第14話 褒美
サラ達がダリアスの街を旅立ってから、そろそろ半月が経とうとしていた。
現在は主要街道を避けて、碌に旅人も見当たらない寂れた田舎道を南下している。
一行は長旅で疲労が溜まっていたが、泣き言を言わずに何とか旅を続けていた。
野宿を避けて狭いながらも屋根のある場所で寝泊まりしているのが余計な体力消費を避けた一因だろう。助力を申し出てくれた盗賊ギルドのおかげと言っていい。
しかしながら彼等のような犯罪結社が、ただの義侠心や愛国心でサラを助けてくれたはずがない。いずれ大きな対価を求められるのは目に見えている。
後が恐いのは確かだが、今は誰もが一日を生き抜く事を優先させていた。
その甲斐あって、今日の夕刻には王都アポロニアへたどり着く事が出来るだろう。ヤトとカイルを除く一行の顔が明るいのはその為だ。
太陽神の膝元はすぐ近くまで迫っていた。
―――――――夕暮れ時。
沈み行く太陽の柔らかな光が刈入れ前の小麦畑をオレンジに照らしていた。あと半月もすれば国中で麦の収穫が始まるだろう。
その麦畑を横目に、御者をしていた使用人は逸る気持ちを落ち着けて、馬に鞭打つのを止めた。彼はそれほどに懐かしの都を恋焦がれていた。
少しずつ大きくなるアポロニアの白い城壁に比例して一行の懐郷心は大きくなるも、次第にそれは落胆へと変わる。
門は固く閉じられてた。
「そう落胆するものではない」
アルトリウスが皆を宥めてから馬車から降りた。
彼は大門の隣にある小さな兵士の詰め所に入った。
「私は近衛騎士団のアルトリウス=カストゥス。サラ王女殿下の慰問に同行したが、急遽予定を変更して帰還した。門を開かれたし」
驚く兵士達だったが、責任者の兵長がアルトリウスの剣の紋章が本物である事を確認した後、街の内側の兵士に連絡して門を開けさせた。
門をくぐり、一行は街の中へ入った。
街の中は遅い時間もあって人もまばらだ。如何に建国三百年を数える太陽神の王国の都でも、眠らない街はごく限られた区画にしかない。そうした歓楽街が置かれているのは都の西側。ここは平民の住居の多い北側だ。
都の舗装された石畳を馬車は揺れる事なく進む。平らな道はそれだけでこの国の王の権威と力を示していた。
王の住む城は都の中央にあり、周囲は水堀で囲まれていた。入り口は東側の跳ね橋が一本だけ。もし敵に攻められても簡単に落ちないように造られている。
馬車は橋の前で止められたが、サラの姿を見た守備兵は驚きながらも帰還を喜んだ。
城前で停車した馬車。一行はここで身分によって分けられた。
まず最初に王女のサラと護衛のアルトリウス。それから使用人達。最後に傭兵のヤトと同行者の盗賊カイルだ。
一人は王女襲撃犯の生き残り。もう一人は犯罪者。そのまま牢にぶち込まれても言い訳のしようもない二人だが、そんな事はなく真っ当に客人用の二人部屋へと案内された。
部屋はこじんまりとしており、小さめのベッドが二つと簡単な家具が据え付けられているだけ。平民用にしては部屋が広いので、貴族の護衛か騎士に割り当てられる部屋だろう。ヤトもカイルも寝れれば良いので文句は無い。
しばらく部屋の逃走経路などを調べていた二人は、部屋に来た使用人に連れて行かれて風呂を勧められた。
「国王陛下がお会いになられますので、お召し物を代えてください」
道中は精々水で身体を拭くぐらいしか出来なかったので臭いのは仕方が無いが、言外に『お前等臭いから綺麗にしろ』と言われていた。文句を言うほど二人は意固地でもないので黙って半月ぶりの熱い湯を堪能させてもらった。
さっぱりして着替えも済ませた二人は使用人に城の一室へと連れて行かれた。
部屋に入って最初に目についたのは巨大なテーブルから零れ落ちそうな料理の数々だった。肉、魚、果物、パン、どれも手のかかった精巧にして食欲をそそる料理は全て銀製の皿に盛られている。
カイルは料理に目を奪われて、幼くも端正な顔を崩した。
テーブルの最奥に座る痩躯の黒いくせ毛の五十歳を過ぎた中年男が唇を歪めて笑う。隣にはドレスを着て身を整えたサラが座っていた。その後ろには鎧姿のアルトリウスが控えている。サラは二人に無言で会釈した。
「陛下は鷹揚な方ですので多少の不作法は笑って許してくださいますが、限度がある事をお忘れなきよう」
