第147話 「墓参り③」
普通、魔人の名前というのは一般には知られていない。魔人が人間相手に名乗る風習がないことに加え、名乗った――つまり、直接相対した――ところで、人間側がそもそも生き残れるかどうか。そういうわけで、人間側で魔人の名が知られているというのならば、相応の理由がある。
そしてユリウス・フェルディオンは、かつてその名を広く知られ、また歴史から抹消された存在だった。
今から200年ほど前、シュタッド自治領がまだシュタッド王国として健在だった頃。魔人の国とシュタッド王国で縁談が持ち上がった。その時の花婿がユリウスで、花嫁が王国の王女だ。
この縁談自体は政略結婚以外の何物でもない。相次ぐ戦役に疲弊した国の上層部が、自国の安堵のために王女を差し出したというのが大方の見方だ。
しかしながら、この政略は失敗に終わることとなる。成婚こそしたものの、保身に走った王国の中で、当の政略に対する反発から国が分裂し内乱へ発展。結果として王国が滅んで、現在のような自治領となった。
一方の魔人の国の対応はと言うと、特には知られていない。ただ、花嫁は自害したとだけ伝えられている。
この顛末は、人間側にとっては恥ずべき歴史だった。他の国が魔人と戦争を続ける中、自国の安寧だけを求めて王女を犠牲にし、そこまでしておきながら自国内の手綱も握れず、結果として1つの王国が滅亡したのだから。
それ以来、一度も魔人の国と人間の国で和平が結ばれた記録はない。
☆
「……というわけです」
「彼女さんのほうが詳しいってのは?」
興味津々といった感じの隊員に迫られ、話者は口ごもった。そしてユリウスに視線をやるが、彼は少し寂しげな目で返すだけだった。そんな対応に逡巡してから、かなり遠慮がちに話者は口を開く。
「なんていうか、歌劇として人気があるんです。悲恋物っていうか」
「はぁ~」
「なんで、歴史の一部というより物語として下々に知られてるみたいな……色々と情報の食い違いとかはあるかもですけど」
それから話し終わった彼は、ユリウスの方に顔を向けた。その意図を察し、ユリウスは答える。
「概ね、今の通りの話だ」
「……するってーと、こちらで眠っておわすのは」
あまり遠慮のない発言に、ユリウスはただ無言で首肯した。それから、質問の主が申し訳無さそうな表情になって「なんか、すんません」と言うと、「いいんだ、ありがとう」と、ユリウスは柔らかな表情で返した。
おそらく、彼もその政略結婚の犠牲者なんだろう。副長は思った。背を丸めて草むしりする彼のことが、なんともいたたまれなくなってくる。
そして、例の話が真実だとすると、こちらで弔われているのは、かつて他国の姫であらせられた女性ということになる。そんな方が自国の土を踏むこと叶わず、こうして別の国で誰にも知られずに眠りについていることが、その人生というものを思わせた。経緯はどうであれ、内乱で国が潰れたその一因と見られて、故国の民に亡骸を受け入れられなかったのだろう。
草むしりが済むと、地面はきれいになった。ただ、ここに並ぶ墓石たちには、まだまだ無遠慮な草や蔦、苔がまとわりついているが。
「ここに来るまでに、小川があったよな」と副長が問うと、隊員たちは顔を見合わせて笑った。
「ありましたけど、どうやって水汲んできます?」
「兜でいいだろ」
「マジでぇ~」
笑顔で不平を垂らす隊員に、副長は地面に置いていた兜を手渡す。そしてその隊員に加え3人が小川へ水を汲みに向かった。
「あの」とユリウスが言ったのに反応し、副長が顔を向けると、彼は少しうつむき気味に立っていた。
「ありがとう」
「別に、構いませんが」
答えつつ、副長は自省した。なぜここまでしてやってるんだろう?
1つには、ユリウスの心証を良くしようという打算的な目論見があった。誠実な相手だとはなんとなく感じているものの、この先どうなるかわからない以上は備えが必要だ。
加えて、墓で眠る人物への礼儀や同情の気持ちも、墓掃除に駆り立てた。国に利用され、結果として忘れ去られたんじゃあんまりだ。そんな憐憫の情は確かにあって、その気持ちの何割かはユリウスの方へも向いていることを、副長は自覚していた。
そして……やはり考える時間が欲しかった。この後の処遇について、まともなアイデアが中々思い浮かばない。
小川へ視線を向けながら、副長はその場にいない隊長のことを呪った。キノコ食って腹痛とか、何事だよ。
☆
隊員全員、汗だくだくになりながらも、汲んできた水と布で墓石すべてを磨き上げた頃には、少し日が傾き始めていた。
ユリウスは見違えるようになった墓場をあらためて見返し、穏やかな笑みを浮かべた。そして、綺麗になった墓石の前でひざまずく。
少しの間、1人で祈りを捧げていた彼は、隊に首を向けた。
「君たちも、よければ」
「我々が?」
「きっと彼女も喜ぶだろうから」
もはや赤い魔法陣はなかったが、嘘偽りのない本音だというのは、その場の全員が直感した。かつては魔人たちの頂点にまでいたという男が、人間と一緒に汗だくになりながら墓石磨きに精を出していたのだから。彼らの間には、そんな妙な連帯感があった。
ユリウスに勧められ、全員で膝をついて、知らない女性に祈りを捧げる。このまま帰りたいな、そう副長は思った。そういうわけにもいかないだろうが。
