第75話 木の試練
「ヤエイ…美味しい。」
トドロイは凛の作った夕飯を手掴みで口に放り込んでは頬を膨らませて食べている。行儀は
「トドロイは人型になれるんだな?」
「うん。小さい子達はこの姿じゃないと危ない。」
「キューちゃんみたいな子達の事か?」
「キューちゃん?」
「凛の肩に乗っている子だよ。」
「うん。小さいから危ない。」
「ドラゴンの姿だと大きいからな。」
「なんで知ってる?」
「壁の上に飛んでいくトドロイを見掛けたんだ。緑色の綺麗な姿だろ?」
「緑色の鱗。それは私。」
「やっぱりか。外で何してたんだ?」
「食べてただけ。」
「食事か。確かにここには食い物が無いもんな。」
「たまに外に行って食べる。それだけで十分。でもリンのヤエイは美味しいからまた食べる。」
「これは野営ではなく、ご飯と言います。言ってみて下さい。」
「ゴハン?」
「ご飯。」
「ご飯!」
「よく出来ました。次からはご飯をください。と言うのですよ?」
「ご飯をください!分かった!」
「良い子ですね。」
凛に頭を撫でられると
「トドロイ。」
「なに?」
「俺達は試練を受けに来たんだが…」
「うん。知ってる。」
「トドロイの出す試練ってなんだ?」
「ここに暫く住む。」
「それが試練?」
「うん。ダメ?」
「いや、ダメじゃないが、そんな試練で良いのか?」
「私は良い。」
「そうか…分かった。」
ここで過ごすことの何が試練になるのだろうかと不思議に思っていたが、日が完全に沈みきってからその意味が分かった。
この森は、昼間は普通の森だが、夜になり太陽が沈むと全く別の顔を見せる。
トドロイが寝ているという寝床以外の全ての植物が俺達を捕食しようとしてくるのだ。小動物達や、トドロイには一切目もくれず、俺達だけを狙ってくる。
「どうなってんだ?!」
「知りません!口より手を動かして下さい!」
「数が多すぎます!」
「避難する場所なんかない!耐え凌げ!」
この地帯に生息するほぼ全ての植物が襲ってくるのだ。尋常な数ではない。しかも、普通の植物系モンスターとは全く違う。例えばトレント。木のモンスターで、体を真っ二つにされれば絶命し動きを止める。当然の事だ。木のモンスターとは言え木ではなくモンスターである限りその理は変わらない。
しかし、この森で俺達を襲ってきている木は真っ二つにしようが、魔法で粉々にしようが、死ぬ事がない。動けなくなった植物は、地面の下へと取り込まれ、また別の場所に再生される。完全な無限ループ。倒しても倒しても終わりはやって来ない。
「どれだけ続ければ良いんだ?!」
「日が昇るまで…だろうな。」
「何時間あると?!」
考えたくもなかった。あとどれだけの時間こうしていなければならないのかを。
救いなのは植物達単体はそれ程強くはないという事だけ。ひたすら温存に温存を重ねて戦うしか方法が無い。
一時間…二時間…そうして時間が過ぎていくにつれて、全身に細かい傷が増えていく。
更に時間が過ぎると、より傷が増え、頭の回転が遅くなっていくのを感じる。
そこから更に時間が過ぎると、自分が何をしているのか分からなくなってくる。何をしているのか分からないのに、体が勝手に動いている様な感覚だ。
そして、日が昇る頃になると、完全に頭が真っ白になる。何も考えず、何も言わず。ただ襲ってくるものをひたすらに倒していく。
ふと気が付くと、日が昇り、襲ってきていた植物達は単なる植物へと戻っている。
「終わった……のか…?」
「………」
ドサッ…
傷を癒すよりも先に、俺達は即時その場で睡眠に入った。一人残らず。
「キュー…」
「………」
「キュー…」
「……起きたら目の前にキューちゃん。」
目を開いた瞬間にドアップキューちゃん。思わず現状を呟いてしまった。
「くー!」
「ん……」
ほぼ同じタイミングで皆も起きる。
「おはようございます…」
「おはよう。何より先に傷を治して、その後体を綺麗にしよう。」
「はい…」
あまり寝起きのリーシャや凛を見る事が無いので、ちょっと得した気分だ。
起きた時間はちょうど昼頃だろうか。太陽が高々と上がっている。全身の傷を回復薬で癒した後、魔法で全身の汚れを落とす。一息入れて昼食だ。
「ご飯ください。」
