第192話 「小さいけれども大切な一歩」

天地あめつちに 入りて混じりて あけむ ありし徒花 に求めても 詮も無し』


“散り散りになって天地をすっかり朱色に染め上げてしまった徒花にも、きちんとした名前はあったのだろうか。今になって問いかけても、どうしようもないけれど”

 魔力の火砲マナカノンの文はこんな感じだ。おそらくは戦没者に向けた文なのだろうけど、撃つ側がこういう文を書いているわけで、かなりサイコな魔法だ。

 火砲カノンに合わせる型は、魔法庁基準では単発型と殻の追記型。注ぎ込んだマナを効果的に威力へ転換できるということで、珍しく追記型を用いることが基準とされている魔法だ。器を描ききってマナを注ぎ、威力調整ができたら文を書いて砲撃する。

 今回の問題は、瘴気の向こうで放ってくる奴が、どれだけのパワーで火砲を撃ってきているかだ。相手の魔法陣がどうなっているかなんて、この状況では目視できない。ただ、単純な力比べだと負けるだろうってのはわかる。

 しかし、こちらには燃料が山ほどある。周りの瘴気を収奪型で吸わせて火砲に回せれば、倒すところまでは行かなくとも、離脱の機会は作れるかもしれない。しかし、そういう手法を相手が知っていれば、有効打と言うにはまだ足りないかもしれない。

 そこで俺は、ウェストポーチからマナ遮断手袋フィットシャットと空の水たまリングを取り出した。手袋を右手にはめ、続いて指輪をつけて赤紫のマナを吸わせてやる。

 そして、指輪が十分にマナを吸ったところで記述に入る。すると、俺のマナと混ざり合うことなく、瘴気の中で紛れるように赤紫の光が器の形を取っていく。

 相手からすれば、瘴気の中で赤紫のマナを使って魔法陣を作られてもほとんど視認できないはずだ。それに、敵はきっと光盾シールドを赤紫で作るだろう。赤紫以外のマナによる攻撃を安定して耐えられるからだ。人間側が赤紫のマナを使うことなんて、あまり考えたことはないだろうと思う。ついでにいうと、収奪型でマナを吸わせるにしても、魔法陣側と周囲のマナの色が揃っていると吸収効率が良い。

 つまり、赤紫のマナを利用してやるのは、現状に色々と都合がいい。まぁ、完全に違法だか脱法な行為に、手を染めている自覚はあるけども。

 反撃の算段と覚悟を決め、俺は火砲の器を描き上げた。念のために魔力の矢マナボルトも合わせてやろう。赤紫以外で光盾を作られていたときの露払いだ。そうして矢の器を描き上げ、あとは文を記述して攻めに転ずるタイミングだけだ。倒れている彼は、苦しさよりも驚きに満ちた表情で、俺の試みを見守ってくれている。

 やがて、双盾ダブルシールドが再三の攻撃を受けて割れ砕けた瞬間に、俺は用意していた2つの魔法の文を書ききった。まずは矢が瘴気の外へ向けて飛び、それに少し遅れて赤紫の砲弾が飛翔する。すると、瘴気の向こうで砲弾が炸裂して地面を揺らす大音響と、甲高い悲鳴が響き渡った。

 向こうがどうなったかは、正確にはわからない。でもチャンスだろう、そう信じるしか無い。俺は双盾を構えつつ、身をかがめて倒れた仲間に肩を貸し、力を振り絞って立ち上がった。それとほぼ同時に、瘴気が少しずつ薄くなっていき、対峙していた相手の姿が明らかになっていく。


 相手はこどもだった。魔人だとはわかっていても、見た目はこどもにしか見えない。そいつはうずくまりながら、俺の方を怖じた目で見つめている。

 そいつの左脚は吹き飛んでいた。本体の断面では赤紫の光が点滅し、吹き飛んだほうの脚は色のない塊になっていた。

 嫌悪感と吐き気と、叫びだしそうになる衝動を、俺は何とか飲み込んだ。

 今ならとどめを刺せる。右手で追撃の構えを取ろうとすると、敵は怯えて身を震わせ、体の表面からは白い砂が剥落した。

「ふざけんなよ、クソが……」俺は右手に焼け付くような感覚を覚えた。そうして、最後のひと押しをできずに右腕をかすかに震わせていると、横からマナの矢が飛んできて敵は顔から地に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

 矢を射ったほうを見ると、そこにはエルウィンが立っていた。どうやら、向こうの戦いもほぼ同じタイミングで終結していたようで、エルウィンたちは俺の方に駆け寄ってきた。


「大丈夫か」

「ああ、まぁ……」

「無理はするな」


 言葉少なで冷静で、もしかしたらハリー以上に淡白かもしれないエルウィンだけど、言葉や態度の端々には思いやりを感じた。彼の落ち着いた表情には、苦悩の色が見え隠れする。