祈りを捧げ終わると、全員静かに立ち上がり、ユリウスと巡視隊で向き合う形になった。ああ、この後の対応を決めないと。副長は意を決して口を開いた。
「特に、この後の考えはないってことでしたが」
「ああ」
「人間に危害を加えるおつもりはないと?」
「ああ」
「自身を放逐した魔人側に、対立しようという気持ちは?」
「ないよ。誰が相手であれ、敵味方という考えはない」
政略結婚に使われ、今では放逐されているその立場を思い、副長はなるほどと思った。信じてもいいだろう。しかし、個人的な心情で判断を誤るわけにはいかない。
副長は頭を下げて謝罪しつつ、例の魔法陣の使用を願った。ユリウスは、言葉は返さずにただ魔法陣を刻んで解答とした。
「君達の要求は?」
「……野放しという選択肢は、できれば避けたい。可能であれば身柄を抑えたいと」
「虜囚にすると?」
「貴殿の立場を鑑みれば、魔法を使えないように拘束具を使った上で軟禁というところですか」
そう言って副長は、腰の道具入れから腕輪を取り出した。魔法庁でも使われるそれは、手の先へ流れるマナを遮断して魔法陣の記述を封じるというものだ。
「これが通用するかどうかは微妙ですがね」
「……効くかどうかは私にもわからないけど、使われているうちは破ろうとはしないよ。効かないとわかれば、君達が大変だろうから」
暗に受け入れるような発言をしたことに、副長は目を丸くした。そして、本当にこの墓参りのことだけしか考えてなかったんだなと思った。多分、魔人の国に居た頃も。そんなだから放逐されたのかもしれないが。
副長は、目頭をつまみ少し考え込んだあと、長く息を吐いてから切り出した。
「他に行く宛がないのであれば、我々に囚えられていただけませんかね。もちろん、この件の当事者として、貴方の立場や扱いが少しでも良くなるように手を尽くします」
「そうか……他の人間たちがどうかは知らないけれど、貴方がたのことは信じよう」
色よい返事に、副長は手応えと不思議な罪悪感を覚えた。目論見通り、墓掃除で相手の心象は良くなったわけだが、そのことが少し心に引っかかってしまう。そして、彼をここに埋めてやるのが一番幸せなんじゃないか、そんな益体もない考えが胸中に沸き起こった。
続いて、ユリウスが副長に話しかける。
「囚われるのは構わないが、条件がある」
「私の一存で決裁できるものでもないですが、聞きましょう」
「魔人の国について、情報を求められても私は答えないよ。放逐されるまで大した役目を与えられなかったから、話すべき情報もないけどね。それが条件の1つ目だ」
「上の連中がそれに納得すればいいんですが……2つ目は?」
「定期的に、ここへ墓参りしてほしいんだ。私は来られなくなるだろうから」
ユリウスはそれだけ言うと、感慨深そうな目を墓石へ向けた。副長もそれに合わせて視線をやる。森の中の少し開けた空間に、茜色の夕日が差して墓石を照らしている。緑に覆われた状態からこうして綺麗にしてやって、果たして何十年ぶりの日の目なんだろうか。
「墓参りの手間で、貴方が我々の元に囚われるというのならば、破格の条件です」
「わかった」
ユリウスは両手を差し出した。その腕に、拘束用の腕輪をつけていく。その時、自分の手が少し震えていることに副長は気づいた。互いの立場を思えば仕方のない処置ではある。しかし、後ろめたい気持ちは抑えられなかった。
腕輪の装着が終わると、程なくして赤い魔法陣が消えた。腕輪が効いた、そう思ったのと同時に、副長はブラフの懸念を抱いた。ただ、その場合は腕輪が効かなくて、かつユリウスが自分たちを騙そうとしているということになる。仕事柄、楽観的に信じ切るわけにはいかないものの、色々なものへ疑いを向けざるを得ないことには少し疲れを覚えた。
「では、行きましょうか」と副長は言った。ユリウスは名残惜しそうに墓を見つめている。その時、隊員の1人が言った。
「どこ行くんですか? 王都?」
「まさか。いきなりは連れて行けんだろ。とりあえずは手近な詰め所にでもと考えてるんだが」
「割と行きあたりばったりスね」
「誰に言ってんだ?」
副長は、問い返してからユリウスの方を見た。隊員はその意図を察し、声を上げて笑う。墓参り以外何も考えてなかった彼に比べれば、自分たちの副長はだいぶ考えている方だと。
笑い声がひとしきり落ち着いてから、その場の全員で墓を後にした。森へ足を踏み入れるなり、誰かが歩みを止めて、それがすぐに伝播していく。
全員立ち止まり、墓へ視線を向けた。墓は茜色に染まっていて、ノスタルジーを感じさせた。
「なんだか、名残惜しいですね」
「どうせまた来るだろ」
「あー、そういやそうですね」
先の話が上に通るかどうかはわからない。しかし、人手を多少こちらに割くだけで魔人の有力者を囚えられるというのは、魅力的な話だった。おそらく通るだろうというのが、隊員の共通認識だ。
日が差さない森の中は、先までの墓と違って見通しが悪い。その森の中、行きで作った即席のルートを通りながら、副長はこの先のことに思いを馳せた。今こうして確保した相手は、魔人であるが邪悪には感じられない。だからといって野放しにできるわけではないが。
せめて、彼が関わったどんな国よりも、節度と礼儀のある対応をできれば。副長はそう願った。
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