すっと現れたトドロイが放った最初の言葉がこれだった。
「今準備していますから、座って待っていてい下さい。」
「うん。」
そう言うと、何故か俺の膝の上に座る。
「……」
「……」
「何故俺の膝の上に座るんだ?」
「ここが良い。」
「……そうか。」
「うん。」
俺何か懐かれる様な事をしただろうか…?いや、出会ってからの事はよく覚えているが、そんな事は一切していない。
頭を捻って考えていると、昼飯が出来る。食事を始めるとよく分かった。膝の上にトドロイが居ると、角が邪魔で食べにくい。
「食べる時は自分で座ってもいいんだぞ?」
「……嫌。」
「……そうか。」
「うん。」
訝しげな目で俺とトドロイを見ている健。俺にも何故こうなっているのか分からないのだ。そんな目で見ても説明は出来んぞ。
因みに、いただきます信者は昨日のうちに一人増えた。
「……大変だった?」
「夜か?正直大変だった。体力も魔力もスッカラカンだ。」
「そっか。」
妙に嬉しそうに笑うとトドロイはまたご飯を食べ始める。
「あれ…もしかして毎日やるのか?」
「うん。」
「そうだよな…」
「大丈夫。マコト達なら平気。」
「…そうか?」
「うん。」
どうやら俺達なら平気らしい。全く平気では無いが…
その日から地獄の日々が始まった。夜通し戦い、倒れる様に寝るを繰り返す。
常に寝る前は体中に傷が絶えず、体力的にも、精神的にも辛い。癒しのマスコットキャラのキューちゃんも戦闘中はどこかに隠れて見えなくなってしまう。居たら居たで気が気じゃないが…
「疲れるー…」
「毎日毎日これでは精神的に辛いですね…」
「これで十日目か…暫くってのはどれくらいなんだろうな。」
「暫くは暫くだろ。トドロイの気分次第だろうな。」
「だよなぁ……」
「俺達はひたすら乗り越えていくしか無いって事だ。」
「ケン。だらしない。すぐ音を上げる。」
「言うじゃねぇか。やったるわー!」
健の熱い想いも、二十日が過ぎた時には完全に消沈してしまっていた。それは健に限らず、全員に言える事だった。いつまで続くのか分からない戦いに正直うんざりしていた。ただ、戦闘自体は慣れて余裕も出てきていた。最初は死ぬ程辛かったのだが、今では余力を残して夜が明ける事もある。
「くぁーー!!眠てぇ!」
「これだけ昼夜が完全に逆転していますと、体調が良いのか悪いのかさえわからなくなりますね。」
「日が出ている時間のほとんどを寝て過ごしているからな…
ただ、俺達の苦手としていた、数で押される戦闘と、長時間の戦闘を同時に克服出来たな。」
「言われてみれば…」
「これだけ毎日やらされれば嫌でも慣れる。」
「それで良い。」
「トドロイ…」
またしてもスッと現れたトドロイ。しかし、いつもと違ってどこか真剣な面持ちに見える。
「これで終わり。」
「試練終了か?!」
「うん。」
「終わったー!」
「トドロイ。この森はなんで俺達だけ狙ってくるんだ?」
「この森は一つ。」
「??」
「一つの事だけを守り続ける。私の認めたもの以外を排除する。」
「……この森がトドロイと小動物を襲わないのは……これが全てトドロイの魔法だからか…?」
「うん。」
「……これ全て…」
他にも試練を受けているドラゴンが居ると言っていた。つまり、トドロイの魔法は、恐らくだがこの森全てに掛けられているはずだ。一体どれだけの広さがあると思っているんだ……
「マコト達をずっと見てた。」
「ずっとここに居たからな。」
「その子を救って、傷も癒した。」
「そうだな。」
「良い人達。私は別に試練を受けさせなくても良いと思ってた。でも、この先に進むなら。」
「ちゃんと乗り越えていかないと、先で躓くって事か?」
「弱点は少ない方が良い。」
「……そうだな。トドロイの言う通りだよ。」
「でも、やっぱりマコト達なら平気だった。」
「楽では無かったけどな。意外となんとかなってたな。」
「それで良い。」
そう言うと、トドロイの体が光に包まれて、大きくなっていく。この森に入ってから初めて見るトドロイの本来の姿。
エメラルドグリーンの美しい鱗に、深緑の瞳。細く長い尻尾のドラゴン。俺と凛が壁の横穴から見上げたあのドラゴンだ。
「これを持って行って。」
