第20話 「理想通りには行かないけれど」

 7班の2人を送り出してから数分後、浮ついた期待感すら漂い始めた本陣に、水を浴びせるような事件が起こった。


「4班より急報! 1名負傷した! 現在意識を失っている!」


 8班の司令塔の声に、場が一瞬静まり返る。しかし、すぐに幾人かが、次の指示より早く動き始めた。


「救援、入れ替え要員! 出撃準備整え、別命あるまで待機! マリーさん、索敵頼む!」


 言われるよりも早く、司令塔のもとに駆け出したマリーさんが、透圏トランスフェアを作り出す。

 お嬢様は、直径1メートルぐらいで作っていたこともあった。マリーさんが今作っているのは、それよりも大きい。一瞬でも気を抜けば壊れそうになる透明な半球を、震える両手で必死に押さえつけているように見える。

 半球のそばに控える方が、必死の形相で数多の光点を睨みつけ、何枚も用意した地図の1枚に救出ルートを書き込んでいく。そうやって急ピッチで作り上げた地図は、救援部隊に手に渡った。


「4班、周囲に敵はない! その場で待機、すぐに救援と交代を向かわせる!」


 先方への連絡が終わり、司令塔の「出撃!」という号令とともに、救援部隊が疾走する。

 すると、マリーさんは糸が切れた人形のようにその場に膝から崩れ落ちた。右の目尻と鼻から、かすかに血が流れている。また静まり返った中、誰かが「すげぇ……」と、小さな声を漏らした。


「7班への連絡は」誰かがそう言うと、司令塔とその周囲の、各任務代表者で協議が始まった。

 7班はまだ魔人とは交戦していないため、命令系統で最上位にいる。4班は救援最優先で、まず8班に伝え、8班は7班への連絡をせずに救援に走らせた。ここまでは班に与えられた裁量の範疇だ。争点になっているのは、魔人との対決に向かった彼女たちに、知らせるべきかどうかだ。


「連絡してください」ハンカチで血を拭いながら、マリーさんが言った。「しかし」と、8班の救護責任者の方が抗弁する。


「このようなことを伝えて、せっかくの好機をフイにするというのですか?」

「お嬢様は……剣を握られたならば、状況を見誤ることはありません。必ず、魔人と戦われます。それに、後から伝えるのは、重大な裏切りです」

「しかし」


 言いかけたところで、彼は言葉に詰まった。先ほど崩れ落ちた人と同一人物に見えないくらい、今のマリーさんには気迫に満ちている。


「あなたがたが、あの方を敬い崇める気持ちの中に、信頼は露ほどもないのですか」


 その言葉が決め手になったのだろう、連絡を控えようという意見は消えた。元から腹が決まっていたと見える司令塔は、マリーさんに力強くうなずいた。

 そして、その場の皆に言い聞かせるように、彼は落ち着いたよく通る声で連絡を始める。


「8班より7班へ」

「こちら7班、どうぞ」

「4班で負傷者発生、現在意識不明。4班を待機させ、救援と交代要員を向かわせました」


 ほんの少し間が空いてから、先と変わらない声で返事が帰ってくる。


「了解しました。この件に関しては8班に委ねます。全体の作戦は続行します」

「かしこまりました、ご武運を」


 連絡が終わると、また静かになった。負傷がどれほどのものか、そちらに意識が移っているようだ。救護班が応急処置のために草の上にシーツを敷き、道具を揃える様子が見える。


