第14話 「最前線」

 閣下が最前線へ発たれる日の朝、家の皆さんに混ざってお見送りすることになった。


 なにか特別な服を着るのかと思ったけど、別にそんなこともなく、見送り側は普段着だった。後で聞いたところによると、「早く日常に戻ってね」ということで、特別なものを用意しないというのがよくある習慣だそうだ。

 もっとも、特別を演出することで勇壮に送る家庭もあるということで、結局はご家庭の問題らしい。

 閣下は、さすがに立派な服を着られている。羽織ったロングコートは純白で、ところどころに水色のラインが走り、肩や袖、襟などのピンポイントに金糸の刺繍が入っている。着るご本人の威厳もあって、大変な風格を感じさせた。


 お見送りは、各人と閣下で二言三言交わして終わるという、かなり簡素なものだった。

 まずご夫妻が言葉を交わされる。


「メディエル、何か土産の希望は?」

「寄り道せずに帰ってきなさい」


 少しつっけんどんな調子で奥様が返された後、お二人で抱き合われた。そのお顔に、あまり曇った感じはない。

 続いて閣下は、マリーさんにお声を掛けられた。


「マリー、色々負担をかけるが……すまんな」

「心中お察しいたします」


 何やら、お二方で秘密でもあるのだろう。目配せしてお互いに苦笑いしている。奥様は何事か察したようで、無表情でマリーさんの頬をつつかれている。

 次に閣下は、お嬢様の方にお顔を向けられた。


「アイリス」

「はい」


 急に少し弛緩していた場が引き締まる。

 みなさんが静まり閣下の言葉を待つ中、閣下はお嬢様の頭の上に優しく手を置かれた。お嬢様は少し驚き、背筋をビクッと伸ばした後、少し恥ずかしそうにうつむいた。


「お前は、あまり人に頼らず一人で突っ走るところがあって、それは悪いところだ。お前が人に頼られて嬉しいと思うなら、同様に感じそうな誰かを見つけ出し、その者に頼り、喜びを与えなさい。それが貴族の使命だ」

