第99話 「お嬢様の交友関係」
8月6日9時。魔導工廠の談話室で、私とシエラさんはお茶を飲みながらお話していた。
「この前、売店に面白い友人がやってきて」
「どうしたんです?」
やってきた友人というのは、リッツさんだった。彼が指輪との実験のために手袋を買いに行った時、シエラさんが応対したみたい。話が手袋をはめて紫のマナで線を書いたというくだりになると、シエラさんは私の方をニヤニヤしながら見つめてきた。
「彼にちょっと手助けしてあげたりしました?」
「……やっぱり、わかりますか?」
「紫のマナを使える方自体、だいぶ限られますから」
リッツさんの面倒を私の家で見ていた件について、彼女に話した覚えはないけれど、魔法庁絡みの情報が嫌でも耳に入る職場だけに、もう彼女の中では察しがついているみたい。
「なんていうか、野放しにしたほうが面白い人だとは思いますけど、お家的には大丈夫ですか?」
「大丈夫、だと思います。気が緩むと危なっかしいかもしれませんけど……」
今の話の件を除けば、彼自身色々と気をつけているみたいで、私としてはそこまで心配はしていない。けれど、何かと注目をされやすい立場にいるのは確かだから、もっと用心深くなったほうがいいのかもしれない……もう、あんな目に遭わせるわけにはいかないから。
彼が捕らえられた日のことを思い出し、少し気が沈んだ。リフレッシュにとティーカップに両手を伸ばすと、談話室の戸がゆっくり開き、戸の影から覗くように職員さんの顔が現れた。もう顔なじみになっている方だ。
笑顔で手招きすると、職員さん2人が部屋に入ってきた。同世代の男女だ。シエラさんは何も言わずに立ち上がり、2人のために茶を用意している。
4人でテーブルを囲んで座り、少し沈黙が続いたあと、少し年下ぐらいの男の子が話しだした。
「例の実験なんですけど、夏向けの装備は難しいですね」
例の実験というのは、実はお父様からの要請を受けてのもので、衣類に魔法陣を付与するための実験をこの半年ほどずっと継続しているみたい。この情報自体は機密なんだけど、私が外に漏らさなければ問題ないそうで……というか、むしろ聞いてほしそうに、みなさん快くお話してくれる。
「衣類としての応用性は薄手の生地がベストなんですけど、マナの密度が高まると生地が耐えきれなくってイマイチですね。重ねると干渉に弱いですし」
「厚手の生地で羽織物作るって案があったじゃん」
「うーん、相手にバレないようにインナーで仕込みたいじゃん? アウターはどうもさ……」
「状況に合わせて魔法を変えるなら、むしろアウター以外ないよ?」
お父様は、特に何かハッキリとした注文はしなかったみたい。どういった形でもいいから、とにかく衣類に魔法陣を仕込めればいいのか、あるいはこういった基礎研究を通して次につなげればいいのか。どういったお考えかはわからないけど、明確なオーダーがないおかげで、現場のみなさんは少し戸惑いながらも思い思いの方針で、自由闊達に研究に勤しんでいる。
ここの職員のみなさんは、どうやれば魔法陣を生地に展開できるかに興味があるけど、実際にどういう魔法を衣類に使いたいかに関しては、あまりパッと思い浮かばないみたい。そして、そういう意見を求めるため、私にランランとした視線を送るのだった。
「一番欲しいと思うのは、やっぱり
「泡膜だと、ちょっと負荷が大きいですね。やっぱ光盾ですか」
「光盾もちょっとね。継続・追随型だと、やっぱ持続的な負荷が大きいよ」
「やっぱインナーかなぁ。肌に近いほうが効率良く吸えるし」
私が話し始めたあたりでは緊張していた2人も、議論に熱が入ってくると途端に口がなめらかになる。いきおい私は話に混ざれずに、ちょっと無視されるみたいな感じになってしまうけど、それでもこういうお話は聞いているだけでも結構楽しかった。
ただ、シエラさんは話に混ざりつつも冷静で、私の方に結構気を使ってくれているのがわかる。あとのお2人が私の方に気がつくと、急にバツの悪そうな顔になって頭を下げられた。
