第82話 謎の男(2)

支社長室に戻ると、



「志藤。 社長から電話があったぞ。」



支社長から言われた。



「・・ハイ、」


用件はわかっていたので深くは聞かなかった。



「まあ、私もな。 おまえが東京へ行ってしまうと。 何かと困るけど。 何しろ社長直々の希望やし。 これを無視することはでけへんやろ、」



「ぼくは。 東京へ行って『あの』仕事をする気はありません、」


志藤はファイルを整理しながら言った。



「おまえの夢ちゃうかったんか?」



その言葉に


手が止まった。




「昔。 昔の話やないですか、」


そして


つぶやくようにそう言った。







「なんか、あったん? いつもより・・スゴかったし~、」


女はベッドにうつぶせて、フフっと笑う。



「・・別に、」



志藤はベッドの端に腰掛けて、タバコをくわえた。



「ねえ~。 今度。 嵐山連れてって。 幸太郎の育ったトコ。 見てみたい~。」


彼女は甘えるように起き上がって後ろから抱きついた。



そんな彼女に冷めたような視線で



「・・シャワー浴びてきたら? 今日は帰らないとお父さんに怒られるんちゃうの?」



と言って


ふと笑った。




彼女がシャワーを浴びている間に。


彼女の携帯を取り出して


メモリーから自分の番号を消去した。




終わりやな。




そのまま


ホテルの部屋を出て行く。





誰が


実家なんかに


連れてくねん。



そんなん言い出すのが


別れるころあいや。




志藤は足早に雑踏の中を歩きぬける。




『東京へ、来てくれないか?』




何故だか


北都の言葉を思い出した。




いきなりのことだったので


戸惑った。





『クラシック事業部を立ち上げたい。 そして、北都フィルオーケストラを作る、』




続いて


北都から出た言葉に


胸の中を


引っ掻き回されそうなほど


動揺した。



「オケ・・? クラシック・・?」



電話の向こうの彼に思わずつぶやいた。



「息子の真太郎が案を出して。 確かにおもしろい、と思い取締役会議にかけようと思ってる。 そっちにも近々連絡が行くと思うが。 恐らく通るだろう。 おまえは・・・それがしたくてウチに来たんだったよな、」




北都のその言葉が


頭の中が真っ白になるほど


腹立たしかった。




「・・覚えていません。 そんなこと言った覚えも、ありません。」



怒りを抑えてそう言った。



「志藤、」



「申し訳ありませんが。 お断りします。 今のぼくには何もできそうもありませんから、」



志藤は社長相手の電話だというのに


自分から電話を切った。




なんで


こんなにも


腹立たしいのか。



『あの時』



の自分に戻ることなんか


絶対にないって


思っていた。



そこに戻ったら


死ぬほどつらかった


あのときにも


戻ってしまうから。


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