第15話 意地vsプライド-アイントテフ会戦-中

『計算されたリスクを取れ。それは軽率な猪突猛進とはまったく違うのだ』​───────ジョージ・パットンアメリカ合衆国陸軍大将





 ─1918年 4月30日 フランブル地方 ???


「ミコ、起きるんだ、さあ。」

 身体が痛む。酷い頭痛を感じながらも、少女は何者かに呼びかけられたような気がして目が覚めた。


 ここは、どこだ。


 わたしは…ミコ。


 少女は、混濁する意識の中で自問自答した。

 なぜ、こんなところに…。

 ミコは周囲を見渡した。見事な程に森の中だ。背の高い木々の葉はミコが浴びる為の日光を覆い、まるで夜のようだ。


「いたっ──」

 ミコは痛みに顔を歪ませた。全身がぐったりとしていたが、ゆっくりと身体を起こそうとしたのだ。

(弾が掠ったのか、いやこれは…)

 ミコの右足のふくらはぎからはぱっくりと肉が裂けたように血が滲んでいた。ミコは懐から手拭いを取り出すと、歯を食いしばってぐるぐると巻き付けた。

「シャルロットの呪文、か。」


 あの時ミコを吹き飛ばす為に放たれた呪文は、突風を起こすだけでなく真空の刃のような物を作り出していたのだろう。

「この現象は確か…たしか、かまいたちか。」


 ミコはひとりでに納得すると、また寝転がった。そして今の状況を思い出した。

「まずいっ!部隊は今どうなってるんだ!?」

 彼女はがばっとまた身を起こした。眼前に広がる薄暗い世界をそっちのけにミコの思考は複雑を極めた。あれほどのワイバーンがいてあの魔導士シャルロットもいる…サーシャは、マキナはどうなる?西部方面軍の予備軍を投入してもまた奪還できるか…?


 ミコはまず装備を整えようとした。銃も箒もない。彼女は呼び寄せの呪文を唱えようとした。そこにだった。

「!」

 手をかざした先にいつの間にか箒が来ていた。Xフォイルも無事に付いている。これはミコのものだ。

 同じように銃も呼び寄せることが出来た。


「これはなんだ?これが火事場の馬鹿力ってやつか…?ははっ。」

 ミコは乾いた笑いをあげた。やけに魔力の調子がいい。いくらでも魔法が打てる気がするし、その質も段違いだ。確か教官がこんなことを言っていたような​───────。

 ミコは苦手な座学の授業を思い出していた。緊急時には頭のネジが外れて普段使えない力が使える、と。


 彼女の分析は、半分当たっていた。


 そして半分違っていた。





 ─1918年 4月30日 フランブル地方 西部方面軍

 第1独立機動支隊 195高地 緊急事態


「203より第1独立機動支隊。クソを垂れる準備が出来たぞ。」

「はやくしてください!あなた方が敵を抑えてくれないと大変だ!」

「了解、すぐに。」

 サーシャ・コンドラチェンコは会話を終えるとすぐに敵の方へと顔を向けた。敵の先鋒が既に近づいて来ていたのだ。だが先程のように自ら戦闘に参加ということはしない。味方の砲弾で死んでしまっては家族に顔向けできない。

 サーシャはマキナに連絡し、退避した。


 いくつもの砲弾が音を置き去りにしてやってきた。熱と黒煙、そして鉄の破片が空にばらまかれた。今までで一番の火力だ。サーシャは思った。どうやってここまでの重砲を用意したんだ?


 敵の第一陣はその成果を挙げる前に死んでいった。

「よし!このままどんどんやってください!」

 サーシャは命じた。しかし、第二波と砲撃を繰り返しても敵の攻撃は止まない。

 そこにサーシャのもとに通信が入った。

「すまない、弾切れだ。」

 サーシャは耳を疑った。

「どういうことですか?」

「野砲の数を増やしただろ?これは人民帝国から鹵獲したやつを引っ張って来てるんだ。これの弾が切れた。しかもこっちはこっちで敵が来やがった。悪いが砲撃支援は出来ん。」


 サーシャは困り果てた。

 敵の司令官と思わしきワイバーンも近づいてきて、いよいよ天候が悪化しだしたのだ。砲撃支援を受けられないとなると、この悪天候の中2人で戦わなければならない。


「いっ!!」

 雷鳴がサーシャを驚かせた。そして背後からも驚きの声が上がった。

 陣地構築の為に使われたと思われるバリケードのようなものの一部が燃え上がったのだ。

(これは雷…やはりシャルロットが近づいている…)

 後ろを見たサーシャも今度はその様子が目に見えた。


 ピカピカ組で雷が苦手であったのだろう若い兵が、今はいないミコからの命令を無視して壕から飛び出した。

 天からはオレンジ色の稲妻が、若き兵を追うように屈折しながら伸び、そしてその身体へと突進した。

 兵の身体は芯が無くなったようにぐったりと倒れた。


 その恐ろしい光景は、サーシャも見ていた。小便を漏らしそうな恐怖感を覚えたが、博識な彼女はひとつ疑問を覚えた。

(稲妻があんなに生き物のように…)

 サーシャは首を傾げた。

(どうして光の速さほどの稲妻を目で追えるんだ?)


