第36話 ある少女の独白 ―孤独な蟻― 中編

 私の母は、まるで仇を睨むような眼差しを私に注ぎながら、迸る感情のままに過去の出来事を語りました。

 

 母方の祖父が経営している会社が、昔、倒産の危機に瀕していた事。

 会社や従業員を守るため、大きな会社を経営している父方の祖父と交渉した末、私の母は当時付き合っていた恋人と引き裂かれ、私の父と結婚し、私を産んだ事。

 私が産まれてから程なくして、父方の祖父から社長の座を受け継いだ父が、外で女遊びを始めた事。

 父方の祖父母は、跡取りとして男の子の孫を欲していたのに、女の私が生まれたせいで、父方の祖父母から母がいびられるようになった事。

 母が父に離婚を切り出そうとするも、自分達の会社を守りたいという思惑がある母方の祖父母によって、それを阻止されてしまった事。


 母は、肩を上下させつつ、それらの驚くべき事実を一気にまくし立てました。

 当時まだ小学生だった私に、悍ましい事実を受け入れる事など到底出来ないであろうと、おそらく理解していながら。

 唖然としたまま立ち尽くす他ない状態の私を見て満足したのか、母は、不意に不気味な笑みを浮かべました。

 そして、更にこう続けたのです。


 母方の祖父の体調はここ数年で著しく悪化しており、そう遠くないうちに引退を余儀なくされる。

 祖父が正式に引退した後は、母が祖父の会社の経営を引き継ぐ事になるだろう。

 倒産の危機を乗り越えた祖父の会社は、時代の波に上手く乗った事で急成長を遂げているため、最早父の会社に助けてもらう必要はない。

 故に、祖父の会社を母が引き継いだ後、暫く様子を見てから、父に離婚を切り出す。

 母は、かつて引き裂かれた恋人と実は密かに今も連絡を取り合っており、父と別れた後、晴れて彼と再婚するつもりである。


 ――と。


「ねぇ、お母さん。もしお父さんと離婚したら、私は、どうなるの?」

「さあ。少なくとも、わたしはあんたなんかいらないわよ。お父さんも男の子が欲しかったみたいだし、あんたの事はいらない、って言うんじゃない?」

「そんなっ……!」


 実の娘である私に、容赦ない言葉の刃を浴びせる母。

 皮肉にも程がある話ですが、今思えば、私の毒舌はきっと彼女からの遺伝なのでしょうね。

 母が振るった言葉の刃は、まだ小学生だった私の心に、喪失感と絶望を刻み込みました。

 

