第三章 黎明の尾羽

第17話 シャナの手のひら

『間違いを探すな、解決策を探すのだ。』​───────ヘンリー・フォード



 ─1918年 5月5日 ナルヴィンスク連邦 首都 ローゼンブルグ


 駆逐艦荒波の砲術長、シャナ・ビリデルリングは勤務地である海の上から離れ陸にいた。

 先日行われた海戦によって第二艦隊は半壊した。だがその犠牲を遥かに上回る戦果を上げていた。

 艦隊には、休息が必要だった。


 前回の海戦は1ヶ月前に遡る。あれ以来人民帝国海軍は目立った動きを見せていない。しかし一度か二度、ワイバーンが連邦内陸の領地を襲って来たらしい。そんなこともあり、石畳の街ローゼンブルグには気球、あるいはバルーンと呼ばれる空に浮く妙な形をした物を浮かせ始めた。


 木枠にはめられたガラスから緩やかな日光が差した。シャナは今喫茶店パンダヤにいた。

 シャナ以外客の姿は見えない。

 彼女は万年筆ですらすらと文字を書いていく。時折頬に万年筆の尻のあたりをあててちょっと悩んだりして見せた。

「もしもし、何を書いてるんですか?」

 この店の従業員、パニーという娘が尋ねた。シャナは急に現れた人間に驚き大きく声を上げてしまった。彼女はきょろきょろと周りを見渡すと、

「…パニー。」

 と顔をしかめて言った。


「今はミコに手紙を書いているのです。戦争が始まってからまだ一度も手紙を送ってなかったので。」

 パニーは「へー!」と好奇心を示すらんらんとした目の輝きを見せた。

「この間の連邦の攻勢作戦も一段落して向こうも余裕があると思いますから。」

 シャナは脳裏に浮かんでいた一筋の不安を揉み消した。ミコがそう簡単に死ぬわけがない、そうだ。


「ところで、戦争が始まってから景気はどうですか?」

 シャナはまた店内を見渡した。シャナ以外には客はおらず、古時計が時を刻む音と、ラジオから安っぽい音楽が流れていた。あの奇妙なデザインのラジオはアタグスラジオというものらしい。

 パニーは声を発さず「だめだよ」と言いたげな顔をして肩をすくめた。

「戦争が始まってから観光客が減ってる、というかほとんどいませんからね。陸地で繋がってる桜華公国の人は来ますけど。この間もダンスパーティに来そうな格好をした桜華公国の方が来ました。嫌味なくらい見事に連邦の言葉を使ってましたが…。」


 シャナは表情を変えなかった。パニーは客がいないのをいいことにシャナのいる席の向かいの席に座った。

「なんで戦争なんて始まったんですかね…。」

 パニーは遠くを見つめた。

「…これが帝国主義であり、彼らにとって国を豊かにする一番の方法なのでしょう。」

 シャナは答えた。しかしその答えは決して自身でも納得のいくものではなかった。

(あまりにも唐突過ぎる。クーデター後のゴタゴタも残っているだろうに、余程帝国の新皇帝は野蛮なのか。)

 そう考えたシャナだが、あることを思い出してフッと笑った。

(あんな手紙を寄越してくるやつだし。)

 シャナが思い出したのはヘルムート湾での海戦の直前、連邦の戦艦が人民帝国のワイバーンによって沈められた時に皇帝から送られてきたの手紙であった。


「帝国主義?」

 パニーは疑問を覚えた。

 帝国主義とは簡単に言うと、国が国としてまとまった近代において国家の威信を上げて民族的な自尊心を上げるための拡張政策であり、経済的に言えば近代技術、特に産業革命によって原材料の供給地や市場を確保する為に対外進出を行うものだ。