 4班が森の外に近い箇所で戦っていたのが幸いし、救援を出してから程なくして部隊が帰ってきた。

 そして、負傷者の姿が視界に入る。右袖は引っかかれたと思われる跡がつき、腕ばかりでなく脚までも血で染まっていた。顔が妙に赤い。


「瘴気が回っている可能性がある、ここの装備じゃ対応しきれん!」


 血みどろになりつつ、二人で肩を貸して運んできた、救援係の一人が叫んだ。


「では、お屋敷へ?」

「あたりまえだろ! このままじゃ、コイツ死ぬぞ!」

「外部連絡!」


 救援の方の叫びに、司令塔がそう答えると、騎手が馬に乗ったまま怪我人の元へ寄ってきた。


「絡げ紐つけてから、せーので上げてくれ」


 馬から降りた騎手と怪我人をハーネスでくくりつけると、待機人員の中でも屈強な方が集まって、掛け声とともに馬上に押し上げる。


「届けてからの帰還は?」

「まだ一頭いる。奥様の命があればそちらに従うように。なければ屋敷で一緒にいてやってくれ」

「了解した」


 そう返すと、騎手は馬を駆って屋敷へ向かった。負傷者を見送ることしかできなかった救護担当の女性が、膝をつき両手を合わせて祈っている。閉じた目尻には涙が見えた。


 そんな一幕があって、場はまた静かになった。好調という認識を疑わせる格好になったものの、司令塔が7班以外の様子を確認したところ、まだ各班順調のようだ。

 被害があった4班も、1つの群れと交戦中、運悪く背後にもう1団現れ、対応が後手に回った結果ああなったということらしい。


「マリーさん、透圏はまだいけるか?」

「救援用に高精度のものは……もう難しいかと。申し訳ございません。大まかな確認用は、少し休ませていただければ」

「ありがとう。今のうちに霊薬を」


 やり取りが終わると、マリーさんは補給物資のところから350mlぐらいの瓶を受け取り、栓を開けてラッパ飲みを始めた。

 そんな所をぼんやり見ていたら、頬に冷たいものが触れた。振り返ってみると同じ瓶だ。


「兄さんもどうだい」

「えーっと、なんですコレ」

「霊薬だよ、これでマナを補充するんだ、知らないのか?」


 少しひょろながの男性が話しつつ、犬がいる穴の方を指差した。


「兄さんがやったんだろ、アレ」

「いや、知らないですね」

「7班にいたのは、みんな知ってんだよな~」


 秘密でやってた作戦だったけど、ここまで来ると隠しきれないだろう。

 観念して周りを見渡すと、みなさんいい笑顔でこちらを見ていた。話し掛けてきた彼も。


「よくわからんけど、お疲れさん。この後どうなるかわからんからさ、今のうちに飲んどけよ。けっこうイイ銘柄なんだぜ?」


 霊薬ってのがなんなのかは、良くわからない。でも、味を見ながらだったら大丈夫かと思って、瓶を手にとった。

 中の液体は薄い黄緑色で、少し泡立っているように見える。いくらか力を込めてコルク栓を抜くと、少し甘い中に、香辛料のようなスパイシーな感じの香りがした。

 恐る恐る口をつけて飲む。微発泡のジンジャーエールを、甘みも辛味も少し強くした感じの味だ。ちょっと薬っぽい感じもあるけど、結構いける。

 それに、こっちに来て以来、炭酸はご無沙汰だった。喉をかける刺激感に少し懐かしくなって、ついラッパ飲みでゴキュゴキュやってしまう。

 周りの男性陣から、飲み会の時のような、ちょっと囃す感じの声が聞こえる。状況的に新歓コンパを思い出した。やってる場合か、と思わないでもなかったけど、次に備えて英気を養いつつ、緊張をほぐしているのかもしれない。

 そんな事を考えているうちに、瓶が空になった。そして、胃の中には熱感を覚えた。何か、嫌な予感がする。



 8班と連絡を終えてから、私とラナレナさんは無言で魔人がいる森の奥へ歩いていった。

 負傷した方の名前は聞いていない。聞けば思い出す顔が、もしかしたら歩みを止めてしまうかもしれない。誰も傷つかずに終わるかもって、わずかにでも考えてしまった夜だったから。

 今まで何度も何度も、夢の中で戦ってきた負のイメージが、心の中で湧き上がる。それでも、表面の感情は冷静でいてくれたけれど、判断は揺さぶられそうになる。


 あえて将を討たずに、相手に感づかれないまま都合のいい夜を、次の夜も続けていく。そんな甘い考えが、ふと浮かび上がった。

 ありえない。相手が気づかないまま、そんな保証はどこにもない。この状況を把握され、対策を講じられ、思い描いた甘さに緩んだところを打たれたら……私達は容易には立ち直れなくなってしまう。今のこの状況だって、そうならないとは限らないんだから。


 いつまでも、この好機を維持できるわけじゃない。たとえ、魔人を取り逃がすとしても、せめて奴の力の底までは把握しないと。3年前、逃げられたときの記憶が蘇る。私をあざ笑いながら、黒い門へ逃げて消えたあの顔が。


 では、奴に会ったとして、どこまで戦えばいい? 何か犠牲を払えば倒せるとして、どこまで犠牲を許容できるの?