「聞いているだけでも楽しいですよ」と私は笑顔で言ったけど、どうも気を遣わせたと思っているようで、申し訳無さそうな雰囲気のまま。運が悪いことに、この後予定が入っているので、なんだか気まずい空気の中で退出することになるかもしれない。
壁の掛け時計に目をやると、あらかじめ私の予定を知っていたシエラさんが助けてくれた。
「アイリス様だけど、待ち合わせの暇つぶしでここにいたの。もうそろそろですよね?」
「はい、そうですね」
「じゃあ、このへんでお開きにしましょうか」
「わかりました。あの、またお話聞かせてくださいね」
そう言って2人に手を差し出すと、2人は顔を見合わせた後かなり恥ずかしそうに手を伸ばし、ちょっと遠慮がちに弱々しく握手してきた。
握手を済ませた後、シエラさんにもと手をのばすと、「私はいいですよ」と苦笑いしてそっぽを向いた。仲間内ではかなりクールな存在と認知されているらしくて、こういうところで自分のキャラを崩そうとしないのが、なんだか可愛いって思う。今度、正直にそう感じたって打ち明けてみたら、どんな顔をするだろう。
部屋を出る時に少し名残惜しさを感じながら、頭を下げて辞去し、私は待ち合わせに向かった。
☆
12時、王都南西の林で。
セレナさんが放った矢は、寸分の違いもなく目標の猛禽に的中し、獲物は雷鳴のような金切り声と羽を撒き散らしながら地に落ち、やがて金に輝く硬貨になった。
王都近郊で魔獣の目撃証言があったということで、私はこうしてセレナさんと魔獣退治にやってきた。こういう依頼は、最近少し増えているみたい。目撃が散発的ということもあってか、さほど重い依頼とは捉えられていないようで、様子見を兼ねて少人数で遂行するケースが増えている。今日のこの依頼も、私とセレナさんのペアなら問題ないという判断で送り出されていた。
セレナさんの弓の腕前は、本当に洗練されている。弓は体格に合わせて少し小さめだけど、急所に当たれば皆同じと言わんばかりに、標的の弱点を正確に射抜き一矢で仕留めている。
ただ、当の本人は自分の腕前を鼻にかけることは決してなく、獲物を撃ち落とした後も、少し不安げにあたりの様子をうかがっていた。
「あの、1羽落としましたけど……大丈夫でしょうか?」
「……他の魔獣の気配は、今の所ありませんね。もう少し辺りを探りましょうか」
「わかりました……」
安全のためを思えば、ここで
他の魔獣の存在を探ろうと林の中を歩いていると、セレナさんがおずおずと私に聞いてきた。
「最近、こういう依頼が多くなっているみたいですけど……どうしてでしょうか?」
「噂で良ければ、お話しますよ」
私が知っているだけでも、それらしい説は幾つかあった。
まず、目の森の封印による影響。王都近くの”目”を封じられたことで、魔人側の動きに変化が起こったという説で、具体性のない憶測だけど、あの戦いによる何らかの影響は確かにあると思う。
次に、ネリーさんが受付に加わったからという説。これはラナレナさんが笑いながら教えてくれた説だけど、シルヴィア、ネリーの2人組の営業力が高すぎて、細かい依頼まで引っ張ってこれるようになったというもの。ネリーさんの個人的な縁で頼ってくるという依頼主も意外といるみたいで、そういう今までギルドに縁がなかった方々がちょっと細かな依頼を流すようになって、それなら自分もと新規の顧客が増えたんじゃないかというのがラナレナさんの解釈だった。これも有り得そうな話だと思う。
ネリーさんの思わぬ活躍に少し笑ったセレナさんだけど、すぐに表情を引き締めて静かに問いかけてきた。
「……何かの予兆ということはないでしょうか?」
「そうですね……」
この一連の魔獣出没は、連中の軍事訓練にしては規模が小さすぎるし、王都への牽制や嫌がらせにしても同様だった。それでも、何か意図はあるように感じる。下層の魔人の自己鍛錬に留まらない、何か上位の思惑が。
「何か目的はあるのでしょうけど、私にはちょっと」
「そうですか……」
それから林の中を歩き回り、もう1羽セレナさんが仕留めた。私は、本当に見ているだけだった。これで報酬なんて貰っていいのかな。かなり強い罪悪感を覚えてしまう。
