第146話 「墓参り②」
対峙する相手――ユリウス・フェルディオン――が、どうやら魔人の頂点の一角を占める存在だと知って、隊員はみなその場で固まって動けなくなった。物知りな隊員の冗談か、あるいは記憶違いである可能性を副長は考えたが、視界の端に入る紙にはしっかりと赤いマナで字が刻まれている。この尊貴な色に見合った相手であることは間違いない。
副長がその赤いマナの主に視線をやると、彼は無表情でその場に立っていた。先程からもそうだったが、こちらへ危害を加えようという気配はない。本当に、墓参りのためだけに来たんだろうか。だとして、その次は何を?
聞かねばならないことは幾つかある。聞いたとして、偽り無く答えてもらえるかは相手次第ではあるが。職業意識が平静を保ってくれていることへ密かに感謝しながら、副長は問いかける。
「あー、なんですか、その。さっきうちの隊員が言ったとおりのご身分で、間違いないですかね?」
「そうだな……実は放逐されたんだ。魔人六星は1つ星が落ちて、今では五星になっている」
淡々と告げられたその言葉に、隊員はみな驚いた。言葉を額面通りに受け取っていいものかどうか。
「そうは言われても、にわかには信じがたいですね」
「そうか」
格上の存在の、発言の真偽を疑うような言葉を口にした副長に対し、ユリウスは気分を害しなかったようで、さもありなんという表情をしている。巡視隊の間で巻き起こった疑問や不安の渦とは裏腹に、その渦中の人物の態度は凪のようなものだった。自身の強さへの自覚から来るものか、あるいはそういった性分なのか。
彼は、それから少し考え事をするような素振りを見せた後、自分の足元に赤色のマナで魔法陣を刻み始めた。それに動揺する隊員が3名、身を固くして後ずさる。他3名は緊張した面持ちで剣の柄に手を当て、最低限の抵抗への備えを始めた。
そして1名は、放たれた矢のようにユリウスの方へ駆け出し、副長はそんな隊員に足を引っ掛けた。彼はバランスを崩したものの、転ばずに体制を整えた。それから、敵と副長を交互に見回す。少し不平混じりな視線で。
「何するんスか」
「相手が魔人だったら、やるだけ無駄だろ。それよりは、何の魔法か見てから帰ったほうがマシだ」
「帰れるんスかね」
勇猛な隊員と副長が同時にユリウスへ視線を向けると、彼は困り気味の微笑みを浮かべた。「害意はないよ」と彼は言う。その言葉に、果敢な隊員は剣の柄から手を離し、ため息をついて副長の後ろへ戻った。
やがて、巡視隊の全員が見守る中、赤いマナで複雑な紋様の魔法陣が地に刻まれた。魔法の覚えがある隊員に皆が視線を向けるも、彼は困惑した表情で首を強めに横へ振った。隊の誰も知らない魔法ということだ。
それから隊員の全員がユリウスの方へ視線を移すと、彼は口を開いた。
「今日は、いい天気だね」
「あー、そっスね」
先程斬りかかりに行こうとした隊員が、急な世間話に怪訝な表情で応じた。
続いてユリウスが「今、雨が降っている」と言うと、誰かが突っ込むよりも早く彼の足元の魔法陣が反応した。刻み込まれたマナが一層強い赤色の光を放ったかと思うと、その魔法陣の只中に身を置くユリウスの全身が炎に包まれる。
彼が炎に包まれたのは、ほんの数秒のことだった。衣服は炎の影響を受けていないようだったが、素肌の部分は黒く焼け焦げている。また、彼の端正な表情は、痛みに耐えるかのように少し歪んでいた。やがて、全身が白く淡い光に包まれ、火傷が瞬時に癒えて元通りになった。
その間、隊員はみな唖然とした表情を浮かべ、ただ見守ることしかできずにいた。それからも何回か、ユリウスは頼まれもしないのに魔法の実演を続けていく。魔法陣の中で嘘をつけば、全身が炎に包まれる。
「嘘に合わせて、自分で火をつけているだけじゃ?」と訝しむ隊員に対し、「手厳しいね」とユリウスは苦笑で返した。しかし、怪しがる隊員も本気で疑っているという感じではなく、むしろユリウスの態度に困惑した。
魔法のデモンストレーションが済んだところで、ユリウスは「聞きたいことがあれば」と落ち着いた口調で言った。その申し出を受け、副長が代表していくつか質問を投げかける。名前、魔人であること、過去に六星の1つであったこと、今は放逐されたこと。それまで彼が自己紹介で言及したことのすべてを再度確認していくと、彼は過去の発言に相違なく答えていき、魔法は一度も発動しなかった。
「では、今日はなぜここに?」
「墓参りだよ」
またも魔法は発動しなかった。もはや疑う気もなくなりつつあることを副長は自覚し、頭の中で状況の再確認をした。魔人のてっぺんまで行き着いた奴が、放逐されるなり1人でぶらついて墓参りしている。にわかには信じがたいことだが、自分の理解を超えた行動規範を持っているのが魔人ってやつなんだ。もう、受け入れるしかない。
ほんの短い間、副長は思い悩んだ後、「この後の予定は?」と切り出した。
「何も考えていないんだ」
「……マジかよ」
ユリウスの発言にも、魔法が発動しないことにも唖然とした隊員が、ぽつりと声を漏らした。
副長はため息をついた。少なくとも、害意や悪意がないのはよくわかった。身を焼いてまで信じさせようというのは、少し行きすぎな感じもあるが、誠実さの表れと見れば結構な話だ。問題は、これからだ。
考えつつ、副長はユリウスに視線をやった。未だ魔法陣の中に身を晒している彼は、無表情でこちらを見ている。その視線に負の感情はなかったが、副長は墓参りの邪魔をしていることに不思議と負い目を感じた。
では、この後どうするか。報告書に書かせずに済ませるというのは職業倫理が許さない。しかし、書いただけで放置しましたというのは通るんだろうか? 何かしらここでアクションを起こすべきか? しかし、相手と自分との力量差を考えれば、自分たちに何ができる?