 力量を知るための戦いで、死ぬわけにはいかない。私は死ねない。死ねば、この森を守れなくなってしまう。マリーも、お母様も、お父様だって……きっとみんな泣いてしまう。たぶん、リッツさんも、ラナレナさんも。

 ラナレナさんだって、失うわけにはいかない。屋敷の外でも私に親しくしてくれる、数少ない方だから。

 それは別としても、こんな素敵な女性を失うわけにはいかない。私のためにも、みんなのためにも。


 それでも、奴を倒すこととの天秤に、いざとなれば私たちを乗せなければならない。誰も死なず、傷つかない夜なんて、夢物語でしかないから。誰かが血を流してでも、いつかは幕を引かなければならない。

 今まで考えたことのない、相打ちという可能性が浮かび上がってきた。奴を殺すためなら、私は死ねるの? できる。でも、そうなったら私の家はどうなるんだろう。

 森が静かになって、私の家が務めから放たれたなら、それでもお父様のお仕事はそのままかもしれないけれど、もしかしたら恩賞を下賜されるかもしれない。

 では、家の世継ぎは? 親御のいない、気高い遺子なんて、この世には何人もいる。きっと、養子にとって、またひとつの家族になると思う。

 ……いいえ、森がなければ家もいらない。きっと、お父様もお母様も、今よりずっと、自由になれる。仮に、私が死んだとしても。


「ちょっと~?」


 物思いにふけっていたところで、ラナレナさんに話し掛けられて、我に返った。


「何考えてた?」

「この後のことです」

「ふーん……どうせ、難しいこと考えてたんでしょ~? そういうのわかるからね?」


 とりとめのない考えでしかなかったけど、簡単な話でもなかった。そういう意味では難しいことに入るのかな……なんて考えていたら、私の沈黙を肯定と受け取ったか、あるいは、また難しく考えているように思われたかもしれない。苦笑いされてしまった。


「始まる前は難しく、事の最中は簡潔に、終わってからまた難しく……ってのがギルドの教えで。覚えてるやつ少ないんだけど」

「いえ、良い言葉だと思います。肝に銘じます」

「だから、シンプルに決めましょ?」


 ラナレナさんが立ち止まった。今ここで決めないと。透圏を彼女にも見えるように少し大きく作り出す。魔人とはもうすぐ接敵する。森の内外で動く人の動きを一瞥してから、魔法を解いた。心を決めた。


「奴を殺せそうであれば、何をおいても殺します。足りなければ、可能な限り追い詰めて、奴にも力を尽くさせます」

「おっけ、全力でやるってことね」


 答えにたどり着くまで、色々と難しく考えてしまったけれど、たどり着いた先があまりにも単純なので、思わず少し笑ってしまった。ラナレナさんも笑っている。


「ラナレナさんは、非常時の連絡と、退却の際のバックアップをお願いします」

「了解。まともに動けるか心配だけど……ま、やるしかないわね」


 瘴気は少しずつ強くなっている。橙のマナを持つラナレナさんでも、これ以上近づけばほとんど戦えない。支援で精一杯、そう思うしかない。だから、私が死力を尽くす。


 奴が待つ、森の中心へ向き直る。近くにいる。


「7班より8班へ。戦闘に入ります。以後、こちらへの連絡は控えてください」



 まわりから、「すまん」とかなんとか、ぼんやりとした声が聞こえる。

 ふいにきれいな女性が近寄って、顔を寄せてきた。視界もハッキリしなくて、マリーさんだと気づくのに少し時間がかかった。


「申し訳ございません、私の不注意でこのような事態に」


 この距離なら何言っているかわかる。謝罪するマリーさんに、周囲の方々は「俺らが悪かったんだ」みたいなことを言っているようだ。

 今は、霊薬が頭に回って酔っている状態だ。最初に感じた胃の熱さに嫌な予感がしたけど、少し経つと腹より頭に来るらしい。体の中でマナが増えて、それで頭が茹だるみたいな説明を、夢うつつな頭で聞いた。

 頭がイマイチ働かない一方、何か吐き気というか、体の中から何かが出たがっている不快感もある。

 酒を飲んで吐いたことはなかった。でも、別に強いわけじゃない。というか、むしろ弱いんじゃないかという懸念があって、飲み会とかでは本当に控えめにしていた。今は少しヤバい。


「いずれにせよ、飲まなければマナ不足でしたから、結局は飲み方の問題でした。少しずつ様子を見るようにしていれば……私が至らないばかりに」

「いや、別にいいんです」


 呂律が回るのは幸いだった。左手を握られる感覚があって、すぐ側にいるマリーさんが、優しく微笑んだ。


「不調は一過性のものです。日をまたいで残るということは、ほぼありません。その点はご安心ください」


 心配させまいと、つとめて穏やかな口調で話してくれた。俺が一瓶空けたとき、炭酸懐かしさにガバガバやったのを思い出し、ものすごく申し訳なくなった。俺の軽はずみな行動を後押しするような、ちょっとしたコールめいたもなのがあったとはいえ。