2人であたりの様子を探っても、これ以上の気配はなかった。買ってきた昼食を採ってから帰還しましょうか、そう持ちかけたけど、セレナさんはかなり真剣な表情のまま動かずにいた。
それから何秒か経って、彼女は普段に似つかわしくない、ちょっと強めの眼差しで私を見つめ、言った。
「イーリスさん、私に魔法を教えて下さい!」
「えっ?」
「別に魔法を使えなくてもって、前は思っていたんですけど……」
そこから何かいいかけ、彼女は急にしどろもどろになった。なんとなく、サニーさんの影響かなって思ったけど、そのとおりだった。
「あの、サニーに教えてもらおうかと思ったんですけど、ある程度覚えてからのほうが……驚いてくれるかなって」
なんだか微笑ましいと思ったけど、私が教えるとなると紫のマナを使わないといけない。そうなると、身分を隠したことも明るみにしなければならない。だからって、いい加減な嘘で断って、彼女の申し出を無にするのは嫌だった。
考え、答えあぐねていると、セレナさんは急に申し訳無さそうな顔になった。
「あの、ご迷惑でしたか?」
「いえ……教えられるものなら教えたいです。このままでは、ただの報酬泥棒になってしまいますし……」
冗談交じりにそういうと、セレナさんは笑ってくれた。この笑顔がどうなってしまうのか、心配で不安で仕方なかったけれど、いつか知れることなら今明かすべきだと決心して、私は紫のマナを地面に刻み込んだ。
一瞬、時が止まったような気がする。それから、隣で息を呑むような音が聞こえ、恐る恐る顔を合わせると、セレナさんは両手を口に当てて驚いていた。
「ごめんなさい、偽名まで使って騙してしまって……私はフォークリッジ伯の一子、アイリスです」
「……」
「……大丈夫ですか?」
固まったまま動かない彼女が心配になって肩に手を置くと、彼女はビクンと体を震わせた。
「えっ、あ、あの……あのアイリス様?」
「ええと、そのアイリスです……」
「ど、どうしてこんな依頼なんか」
「……えーっと、それはその……あなたが誘ってくれたから、ですね」
正直に言って、それ以上の理由がなかった。ありのままの返答をすると、彼女はまた固まった。少しして、いくらか落ちついたらしい彼女が、こわごわと尋ねてきた。
「あの、私、何かとんでもない失礼とか」
「いえ、大丈夫です。逆に、弓術に感銘を受けたくらいです」
「あ、ありがとうございます!」
セレナさんは勢いよく頭を下げた。喜んでくれたのだろうとは思うけど、同時に少し距離が空いたようにも感じる。でも、身分を偽ったことへの非難がないことに、私は後ろ暗い安堵を覚えた。
顔を上げた彼女は、さっきまでよりは表情から強張りが抜けているように見えるけど、それでも緊張と戸惑いは見て取れた。
「ええっと……私のお誘いを、どうして断らなかったんですか?」
「笑わないでほしいんですけど、うまく友だちになれたら……って。ごめんなさい、偽名使ってまでやることではないですよね」
「……私と、ともだち?」
「いけませんか?」
私の言葉を信じきれていないようで、半信半疑という様子だ。でも、拒絶しようという感じはない。それが少し嬉しかった。
「お近づきの印に、魔法を教えさせてもらえませんか?」
「ご迷惑とかじゃ」
「一緒に、サニーさんを驚かせましょう?」
彼女の手を握って笑顔でそう話しかけると、彼女はちょっと戸惑ってから表情を柔らかくしてくれた。
「えっと、その、迷惑にならないようにがんばりますから、よろしくおねがいします」
「こちらこそ」
手を離すと、彼女はペコペコ頭を下げ始めた。嘘をついてしまった罪悪感は拭えないままだけど、少なくとも嫌われた感じはないようで、それは良かった。
ではさっそく、そう思ったところで先ほど紫のマナを使ったことを思い出し、もう透圏を使い渋る必要がない事に思い至った。セレナさんに少し待っていてもらって、地面に透圏を展開して追加の獲物を探る。幸い、討ち漏らしはなかったようで、林の中には私達2人しかいない。
あらためてセレナさんの方に向き直り、軽く頭を下げた。
「では、よろしくお願いします」
「は、はいっ!」
☆
17時、王都西区の孤児院、先生向けの談話室で。
