第186話 「出撃前日②」

 工廠でほうきの調整等を済ませた俺は、次にお屋敷へ向かった。

 こういう事態だから、伯爵家でも何か動きがあるだろうと考え、なるべく早めにと思って向かったわけだけど、お屋敷に近づくにつれて人の出入りが見え始めた。やっぱりあちらも忙しくなるんだろうか。

 正門あたりで森の監視兵の方とすれ違うと、彼は俺にキチッとした軍礼をした。面識があるぐらいの方で、俺のことを良くは知らないと思うけど、それでもしっかりと礼を示されて恐縮してしまった。慌てて、ちょっとぎこちない感じで礼を返す。すると、彼はほんの少しだけ微笑んでから森へ走っていった。

 敷地内に入ると、邸内にいたマリーさんが俺に気づいて駆け寄ってきた。最初、顔があったときの表情は友人としての俺に向ける優しい感じの笑みだったけど、一瞬で仕事用の余裕ある微笑に変わった。

 彼女は恭しい所作で、俺を邸内へ迎え入れる。そして、「奥様もお話をご希望されていたところです」と言った。

 案内されて進んだ廊下は、遠くから人の声とか物音が聞こえて、変に落ち着かなかった。いつもの食卓への道も少し遠く感じる。だから、着いた食卓の空気がいつもどおりだったことには、妙に安心してしまった。

 マリーさんが手早くお茶の準備をして、奥様を呼びに行ってからすぐ、お2人が姿を表した。奥様は穏やかな微笑みを浮かべていらっしゃるけど、眼差しは真剣そのものだ。

 対面の席につくなり、奥様が静かな口調で切り出してくる。


「救護班への参加要請を承諾したと聞いたわ」

「……はい」

「大変な任務よ? もしかしたら、目の前で助けられない人が出るかもしれない」


 奥様の言葉に、自分が死んだときのことをふと思い出した。あのとき、サイレンの音が遠くから近づいてきた。きっと、救急隊の方には悪いことをしてしまったのだと思う。そして今度は、自分がそういう事態に直面するかもしれない。

 それに、現世の救急隊と違って、巻き添えで殺されたりするかもしれない。今回の任務は、瘴気で身動き取れなくなっている人を助け出すってものなんだから。そういう意味では消防隊員に近いのかもしれないけど、いずれにせよ生半可な覚悟じゃ務まらない。

 でも、だからこそ、やらなきゃならないとも思う。


「……前世では、知らない女の子を助けて、代わりに死にました。それで家族や友人知人……みんなを悲しませてしまったと思います。その事は後悔していますし、反省もしています。でも、助けに入った自分を否定したくはありません」


 俺がここに来るまでの打ち明け話を始めると、奥様もマリーさんも、すごく真摯な態度で耳を傾けてくれた。


「俺は、人が危険な目にあっている時、黙ってみている人間でいたくはありません。その気持ちを、一度行動で示してあの世界と別れたからには、こちらでもそれを貫かなければならないと思ってます。でも、誰かを助けるために自分を犠牲にしたくもありません。誰も悲しませないように、あの時よりもうまくやってみせます」

「……言うようになったわね。いえ、元からかしら?」

「まぁ……こっち来てからですね」

「ふふ」


 奥様に微笑みかけられて、少し空気がほぐれた。しかし、奥様が顔を引き締めて真剣な目になると、俺もそれに合わせ、改めて姿勢を正す。


「志が高いのは立派だけど、俗っぽい気持ちも忘れちゃダメよ。いいとこ見せて女の子にモテたいとか。志か欲のどちらかが折れなければ、きっと立て直せるから」

「……俗っぽい欲ですか」

「モテたい?」

「まぁたそーゆー話に持ってくんだから……まぁ、女の子は好きですよ」

「そう」


 奥様は一度茶を口に含んでから、壁に少しアンニュイな視線を向けた。それから俺の方に向き直って、口を開く。


「今日はありがとうね。わざわざ来てもらって」

「いえ、ここへ来るのは当然ですし」

「ふふ。行くのは結構だけど、帰ってこない子は嫌いよ?」

「善処します」


 それだけ言って俺も茶を飲むと、廊下の向こうから物音が聞こえた。忙しそうだし、挨拶もできたからお暇しよう。その旨を伝えると、「相変わらず律儀ね」と奥様は少し寂しげに笑った。

