第64話 「お嬢様の社会見学」

 6月13日、朝8時。私は今、魔導工廠の前にいる。

 リッツさんのアドバイスに従って、一人でいることに慣れてそうな子を……そう考えて思い当たったのが、ここで働いてるシエラさんだった。私みたいなのでも知っているくらい、彼女は有名人だ。

 個人的に仲良くなりたいという以外にも、彼女が研究しているホウキに興味があって、以前からなんとかお話できればって思っていた。順番が前後したようだけど、ちょうどいいのかもしれない。

 ただ、拒否されたらどうしようという不安は、やっぱりある。


 いえ、悩んでいても始まらない。深呼吸をして工廠に入り受付の方に尋ねると、彼女は売店で店番をしているそう。他にお客さんがいなければ、気軽に話しかけられる。

 そう考えると今日は運が良かったみたい。運が向いているからと、自分を少し鼓舞してお店に入る。


 店に入ると、お客さんは他にいなかった。やっぱり運がいい――お店には悪いけれど。

 私の入店に気づいた彼女は、少し気だるそうな雰囲気で頬杖をついていたのが一変、急に背筋を伸ばした。

 できれば、そのままでいてくれた方が、気張らずにお話できたかもだけど……。

 気を取り直して彼女の前に立って話しかけようとすると、私より先に彼女が口を開いた。


「……えーっと、伯爵家のお嬢様ですよね?」

「……はい」

「それは……変装ですか?」


 今日の服は帽子からボトムス、靴に至るまでちょっとボーイッシュな感じで固めてあって、マリーに言わせると「多少注目されても、すぐには身バレしません」ってことだった。後で報告してあげないと。


「よく私だってわかりましたね」

「いえ、有名人ですし……ご用件は?」


 ”あなたとお話したくて”とは言い出しづらい。見た感じ少し緊張しているようだし。かと言っていきなりホウキの件を切り出すのも、ちょっと。

 とはいっても、彼女に使える話の引き出しがなさすぎて、結局はホウキの件しか無いことに気づいた。

 私が話題に悩んでいると、彼女もやっぱり落ち着かない様子だった。なんだか気まずい空気のなか、私は用件を切り出す。


「あなたが研究しているホウキに興味があって……乗せてもらえたりとか」

「申し訳ありません。御身に何かありましたら、責任を持てません」


 それまで緊張していた彼女だったけれども、断る時はとてもキッパリしていた。何度も練習した文言みたいに、断るときの口調に一切のブレがなかった。

 彼女の立場を考えると、やっぱり仕方のないことなのかな。あまり諦めたくはなかったけど、私の立場を利用して、無理に押し込むのは嫌だった。

 それでも、他に何かお話を……そうして話の内容を考えようとしたところ、ここが売店だということを思い出した。このままだと、かなり嫌なお客さん――未満?――で終わってしまう。

 そこで、私は彼女に一礼をした。とりあえずはお買い物を楽しむことにして、それにかこつけてお話しよう。

 迷惑に思われなければ、だけど。


 ここに来るのは三回目になる。ギルドの会員証を作った時に少し案内してもらったのと、初仕事の前にちょっとした道具を調達したので二回。どちらも、あまり時間をかけて見て回ったわけじゃなかった。

 小物をなにか買おうかと思って文房具のコーナーに行ってみると、少し楽しげな一角があった。似顔絵用品ということで、ちょっとした企画をやっている。

 そう言えば、リッツさんに闘技場での訓練の話をしてもらったとき、視導術キネサイトで似顔絵を描いたと聴いた。それが冒険者の方々の間でちょっとしたブームになっているみたい。

 並んでいる商品は、一見すると絵画に無関係に思えるものもいくつかある。

 例えば、ペンにつける重り。これは、視導術でペンを操るときの負荷が増せば、逆に熟練者にとってはペンのコントロールがやりやすくなるという意図の品で、意図するところは私にもよくわかる。

 他には、ペンに巻きつけることでマナの流れを阻害し、逆にペンの濃淡のコントロールをやりやすくするという布だとかが陳列してある。

 どうも、トレーニングの負荷を上げつつ、うまく似顔絵を書くのが目的になっているみたいなコーナーで、言っている内容はよく分かるし、とても楽しげだった。

 また、ここの職員さんどうしで描きあった感じの似顔絵がいくつか飾ってある。どれも妙に上手だった。

 私は負荷用の重りや布に、予備のペンと紙が一揃いになった初級者セットを手に取った。これで、誰か新しくできた友達の似顔絵を描こう。お友達ができるまでは、庭のデッサンでもしようかな。