 内心反省していると、熱を持ってぼんやりしている額に、少し冷たい手が触れた。


「何か事態に進展があれば、その時はお呼びいたします。それまではお休みください」


 そう言って、マリーさんは立ち上がって去っていった。まだ、周囲では申し訳無さそうに頭を垂れている冒険者の方々が見える。なんとか笑顔を作って、ジェスチャーで「気にするな」みたいな感じの意思表示をすると、どうやらわかってくれたみたいだ。小さく頭を下げた後、それぞれ別の場所に歩いていく。

 周囲の人が去って、少し静かになった。頭だけじゃなく、全身に少し熱い感じと、妙な浮揚感があった。吐き気に近いものは収まらない。左手を口に当てて、気持ち深めに息をして、気を落ち着けることにした。


 時間の感覚が怪しい自覚はあったけど、多少時間が経つと聴覚は少しずつハッキリしていった。視覚は逆に少し悪化したように見える。赤紫の薄い霞の中を、ぼんやりとした人の影が行き来している。世界が影絵のように見えた。


「おい、様子がおかしいぞ」


 犬がいる穴の方から、大声が聞こえた。嫌な予感がする。


「指揮者!」

「埋めて殺せ!」


 短いやり取りで人の波が動き出す。スコップは4つという話だったけど、それよりもっと大勢が、盛った土を穴に放り込んでいる。その穴から、赤紫の細い筋みたいな煙が土から逃げるように登って、森の方へ向かっていった。

 それからいくらか経って、穴を取り巻く人の囲いが、少し広がったように見えた。埋め終わって様子を見ているんだろう。


「クソが!」誰かがそう叫ぶのと同時に、埋め終わった地面から赤紫の煙の塊が立ち昇るのが見えた。犬の亡霊が、地面から這い出してくるように見える。

 そいつが向かう先は、確たる情報がない。しかし、誰もが同じ危機感を抱いたことだろう。

 つまり、魔人がマナを回収しようとしているんだ、と。


 体の中を駆け巡る、熱いマナの流れが、無意識に俺の右腕を動かした。

 こんな視界がぼんやりした中で、ちゃんとできるのか? そもそもやって意味があるのか? 次々浮かび上がる問いに、右手の俺の魔法は無言で答えた。

 絵の具をにじませた絵の上に、無遠慮にサインペンで加筆したみたいに、曖昧な視界の上で俺の魔法が……いつもの罠が青緑に輝く。

 どのように作用するかなんて考えもしなかった。ただ、“犬を抑えるならば“と、そう無意識に判断していたんだろう。

 宙に刻まれた俺の罠は、赤紫の怪物からマナを削り取るようなことはしなかった。しかしぼんやりした視界でも、何かバリケードのような役目を果たせているのがわかった。

 しかし、阻まれてもなお森へ向かおうとする怪物が、形を崩しながら青緑のついたての向こうへ進もうとする。罠を構成する、空の器同士の間を、奴の煙がすり抜けていく。

 ふざけんなよ。


「対魔法処理がある上着で地面を覆え! ガタイの良い者で地面に押さえつけろ!」


 何度目聞いたかわからない、司令塔の声で人の影が動き出す。

 敵の正しい止め方なんて誰もわからない。それでも、この指示は的確に思えた。地から這い出す煙の勢いが、少し弱まったように思えた。少し見ただけで、こうして人を正しく動かせる、名前も知らない彼をカッコよく感じた。


 それでも、地より出てくる怪物は、無慈悲にも少しずつ大きさを増して、森へ向かいつつある。

 もっとバリケードを立てないと。曖昧な視界に頼るのをやめて、目を閉じた。

 すると、暗闇の中で地の底から這い上がってくる悪意みたいな塊と、俺の魔法がよく見えた。体に溢れるマナがそうさせているのかもしれない。

 どこまでできるかわからない。それでも、マナが届く限りはやってやる。バリケードを先にもう一つ、もう一つと立てていく。


 すると、俺のバリケードの近くで、青いマナの動きが見えた。円や器が、現れたり消えたり。それを何回か繰り返してしてから、俺が作るのと同じような、青いバリケードが現れた。

 誰がやったのかは見えない。でも、誰がそうしたのかは、今ならわかる。虚空に向けて差し出して、魔法を描き続ける俺の右手を、強く握られたような気がした。本当に、本当にカッコいいな、彼女。一睡した後でも今の気持ちを思い出せたなら、友達みたいに感じたって、きっとそう言おう。


 俺たちは青緑と青い障壁を幾重にも重ね続けた。それでも赤紫の雲は、森の中へ進もうとする。


 ふざけんなよ、クソが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る