第76話 「囚われの一日」
実際に牢に入れられたり留置所に入ったり、警察署で一夜を明かしたことがなかったから、牢というものに対しては漠然としたイメージしかなかったけど、入った部屋は意外と普通だった。家具としては、まずベッドと薄手のブランケット、それと引き出しのない机にイスがある。木の格子には少しホコリが見えるものの、中は掃除されているようだった。
部屋、いや牢ってこんなのだったか? と疑問に思い、格子の壁ごしに通路の見張りの方に視線をやると、目をそらされた。聴取の用意が整うまでの、控え室って扱いなんだろうとは思うけど。
しかし、いくら待っても話を聞きに来る様子は一向にない。椅子に座ってただ外の様子を観察する以外に、やることがない。
監視者は変わらなかったが、入れ替わり立ち替わりで職員の方が様子を見に来た。何人もの視線や表情から、色々な感情を受け取った。敵意とか同情とか興味とか……一番強く感じたのは、当惑だった。俺自身が感じているように、壁の向こう側の人たちも、俺にどう対応すればいいのかわかっていないような感じがする。
色々なものが曖昧なまま、時間だけが刻々と過ぎていき、やがてお昼時になった。見張りの方から、格子の隙間を通して何か紙を渡された。出入りの飲食店がやってる出前らしい。頼んでいいってことなんだろうけど、ますます自分の扱いがわからなくなる。それまで黙っていたが、思い切って声をかける。「あの」と呼びかけると、見張りの方は少し驚いてからこちらを向いた。
「……昼食代は、あとで請求されますか?」
「そのはずです」
「それで、このあとどうなります?」
「……私に聞かれても」
嘘かどうかはわからない。でも、なんとなく、本当に知らない――知らされてない――ように感じる。渡されたメニューを見ながら、ハンガーストライキでもやろうか、そんな考えが脳裏に浮かんだ。しかし、相手からどう思われているかわからない状況で、変に心証を悪化させるのも考えものだ。思い直して、メニューの内一番安い弁当を頼んだ。
昼食をとってからも、何も変わらなかった。聴取の様子すら無い。入れ替わりで見に来る方たちも、やっぱり午前中と似たような感じだ。明確な敵意を向けられたほうが、逆にわかりやすくて安心するくらいだった。
この人達は、俺のことをどうすればいいか本当はわかってないんじゃないか、そんな思いにとらわれる。あるいは、聴取ってのはただの口実で捕らえておくのが一番の目的だったんじゃ。それにしたって、ただここにおいておくだけってのは意味がわからない。裁かずに、拘束を続けるつもりなんだろうか。
俺に向けられる表情に、戸惑いとか困惑を感じると、俺の方にも同じ感情が湧き上がった。先が知れない恐怖に身が震える。こうして何もわかってないのが末端の人々だけであってほしい。そう望んだ。上の方まで、どうすべきかわかってないのだとしたら……。
日が沈んできた。午後から交代した見張りの方に、また出前の紙を渡された。昼と同じ質問をすると、やっぱり同じように返された。はぐらかすような感じはない。本当に知らないようだ。
「いつまで、こうされてるんです?」
「……」
「出前屋は客が増えて助かるでしょうけど」
皮肉をぶつけても、特に反応は返されなかった。強いて言えば、俺を見る視線に少し哀れみが混ざったぐらいか。
味のしない夕食を片付け、食事用の出入り口にそっとお盆を置いた。粛々と片付けられる。こっちの本題はいつまでも片付かない。高いところにある、格子のはまった窓からは真っ黒な空が見えた。曇りだから星も月もないだろう。
夕食の後、また見張りが代わった。たぶん、就業時間が過ぎたんだろう。ここからは夜勤帯になるんじゃないか。だとしたら、たぶん今日は取り調べなしだ。明日もそうなのかもしれない。俺の扱いが宙ぶらりんなまま、ただ無為に時間だけが過ぎた。
