第9話 間接キス


 結局、翔太は陽菜子から好きな相手のことを聞き出すことができなかった。


「まったく。まんまとしてやられたぜ」


 などと呟いてみせるが、陽菜子が身につけているというに気を取られたのは翔太であり、むしろ自分自身の好奇心に負けたといった方が正しいだろう。


 その自覚があるからこそ、翔太は羞恥によって顔を赤らめる。


「け、けど! それならそれで恋を成就させる方法は他にもある!」


 陽菜子の実験に積極的になればいいのだ。


「よし、そうしよう」


 翔太は陽菜子を好きになってしまった。


 けど、今なら。


 まだ、恋の傷は浅くて済む。


 ――などと思っていたら、いつの間にか教室に誰もいなくなっていた。


「あ、あれぇ……? なんで……?」


 ぽつーんと椅子に座っていたら、クラスメイトがやってきた。


「あれ、まだいたんだ? 次の授業は視聴覚室だよ」


 そうだった。


「ありがとう、仲町君」


「どういたしまして、波貝なみがいくん」


 波貝とは、キヌマトイガイ科の二枚貝のことであり、ミル貝の代用として白ミル貝とか呼ばれて食べられたりする。


 つまり、おいしい。




「というわけで、今日はどんな実験をするんだ……!?」


 放課後。


 翔太のクラスにやってきた陽菜子とともに廊下を歩いていると、


「ちょっと翔太先輩が何を言ってるかわからないですねー?」


 陽菜子が言う。


「何って」


「だってもうすぐテストがあるんですよー? ……実験? そんなおバカなこと言ってないで、勉強しないと駄目じゃないですかー」


「マジトーンでいうのやめてくれ!?」


「な~んて。冗談ですよー?」


 てへっと笑われても本当にかわいくて、「え、好き」となるだけだった。


「翔太先輩、いきなりうずくまってどうしたんですか?」


 陽菜子が翔太と目線を合わせるようにしゃがみ込んでくる。


 ふわりと漂ってくる甘い香りに、胸の鼓動が早くなる。


「な、何でもない!」


「全然何でもない感じなんですけど……」


「――ぴふー」


「口笛吹けてませんから」


 陽菜子に頬をつつかれた。


「何でもないなら、ほら、立ってください」


 先に立ち上がった陽菜子に手を差し出され、翔太はそれをしばらく見つめてから、


「……大丈夫だ。一人で立てるから」


「合法的に手を握るチャンスを、まさか自分から不意にするなんて……!?」


 確かにそのとおりだとは思った翔太だったが、「な、何のことだ?」と全力で誤魔化した。


 陽菜子がにんまりと笑っているので、誤魔化せたかどうかはかなり怪しかったが。


「まあ、でも、あれですよ、翔太先輩」


「あれ?」


「テストが近いの本当じゃないですか」


「だなぁ」


 正直、ちょっと……いや、かなり憂鬱である。


「なので、今日は図書室で勉強を教えてくれませんか? 翔太先輩の得意分野を重点的に」


「俺の得意分野?」


「保健体育に決まってるじゃないですか」


「決まってません!」


「勉強を教えていただくお礼に、翔太先輩にジュースをおごってあげますねー」


「俺の得意分野が保健体育じゃないってことをまず否定して欲しいんだけど……」


「タピオカミルクティーでいいですかー?」


「え、うちの学校の自販機にタピオカなんてあったの!?」


「ありませんよ? ……え、翔太先輩、大丈夫ですか?」


「俺が言い出したみたいな流れになってる!? ――というか、おごらなくていいよ。陽菜子に悪い」


「じゃあ、炭酸系にしますねー」


 ボタンを押して、電子マネーで決済。


「俺の話、ちっとも聞いてくれないよなー」


「何言ってるんですか、ちょー聞いてるじゃないですかー」


「どの口が言うかなぁ」


「このかわいらしい口ですね?」


「自分でかわいいとか言っちゃうんだよなぁ。本当のことなんだけど」


「ほ!?」


「ほ?」


「――ットのブラックコーヒーですよ、翔太先輩の分は」


 なぜか顔を背けながら言う陽菜子である。


「炭酸系にするって言ってた気がするんだけど?」


「気にしたら負けですよ?」


 そう言いながら陽菜子が缶を開け、口をつける。


「何ですかこれ、信じられないくらい苦いんですけど」


「おい、俺の分じゃなかったのか?」


「ええ、翔太先輩の分ですよ? でも、大事な大事な翔太先輩に何かあったら大変ですからね。毒味をしてあげたんです。感謝してください?」


「いや感謝って」


 陽菜子が差し出したブラックコーヒーの缶を、翔太は受け取った。


「……ホットじゃないな」


 いや、違う。そんなのはどうでもいい。


 これ、陽菜子が口をつけて――。


 もしかして――いや、もしかしなくても、いわゆるひとつの……。


「間接キスですね、翔太先輩♪」


「なぁっ!?」


「図書室は飲食禁止ですから、早く飲んじゃってください」


 ほら早く早くと何でもなさそうに急かす陽菜子だったが、その耳はめちゃくちゃ赤くなっているのだった。




 ちなみにそんなことをやっていたせいで下校時間になってしまい、図書室で勉強することはできなかった。


「仕方ありません。また今度してくださいね。二人だけの、秘密の課外授業♪」


 言い方がエッチだと思ったのはここだけの秘密である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る