 ピンクの髪を雨に濡らし、そのアホ毛もその姿を隠すほど濡れてしまったサーシャも、そんなことはお構いなしに佇んでいる。彼女にとっては濡れることなどどうでもよかった。

 おかしい。そもそも本物の雷なら空を飛んでいる私達が真っ先に狙われなきゃおかしいはずだ。そうか。

「あれは雷を作っている訳ではないんだ。魔法によってだけか!」

「…サーシャさん?」

 ダイヤルからマキナの声が響いた。こんな時に何を言っているんだ、と言いたげな声色だ。

「魔法としての技術的に不可能なのか…それとも…。」


「サーシャさん!」

 マキナの言葉にサーシャは我に返った。彼女は前線に立つ軍人というよりも、研究者の顔になっていた。

 そして恐ろしい現実に引き戻された。彼女たちは目の前にワイバーンがいるのだ。

「サーシャさん、指示をお願いしますっ!」


「…前進してワイバーンに肉薄して攻撃する。」


 サーシャの作戦は、苦しい状況なりに現実的な選択だった。

 サーシャの見立てではあの雷は本物の雷ではない。もし本物であれば真っ先に雷に打たれるのはサーシャやマキナであり、ワイバーンの集団もそうであるはずだ。

 しかしもし、サーシャやマキナを狙うことが出来た場合、ふたりは天国から爆撃の光景を指をくわえて見守ることになる。そこで考えたのがこの案だった。敵に近づけば雷が当たることはない。万が一にも味方に当たったら元も子もないのだ。


「…っXフォイル戦闘配置!」

 サーシャは歯を食いしばりながら命令した。今、クレセント・コマンドの指揮権はサーシャにある。そして初めての指揮だった。彼女はミコが感じていたプレッシャーを感じると共に、死を覚悟した。マキナはともかく、サーシャにとって近接戦闘は苦手の極地だ。

 それでも部隊と軍の為にこの選択をした。軍学校で優秀な成績を残したこの女は、ここでもその選択を誤らなかった。


 ふたりの魔法使いは、急加速してワイバーンの集団へと近付いた。


 彼女たちは、よく戦った。

 撃墜確実は4体、爆弾無力化は2体、さらに竜騎兵を2人撃破した。

 しかしその間にも打ち漏らした敵が爆撃を続け、その雷鳴は止まらなかった。


 サーシャの顔に疲労の色が濃くなってきていた。彼女はこの雨にうたれて戦闘を続け、もう肩で息をしている。


「はあ…はあ…うわっ!」

 サーシャが疲れきっていたところにワイバーンの頭が見えた。ワイバーンはサーシャを噛み殺そうと口を大きく開けていたのだ。

 サーシャは右に旋回し、いったん背を向けて離れようとした。

 そこに後ろから衝撃が響き、サーシャの視界が揺れた。

「ぐッ、がはっ​──。」

 背中、いや尻の辺りに強い衝撃が走った。

 サーシャの身体に、ムチのようなワイバーンの尻尾が当たったのだ。

 喉に何か詰まったように、胃の中に石が詰まっているかのように、サーシャには悲鳴を出すほどの余裕もなかった。


 それ以上の追撃はなかった。

 彼女はふらふらと離れてもう一度敵と相対した。

 呼吸をする度に下半身が痛い。銃を持つ手が震えている。私は、もうダメなのかな…。


 もうダメだ、とサーシャが思った時、突然敵の方で混乱が起き始めた。

 何やら敵の集団の中に何か混じっているらしい。






 ─1918年 4月30日 フランブル地方 195高地付近 上空



 弾丸のように森林から昇って来たミコ・カウリバルスは、敵ワイバーンを見つけて背後から急行していた。

 何人かの竜騎兵を背後から軍刀で斬り殺したが、これでは埒が明かないな、とミコは唇を舐めた。

 そこにこの雷雨を引き起こしている元凶である、シャルロット・パーシヴァルのいるワイバーンを見つけた。

 ミコは一気に近付いた。だが二の轍は踏まない。


(連邦じゃ非常時以外は打っちゃいけないんだが、今は戦時中だっ!)

