第37話 ある少女の独白 ―孤独な蟻― 後編

 私の事をちゃんと見てくれる人と出会いたい。

 このまま孤独な人生を生きるのは、やっぱり寂しい。


 それが、私の嘘偽りのない本音でした。

 ですが、そんな本音を正直に吐き出せる程、私は素直な人間ではありません。


 果たして、蜜井先輩は私の探し求めていた人なのか。

 一刻も早く、その答えを確かめてみたい。

 この球技大会という機会を逃せば、私が次に先輩に会えるのは、ゴールデンウィークを挟んだ後になってしまう。

 これから更に1週間以上も悠長に待っていられるものか。

 今すぐにでも動かなくては!


 突発的にそう思い立った私は、「今度の図書委員の仕事中に球技大会の事を自慢する」という約束を自ら反故にし、その球技大会の最中に再び先輩に絡みに行きました。


「先輩は、事なかれ主義のつもりなのかもしれませんけど、問題を放置したばかりに取り返しがつかなくなる可能性だってありますよね?」

「悪い芽は早いうちに摘んでおく方が安全だ、とでも言いたいのか?」

「小さな火は、息を軽く吹き掛けるだけで容易く消す事が出来ます。でも、燻ぶって燃え上がった炎は、仮に消火できたとしても、何事もなかったかのようにはなりませんよ。それどころか、最初は関係のなかった先輩ばしょに飛び火してしまう事だってあるんですから。」


 これでいい。

 今回の接触を切っ掛けに、あの事なかれ主義の先輩が、今後私の毒舌に対して如何なる反応を見せるのか。

 こうして焚き付けた事によって、彼に何らかの変化が生まれるのか。

 幸い、その結果が出るまでそう時間は掛かりませんでした。


 私が蜜井先輩を焚き付けてから、暫く経ったある日。

 図書委員の仕事中、新刊の搬送を1人でしていた私は、廊下で3人組の女子と衝突しました。

 その3人組は蜜井先輩と同じクラスの人達で、球技大会でギャルの先輩と言い合いをしていた人達だったのです。


 これは何とも因果なものだ、と半ば呆れながらも、私は彼女達と口論を繰り広げました。

 しかし、相手は一歩も退く気配がありません。

 横並びになって廊下を塞ぐように歩きながら雑談に興じていた癖に、彼女達は自分の非を認めないどころか、多勢に無勢で私を責め立ててきたのです。


 もちろん、このような理不尽な言い掛かりに屈する訳にはいきません。

 ですが、私が言い返しても、彼女達の勢いは一層増すばかり。


「はぁぁ!? あんたさ、うちらを舐めてるの?」

「この一年、生意気過ぎるでしょ。ちょっと分からせてやらないと駄目なんじゃない?」


 いざとなれば、暴力も辞さない。

 言外にそんな意味を込めた台詞をぶつけられ、私は無意識のうちに足がブルリと震えました。


 今までにも、クラスメイトと言い合いになった事は少なからずありましたが、さすがに暴力沙汰にまで発展した事はありません。

 私は女子の中ではかなり背が高い方でしたし、運動神経も優れている上に気も強いので、女子達も迂闊に手を出し辛かったのでしょう。

 また、男子達は私のご機嫌を取って私に好かれたかったのか、真っ向からキツく当たってくる人は殆どいませんでした。


 言葉の暴力であれば、幼い頃から母に散々叩き込まれたので、今更何か言われたところで大したダメージを受ける事などあり得ません。

 でも、腕に物を言わせての暴力沙汰となれば、当然話は違ってきます。


 普通の人間は、暴力を本気で他人に向ける事に対して、多少なりとも抵抗を覚えるでしょう。

 実際、小学校・中学校時代に私をよく思っていなかった人達も、暴力を振るうところまではいかなかったのです。

 しかし、今私の目の前にいるギャルの先輩方は、暴力を振るう事に躊躇いがないように思えました。


「……っ!」


 もしここで私が彼女達に虐めを受けたとして、誰かが私の事を助けてくれるでしょうか。


 ――いや。

 家にも学校にも味方のいない私を助けてくれる人なんて、この世には存在しない。

 私はこれから、惨めに虐げられ続ける学校生活を送らなければならないのだろうか。

 何も間違った事はしていないはずなのに、どうして、私ばかりがこんな目に遭うの?

