第98話 「獅子身中の虫」

 8月5日11時、フラウゼ魔法庁第一会議室にて。


 9時から始まった月一回の定例会議は、さして大きな議論もなく順調に進んでいった。

 フォークリッジ伯爵家による禁呪の越権的利用に対し、強硬な反応を示して当事者を確保したことは、規制派の多くをかえって冷静にさせたようだ。表面化していない部分では、まだ派閥闘争の火がくすぶっている感があるものの、表向きは各派閥が平穏を保っている。このような会議において、特に理由がなければ、火種を用意しようという者が現れないのも納得できる話だ。


「続きまして、9月に控えます各魔導師階位認定試験についてですが……特にご意見がないようであれば、細かな日程等の詳細は庶務課に任せる形になりますが、いかがでしょうか」


 議長を務める初老の職員が淡々と話す。特に何の問題もなく、定例通りの流れで済まされそうな話題ではあるが、ここで僕は動かねばならない。もしかしたら、各勢力のバランスに何かしらの影響を与えるリスクをはらんでいるが、それでもだ。軽く室内を見回し、誰も動かないのを確認してから僕は手を挙げた。


「では、室長。どうぞ」

「はい」


 議長に呼ばれ席を立つ。こういった試験について僕が発言することは、おそらく初めてだろう。卓を囲む面々からは、わずかだが驚きや困惑を感じ取れた。


「次の試験日程ですが、Eランクの前にDランクを持ってきてはいかがでしょうか」

「……ふむ?」


 議長は落ちついた様子で聞き返したが、他の職員からざわめく声が聞こえた。それを無視し、僕は自分の言を補足する。


「人材登用を目的とする立ち会いの方々から、先にDランク試験をやっていただき、その結果を以って行動したいという陳情を受けていましたので」


 ざわめきは更に大きくなった。

 僕が話した理由というのは、ある程度地位の高い職員であれば皆が知っている話だ。Eランク合格者よりもDランク合格者の方が即戦力として役に立つが、今まではEランク試験を先にやっていたおかげで、先にEランク合格者に対してスカウト勢が動かねばならず、先物買いにはリスクがつきものだった。より確実なDランク合格者の結果を待つか、先に手を付けられないようEランク合格者に声をかけるべきか、ということだ。

 実は、Eランク試験の後にDランク試験を行う理由は、もともとそうだったからという以上のものがない。そのためスカウトに動く者達の意見の方が、実際に合理的ではある。ただし、市井の意見で伝統を動かしてはならないという考えは魔法庁内で根強く、特に規制派では日程を固守する考えが支配的だ。

 そのような前提があったからこそ、規制派でも上位の幹部と目される僕が、民衆の意見になびいたのが衝撃的だったのだろう。会議に同席する職員は、多くが戸惑い浮足立っているように感じる。頑固で堅物というイメージが強い規制派の職員が、強く動揺をしている様子が視界に入ったときには、思わず憐れみを覚えた。


「室長、提案の意図を話してもらって構わないか?」


 室内がざわめく中、軽く手を挙げ議長の反応を待たず長官が僕に問いかけると、途端に室内は静かになった。遠くで何かの虫の鳴く声が妙に大きく響く。


 リッツ・アンダーソン絡みの一件以来、長官は庁内で大きく存在感を増した。外務が多く不在がちであったためか、魔法庁内部の特に規制派からは軽んじられてさえいた彼だったが、伯爵との会談1回であちらの譲歩を引き出した件が規制派に与えた衝撃は、決して小さくない。規制派内部ですら、あの確保をやり過ぎと見る向きがあった中、場をうまく収めた彼の手腕には助けられたと言う規制派の職員もいた。

 事が起こるまでは”事なかれ主義者”だの”風見鶏”だのと呼ばれていた彼だったが、僕自身もあの日彼と対峙して完全に印象が変わった。風聞とは違って、彼は”有事の人”だろう。


 会議室の上座に座る彼の表情は、いたって普通という感じだったが、僕に向けた視線には射抜くようなものを感じる。僕が、勝手にそう感じているだけかもしれないが。気が付けば、右の額から一筋汗が垂れている。僕は汗を拭い短く息を吸ってから、彼の問いに答弁した。


「市井の意見に耳を傾けて我々が対応し、その反響を検証するのも良いかと思いましたので」

「……なるほど」


 ここまで魔法庁は歩み寄る姿勢を見せずに、法の正義を高く掲げてやってきた。ここで一度、民衆にすり寄るような対応を見せ、譲歩策の効果を検証するというのは、体制の維持には良い提案だろう。

 室内の反応を見ると、規制派でも僕の案に対して意見が割れているように感じられる。規制派の中でも穏当な職員、あるいは知的な職員は賛同しているようで、これまでの規制派から方針転換するような僕の意見ではあったが、説明を受けて納得しているように見える。強硬派――つまり、僕がいいように黙認し、使ってきた連中――は、この説明でもかなり不安そうにしていたが。

 質問をしてきた長官は、表情を変えずにただ口を開いた。


「他には?」

「と言いますと?」

「受験者の都合も考慮せず、見物人の都合だけで日程を変えると?」

「……見物人へのアピールも、受験者が試験を受ける意図には含まれると存じますが。立身出世のための受験であれば、こうした多少の日程変更は、むしろ好意的に受け止められるかと」