渦巻く思考に、副長の顔がみるみるうちに渋くなっていく。そんな彼に「済まない」とユリウスが言った。
「済まない? 何がですか?」
「私のせいで面倒なことになっているんだろう?」
「あー……そうですね。お気遣いどうも」
やりづらい相手だった。どういうわけか、人間への気遣いがある。それがなおさら副長の心を悩ませた。対応を間違えれば、意外にも人間に好意的な反応を見せる目の前の彼が、人間の敵になりかねない。
やがて、頭の中でぐるぐる思考が渦を巻き、少し疲弊した表情になった副長は、隊員に向き直って言った。
「この後、何かあったか」
「何もないス。巡視の日は巡視だけス」
「だよな。じゃ、草むしりするぞ」
「ハァ?」
隊員の3人は驚きと若干の不平混じりに声を上げ、4人は副長の意図を図ろうと首を傾げている。副長がユリウスの方に視線をやると、彼は若干だが驚いていた。いい気味だ、副長は思った。そして、隊員にまた向き直り、意義を語る。
「魔人が人間の墓参りしてるってのに、肝心の人間のほうが、こんなになるまで墓を放ったらかしたんじゃ恥ずかしいだろ。弱い上に故人への敬意もないんじゃ、いいとこなしだ」
「まぁ、言わんとすることはわかります」
「それに、俺はこの後の動きで悩んでるんだ。草むしりでもしながら考えさせてくれ。そしたらいい案思いつくかもしれん」
「思いつくといいスね」
「お前らも考えろっての!」
そんなやり取りを済ませた後、各員は墓場の草むしりを始めた。いつの間にか緊張に満ちた雰囲気はほぐれていた。依然として、相手の出方次第では1人でも無事に帰れるかどうかという状況ではあったが、半ばヤケ気味になったのか、隊員は腹をくくって落ち着きを保っている。
隊が草むしりを始めると、少し当惑気味だったユリウスも、膝を落として草むしりを開始した。「副長、魔人に草むしりさせるなんて快挙スね」「報告書に書こう」そんな事を言って隊員同士笑い合った。
草むしりを初めて少し経ってから、隊員の1人がぽつりと言った。
「瘴気なしの魔人で良かったですね」
「……どうしてそう思う?」
「だって、まず話し合いを、とはならないじゃないですか。今回は、相手のマナが赤いことを確認し、出方を伺う形になったので、こうして平和的に草むしりできてるわけですよ」
思慮のある発言に、他の隊員は感心したようにため息を漏らした。
副長はユリウスへ視線を向けた。少し離れた所で黙々と草をむしっている。
実際、瘴気を操る赤紫のマナの魔人相手では、こうはならなかっただろう。瘴気を確認できた時点で一旦引くか、それを見咎められて皆殺しにされるか。今の状況は、幸福というには疑問符が幾つも付くが、少なくともマシには違いない。
だんだん秋が深まってきた時候ではあったが、青々とした草は依然として恨めしいほどに健在で、むしってもむしってもキリがない。額の汗を拭いながら作業を続けていく。
作業が進むにつれ、状況に慣れきった隊員達は次第に口数が多くなっていった。そんな中、物知りの隊員がユリウスのことを知っていたことに、別の隊員が言及した。
「よく知ってたよな、お前」と褒められた物知りの隊員は、照れくさそうに返す。
「実は彼女のほうが詳しいかもなんですけど」
「お前、彼女いたのか」
「いや、そういう話はいいから。もう少し詳しい話とかあんの?」
「あるにはありますけど」
その場の全員が話題の人物に視線を向けると、彼は立ち上がって歩み寄ってきた。それに思わず身構える隊員たちだが、その対応をなだめるように彼は言う。
「私のことを知られているというのなら、どのように伝わっているか知りたいんだ」
「はぁ」
物知りの彼は、ユリウスから目を外して周囲を見た。他の隊員達は、ユリウスの反応に驚きつつも、話への興味は隠そうとせず催促するような素振りを見せている。副長も、どちらかというとユリウスの対応に興味を示しつつ、首を縦に振って話の続きを促した。
その場の全員に後押しされるような形になり、物知りの彼は覚悟を決めた。当事者の彼がどう受け取るか、少し怖じるような様子でユリウスについての話を始めた。
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