 連邦の軍学校をかなりの上位で卒業したシャナは、先生が生徒に教えるように分かりやすく説明した。


「なるほど、では人民帝国は連邦の領地を奪うことで豊かになると。」

「そうです。人民帝国は近年国家としての経済力が衰えていましたから。手っ取り早く国を潤すためには戦争を仕掛けるのがいいと踏んだのでしょう。」


 シャナの推察は妥当であった。しかし彼女は人民帝国、いやパーシヴァル家の狙いがまた別の所にあるとは知る由もなかった。


「それにしても、この戦争の落とし所が見えません。」

 シャナは目を瞑った。指先で万年筆をくるくると遊ばせる。人民帝国の奇襲で始まった戦争だが今は連邦が帝国の領地を僅かながら奪い、アイントテフという都市を陥れている。

「彼らに和平という選択肢はあるのか、分かりません。ないとしたらきっとこれはどちらかが滅ぶまで続く戦争になるかもしれません。」

 それに、とシャナは続けた。


「初めての近代戦争です。世界が見守っています。諸外国もきっとこの戦争の仲介人をすることに難しさもあるでしょう。」

 パニーはぽけ〜っと話を聞いていた。

 しかしはっとした表情になり口を開いた。

「じゃ、じゃあどれぐらいで戦争が終わるかは分からないということですか!?」

「えぇ。」

 シャナは顔を下に向けたまま返事をした。彼女は手紙の続きを書いていた。

「ただ、今の人民帝国はクーデター政権なので非常に不安定なはずです。もしかしたら急に崩れて戦争が終わるかも…。」


 さて、と言いながらシャナは荷物をまとめて席を立った。

「ごちそうさま、また来ます。」

「は、はい。ありがとうございました…。」

 パニーは戸惑いながらも対応した。そして後から気づいた。

「あ!手紙の内容聞いてなかった!」


 シャナはその足で軍の郵便局へ向かうと手紙を出した。シャナは幼い頃から馴染みのある鳩を使った連絡手段を好んでいた。

 パニーが知りたかった手紙の内容は、大したものではなかった。

 もちろん何度かやり取りするので最初の手紙には大した内容は書かれていない。精々近況報告くらいだろう。その近況報告で互いに気になった所をまた鳩を飛ばして送り、やり取りをする。

 シャナは銀色の髪をなびかせて郵便局を後にした。満足気な顔と共に。




 ─1918年 5月6日 深夜 ナキヤ海海上 FNS[荒波]


 駆逐艦、荒波は深夜にも関わらず高波を乗り越えて出動していた。

 領海付近に国籍不明の艦が近づいたという。

 この出来事は何度かあった。だいたいは人民帝国の偵察船か、連邦が戦争をやっていることを知らない無知な外国の船だった。

「…いねぇな。」

 荒波の艦長、グレゴリオはボヤいた。

「えぇ。」

 砲術長であるシャナが相槌をうつ。この頃シャナは中尉から大尉へと昇進していた。


 漆黒に染まった海を雲の中から時折照らす三日月だけが頼りだった。

 しかし辺りには何も見当たらない。

 だが荒波が電波のような物を捉えた。

「謎の信号をキャッチした…って。」

 報告を聞いたグレゴリオは困惑した。それもそうだろう。海上を走り回ってもそれを発したと思われる船を見つけることが出来なかったのだ。しかも暗号は複雑でこれまで人民帝国が使用してきたものとは違っている。

「ワイバーンでは?」

 シャナが静かに声を上げた。確かに空を掛ける翼竜が海の上で見つかるわけが無い。


「そういうことか。」

 グレゴリオは即座に合点した。そしてそれが意味することも。

「ワイバーンでローゼンブルグを偵察してまたみたいに何か仕掛けてくる…ということだな。」

 あの時、とはヘルムート湾での海戦の直前に起きた出来事のことである。あの時は人民帝国のワイバーンがローゼンブルグを上から眺めてしかも機雷を撒いたのだ。


「そうです艦長。しかし翼竜の母艦はヘルムート湾での海戦で沈められめ数少ないはずですが…あっそうか。」

 シャナは言う途中に気づいた。グレゴリオもうむ、と頷いた。

「あの時取り逃した最後の母艦だな。暗号を変えてくるということは余程重大な事を為すのかもしれない。」

 グレゴリオはそう言うと本国へ警戒の打電を打たせた。そしてその晩荒波は波間を走り続けたが、ついにその不明艦を見つけることは叶わなかった。


 ─1918年 5月7日 フランブル地方北部 西部方面軍 第一独立機動支隊


 続く。

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