頭の中で、あるケースを考えた。俺を捕らえに来た人も含め、魔法庁の上の方に至るまで俺の扱いに苦慮しているなら、確たる処遇を決めかねているなら……魔法庁は一枚岩じゃないと前に聞いた。今回の俺の確保が、一部の先走りによるものだとしたら、俺は法じゃなくて人に裁かれることになるんじゃないか。だとしたら、俺の扱いに正当性なんてあるんだろうか。
寝床に身を横たえながら考えにふける。ベッドは思いのほか柔らかい。硬ければ、まだ納得できた。丁重なようでいい加減な俺の扱いが、本当に混乱させた。
寝ながら、雲に覆われた夜空を見上げる。格子で区切られた真っ黒な空には、何も見えなかった。
考えても仕方ない。目を閉じて、気分を落ち着けようとすると、生前の幸せなイメージが思い浮かんだ。このまま溺れることになんとなく恐怖を感じて、頭を振って甘い記憶を追い払った。
あの家の方々が――お嬢様が――たとえ法を犯したとしても、背負った権限を逸脱するようなものじゃなかったっていう話だった。あの判断のおかげで助かった方もいるはずだ。ギルドだって認めているはずだ。ずっと、不安に苛まれる時間が続くわけじゃない。弱気になっちゃダメだ。
あの日、お嬢様に面と向かって気持ちをぶちまけた日みたいに、強く気を持たないと。魔法庁だけじゃなくて、こっちにも信じるものはあるんだ。そうやって自分を鼓舞して、俺はわからない先行きに対する恐怖や不安と戦った。
☆
日没後、玄関から呼ぶ声が聞こえマリーがそちらへ駆け寄ると、少し背が高い女性が立っていた。
少しラフな格好をしている彼女だが、冒険者の出入りが珍しくないこの屋敷では、ごく普通のありふれた装いでもある。
初めて会う来客にマリーは恭しく頭を下げ、「はじめまして、ご用件を承ります」と言うと、相手は胸から身分証を取り出した。持ち手のマナを受けて青く輝く紋章は、持ち主が魔法庁の職員であることを示した。そして、紋章についた飾りを読み取り、マリーの微笑が固まる。
「フラウゼ魔法庁長官補佐室、次長のエルメルフィ・ファムスと申します。火急の件につき参りました。フォークリッジ伯にお取次ぎ願います」
「……かしこまりました、ご案内いたします」
事態の深刻さを感じ、つとめて冷静に振る舞うマリーだが、相手の表情もかなり硬い。抑えきれない緊張感のなか、マリーが応接間へ案内した。
「こちらでお待ち下さい」と言ってマリーが案内した部屋は、貴族の屋敷の応接間という基準に照らせば、いくらか地味に感じられるぐらいに装飾が抑えられている。落ち着いた雰囲気で歓談するには良い空間だ。
部屋の雰囲気から浮いて見えるくらい、ピリピリした空気を漂わせて、次長はソファに腰を下ろした。怜悧な顔立ちの彼女だが、表情は緊張で硬くなり、どこか不安げですらあった。
彼女が何回か深呼吸を繰り返していると、ドアが3度ノックされた。「どうぞ」と声を描けると重いドアが開き、家主と従者が姿を表した。席を立って礼をする次長に、伯爵は一言、「掛けなさい」とだけ静かに言った。
マリーがテーブルに手際よく茶の準備を整えて退出すると、残った2人の間に緊張が走った。次長が強く目を瞑り、目を開けてから用件を述べる。
「先般の戦いにおいて、複製術を認可外の用法で行使した件につき、聴取のため本庁がリッツ・アンダーソン氏の身柄を確保いたしました」
わずかに声を震わせながらも、彼女は言い切った。伯爵は何も答えない。握る手にじわっとした汗を感じながら、次長は返答を待った。
「違反があったことは認めるが、当家の監視対象である森の中の戦闘であれば、我々に与えられた権限を逸脱するものではないはずだ」
「……閣下が複製術の許可申請をされた際、用途として教育目的とありました。教育者たる閣下の監督下での行使を前提としており、不在時にまで使用するのは承認の趣旨に反すると」
「国が目の森の監視者を私の娘に定めた際、私と同様の権限を持たせるように国に認めさせた件は、そちらが知らないはずはあるまい」