「なるほど」


 実際、そういった目的で試験を受けるものは多い。より高位のランクになれば、今度は仕官目的で受験するものが相当な割合を占める。働き口確保のための受験というのは、魔法庁も受験者側も共通で認識していることだ。

 長官以外は、皆納得したように感じる。強硬派も、何か言いたそうな雰囲気ではあるが、言葉を飲み込んだようだ。肝心の長官は、机に視線を伏せ何か考え込んだ後に口を開いた。


「順番を変えるとして、EとDの試験日程を単に入れ替えるのか?」

「……詳細は庶務課に任せればよろしいかと思いますが、上旬予定のEと中旬予定のDを入れ替えれば良いかと」

「Dランク受験志望者から不満が上がるのでは? 1週間ほど、いきなり短くなるのだろう?」

「……毎回、中旬にDランク試験を実施してきたと言うだけで、中旬に実施していくと宣言したことはありませんので」


 僕の返答に、長官は苦笑いした。


「君の言ももっともだが……受験生のことを考えると、少しなぁ。議長、とりあえず入れ替えの案について多数決を取ろうか」

「はい」


 結果、賛成多数で入れ替えの案は無事に可決した。実際にDランク試験を早めるかどうかは、庶務課との協議しだいではあるが……特に気にする程度のことでも無いだろう。

 ただ、今日の提案を僕が行ったということで、魔法庁の内外で何かしら妙な動きをされる可能性はある。エトワルド候に今回の会議内容をお伝えし、外部からの支持も取り付けたほうがいいかもしれないな。



 同日22時、王都西方の”白き湖“にて。


 湖面に刻んだ藍色の”門”に向け、今日の会議の内容を語りかける。


「次の試験では、Eランク試験に先立ちDランク試験を行うよう誘導いたしました。例の作戦決行はDランク試験に合わせる所存です」

「ふむ」


 Dランク試験で騒ぎを起こし、DランクとEランク試験が立ち消えになれば、受験希望者の内いくらかは王都を離れる可能性がある。そうすれば、この先の仕掛けも活きてくるだろう。そう考えての今日の提言だったが、我が師にはさほど響かなかったようだ。


「例の異邦人は、Dランク試験を受けるのか?」

「リッツ・アンダーソンなる人物でしたら、次のDランク試験を受けるようだと部下から報告がありましたが」


 彼、リッツ・アンダーソンが異界人かもしれないということは、以前大師に報告してあった。門を通しての報告であっても、湖面から伝わる威圧感に首を掴まれたようで、結局隠し伏せておくことはできなかった。

 報告して以来、大師は彼に興味を持ったようだ。敵地に忍び込ませた僕を案じるよりも、どこの馬の骨ともしれない異邦人に興味を持たれているのが、どうにも癪で気に障って仕方がない。ただ、大師の持つ興味が殺意に寄っているのは確かで、それだけは同情した。


「試験時の騒動で確実に仕留めることは?」

「作戦の予定では、現場に我々の手のものがいませんので難しいかと……」

「……ふむ」

「今から作戦の人員を増やすのも、不確定要素を増やすようで好ましくないかと」


 潜入の大詰めになって工作員を増員するような下策は、さすがに考慮の外だったのだろう。水面が小刻みに揺れ、師が僕の言を一笑に付した。


「これ以上の増員はない。当日までに策を考えついたならば、その日のうちに報告せよ」

「御意」


 思いついたら……こうして話しに来いということか。そう思うと胃の底がズンと重くなった。そして、彼の始末にここまで拘る大師の姿勢に、少し疑問を覚えた。聞くだけ無駄かもしれない。普段なら聞かないだろう。しかし、何故か僕は、聞かずに済ませようという理性の制止を振り切った。


「なぜそこまでして、彼の始末を?」

「……ただ強いだけの王侯や貴族などより、不確定要素の大きい異界人の方がよほど脅威だ。策を打ち、他人を弄しようというのであれば、視界の外にも気を配らねばならん」

「……かしこまりました」


 何をしでかすかわからない奴に、自分の策を邪魔されたくないということだろう。確かに、僕の作戦を邪魔されてはかなわない、それは同意見だった。だからといって、都合よく始末できる策が用意できるわけでもない。彼の背後に伯爵家が控えているというのは、大変な障壁だ。

 少し間があいて、湖面が静かに揺れた。


「決行日は?」

「現在、協議中ですが……来月上旬になるかと」

「決まり次第報告せよ。他の人員はすでに準備に動いている」

「仰せのままに」

「話は以上だ、詰めを誤らぬように」

「御意」


 水面から波が消え、音もない静かな湖に戻り肩の力が抜けた。

 報告を終えるとすぐ後に、額から垂れた汗が湖面に落ちて小さな波紋を作り、思わず苦笑いした。じっとりとまとわりつく、少し暑い霧がなんともうっとうしい。

 こうやって報告にこの湖を使うのも、あって2、3回といったところだろう。その後は向こうに戻って……。

 あちらの生活を思い浮かべると、こちらで何も知らない愚鈍な連中に囲まれている生活のほうが、まだましかもしれないな、そう思ってしまった。難しい堅物の大師を上に、知人と呼ぶのもはばかられるような”同胞”に囲まれる毎日が待っている。そう思うと、湖から出る歩みは自然と遅くなるのだった。

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