「……はい」


 消え入りそうな、弱々しい返答を聞いた後、閣下は目を細めて微笑まれた。

 次は俺の番だ。閣下のお顔がこちらに向くと、思わず緊張で体がこわばる。

 閣下は、少し大げさなジェスチャーで、楽にするように促された。それを見て奥様とマリーさんが含み笑いを漏らし、つられてお嬢様も少し笑った。


「リッツ、きみには少し前に森で色々話した気がするが」

「はい、話していただきました」


 すると、大きな手で肩を優しく掴まれた。


「まぁ、何にせよ後悔のないように。最後は自分で決断するように、いいかな?」

「はい」


 肩を掴まれたままだったので、頭だけでも気持ち大きめに下げると、肩においてたはずの手でいきなり頭をワシャワシャかき乱された。

 最後に閣下は背を伸ばし「行ってきます」と、落ち着いた声色で仰った。

 それに応えるように、みなさんと声を合わせて「いってらっしゃい」と送り出す。その声を背に受けて、閣下は屋敷を後にされた。



 フォークリッジ伯出立の同日夕刻、フラウゼ王国最西端の前線拠点、総司令官執務室にて。


「転移早々で、申し訳ないね」

「いえ、お心遣い痛み入ります」


 書類が山と積まれた重厚な執務机を挟んで、伯爵は少年と相対していた。

 執務机側に座っているのは、この部屋の主にしてフラウゼ王国の王太子、アルトリード・フラウゼである。

 彼は全体的に色素が薄く、儚げな印象だ。中性的で端正な顔立ちというもあって、どこか人間離れした雰囲気をまとっている。


 彼は書類の山から、取り出しやすいように少しはみ出させていた紙を抜き取った。

 机から身を乗り出して、「今年の」と短く言い添え、伯爵にその紙を渡した。紙は遊撃部隊の人員名簿だ。各員の備考欄に、ところどころ他国の名前が書かれている。


「少ないですな」

「ははは、申し訳ないね」


 伯爵の「少ない」を、調査不足と取ったのだろう。王太子は苦笑いして侘びた。すぐに、伯爵は言葉足らずだったことに気づき、言い改める。


「失礼いたしました。これで全員かと」

「今年は軍議が多くてね。兵の受け入れの日取りも、なかなかタイミングが悪くて」


 魔人が国を組織して以降、人間の国同士では友好度の大小はあれども、互いに協力して戦線を維持していた。「国家上層の決議を待たず、最前線現場の裁量で国家間の兵員・物資を融通することを認める」という取り決めも、共同戦線発足以降、数百年にわたって有効だった。

 その兵員や物資に紛れて、各国が諜報員を送り込むということも、半ば常態化していた。

 国同士の関係は友好であっても、絶対視できるものではない。たとえ互いに害意を抱かない同盟国同士にあっても、隠しごとの種は尽きなかった。


 ここフラウゼ王国の司令部では、そんな他国からの客を遊撃部隊に回し、敵陣をかき乱すように動いてもらうことで彼らのスキルを活かそう――そんな施策を王太子指導の元で数年間続けていた。素性を割らせた連絡員同士で牽制させあい、本業をおろそかにさせようという目論見もある。


「実際に会えば、隠し事してるなってのはわかるけど、そういう状況を作れないことには、なかなかね」

「人員はこれで確定と考えてよろしいでしょうか」

「外部からの通達がなければね。本司令部では、これでいくよ」


 その言葉を受け、伯爵は名簿を畳んでカバンにしまった。


「この後の予定については?」

「明日一席設けて、遊撃部隊の顔合わせをする予定。そこに私も同席できれば、さっきのリストには追記できるかな」

「是非、お願いいたします」

「そうは言うけど、卿だってある程度は相手のことがわかるだろうに。それに叔父上の軍議もあるから、出席の確約もできないよ。そちらに卿も帯同してもらいたいくらいだ」


 王太子から見て叔父に当たる、王弟ラースハイン・フラウゼは、この司令部では王太子に次ぐ地位にある。

 故あって9歳の頃から士気高揚の旗印として送り込まれた王太子は、今では誰もが認める総指揮官だ。しかし「前線拠点以外での公務も」という国上層部の意向があり、移動者の入れ替わりのためにと白羽の矢が立ったのが王弟だった。


「王弟殿下は、いかがあらせられましょうか」

「んー」


 年上の親族の評を求められ、王太子は少し居住まいを正した。書類の山の上から、紙を取って視線を走らせた彼は、伯父の評論を始める。


「少し気弱なところは残ってるけど、兵の心は確実につかめてるね。兵を過度に昂ぶらせないから、こういうところの守将向けだと思うし。戦術眼にまだ少し甘いところがあって、揺さぶられると弱いかな」

「念のため、その揺さぶりをかけられそうな人物を、お伺いしたいのですが」


 王太子は無言で、彼自身と伯爵を指差した。少し間を置き、二人で苦笑いした。


「まぁ、これは少し冗談だけど。しかし、私達よりも目端が利いて悪辣な敵が、向こう側を指揮しないとも限らないからね。今のうちに卿にも、伯父に色々伝えてもらいたいんだ」

「尽力いたします。ところで、最近の前線の様子はいかがでしょうか?」


 先の話で、敵の指揮官に触れたことを受けて、伯爵がそれとなく問う。漠然とした問いかけではあったが、王太子は察して返した。


「例の夜に合わせて、準備を整えているんだろうね。最近は小競り合いが多いよ。攻め手も変わらず、紳士的な感じがするしね」


 王太子は一度言葉を切ると、ティーカップを手に取り一服した。伯爵も合わせて茶を口に含む。

 それから、ティーカップをおいた王太子は机の上で手を組み、静かな声で話し始めた。


「ただ、相手側の攻めが甘いのも、大局的にはブラフって気がするんだ」

「緩急をつける、と?」

「それもあるけど」


 視線を落とし、茶をスプーンでかき混ぜながら、王太子は続けた。


「相手の指揮官が、もしかしたら戦線維持のためだけに配されているとしたら? 適度なプレッシャーをこちらに与えて、一時的に押し込む素振りを見せ、注目を引くための陽動だとしたら?」