指摘を受け、次長は生唾を飲み込んだ。両膝の上においた手の震えをなんとかこらえ、伯爵を正面から見据えて答えた。
「魔法庁は国際的な枠組みにおいて機能しており、各国が独自に定める法とは別の体系で魔法の使用を管理しているため、魔法庁による禁呪の制限は国の干渉を受けないというのが、本庁の判断です」
彼女の返答を受けて、今度は伯爵が一瞬固まり、絶句した。
彼女の言った内容はつまるところ、魔法庁はいかなる場合に置いても、魔法の管理全般において絶対の力を持つと言っているのに等しい。例外があるとすれば、魔法庁の上に立つ組織か、あるいは世界各国を統合するような連合体を相手にしたときぐらいだ。
普段は冷静な伯爵も、彼女の言に少し動揺し、一度深呼吸をしてから発言の意味を問う。
「今までは、少なくとも戦地での運用においては、国や当事者優位という判断で一貫していたはずだ。それを今になって改めると?」
「……そのような考えの一派が、大勢を占めています」
「一国で収まる話とは考えていないだろう? 互いのために設けた緩衝地帯に一国の魔法庁が手を入れて、国を超えた騒動を引き起こすと言うのか? あなた方に、それを収められると?」
伯爵は可能な限り、抑えた声音でゆっくりと問いかけた。次長は、問いには答えられなかった。ただ、唇を真一文字に引き結び、テーブルに視線を落としている。
少しの間沈黙が続いた後、伯爵は静かに言った。
「私達が退くと、あなた方は考えているのだな」
「……申し訳ございません」
「彼は無事か? 身柄を確保というのは、具体的にどのような状態だ?」
「前例にならい、禁呪使用者相当の扱いとなっています」
返事を得て伯爵はソファーに深く身を預け、長い溜息をついた。
「それなりの扱いということだな」
「はい。ですが、身柄を拘束したことには変わりありません」
「捕らえただけか? 尋問などは?」
次長は目を閉じた。そして、胸いっぱいに息を吸い込み細く長く吐き出すと、意を決したように話し出した。
「彼の確保をした時点で、目的は達成されましたものと考えられます」
「というと?」
「貴家への牽制が第一、第二に現在不在の長官が明日戻られますが、戻られた際にこの件の対応を迫り、結果いかんで彼を追い落とそうという画策があります」
「政争の火種か」
「……はい」
苦々しい一言を絞り出し、彼女は茶を口に含んだ。伯爵もそれに合わせる。話が途切れ、茶器の立てる音だけが小さく響いた。
今日何度目になるかわからない深呼吸の後、次長は口を開いた。
「長官が戻られてから、貴家へ何かしら接触があるかと思われます」
「……了解した。ところで、今回の訪問は非公式なのか?」
「なぜ、そう思われますか?」
「服を見れば、なぁ」
若干口調を崩して伯爵は言った。そうやってわずかに親しみをのぞかせると、次長もほんの少しだけ体のこわばりを解いた。
「ご賢察の通り、私の独断で参りました」
「何か理由は?」
問いかけに対し、彼女は手をギュッと握って、敢然と言い放った。
「本庁では貴家に対し、功績のため法をないがしろにしたという声があります。しかし私には、正当な手続きを踏まず彼の拘束に踏み切った我々もまた、同様の誹りを免れないと思われます」
「なるほど」
「それと……」
言いかけて、彼女はためらった。伯爵は先を促したりせず、静かに目を閉じて待った。
「……あの戦いでは、私が魔法を教えた者も参戦しました……いえ、毎回何人か参戦しています。今回はみんな怪我一つなく無事で、私にわざわざ戦勝報告までしてくれました」
「そうか……」
「個人的な恩で動いたと言えばそれまでですが……せめて、事態の報告だけでもと」
「ふむ。しかし、きみは1つ思い違いをしているな」
予想外の反応に、次長は少し呆気にとられたような表情になり、伯爵の言葉の続きを待った。
