第193話 「王都の民は今」

 塗り込めたような黒い夜空の下、何よりも気持ちを沈ませたのは、王都の中央から聞こえてくる喧騒だった。時折、一際ひときわ大きな音が聞こえてくると、小さな子が顔を伏せて恐怖に身を震わせた。


 夜も遅くなってきたけど、1人でいるのが心細いのか、今夜は多くの住民が各街区の広場に自然と集まっている。この西区の広場も同様で、老若男女問わず様々な方が焚き火を囲み、身を寄せ合って暖を取っている。

 ここの集まりは、中央の騒ぎが嘘に思えるくらいに平穏だった。たまに弱々しいけれど優しげな笑みを浮かべる方もいるくらい。こうして身を寄せ合って、静かに祈りを捧げれば、きっと吉報が届くって信じているみたい……私も、本当にそうであればいいと、心の底からそう思う。

 でも、待っても状況が良くなりそうな兆しはない。情報はすごく断片的だった。現地から王都までの連絡網自体に乱れは無いと思うけど、現地でつぶさに情報を拾いきれるわけじゃないから。

 それに、問題なのは情報が王都についてからだった。情報開示を求める住民に対し、仕方なく行政から情報が渡ると、断片的な情報の隙間を埋めるように憶測が飛び交う。その時の声の大きさが真実味にかわるとでも思われているのか、声高で不確かな伝聞がまかり通る。そうやってつなぎ合わせた流言が、今の中央の混乱になっている。

 伝令や見回りで街路を縦横に駆け巡っている衛兵の方が、私の姿を見るたびに挨拶に寄ってくるのは、かなり申し訳ない気がしたけど、彼らから情報を聞けたのはすごく助かった。本当に騒がしいのは中央だけで、他の街区は安定しているそう。意外だったのは東区で、騒がしいんじゃないかと思ったけど、実際には酒場が少し騒がしいくらい。その騒がしさも、冒険者のみんながよく行く店での泣き酒によるものと聞いて、胸が痛んだ。

 他の街区に比べると、本当に中央はひどいらしい。正確に言うと、中央の北寄り――つまり、政庁寄りの広場に大勢が詰め掛けて、口々に叫んでいるそうだ。国防会議の際には都政の官吏の方々に対してヤキモキしたけれど、衛兵の方から聞いた現状を思うと、槍玉になっている方々には強く同情の念を覚えた。

 不安げな小さい子をそっと抱きながら中央の方に視線をやると、私と一緒に人心の安定に務める、魔法庁の子が話しかけてきた。


「見に行かれますか?」

「えっ? いえ、でも……」

「大丈夫ですよ。私達、見た目よりもちょっとは強いですから」


 彼女はそう言って微笑んだ。”私達”が誰を指しているのかはわからない。彼女の微笑みも、力強いものじゃなくて、少し頼りなさもある。もしかしたら、強がりなのかも。でも、この場のみんなを勇気づけようという、その気持ちは伝わった。暖かな気遣いに励まされた。

 彼女から、この場に集ったみなさんに視線を移すと、みんな少し弱々しいけどうなずいてくれた。傍らから、「ねっ?」という声がする。結局、私を引き止めたのは、さっきまで抱きしめていた子だけだった。その子が私の上着を引っ張って抵抗すると、お母さんが「この子ったら! お嬢様、申し訳ございません!」と、すごく面目なさそうな表情で謝った。

「いえ、こうされるのも嬉しいですから」と笑顔で言って、引き止めてくれた子の頬に軽く口づけすると、それで納得したみたいで、彼女は右頬を嬉しそうに何度も撫でさすっている。

 そして、この場を受け持ってくれる頼もしい仲間に礼を言ってから、私は中央に駆け出した。


 人の集まり、騒乱の中央が近づくにつれ、意味をなさなかった大音声の輪郭が少しずつはっきりしていく。情報がはっきりしないこと、伝達の遅さへの非難。王都における、今回の対応への疑問。安全を求める声。そんなのばかりだった。

 人々の声が向かう先には都政に携わる政官の方がいて、収集がつかない大音声にたじろぎつつも、まずは落ち着くようにと必死に訴えていた。でも、彼の精一杯の訴えは、統率のない声の嵐の前には無力だった。

 責められている彼にも、責めている人々にも、大きな罪なんてものは無いはずだと思う。でも、こうして大声を出す人たちを見て、今まさに戦っているみんなを思って、私は辛くて悔しくて、悲しくなった。右手を震わせる、感情のやり場がどこにもなかった。

 そうして、人々の最後尾から少し離れたところでうつむいていると、急にあたりが静かになった。顔を見上げると殿下がおられた。お顔は落ち着いた感じだけど、少し悲しげにも見える。