後ろに控えていた使用人が二人、特に料理を心待ちにしていたカイルに釘を刺した。つまり奥に座るくせ毛の男がこの国の王なのだろう。
国王は無言で手招きした。二人は促されるままに席に着いた。
「私がアポロンの王、レオニスだ。娘を助けた事、大儀であった。名を名乗るがいい」
「ヤトと言います。ただの傭兵です」
「僕はカイルです。その、盗賊です」
威厳のある声に、ヤトは兎も角、カイルは気後れしていた。何より王に向かって面と向かって盗賊を名乗るのは中々に勇気がいる。
しかし意外にもレオニス王は笑いながら気を抜いて楽にしろと言った。先程の使用人が王を鷹揚と評したのは間違いではなさそうだ。
挨拶が終わるとレオニスとサラは脇に置いてある布で手を拭いた。食事の前の手拭きである。ヤトとカイルもそれに倣って手を拭いた。
この国の貴族や王族の食事はテーブルに盛られた料理の中から欲しい料理を給仕が取り分けてくれる。
ヤトが最初に貰ったのは川魚の揚げ物と季節の野菜のサラダ。薄い衣を付けてカリカリに揚げた魚は骨までバリバリに食べられる。合間にサラダを食べれば脂っこさも気にならない。
途中でパンとブドウを選ぶ。パンは旅で食べるようなカチカチの塩パンではなく、焼き上げたばかりでふっくらとしたハチミツ入りのパンだ。甘くて美味しい。ブドウも新鮮で瑞々しさで喉が潤う。
カイルは主に肉料理をガツガツ食べているが、意外と綺麗に食べていた。食器の使い方も丁寧だ。盗賊として育てられたのになかなか作法に通じている。
「城の食事はどうだ、味は満足か?」
二人は城の主の問いに肯定した。贅を凝らした料理にケチをつけるとしたら、余程の偏屈か味覚がズレている者ぐらいだろう。
そして王との食事は無事に終わった。大半の料理は一度も手を付ける事すら出来なかったが、二人は満腹だった。それだけ用意された料理の数が多かった。王の料理とはそういうものだ。
残った料理の大半は城の使用人の食事に回されるので無駄になる事は無い。これも世の中を上手く回す秘訣である。
カイルは片付けられていく料理を名残惜しそうに見つめる。ヤト以上に食べておいて、まだ食事に未練があるのだろう。実に食い意地が張っている。
料理の代わりに今度は飲み物が運ばれてきた。レオニスにはワインが、それ以外の面子には果実を絞ったジュースが置かれた。杯は銀製を黄金で装飾した高価な品だ。
「ヤトだったな、お主は下戸か?」
「いえ、飲めますが、時と場合によります」
「――そう警戒するな。娘から経緯は聞いたが、罰する気はない。まあ好きにするがいい」
酒を断られたが、レオニスは別段気にした様子もなく、自分が代わりにワインを美味そうに飲んでいた。残りの三人もジュースに口を付けた。
杯を置いたヤトとカイルに、レオニスはおもむろに話を切り出す。
「カイルはこの後の事を、盗賊ギルドから何か聞いているか?」
「えっとギルドマスターから、暫く修行のために帰って来るなって」
「お主の母から、息子は適当に扱き使えと手紙に書いてあったぞ」
「えっ?なんで?」
国王相手に素の態度で尋ねてしまい、アルトリウスや傍の騎士が咎めるような視線を送る。しかし王は気にせず答えた。
「さてな。可愛い子には旅をさせよ、の精神かもしれん。まあ、衣食住は困らんようにしてやる。仕事は与えるから小遣いは自分で稼げ」
たったそれだけで、後は笑うだけでレオニスは何も言わなかった。
カイルは釈然としないが、王を必要以上に問い詰めるわけにもいかず、沈黙するしかなかった。
笑っていたレオニスだったが、ヤトに目を向けた瞬間、明らかに場の雰囲気が変わった。
彼は人の好さそうな笑みを引っ込め、威厳のある王に相応しい面構えになった。周囲の護衛は自然と背筋を正し、サラやカイルは顔が張り詰める。
そんな中でヤトだけは何事も無いように自然体を装っていた。
「怒れる王を前にしてそのふてぶてしさは大したものだ。流石に闘争に身を置く者よ」
「お褒めに与り恐悦至極」
「まあよい。先程言ったように私はお主を罰する気はない。娘が赦した以上はな」
レオニスは厳しい態度をやや緩めたが、悩むような複雑な顔をする。王からすればヤトは騙されたとはいえ娘を襲い、何人もの騎士を殺した相手だ。当のサラが赦しても、そう簡単に割り切れる物でもない。しかしここで罰したり騎士に襲わせないので、言葉通り害する気は無いのだろう。