「……本国が狙い、と」


 最前線と王都は地続きの関係だったが、転移なしには行き来できないほどの距離から、王都と周辺地方を本国と呼ぶのが習わしになっている。

 しかし、それほど距離の隔たりはあっても、最前線の兵から将まで、王都の動向は絶えず気にかけている。


「このブラフ説も、私が連中の立場だったらやるって程度の考えでしか無いけど。王都を陥れる謀略にしても、仕込む種がないことには実を結ばないだろうしね」

「いえ、十分考慮に値する着想かと」

「まだ具体的なものは掴めてないから、公言できるものじゃないけどね。卿もこの件に関しては胸に留めておいてほしいな」

「相変わらず、殿下と話をしますと、内密の話ばかりが増えますな」

「はは。墓にまで持っていけないかな?」


 軽口を交わし合うと、一気に砕けた雰囲気になった。王太子は少し身を乗り出して伯爵に問いかける。


「そちらでは何かなかった?」

「こちらと言われますと」

「王都でもご家庭でも良いけどね。話しやすい方で良いよ」


 伯爵は目を閉じて少し考えた。

 王太子は椅子に深く身を預け、脚を伸ばして椅子を後ろに傾ける。そうやって、公務は一区切りとばかりに、くつろぎ始めた。

 そんな彼に、伯爵は言った。


「強いて申し上げるならば、最近客人を一人招き入れまして」

「へぇ」

「ご存知ではなかったのですか」

「私が知っていて然るべき事項なのかな?」


 少し意地悪で、挑発的な笑みを浮かべ、王太子が問う。

 伯爵は困ったように微笑み、少し間をおいて返答した。


「会う度に、しきりに拙宅について問われますので。王都との連絡員に、我が家をついでに探らせているのではあるまいか、と」

「はは、さすがにそんな不躾な真似はしないよ。卿の家に探りを入れられる猛者が、そうそういるとも思えないしね」


 偶然、同じタイミングで二人とも茶を口に運び、互いに出方を伺う形になった。カップを置いて、やや間をおいてから、伯爵は話の続きを始める。


「新しい客は……そうですな。今はまだ、招き入れた、とだけ申し上げます」

「伝えるほどでもない人物なのかな。卿の客には珍しいことだけど」

「いえ、現状では未知数な部分が多く、私では評価に困る部分がございます」

「なるほどね。あまり私に期待させても、ってところかな?」


 王太子の問いかけに、伯爵は無言で首肯した。すると、王太子は顔を綻ばせた。


「卿はもう少し、自分の発言を覚えていたほうが良いよ」

「……と言いますと?」

「卿が最初に”評価に困る”って言ってた連中、面白そうな人ばかりだったからね。期待するなって方が難しいよ」


 思わず苦笑いした伯爵に、王太子は畳み掛ける。


「だからといって、お客人に私が期待しているなんて、伝えてはならないよ。私が卿からの次の報告に、勝手に期待しているだけなんだから」

「客を持つのも大変ですな」

「やめられない人が言うセリフではないね」


 そう言って王太子は笑った。これからも楽しませてくれよとでも言いたげな、好奇と期待を込めた表情で。


 あと10日もすれば、年に一度の会戦が始まる。そのような状況にあって、伯爵の心を占めたのは、郷里に残した家族のことと、新たな客人のことであった。

 伯爵は思った。客人の彼が、最終的にどういう決断を下すかはわからない。しかし、娘に対して何かしら良い影響を与えてくれるのなら、それで十分だ。

 しかし、問題はその娘だ。力持つ者の責務に囚われて、視野が狭くなりはしないか? 自慢の娘ではあるが、そういうところは融通がきかないからなぁ……。

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