 食堂を出てマリーさんと2人になると、彼女はお屋敷の現状について教えてくれた。


「この機に乗じて森の”奪還”があるかもしれませんので、その対応です」

「なるほど……奥様は?」

「明日から念のため、王都で過ごされるとのことです」


 その念のためが、奥様の身を案じてなのか、あるいは王都で何かあったときのためなのかはわからない。落ち着いて話すマリーさんからは、言葉以上の情報は読めなかった。

 玄関を出て庭を進み、門のところまでお見送りに来てくれた彼女は、そこで黙って静かに考え事を始めた。表情は冷静な感じで、深刻な悩みという感じはない。

 ややあって口を開いた彼女は、「帰ってきたらパイでも焼きましょうか」と言った。


「えっ? いや、それは嬉しいですけど」

「最初はケーキにしようかと考えましたけど、ちょっと縁起が悪いと思ったので」


 9月の試験前、合格したらケーキを焼くという話をしていて、結局ああいう事態になった。そういう過去があっての発言だ。意外とジンクスとか気にする方なのかもしれない。

「パイ、楽しみにしてます」と言うと、彼女は「それはこちらのセリフです」と返した。表情は微笑んでいたけど、少し物憂げな陰もあった。



 続いては、エスターさんの店に挨拶に向かう。普段は人通りが多くてにぎやかな東区も、朝同様に巡回の衛兵さんがいる程度の人通りしかない。物々しくて気が塞ぐばかりだ。

 エスターさんの店がある区画も、ただただ静かで、街のみんなが恐れに縮こまっているようだ。

 しかし、やはり商売人としてのプロ意識はあるのだろう。店の戸を開けると「いらっしゃいませ~!」という明るい声が飛んできた。でも、他に客はいないし、店員さんは俺の顔を見てすぐに用件を察したようだ。営業用というか素のスマイルから一気に、真面目だけど不安や心配の滲む表情になった。

 そんな店員さんの有様に、「じきに元通りになりますから」と言うと、彼女は力なく微笑んで「ありがとうございます」と応えて、俺を奥の応接室へと案内した。

 何回目かになる居心地のいい応接室だけど、今日はやっぱり重っ苦しい空気を感じてしまう。

 俺が部屋に入ってすぐ、店員さんがお茶と菓子を持ってきた。カヌレっぽい奴だ。暗褐色の表面は照り照りしていて、思わず涎が出そうになる。こういう状況下でそういう反応が出そうになるのは、少しみっともない気がしないでもないけど、ある意味では雰囲気に負けていないということかもしれない。

 それから程なくして、エスターさんがフレッドを伴って部屋に入ってきた。さすがに、街の状況から俺が来た用件も察しているようで、彼女は俺に笑顔を向けてくれたけど顔色は冴えなかった。

 2人が席について、まず「他のみんなは来てませんか」と聞くと、エスターさんは「いいえ」と答えた。

 現在の時刻は、12時前ってところだ。作戦への参加締切まで、だいたい残り1時間。なんとなく、事務方で頑張ってリミットを引き伸ばすんじゃないかって気もするけど……ともかく、まだみんな決心がついてなかったり、あるいは別の所で過ごしたりしているのかもしれない。

 とりあえずの状況説明ということで、俺はギルドで受けている依頼のうち、明かしても大丈夫そうな部分と、俺が受け持つ役割について伝えた。

 俺が言い終わると、エスターさんは顔を伏せてティーカップをじっと見つめてから、目を閉じて考え事を始めた。フレッドは、俺に掛ける言葉も見つからずに、うろたえているように見える。

 それから、部屋の中がすごく静かになった。その静寂が逆に煩わしくて、俺は茶を飲んだり茶菓子を口に運んだ。見た目通りに味は良かったけど、気分は砂でも噛んでるみたいだった。

 そうやって気まずい沈黙が続いた後、エスターさんがゆっくり顔を上げて俺の方を向いた。目には力を感じる。


「……フレッド、ごめんね。嫌なことを思い出させてしまうかもしれないけれど……リッツさんは、あの依頼の時の事、覚えていますか?」

「ええ、まぁ……途中までは」


 最後の最後でハリーとネリーがヤバげになっている場面に出くわして、何か魔法を使ってぶっ倒れたところまでは覚えている。つまり、あの家に囚われていたときのことは、まぁバッチリだ。

 あのときの事は、俺達3人にとってはろくでもない思い出のはずだ。現に、フレッドは心底申し訳なさそうな顔でうつむいている。俺もエスターさんも、そこまで気にしてないんだけど、それでもだ。

 一方、話を持ちかけたエスターさんは、あのときのことを思い出すように目を閉じ、意外にも少し笑って話を続けた。


「あの夜、とても怖かったことを覚えています。でも、リッツさんに手を両手で包んで励ましてもらって、安心できたことも……よく覚えています」


 そう言ってエスターさんは、胸元で両手を愛おしげに合わせた。その仕草にものすごく恥ずかしくなって、自分の顔が今真っ赤になっているのがわかる。あのときは、きっとすごく頑張ったんだろう。今は照れくさいけど、でも、あれで良かったんだと思う。


「……私は、リッツさんに救われました。あのときの全員がそうですし、リッツさんご自身もそうです。きっと、そういう力があるのだと思います。だから、今回もきっと……」

「……ありがとうございます」


 本当に、そういう力があるのかなんてわからない。無理せずこなせるだけの、素の実力が足りているのかどうかも。でも、褒められて認められておだてられて、悪い気はしない。そうやってノセられて、背伸びして出す力も、きっと本来の自分の力なんじゃないかと思う。

 それに……なんやかんやで、エスターさんみたいな美人に褒められて、嬉しくないわけがない。そういう俗っぽさがモチベになっているのは、よくわかった。

 気分が上向いたところで口に運んだカヌレは、きちんと甘かった。

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