるつもりだけど、火砲の衝撃と短剣を合わせても、腕一本ぐらいは持っていかれるかもしれない。

 そうこう考えている間にも、刃は緩やかに迫ってくる。本来ならばどれぐらいの速度の斬撃なんだろうか。本来のを見ないのは逆にもったいないか? なんてことを考えた。必死に稼いだ猶予で、我ながらくだらないことを考えている。もうやることをやったんだから、後は覚悟を決めるだけだ。よし。


 時の流れが元通りになった。すると目の前のすぐそばで火砲が爆ぜ、爆炎から首のない剣士が飛び出し、左腕で金属の断末魔が鳴り響き、鋭い痛みを覚え、飛び込んできた剣士の亡骸と一緒に吹っ飛んだ。

 一瞬の間の出来事だった。覚悟していた痛みに耐えつつ、それがなんとか耐えられるものであることに安堵する。それからすぐに、状況を確認しようと僕は立ち上がり、周囲に視線をやった。

 首のない長剣使いは当然絶命していて、槍使いは右腕を喪失していた。少し離れたところに槍が転がっている。

 少しの間、槍使いは呆けた顔をしていた。僕が右腕を向けても、特に反応を示さない。そんな彼が最初に発した言葉は、「どうやったんだ?」というものだった。


「……もちろん機密だ」

「そうか……人間にも、とんでもない化け物がいるんだな。王族や貴族だけだと思っていたんだが」


 もはや戦意はないようだった。それどころか、こちらの力量への称賛から、心を開いているようにも見える。

 ただ、もう長くはないようだ。少しずつ全身が白くなっていく。もう、情報収集なんてできないだろう。僕の方でもそういう気も起きなかったし、相手にだって答えてやる義理はない。

 しかし、個人的なことなら聞けるかもしれない。


「少しいいか」

「何だ?」

「今回の戦いの首謀者は、お前たちの中でどう思われているんだ?」

「……少なくとも、俺は嫌いだね。すぐに相手を見下すような態度を取るし、口ばっかで自分から動く感じじゃないし」

「ああ、なるほど……」


 昔の奴の働きぶりを思い出して、さもありなんと思った。見下しはしなかったものの、冷笑的なところはあったように思うし、現場で動くより指示を出すことが多い奴だった。周囲がそれを是としていたわけでもあるが。

 そんなことを考えていると、槍使いは訝しげな視線でこちらを見てきた。


「なんだ、なるほどってのは……」

「……実は、奴の元上官なんだ」


 すると、槍使いは一瞬黙り、その後爆笑を始めた。その衝撃で、もはや色を失いつつある体に亀裂が入り、ところどころ表面が剥落し始める。しかし、そんなことも構わず彼は笑い続ける。

 やがて地に腰を落とした彼は、「……あー、久しぶりに笑った」と消え入りそうな声で言った後、真っ白な砂の塊になった。

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