 誰か1人くらい、私の事を助けてくれる人はいないの?

 私は、私は――!


「悪い。ちょっといいか?」

「!」


 不意に、後ろから聞こえてきた男子の声。

 この高校に在籍している男子の中では数少ない、私も知っている人の声でした。

 だけど、私の知っているその人は、事なかれ主義の大人しく地味な人物であり、緊迫した場に割って入るような度胸など持ち合わせていなかったはず。


 私と同じ図書委員で、今日も一緒に仕事をしている蜜井義弘先輩。

 彼は事なかれ主義者ではあるけど、決して単なるヘタレな人ではなかったという事?

 よりにもよって、先輩を焚き付けた張本人の私が、彼に助けられる事になるとは。

 思わずホッと胸を撫で下ろしたくなる衝動に駆られた私でしたが、同時に、腹の底からムカムカする感覚も沸き上がってきました。


 先輩は、私とギャルの先輩方のどちらが正しいかには一切触れず、別の切り口でこの問題を収めようとしていたのです。

 確かに仲裁のやり方としては正解なのでしょうが、私としては納得がいきません。

 今回の口論は、明らかに私の方が正しく、ギャルの先輩方が間違っている。

 ならば先輩は私に加勢すべきであり、どっち付かずな形での仲裁など、私は望んでいないのです。


「余計な事をしないでください、先輩! 私は間違っていないのですから、決着を着けずに有耶無耶にする事には納得できません!」

「ちょっ、蟻塚!?」


 私が声を荒げた事に、先輩は当然驚いた様子でしたが、私としても退く訳にはいきません。

 ここで白黒つけるまで、私は戦うつもりでした。

 しかし、先輩はそれを許さなかった。


「いい加減にしてくれ! 今一番大事な事は何だ!? ここで意地を張り通して、その結果取り返しのつかない目に遭ったら、どうするつもりなんだ!?」


 いつも大人しくて地味な先輩に似つかわしくない、昂る感情を剥き出しにした大声。

 彼の発した大音声は、私の身体の芯に、いいえ心の奥底にまで届く程に、重く響き渡りました。


「あぁ……っ!」


 母やギャルの先輩方のように、理不尽な怒りを私にぶつけるのとは、まるで違う。

 この先輩は、ここで私が意地を張って揉め事を大きくした結果、取り返しのつかない事態に発展するのを恐れている。


 ――私の事を、本気で心配してくれているんだ。


 自分で言うのも何ですが、私は、先輩に度々突っかかり毒舌を振るう生意気な後輩だったと思います。

 私の事を煙たがってもおかしくないはずなのに、先輩は、私を守ろうとしてくれている。


 そう理解した時、私は顔が急激に熱くなる感覚に見舞われました。

 これは、所謂「照れ」の感情なのでしょうか。

 今までに感じた事のない、微妙な恥ずかしさ。

 でも、決して不快な感覚ではなく、むしろ思わず口元が綻んでしまいそうな程に嬉しい。


「私の事、本気で叱ってくださって、ありがとうございます。」


 溢れ出る感情に身を任せて、私は先輩に感謝の言葉を伝えました。

 そして、同時に1つの決意を固めたのです。


 私は、これからこの先輩ともっと仲良くなってみせる。

 私の外見に惑わされる事なく、内面を認め、受け入れ、心配してくれたこの人と。

 その果てに私と先輩がどのような関係に至るのかは、今はまだ分からないけれど。


 ――先輩。

 私の事、今後もしっかり見ていてくださいね。

 私も、先輩の事をちゃんと見るようにしますから。

 これから、ずっと、ずっと。

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