「感謝する相手は、私ではないよ。感謝すべきは私の娘と、我が家の従者と、囚われの彼だ」
「……はい」
「用件は終わりかな」
「はい。お時間を取っていただきありがとうございました」
2人とも立ち上がり、部屋を後にしようとしたところで、伯爵は口を開いた。
「”最強エリー”とか”無敵のエリー”とか言われるきみと、もう少しお話がしたいものだったが」
「なぜ、その名を?」
「前線拠点で教練しただろう? あそこの将官から一兵卒に至るまで、きみの通り名を知らんやつはいないよ」
エリーは顔を伏せて、両手を力の限り握った。押し黙った後、口を開いて一言一言、絞り出すように声を震わせながら言った。
「このような形で、お会いしたくはありませんでした」
「同意見だが、生きていればこういうこともある。私もきみも、明日から大変だろう。気を強く持ちなさい」
顔を上げたエリーは、わずかに瞳を潤ませながら伯爵に視線を向けた。彼は穏やかに笑った。
「状況を教えてもらっても、身動きはとれないが……それでも心の準備ができるのはありがたいし、我々を想ってくれている方がいるのは励みになったよ。ありがとう」
「私だけではありません。勢力としては木っ端のような派閥ですが、現場の感性を持つものもいます。私は、彼らの代表です」
「そうか。よろしく言っておいてくれ」
「はい、必ず」
別れの挨拶を済ませ、少し一人になりたいと言う伯爵を部屋に残し、エリーは退出した。
部屋を出た先の通路には、マリーが控えていた。屋敷入り口まで彼女が案内する形で、2人は歩く。互いにある程度まで相手の事情を察していながら、なかなか会話には踏み切れずに様子をうかがうばかりだった。無言のなか、硬い足音だけが長い廊下に響いた。
入口前の広間に差し掛かったところで、先を行くマリーが立ち止まって向き直り、客人に問いかけた。
「魔法庁から、リッツ様にも何か行動を起こされましたか?」
「……はい。現在、我々の方で彼の身柄を預かっています」
一瞬ためらってから、エリーは素直に答えた。返答に対し、マリーは大きな動揺は見せなかった。ある程度そういった事態は想定していたかのように。
マリーは胸に手を当てて瞑目し、少し考え込んだ後に、エリーに視線を合わせて言った。
「彼に合わせていただけませんか?」
「……伯爵家使用人としてではなく、王都在住の一個人として、でしたら」
「心得ています。こちらでお待ちいただけますか?」
エリーが首肯すると、マリーは「ありがとうございます」と情感のこもった声で言い、通路の奥へ駆けていった。
待つこと数分。通路の奥から駆けてきた姿を認めて、エリーは驚いた。駆け寄ってくる少女の服装は、自分と似たような冒険者然としたもので、服も帽子も中性的というかどちらかというとボーイッシュな装いのようだ。
そして……髪が短くなっていた。肩より下まで伸びたつややかなミディアムロングだった髪は、今や雑に切りそろえられたボブカットになっている。知り合いでも、一瞥しただけでは別人に感じるだろう。
「お待たせいたしました」と言うマリーに、エリーはすぐには言葉を返せずにいた。相手の表情からは感情を読み取れない。整った顔の下に様々な感情を押し込めているように映る。ただ、決然とした強い目の光だけが、心の内を訴えているようだった。
「行きましょう。面会までの段取りは道すがら」
「はい、ありがとうございます」
外に出ると、辺りは真っ暗だった。マリーが外泊することに関して、伯爵も婦人も承知済みなのだろう。あるいは、その程度のことはもはや問題ではないのかもしれない。
二人は王都まで歩いていく。互いに重ねる言葉は、あくまで事務的だった。
暗い先行きの中、言葉を交わして段取りを組み上げ、二人は王都の灯りへ近づいていった。
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