 お姿一つで場を鎮められた殿下は、「まずは落ち着いて。彼が一つ一つ答えると言っているだろう」と仰った。

 すると、群衆の中から誰かが「殿下、アンタが来るなり、盆地もこっちもおかしくなっちまったよ」と声を上げた。すると、別の誰かが同調するように続く。「こんな時に、陛下がおられれば……」

 声の主たちを引きずり出して足蹴にしたい衝動に駆られ、私はそれを必死に押さえつけた。殿下は何も言われずに、静かに視線を伏せられている。

――殿下のご生誕の折、お妃様がお亡くなりになっている。それから数年の間に、殿下のお兄様である当時の王太子様も亡くなられ、名君であった陛下は塞ぎがちになった。だから、古くから王都に済む方々の一部では、殿下は不吉な存在だと思われている。でも、人々がそう思うのが仕方ないことだとしても、それをご本人の前で表明していいはずなんてない。

 場は再び静かになった。発言者たちは、自らの発言がとんでもない放言だったと気づいたのかもしれない。でも、彼らが反省しているとしても、それは保身から来るものだと感じた。

 そうして場が静まり返って何秒か経ってから、「いい加減にしてください」と誰かが言った。その場の皆と一緒に声の方を向くと、魔法庁の制服を着た子が、うつむき加減で体をわななかせている。彼女の言葉に場が少しざわつき始めると、顔を上げた彼女はざわめきを気にせずに言葉を続けた。


「壁の内側のことしか考えられないから、少し押せば混乱して騒ぎ始めるから、ちょうどいい獲物だって思われて、こうなっちゃってるんじゃないですか?」

「うるさい! 元はと言うと、お前らがあの室長を野放しにしたから!」

「ええ、私達にも罪はあります……でも、今のあなた方が正しいかどうかは無関係です。今のあなた方がやっていることと言ったら、ただただ大声で他人を責めて、恐怖を撒き散らしているだけじゃないですか。その声に恐れを感じる方もいるんです。わかりませんか?」

「だ、黙れ!」

「黙るのはそちらです! こんな夜にも、1人で恐怖と戦っている方もいるんです。そんな方々に比べれば……あなた方なんて、声が大きいだけの意気地なしです!」


 言い争っていた男の方は、ついに腕を振り上げた。でも、涙ながらににらみつける彼女の気迫に押され、小さく「ちくしょう……」と言って腕を下ろす。それから、彼女は「ごめんなさい……」と声を震わせながら言って、目元に袖を当てた。

 誰も、何も言えないまま時間が過ぎた。ものすごく重たい雰囲気が広場に漂っている……ええ、場の空気は確かに重たい。でも、今ではすすり泣く彼女の心の叫びを聞いて、全身が沸騰するかと思うくらい、体中に熱が満ちるのを感じた。

 殿下は、どこか満足そうな表情で、政官の方に指示を出しその場を後にされた。それから、場を引き継いだ政官の方が、現状についての情報を明かし始める。でも、その場に集った人々の耳には届いていないようだった。きっと、不安や不満をぶちまけたかっただけなのだと思う。

 私は、人々の輪から離れて泣いている彼女に駆け寄った。私達が守っていかなければならない、そう思っている民の中から、ああいう声を聞けたことがすごく嬉しかったから。

 すると、別方向からも彼女に近づく姿があった。ハルトルージュ伯だ。普段は宮中警護をされている閣下も、今回ばかりは王都の中の治安維持の任を、王都から依頼されている。

 私と視線が合った閣下は、少し困ったような苦笑いをされてから魔法庁の子の元に歩み寄り、何のためらいもなく地面に膝をつかれた。静かに泣いていた彼女は、閣下の行動に驚きのあまり泣き止んだ。


「え、あ……あの」

「立派な演説だった。君もそう思うのだろう?」

「はい。魔法庁の方からああいう言葉を聞けて、とても嬉しく思います」


 閣下に話を振られて素直に答えると、彼女はキョトンとした表情をしてから、また涙を流しだした。その様子を優しく見つめておられた閣下は、少ししてから私に射抜くような鋭い視線を投げかけられた。

「ついてきてくれないか」とのお言葉に私がうなずき、もう大声を出すこともない人々の視線を背に受けながら、私達は歩き出した。

 閣下の先導で進み出し、群衆から十分離れたところで話しかけられた。


「魔法庁の職員が、秋の一件から立ち直るばかりか、あそこまで立派に振る舞うとは……驚かされるばかりだ」

「はい、私も驚かされましたし、同時に心強くも思いました」

「そうか……民が自ら立ち上がろうという時に、あまり過保護にしてはならないと思うが、君はどうだ?」

「はい、そう思いま……」


 言いかけて、そこで言葉が止まった。閣下とともに歩いてきて、街路を曲がった先に見慣れた建物が……


「子守をする貴族など、1人で十分だろう?」


 視線の先に、魔導工廠がある。

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