 買いたい物ができたので、さっそくカウンターに向かうと、シエラさんと目が合った。私が商品を選んでいた間、ずっとこちらを見ていたのか、彼女は少しきまりが悪そうな顔になって、少し顔を横に向けた。

 私はカウンターに商品を置いて、彼女に話しかける。


「お客さんには、顔を合わせないといけませんよ?」

「そうですね、失礼しました……それにしても、こういうのを買われるのは意外です」

「こういうの?」

「流行り物と言いますか……」

「庭の絵を描くのに、ちょうどいいかなって思ったんです……あそこに飾ってある絵は、あなたも描きました?」

「はい……ここに店員で入る者は、全員一枚描いてますよ」

「絵心あるんですね」


 素直にそう言うと、彼女は私の顔をじっと見つめてきた。会計の途中なんだけど……何か言いたいことがあるのかなと思って、そのまま待った。

 それから少し経って、真剣な面持ちの彼女が問いかけてくる。


「実戦でもリーフエッジを使われてると聞きましたが、本当ですか?」

「ええ……他の剣が少し重く感じるので」


 私はリーフエッジ――適切なマナの扱いと剣術を磨くための、訓練用の剣――を実戦にも用いているけど、他の剣が苦手というのは変わりなく、認めるのは少し恥ずかしい。

 でも、彼女の質問の意図は別にあるようで、そのままの表情で何度か瞬きしている。


「……ホウキの件ですが、イメージされてるのとは大違いの、本当に安全第一で子供だましレベルなものでよければ、試乗していただく用意は、ないわけではありません」

「本当ですか?」


 思わず声が弾む。最初から自由に飛ぶなんて望んでいなかったから、こうして提案してもらえただけでも、すごく嬉しい。

 そうした私の反応を受けて、彼女も少し表情を柔らかくした。


「日取りは、明日か明後日ではどうでしょうか?」

「……申し訳ありませんが、先約が」


 明日はリッツさんとDランク魔法の訓練を早朝から開始する予定になっている。彼の上達次第ではあるけれど、きっと明後日も……。

 いえ、数日間似たような訓練を繰り返す可能性が高いから、そちらを優先するとなると、このホウキの件は諦めざるを得ないのかも。

 その旨を彼女に伝えると、少し苦々しい顔で考え込んでから、「少し待って頂けますか」と彼女は店を出てしまった。

 お客一人残して、防犯上大丈夫なのか心配になったけど、工廠の受付の方に用があったみたいで、少し話し合った後すぐに戻ってきた。

 どうやら、代わりを呼んでもらうみたいで、なんだか悪いことをした気がする。彼女は、そんな私の気持ちを感じ取ったのか、「お気になさらずに」と苦笑いしながら言った。


 先にお会計を済ませ、買った品物をかばんに入れると、店員を代わってくださるという職員の方がやってきた。私達と同世代の男の子だ。

 走ってきたらしく、息切れしている彼を見ていると、ますます無理言って悪いことをしたように感じてしまう。

 しかし、私の方を見上げた彼は、どういう訳か目を輝かせている。


「……マジで、アイリス様?」

「マジだって。あとで話聞かせてあげるから、お願い」


 上を向いて目を閉じた彼は、息切れを落ち着けてから「ごゆっくりどうぞ」と私たちに言った。

 彼に頭を下げると逆に下げ返され、少し戸惑いつつ「ありがとうございます」と一言残して、私たちは店を後にした。


 店を出てから、シエラさんが工廠の中を案内してくれることになった。

 私の希望があったとはいっても、単に規制品のホウキに貴族の娘を乗せましたというのでは少し問題になる。

 そこで、今日のところは工廠の見学に来たという体裁をとって、その中でちょっとした”実験”も体験してもらうという流れになるみたい。


「まずは、入館証を発行します。受付へお願いします」


 向かった先の受付の方は、私よりも何歳か年上に見えたけど、先に会った彼と同様に少し緊張しながらも、私に向けた視線になにか羨望のようなものが見え隠れする。彼女は少しそわそわしながら、発行の準備を進めた。

