第34話 無機質な部屋
この街の中に建っているマンションの中でも、他とは一線を画す程に大きなタワーマンションの40階。
最上階であるここで、僕は蟻塚と共にエレベーターを降りた。
エレベーターを降りた瞬間、僕の目の前に現れたのは、「蟻塚」と刻まれた表札と、1つの部屋の扉。
蟻塚がこんな場所に住んでいるというのは、どうやら事実だったようだ。
「さあ、入ってください。」
「え、いや、いいのか? 僕は男だぞ?」
女子の家に、男が1人だけ招かれる。
傍から見れば、友人以上の関係に思われても仕方のない状況だ。
それに、僕はまだ、心の準備が出来ていない。
蟻塚の両親と鉢合わせた場合、どうやって凌げば良いのか。
全くもって、何もアイデアが思い浮かばないのだ。
「心配はいりませんよ。先輩はヘタレですから、残念ながら私に何かする度胸なんてないでしょう?」
「ヘタレ云々はともかく、何もするつもりがないのは確かだ。」
「あと、私の両親は不在です。殆ど帰宅する事はありませんから、先輩が両親に何か言われるような事はありませんよ。もっとも、あの人達の事ですから、仮に鉢合わせたとしても、先輩が責められる展開には絶対にならないです。」
「どうしてそう断言できるんだ?」
「ふふ。さあ、どうしてでしょうね?」
ニッコリと微笑む蟻塚だが、その目は全く笑っていない。
心なしか、瞳に光が無いようにも見えるが……。
もしかして、蟻塚は両親と仲が悪いのか?
気になるが、藪蛇になりそうで怖いな。
うん、ここは無視が一番だ!
「おお、こりゃ凄い家だな。」
玄関からして、まず広い上に綺麗だ。
床は大理石だし、シューズボックスの上には高価そうな陶器などが飾られている。
廊下には絵画が掲げられていて、教室と同じくらいの面積を誇るリビングにも、数々の調度品や洋風の家具が置かれていた。
部屋の内装を一目見た感想としては、如何にもな金持ちの家、といったところだろうか。
綺麗で清潔なのは結構だが、あまり生活感がない。
そのせいか、物は充実しているのに、何処か寂しい雰囲気が感じられる。
良い部屋である事は間違いないけど、長居はしたくない場所だな。
「レジ袋は、ここに置いておけば良いか?」
「はい。冷蔵庫に入れるのは、私が1人でやります。先輩は、私の部屋で待っていてください。」
「え? もう帰るつもりだったんだが……。」
「ここまで荷物持ちをしてもらったのに、お礼もせずに帰らせる訳にはいきません。レジ袋の中身を全て片付けたら、飲み物とお菓子を持っていきますから、私の部屋で待っていてください。私の部屋は、リビングを出て廊下を右へ曲がった先です。」
「いや、お礼とかは別に気にしなくて良いぞ?」
「せ・ん・ぱ・い? 私の部屋で、待っていて、もらえますね?」
わざわざ細かく言葉を区切って強調したその物言いには、明らかな圧を感じる。
もう逃げたいんですけど、逃げても良いでしょうか?
視線だけで必死に訴えてみたものの、蟻塚は、色のない瞳でこちらを見返して笑みを返してくるだけ。
――逃げたらどうなるか、分かっていますよね?
あくまで僕の想像に過ぎないが、蟻塚の笑みに隠されているのは、大方そんな台詞じゃないだろうか。
ますます逃げ出したい気持ちが強くなるが、逃げたらどうなるか想像するのも怖い。
「……分かった。その代わり、お礼を貰ったらすぐ帰るからな。」
「仕方ありませんね。無事に仕込みも出来た事ですし、今日のところはそれで構いません。」
良かった、こちらの要望を無事に受け入れてもらえたか。
返事の中に、何か気になる単語が混じっていたような気もするが……。
とりあえず、蟻塚に言われた通り、彼女の部屋に向かうとしよう。
「ここか。」
地味で陰キャな僕は、当然ながら女子の部屋に入った事など一度もない。
廊下を進んだ先にあった部屋は、扉が最初から開け放たれていて、廊下からその内装を窺う事が出来た。
家の広さに反して、蟻塚の部屋の広さは普通で、目測だが6畳くらいだろうか。
シングルベッドに本棚、勉強机が所狭しと置かれている他は、特に目に付くような物はない。
リビングや廊下などは綺麗で高級そうな調度品があったのに、この部屋の内装は至ってシンプルなのだ。
お金持ちの家のお嬢様の割には、らしさというものが感じられない。
それに、部屋の内装は女子っぽい可愛らしさとも無縁で、ベッドのシーツやカーテン、絨毯などは白やグレーの物ばかりだ。
人形などのファンシーな装飾品の類も、一切見当たらない。
女子らしい匂いはかろうじて感じられるが、ただそれだけだ。
無機質な気配を纏う部屋を目の当たりにして、女子の部屋に初めて入るドキドキ感が徐々に薄れていくのを感じる。
あまり緊張せずに済みそうなのは幸いだが、微妙に残念な気もしないでもない。
まあ、別に蟻塚と何らかの進展がある事を期待している訳じゃないが。
「お待たせしました、先輩。」
部屋の真ん中辺りに適当に腰を下ろし、適当にスマホを触って待っていると、蟻塚がジュースとお菓子の袋を持って現れた。
僕がそれらを受け取ると、蟻塚は僕の正面に座り、微笑を浮かべる。
「何だか新鮮ですね。私の部屋に、自分以外の人がいるなんて。」
「僕も、女子の家に来るのは初めてだったから新鮮だよ。」
「本当は、もし良かったら今日うちに泊まっていってもらおうかなぁ、とも思っていたんですけどね。残念です。」
「ぶっ!? と、泊まりぃ!?」
幾ら何でも、段階をぶっ飛ばしすぎだろ!?
一体何がどうなって、そんな提案が出てくるんだ!?
仮に恋人同士の関係であったとしても、高校生の僕達には早過ぎる展開と言う他ない。
「蟻塚さん、今日はいつもと様子が違うように見えるぞ? 急にキャラが変わり過ぎじゃないか?」
さっき喫茶店にいた時も思った事だが、やはり蟻塚の振る舞いは以前と明らかに違う。
僕が事なかれ主義らしく更にスルーを続ければ、彼女の言動は余計に悪化しかねない。
問題が起きる確率を最小限に抑えるためにも、ここで気になった事は尋ねておくべきだろう。
果たして、蟻塚の変化は、如何なる理由によるものなのか――。
「だって、先輩は私を見てくれたじゃないですか。私の外見や能力だけじゃなく、私の内面を、受け入れてくれましたよね?」
「は? な、何の話だ!?」
「うーん、最初から説明した方が良さそうですね。私の生い立ちや、家族の事などについて。」
「え、えっと……。」
もしかして、これは選択肢を間違えたか?
もっと無難な会話で切り抜けた方が良かったんじゃないか?
更なる面倒事の予感を感じながらも、最早僕にはどうする事も出来ない。
自分から踏み込んでしまった以上、退路は既に絶たれているのだ。
僕は固唾を呑んで、蟻塚の話に耳を傾ける他なかった。
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