 「そうか。そうだったんだ……。」


 血の繋がった実の両親に愛されるのは、普通の事だと思い込んでいた。

 だけど、私の境遇は

 私は、実の両親にすら、いらない存在だと認識されていたんだ。

 今まで一度も褒められなかったのも、プレゼント等を貰えなかったのも、それが理由だったのか。


 全てが腑に落ちると同時に、私は自分が如何に無価値な人間であるかを、まざまざと思い知らされました。

 それからの私は、生き地獄と言っても過言ではない日々を送る事になったのです。


 世間体を重視する両親は、私に対してあからさまな虐待などはしなかったものの、食費などの最低限のお金だけを食卓の上に置いて、家には殆ど帰らなくなりました。

 父は社長としての仕事の他、女遊びに夢中でしたし、母は祖父の会社の引継ぎに追われながらも、昔の恋人との逢瀬を重ねていたようです。

 私の家なのに、私の居場所など何処にもありませんでした。


 そして、学校でも私は孤立していました。

 自業自得ではあるのですが、小学校時代に私は同級生達への自慢を繰り返していたため、次第に友人から避けられるようになり、最終的に1人ぼっちになってしまったのです。

 更に、私が進学した先の中学校も、小学校時代の同級生の大半がそのまま進学していたので、私の悪評が広がるまでそう時間は掛かりませんでした。


 たまに私に声を掛けてきたのは、下心が剥き出しの男子くらいでしょうか。

 私の事なんて何も知らない癖に、外見だけに惹かれて告白してくる、浅はかな人達。

 そんな人達を見る度、私の心はより深い闇に沈んでいきました。


 ――誰も、私の中身を見てくれない。

 ――みんなにとって、私はどうでも良い存在なんだ。


 心から繋がる事の出来る家族や友人のいない、孤独な私。

 容姿も学力も身体能力も恵まれているのに、幸せとは程遠い日々を生きている。

 なんてつまらない人生なのだろう。

 私はただ、に生きていければそれでいいのに。


 誰かに私を見て欲しいと思いながらも、私は心を閉ざし、次第に誰とも関わりを持たなくなっていきました。

 その代わり、私は図書館に入り浸るようになったのです。

 お小遣いもお年玉も貰えない私にとって、使えるお金は日々の生活費の余りのみ。

 読みたい本を買う余裕などありません。

 勉強時間以外は、ひたすら図書館で借りた本を読み漁り、退屈な日々を凌いでいました。


 ですから、高校生になった私が図書委員になったのも、ある意味必然の流れと言えるでしょう。

 私の孤独を多少なりとも癒してくれる本に囲まれながら、退屈な高校生活に少しでも楽しみを見出したかった。

 ただそれだけの思惑で図書委員になった私ですが、ここで計算外の事がありました。


 図書委員会への入会希望を提出した後に知った事なのですが、この学校の図書委員の業務は、学年の異なる2人組のペアで行うのです。

 入学してから2週間が経過したある日、新年度の委員会の集まりに初参加した私は、その規定に従って2年生の先輩とペアを組む事が決まりました。

 しかも、組む事になった先輩は、よりにもよって男子。


 その先輩は蜜井義弘という名前の人で、委員会で顔だけは確認しましたが、「地味で平凡な人」といった印象を受けました。

 見るからにチャラい男子に比べればマシとはいえ、油断は出来ません。

 むしろ、こういう一見大人しそうな人の方が、2人きりの環境下で変な勘違いをする事は多いのです。

 危険を未然に防ぐために、蜜井先輩と初めて図書委員の業務に携わる事になった日、私は言い掛かり染みた毒を彼に吐きました。


「私は、1年E組の蟻塚ありづか美波みなみです。宜しくお願いしますね、蜜井先輩。」

「うぐっ、悪かった……。」


 私からの先制パンチを受けた蜜井先輩は、明らかに面食らった様子で狼狽えていました。

 しかし、図書委員の業務に携わるうちに、彼も私のキャラクターを理解したのでしょう、私の暴言に対して怒りを僅かに滲ませた顔をする事が増えてきたのです。

 一方で、蜜井先輩は私に怒りを直接ぶつけたりはせず、やんわりと受け流す対応を取っていました。


 ――もしかしたら、この先輩となら意外と上手くやれるかもしれない。


 何となくですが、蜜井先輩と一緒に仕事をしてみて、私はそんな感触を覚えました。

 どうやら、この先輩も友人はあまりいないタイプのようですし。

 私の退屈を少しでも紛らわせてくれれば、との想いから、私は先輩に自ら絡みに行くようになりました。


「先輩は、自分のクラスが何処で試合をしていたかも覚えていないんですか。ミジンコ並みの記憶力ですね。」

「ミジンコの記憶力がどの程度あるか、蟻塚さんは知っているのか?」

「いえ、知りませんけど。でも、どうせ大した事ないでしょう? 先輩と同じように。」


 球技大会で会った時も、私は蜜井先輩に容赦ない毒を吐き掛けましたが、私の予想通り、彼は怒りを私にぶつける事も私から逃げる事もしませんでした。

 この人、地味な見た目の割に、意外と器が大きいのでしょうか。

 それとも、下級生の女子に物申す事も出来ないほどのヘタレなだけ?


 ――知りたい。

 先輩が、単なるヘタレなのか、それとも私と仲良くできる可能性のある人なのかを。


 この時の私は、自分が思っている以上に、人との関わりに飢えていました。

 本に囲まれていればそれだけで良い、なんて思っていた時期もありましたが、私は満足できなかったのです。

 思い立った私は、蜜井先輩の人柄を確かめるべく彼を焚き付けようと考え、実際に行動に移す事にしました。

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