 まず、刻名の儀と同じような要領で、用意してもらった入館証に紫の光を刻んでいく。受付の方は、その紫の光をうっとり眺めながら、カードの端の穴に紐を通して端を結んだ。これを首にかけるみたい。


「今日一日はこの入館証で、一部の部屋を除き出入り可能です。お帰りの際には、またこちらまでよろしくおねがいします」

「はい、わかりました。ありがとうございます」


 頭を下げると、やっぱり恐縮された。それだけならよくあることだけど、私に接する他のみなさんの応対と違って、ここの職員の方からは、どこか高揚感というか……フワフワした感じが見て取れる。

 私へのそうした応対が少し気になりつつ、シエラさんの案内で受付を後にした。

 受付脇の階段を登ると、白い壁と床で囲まれた少し広めのロビーがあり、進んだ先に向かい合う二つの、うっすら虹色に光る魔法陣が見える。一目で侵入者対策だと思ったけど、やっぱりその通りだった。


「許可なしで通り抜けたって話は聞かないですね。通る時は入館証を手で掲げながら通ってください」


 先に彼女が見本を示してくれた。魔法陣と魔法陣の間に立ち入ると、魔法陣同士で光る白い粒子のやり取りが始まり、やがて通路の向こう側の魔法陣が消えた。彼女が消えた魔法陣をまたぐと、消えた魔法陣がまた現れる。

 少しドキドキしながら、私も同じように魔法陣の間に入った。粒子には、触れてもどうということはなかった。

 どういう仕組なんだろう。目を凝らして魔法陣を確認しようとするけど、おそらくはそういう”解析”対策が施されているのか、器も文も揺らいで見えてよくわからない。

 やがて、道を塞いでいた方の魔法陣が消えたので、素直に前に進んだ。


 窓がない通路を進むと、また階段があった。この二階は事務方の部署で使っているそうで、研究開発は三階より上で行っているとのこと。

 少し硬い質感の真っ白な階段を登って三階に着くと、通路は先ほどと同じように白い壁に床で窓もなく、とても殺風景だったけど、雰囲気は全然違っていた。通路の壁という壁に、張り紙が無造作に貼り付けてある。

 それが気になった私は、シエラさんに断って、それらを確認させてもらった。見てみると、研究が行き詰まったから知恵を拝借したい、みたいな内容の張り紙が大半だった。


「仲間内では"依頼"と表現していますが、他の部署の者が通りかかった時に、目を通して助けてくれれば儲け物だ、みたいな感じで貼り出してます」

「研究にも、やっぱり部署が色々あるんですね」


 通路を進みながら、彼女は工廠の組織構造について解説をしてくれた。

 まず、外部との交渉に事務とか運営全般を担う総務部。ここがないと工廠が立ち行かないということで、研究に携わるどの部署も、ここには頭が上がらないみたい。

 ただ、総務部から見ても、研究職の方々はとんでもないエリートなので、憧れのようなプラスの感情があるそう。そうしたお互いへの好感から、とても良好な関係を築けているみたい。

 研究の方は四つの部署に分かれていて、武器防具を担当する軍装部。家庭用品、特に炊事関係を担当する家政部。文具や小物類などを担当する雑貨部。最後に、分類不能な色々を担当(?)する雑事部。

 それで、シエラさんは雑事部所属。


「雑事部は……本当に色々と手掛けています。他の部署の研究にも関わるような、基礎研究も多いですね。”依頼”の解決数も、雑事部が突出しています。暇人か変人しかいないとは良く言われますが」


 彼女は、やっぱり世間的には”変人”なのかな。指摘するとさすがに失礼すぎるので言わないでおいたけど……先の話をしている彼女は苦笑いをしていたから、私がいちいち言うまでもなかったのかもしれない。


 通路を進んで四階に上がり、また少し進んで雑事部の研究室にたどり着いた。通路は他の部署よりもキレイで、依頼の張り紙は少ない。自分たちで片付けているのかな。

 さっそく部屋へ、そう思ったけど彼女は少しためらっているように見える。


「……同僚は、皆いい奴ですが」

「ですが……?」

「お嬢様視点だと……少しうっとうしいかもしれません」


 そう言って彼女は、困ったような苦笑いをしつつドアを静かに開けた。

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