「悪い。とどめを任せてしまって」

「気にするな。誰かがやらなければならないことだし、ああいうのは許せん」


 彼は珍しく怒気をあらわにした。そんなエルウィンの態度には、肩を貸してやってる要救助者も驚いたようで、苦しそうにしながらも彼は「意外だな」とつぶやいた。


「……俺達の良心をいたぶって遊んでたわけだ、奴は」

「そうだな」

「見た目に惑わされるなよ。中身はひねたクソジジイかもしれない」


 本当に、彼にしては珍しい表現に驚き、少しおかしくなって笑った。要救助者の彼も、一緒に笑ってその後むせこんだ。「早く本営に戻らんと」と、ほうきを取りに行ってくれた仲間が言った。確かに、そのための救援だった。

 俺は感謝しつつほうきを受け取り、仲間に手伝ってもらいつつ、要救助者をハーネスでくくりつけていく。その間、俺は考えていたことを何気なく口にした。


「気づかれずに、こっそり救助できればスマートだったんだけどなぁ」

「いやまぁそうだけど。でも、来なかったらほんとヤバかったぜ」

「リッツの攻撃で、俺達の方も隙ができたしな」

「マジか」

「瘴気の中から反撃するなんて、普通は予想しないぜ」


 そこで俺は、頃合いと思ってベストの件を明かした。こういうときのための装備だと。すると仲間たちは驚き、そのあと俺を激励してくれた。「他の連中も頼むぜ」と。

 この一戦で揺らいだ気持ちは確かにあるけど、仲間を助けた実感と身に受けた激励や感謝はそれ以上だった。背負った彼はサニーよりもずっと重いし、戦いでの疲労感も確かにある。それでも内側から湧き上がる力が、二人乗りのほうきを力強く飛び立たせた。


 若干ふらつきつつも、推力だけはしっかりとしたほうきで本営へ帰還すると、あたりは騒然となっていた。しかし、ほうきに乗った俺が中央の天幕に近づくと、それに気づいた仲間たちが歓喜の声を上げる。

 地に降り立ち、後ろの彼をハーネスから外しつつ、俺は本営の隊員に状況を尋ねた。すると、俺達の帰還への喜びが鳴りを潜め、すぐに不安の入り交じる表情になった。


「リッツさんの出撃以降にも、さらに交戦状態に陥りました。予告のあった7箇所のうち、まだ襲撃がないのは2箇所だけです」

「この調子だと……」

「残りにも飛び火するんじゃないかと」


 芳しくない状況に、俺は顔をしかめた。再出撃は近いか、あるいはすでに、俺の到着待ちという状況かもしれない。

 しかし、まずは助け出した彼のことからだ。救護用の大きな天幕の中に彼を連れて行くと、中には少しきつめのアルコールの臭いと、錆びた鉄のような臭いが充満していた。背中が粟立つ。

 しかし、既に担ぎ込まれてうめき声を上げていた負傷者たちも、俺の姿を見るなり強がるように歓声を上げた。


「やったな!」

「瘴気の中に飛び込んだんだって!?」

「……なんで知ってんだ」


 すると、背中を叩かれた。後ろを振り向くとシドさんが立っていて、彼は少し陰のある顔で微笑んでいる。

 思惑は、なんとなくわかった。士気のためだろう。でも、ある意味ではいいように利用されてかもいるしれない状況に、不思議とモチベーションが湧き上がった。

 今日、1つの小さな戦場で勝利を収めてきたけど、その戦果よりも大きな一歩を踏み出している。濃い瘴気に取り込まれてしまった仲間を、王侯貴族の手に頼らずに助け出すことができたんだ。その興奮を、今この場のみんなと共有している。

 この天幕で倒れている仲間が、実際にどれだけの負傷を負っているのかはわからない。でも、きっと相当な傷を負っているというのは臭いが教えてくれた。後遺症が残るレベルかも知れないし、もしかしたら朝日を拝めない仲間も、いるのかもしれない。

 でも、この場に悲壮感はあまりなかった。奴らの鼻を明かしてやったんだという、勝ち誇りにも似た空気が漂っている。そういう気持ちがみんなの助けになるというのなら、多少の重荷は望むところだ。


「次の出撃は?」

「瘴気絡みでもう一件。頼めるかな」

「もちろんです」


 俺はみんなの視線とシドさんの左手を背中に受け、天幕の外に出た。

 夜は始まったばかりだ。どうせ長い夜になるだろうけど、きっとやり遂げてみせる。

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