ネリーさんに今日のセレナさんとの一件をお話すると、ネリーさんはニコニコ笑った。
「あの子の弓って、ほんとすんごいですよね。私もそこそこ自信はあるんですけど、あの子にはかなわないなって」
「ええ、私が知ってる中でも一番の腕ですね」
友だちを褒める時のネリーさんは、とても楽しそうだけど、少し寂しさも入り混じっている。
「最近、あんまり一緒に仕事できないのが……受付もやってるから仕方ないんですけどね。でも、ちょっとおいてかれちゃうなってのは、正直ありますね」
「でも、ネリーさんは要領がいいから、受付に慣れたらすぐ追いつけますよ。ラナレナさんもそう言ってました」
「だといいんですけどね~」
話題がそこで途切れ、ネリーさんはティーカップに手を伸ばそうとした。
「……彼氏さんとは、どうです?」
「いきなりぶっ込んできますね、ホント」
ネリーさんは、2人きりになってもそういう話を全然振ってこないので、そういう話題にしたいときは私から切り出すのがいつもの流れになっている。話すときはそこまで恥ずかしそうにしないから、別に言い出しづらい話題でもないんだろうけど……。
ただ、今日は少し言葉につっかえているみたい。
「うーん、言っちゃっていいものかどーか」
「言いましょう、私しか聞いてませんよ」
「ホント、こういう話好きですよね~」
「ふふふ」
ネリーさんは観念したみたいで、頬を少し赤らめながら話し始めた。
「こないだ、彼の実家に行きまして。山の方なんですけど」
「……ご挨拶ですか?」
「そーゆーんじゃないですって! いや、遊びのつもりもないですけど」
いつになく、ちょっと焦り気味のネリーさんが面白いけど、押し込むのも悪い気がして落ち着くのを待った。少ししてから、また彼女が話し出す。
「うーん、言っていいものか……まぁいいか。前の依頼の話になるんですけど……」
前に受けた依頼で色々あって、悪事に加担させられた孤児たちを衛兵隊が保護・更生させることになった時、ハリーさんの伝手でご実家――義理の家族らしいけど――が名乗りを上げ、こどもを3人引き取って暮らすことになったそうで……その依頼にはリッツさんも参加していた。
「初耳です……そんなことがあったんですね」
「やっぱり。言ってませんでしたね」
「……やっぱり?」
「彼からは言い出しづらいかなって。だから、私からも言うかどうか迷ってたんですけど」
その言い出しづらいっていうのが、最初はよくわからなくて、なんとなく疎外感とか過分な気遣いを感じてしまったけど、ネリーさんはそれは違うと訂正してくれた。
「なんていうか、自分で片をつけたい問題って、たまにあるじゃないですか」
「そうですね、それはわかります」
「この依頼も、彼にとってそうなんじゃないかなって。私もそうですもん」
「そうなんですか?」
「失敗したからってものありますけど、乗り越えたい過去ですね。自分でどうにかしたいんです」
「なるほど」
私にも、人に頼らずに自力でどうにかしたい出来事っていうのは、これまで何度もあった。そうやって意固地になっている時には、だいたいマリーが手伝ってくれたけど。
そういう気持ちだったのかなって思っていると、ネリーさんは優しい笑みを浮かべながら付け足した。
「それに、彼ってあー見えて結構オトコのコしてるトコロあるって言いますか。割と女の子にはいい顔したくて頑張るみたいな」
「……そうですね、わかります」
ふと、黒い月の夜を迎える前、彼が声をかけてくれたときのことを思い出し、何だか温かい気持ちになった。目を閉じて少し浸ってから目を開けると、ネリーさんはニヤニヤしている。少し、油断しすぎたみたい。
「気になりますね、なんです?」
「ええ~、ちょっと恥ずかしいっていうか……」
「言いましょう、私しか聞いてませんよ」
「うう~」
今度は私の番だ。いつもこちらから聞き出してしまってるという負い目があって、リッツさんには悪いと思いつつ、ネリーさんに色々お話してしまうのだった。
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