「それに捕らえられた娘やアルトリウスを救い、逆にダイアラスを捕らえたのだ。その功績には報いねばならん」
サラを救ったのは護衛の仕事と言い張れるが、謀反人のダイアラスを城まで連れてきたのは仕事の範疇には入らない。故に認めねばならない。それは騎士を殺した罪を補って有り余るとレオニスは考えていた。
問題はサラやアルトリウスから聞いたヤトの性格や望みに見合う褒美が用意出来ない事だ。
ただの傭兵なら金や上等な武器の一つでも褒美として与えればそれで済む。
安定した職や立身出世が望みなら、城で兵士として雇えばいい。騎士見習いでも何とかなる。
女を求めたのなら相応に美貌の女を宛がってやれば満足するだろう。
名誉が欲しければ、何か『二つ名』を送るのもアリだ。王自ら『銘』を送るなど滅多にある事ではない。
そのどれもがヤトが求めるモノではないのは明白だ。
『己が最強である証明』など誰が用意出来るというのだ。そんなものは己の中にしか無いと言うのに。
精々強い相手を見繕ってやるぐらいだが、困った事に重傷を負ったアルトリウスは騎士団の中でも上から数えた方が早い練達の騎士だ。まかり間違って上位騎士と戦わせて殺しでもしたら国の損失は計り知れない。
かと言って適当な物で場を濁せば、後々自分の欲しい物をくれなかったケチ臭い王などと言い触らされたら面子が立たない。
王というものは人気が求められる職であり、気前が良くないと人気が集まらない。
故に王は考えた末に娘に倣う事にした。
「この国に居る間は好きな相手と好きなだけ戦うがいい。私が認めよう」
「へぇ」
ヤトは明らかな笑みを浮かべる。その笑みは欲しかった玩具を貰えた幼児のような純粋無垢な笑みであり、見る者の首筋が冷えるような、氷のような瞳をしていた。
「ただし、殺すのは無しだ。治せない傷を残してもいかん」
「――――それは何とも難しいルールですね」
「世界最強なら、それぐらいの加減は出来ると思うが」
「おだてているのが見え見えですよ。ですが、ここは国王の顔を立てて、ありがたく頂きましょう」
褒美に満足したヤトはカイルと共に、王とその娘の前から退席した。
残された父娘は暫く黙っていたが、娘の方から重い口を開いた。
「お父様、あれで良かったんですか?彼は誰にとっても劇薬ですよ」
「だからこそ手元に置いた方が良いのだ。下手に野に解き放ったらどうなるか分かった物ではない。特に今はヘスティとの戦端が何時開くか分からんのだ」
戦争の二文字がサラの心に重くのしかかる。彼女には何の咎も無いが、己が戦乱の動機になってしまうのが辛かった。
そのような優しい少女であることをこの国の民は良く知っている。だから卑劣なヘスティを許さないと息巻く都の民の声が城にまで届いていた。
その声はサラが城に帰還する前から聞こえていた。あまりに速すぎる。誰かが焚きつけているはずだ。ダイアラス以外にも戦乱を望む獅子身中の虫が巣食っている。それが分からない程レオニスは愚物ではない。
力の及ぶ限りヘスティとの戦は避けるが、最悪の展開にも備えるのは王の務めだった。
ヤトを手元に置きつつ手綱を握って御するのも備えの一つだ。最悪開戦した場合、彼をそのままヘスティにぶつけてしまえば良い。きっと嬉々として戦ってくれる。
それはヤトも望む展開だ。
「さて、あとは彼の経緯を手紙にしたためて傭兵ギルド本部へ送ってやるとしよう」
「んー、それは私を襲った事への抗議ですか?」
「それもあるが領主と結託して余計な事を知った傭兵を口封じするような支部長を信用出来んと強く抗議する。情報公開を匂わせてな」
傭兵にとって依頼主やギルドへの信頼は絶対でなければならない。そうでなければ誰も命を預けられない。
その不文律を容易く破るような男が支部長の地位にいると知られれば、今まで築いてきた傭兵ギルドの信頼は地に落ちる。
ギルドにとって絶対に避けたい事態だ。その情報をダシにすれば如何様にもギルドから優位を取れるだろう。使わない理由は無い。
手元にある札を全て使って物事を優位に勧めるのがレオニスの王道だった。
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