第35話 ある少女の独白 ―孤独な蟻― 前編

 自分の家が普通でないという事を自覚したのは、私が小学生になってから間もない頃だったでしょうか。


 今でこそ、私には親しい友人がいませんが、当時の私には、下の名前で呼び合う程度に仲の良い女の子が数人ほどいました。

 学校の外で遊ぶ事はなかったけれど、教室で顔を合わせる度に、彼女達といつもお喋りに興じていたものです。

 そんな他愛もない雑談に花を咲かせる日々を、私は漫然と楽しんで学校生活を過ごしていました。


 しかし、そんなある日のこと。

 私の運命が変わり始めたのは、ほんの些細な切っ掛けからでした。


「ねぇねぇ、わたし、今回のテスト、80点だったよ!」

「あたしは90点だった!」

「えー、すごーい! 結構難しいテストだったのに! カナちゃん、やるぅ!」


 休み時間、私達の間で話題に上がったのは、直前の授業で返却されたテストの結果でした。

 小学校低学年のテストの難易度なんて、高が知れたモノ。

 高得点が取れて当たり前なのに、友人達は互いの得点を褒め合っていました。

 その光景が何処か滑稽に見えて仕方なかった私は、彼女達の会話の流れに乗って、自分の答案用紙を出してみたのです。


「私は100点だよ。そんなに難しいテストだとは思わなかったかな。」

「えええー!? 美波ちゃん、満点だ!」

「あたし達の中で、一番点数が高いじゃん!」

「美波ちゃんって、頭良いよねぇ。勉強だけじゃなくて、運動も出来るし。」

「うん、この前の50メートル走のタイム、クラスで一番だったもんね!」


 友人達は、口々に私の能力を讃えてくれました。

 生まれてから両親に一度も褒められた記憶のない私にとって、それはあまりにも新鮮な出来事で。

 背中がこそばゆくなる感覚と共に、まるで宙に浮き上がるような、今まで感じた事のない高揚感を覚えたのです。


 この時私が感じた高揚感こそが、後の私を決定付けたと言っても過言ではないでしょう。

 誰かに褒められる、認めてもらえる事。

 それは私にとって、まさしく「甘美な毒」だったのですから。


 この出来事以来、私は事ある毎に友人達に自慢を繰り返すようになりました。

 皆から持ち上げられ、褒められる事によって、快感という甘さと毒を自らのうちに溜め込んでいったのです。

 しかし、そんな状態は決して長くは続きません。


「私、今回のテストでもまた100点を取ったよ。」

「へ、へぇ。す、すごいね。」

「美波ちゃんは、いつも100点だよね……。」

「当然だよ。私達はまだ小学生で、これからどんどん勉強は難しくなっていくんだから。こんなところで苦労していたら、中学生や高校生になった時、勉強についていけなくなるよ?」

「う、うん、そうだね……。」


 顔を引き攣らせる友人達に、私は正論を述べたつもりでした。

 ですがそれ以降、友人達はあからさまに私を避けるようになったのです。


 どうして避けられるようになったのか、当時の私には見当もつきませんでしたが、今の私には分かります。

 人は、自分よりも優れた人間が身近にいる事に対して、何かしらの劣等感を覚える生き物。

 まして、私のように自分の能力をアピールし続けていれば、周囲の人間は劣等感を幾度も刺激され続け、やがて不快感に耐えられなくなって、私の元から離れていく。

 ただそれだけの話なのです。


「ねぇ、ところでさ。わたしね、今回のテストで良い点を取ったら、ずっと前から欲しかった服をお母さんに買ってもらえる事になってたんだよ! だから、今日帰った後でお母さんにテストの点数を見せに行くつもりなの!」

「わー、いいなぁ。うちは好きなデザートを1つ買ってもらえるくらいしかご褒美なんてないよ?」

「あたしはテストで良い点なんて取れた事ないから、ご褒美なんて貰った覚えはないなぁ。あ、でも、誕生日は毎年高いプレゼントが貰えるから、おあいこなのかな?」

「わたしは誕生日がクリスマスと近いから、プレゼントはいつもクリスマスと一纏めにされちゃうんだよねー。その分、豪華なプレゼントが貰えるからいいんだけど。」


 私を除く友人達が、楽し気に談笑している。

 当時、まだ幼かった私は、指を咥えてその光景を見つめている事が出来なかったのです。

 友人達に避けられる理由に気付いていなかったこの時の私は、席を立ち上がり、彼女達に近付きました。


「みんなは、そんなに色々とプレゼントとかご褒美を貰ってるの?」

「え、あ……美波ちゃん。うん、そうだけど。」

「誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントはともかく、美波ちゃんはいつも100点なんだし、ご褒美なんて腐るほど貰ってるでしょ?」

「ううん。私、ご褒美なんて買ってもらった事、一度もないよ。」


 必要最低限の生活用品と食料品を除いて、私が何かを親から貰った記憶は全くない。

 誕生日プレゼントも、クリスマスのケーキやプレゼントも、小学校への入学祝いも。

 そればかりか、お小遣いやお年玉すらも。

 みんなが当たり前に貰っているような物を、私は一度も両親から貰った覚えがなかったんです。


 家が貧乏でお金がない、という理由があったのなら、「これは残念だけど仕方がないんだ」と納得する事もできたでしょう。

 だけど、私の家があるのは巨大なタワーマンションの最上階。

 それに、家具や調度品の数々も一目で高級品だと分かるような物ばかりだし、両親が着ている服やアクセサリもブランド品に塗れている。

 こんな暮らしをしているのにお金がない、なんてまずあり得ない。


 かねてより抱いていたその疑問は、私の中で一気に膨れ上がり、不信感に変わっていきました。

 結局、いても立ってもいられなくなった私は、その日の夜遅くに仕事から帰宅した母親を捕まえ、問い質したのです。


 ――どうして、私には何もプレゼントを贈ってくれないのか。

 ――どうして、私はいつも学校で好成績を収めているのに、一度も褒めてくれないのか。


 私が疑問を幾つもぶつけると、仕事帰りのせいか疲れた顔をしていた母は、怒りに満ちた表情で私を睨み、こう吐き捨てました。


「あんたの事なんかどうでも良いからに決まっているでしょう。世間体があるから、仕方なく育てているだけよ。」

「え? 私、お母さんとお父さんの娘なんだよ? どうでも良いなんて、変だよ。」

「普通に恋愛結婚した夫婦の間に生まれたのなら、そうでしょうね。でも、うちは違うの。わたしのお父さんの……あんたにとって母方のお爺ちゃん達のせいで、わたしは無理やり結婚させられて、あんたを産んだのよ!」

「ど、どういう事!?」


 母が私を見つめる瞳からは愛情などが一切感じられず、その代わりに怒りと憎悪が渦巻いていました。

 そして、憤怒の表情を浮かべた母は、迸る感情のままに衝撃の真実を次々とまだ幼かった私に叩き付けてきたのです。

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