 ミコはヴァルキリーの推進力を感じながら、箒を操作した。ミコとシャルロットが並走する形をとった。シャルロット本人は気づいていないが、周りは異常を察知しだしたようだ。


 ミコは軍刀をシャルロットに向けた後、箒を振るように素早く腕で半円を描いた。

「インカー・ゼルス! (失神しろ!)」

 蒼い炎の色で、ナイフのように鋭く形を持った閃光はシャルロットに対して突進し、身体へ吸い込まれた。


 ミコの発した呪文、失神術は連邦では違法指定されている。失神術を受けたものは魔物の血を持つ人間や気力体力が人並み以上になければ気を失ってしまう。赤子に打てば死の恐れもある呪文だ。


 この呪文を受けたシャルロットは、一瞬身体を反応させ、ギリッとミコの方を睨みつけて身体をよろめかせながらも短刀を抜いた。

「くそッ!」

 その成果を確認できる前に、ミコは周りのワイバーンに妨害された。

 ミコは攻撃を受けないようワイバーンの間を縫っていった。そしてサーシャとマキナの姿を捉えた。


「ただいま、ふたりとも。」

「無事でしたか!ミコさん!」

 雨と返り血に濡れたマキナが、ダイヤルから響く懐かしい声に嬉しそうに反応した。

「サーシャ?」

 確かにその姿は見える。ミコからは健在であるように見えた。

「…バカ。」

 小さく声が届いた。サーシャの顔は、くしゃくしゃになっていた。

「ごめん。」

 ミコは謝ると、敵の方を向いて喋った。

「説教は終わってから、ね?」


 ミコはそう告げると、一気に軍人の顔へと戻った。この状況、どうしたらいい。砲兵支援がないのを見る限り何か異常が起きたんだろう。そう思うミコには、無意識のうちにやるべきことが分かっていた。身体に流れる魔力が、それをしろと言っているかのようだった。

 頭ではその魔法をどうやって使うかは分からなかった。ただ知識としては知っていたが、今何故か調子のいいこの身体は、その魔法の使い方を分かっているようだった。


「各員、これよりわたしは『禁じられた呪文タブー・スペル』を使う。戦闘区域から離れるんだ。」


 異様な命令だった。禁じられた呪文を使えるのはひと握り、しかもいくら呪文が得意なミコでもそれを使えるほどの魔力と能力は持っているはずがなかった。

「…っ。」

 なにか言おうと口を開きかけたサーシャだったが、黙ってそれに従った。

 ミコは上空に昇ると、両腕を大きく広げた。

 その顔は笑みすら伺える。そしてゆっくりと右手を猛禽類の爪のように曲げて、禁じられた呪文を唱え始めた。


「──イニシエート・エクリクス (爆発せよ)」


 ワイバーンの集団の中心に向かって細い閃光が伸びたと思った途端、それは始まった。

 まるで艦砲射撃を浴びせられているかのように、爆発が始まったのだ。それは一度で終わらず、連鎖を繰り返し熱波を発し続けた。そしてワイバーン達の持つ爆撃にも誘爆し、その爆発はピークを迎えた。


 ようやく爆発が収まり、敵の大部分は墜落しているのがサーシャからも見えた。長く続いた雨は止み、195高地の空には晴れ間が広がっている。

 シャルロットの姿はそこにはなかった。生きているかも、死んでいるかも分からなかった。


「やったね!ミコ!」

 サーシャはダイヤル越しに話しかけた。だが反応はなかった。

 どうもおかしい。箒の上のミコがふらふらとして安定しない。

 そしてミコは気を失ったのか浮力を失って落下し始めた。

「ミコっ!!」

 身体を動かそうにも上手くいかない。マキナがそれをすくい上げようとXフォイルを全開にして走った。


 マキナは、無事に回収した。

 3人は195高地の地上へと降り立った。歓声を上げる地上にいた兵たちを後目に、ミコは寝かせられた。

「大丈夫?」

 マキナが尋ねた。

「う〜ん。…大丈夫、魔力切れだよ。あんな魔法を唱えたのは初めてだ…。」

「初めてどころじゃないよっ!あれを使ったのはミコと…いてて…。」

 師団からやってきた軍医が2人を叱った。

「お前ら少しは安静にしろ、怪我が酷くなるだけだぞ。」

 2人は渋々従った。


 195高地という要所を確実なものとし、奪取したことは、この第1軍の攻勢において柱となるほどの出来事だった。

 彼らにとってこの高地は敵の次の防御線を丸見えにすることができ、しかもここを軸としての防御や進軍のサポートも出来るのだ。


 内戦から18年経ったこの日、あの爆発の魔法がまたしても使われた。

 現在、1900年以降この魔法を使ったとされる公式記録は、大魔法使いと呼ばれる『爆炎の魔法使い』デラクールと、若き魔法使いミコ・カウリバルスだけである。


 ─1918年 4月30日 フランブル地方 大マウロ人民帝国陣地 敗走中


 続く。

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