トドロイは一枚の鱗を地面に落とす。
「ありがとう。」
「来る時と同じ。もう森はマコト達を襲わない。安心して。」
「そう言えば、ここに来る前は襲われなかったな…なんでだ?」
「マコト達に与える試練を考えていたから。この子達を虐めるような人達だったら違う試練。」
「その試練の内容は聞きたく無いな……」
「それが良い。」
「……」
トドロイに嫌われていたらどれ程の試練になっていたか……
「そろそろ行くよ。」
「うん。」
凛の肩に乗っていたキューちゃんが地面に降りると、トドロイの元まで走っていく。
「あー!キューちゃん!」
「キュー?キュ!」
「だから別れる時辛くなるって言ったろ?」
「ふぇー……」
「ほら行くぞ。」
「はい……」
全力で肩を落とす凛を連れて次の試練へと向かう。
美しい緑色のドラゴンに見送られて。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「土のドラゴン最強と、木のドラゴン最強の二体にはこれで認められたんだよな?」
「そうだな。」
「あと六つ。そんで次は……カナサイスか。」
トドロイの元を離れて数日。森を抜けた先に広がるのは、ゴポゴポと音を立てる赤いマグマが、所々に見える地帯。焼けるような温度と、マスクをしていないと危険な程の有毒なガス。道を選んで進まなければ、地面に足が焼かれてしまう。
「こんな所を通っていくのか…」
「また暑いのかよ…」
「愚痴っていないで、行きますよ。時間は有限です。」
嫌がる健を先頭に、この焼けた地へ足を踏み入れる。マグマから発せられる有毒なガスを避ける為のマスクがより暑さを助長する。
「あちっ!飛んできた!」
たまにボコッと大きな音を立ててマグマの粒が飛んできたりする。普通ならばこんな場所を進もうなど自殺行為でしかない。
「なんだってこんな所に住んでんだよ…」
「炎のドラゴンと言われているくらいだからな。これくらい暑くないと逆に過ごしにくいんじゃないか?」
「生き物なんて皆無だぜ?」
「この場所に適応出来る生き物なんてほとんど居ないだろ。」
「居るみたいだよ。」
「え?」
シャルが指を差した方向に目をやると、マグマからひょこっと顔を出す生き物が見える。その生き物がマグマの中から飛び出して地面に乗る。そこで初めて全体像が見えたのだが、なんとも不思議な形をしている。ひょっとこの様な口をした…てるてる坊主。と言ったら一番的確にその姿を思い浮かべられるだろうか。
マグマから出た瞬間は全身が真っ赤だったが、表面が冷えるとともに黒くなっていく。50センチ程度の大きさで、丸い目をこちらに向けて観察する様に見ている。
「知らないモンスター…だよな?」
「見た事ない。」
「友好的なモンスターなら良いですけど…」
こちらも警戒して足を止めていると、てるてる坊主改めマグマ坊主は、チャポンとマグマの中に入っていく。
数秒後、また頭だけをマグマから出して、こちらを見ているマグマ坊主。
「穴が空くほど見られているんだが…?」
「逃げない所を見るに、臆病な気質では無いらしいな…」
「モンスターで臆病じゃないなら……」
マグマ坊主がひょっとこの様な口をもごもごと動かし、それが止まる。
「まさかとは思うが……」
ビュッ!
「やっぱりか!!」
マグマ坊主の口から真っ赤なマグマの塊が高速で飛んでくる。
「危ねぇ!なんて事しやがる?!」
「真琴様……」
凛の声に後ろを振り返ると、マグマから顔を出す別のマグマ坊主。マグマが見える部分から何体ものマグマ坊主がポコポコと顔を出している。
「そりゃ一匹じゃないよな…」
「あいつらマグマの中から撃ってきやがって…これじゃあ手の出しようがねぇぞ!?」
「下手に手を出してマグマが飛び散れば俺達の方が危ない!ここは…逃げるぞ!走れ!」
分が悪い戦いは避けるが一番。ここでこのモンスター達と戦っていても時間を取られてしまうだけだ。
四方八方から発射されるマグマの塊を回避しつつ強行突破する。マグマの中を自在に泳げるらしく、逃げる先にも顔を覗かせてくる。
「ただでさえ暑いのに走らせるんじゃねぇー!」
「黙って走らないと舌を噛みますよ!」
「くそーー!」
どれだけ走ったか分からないが、気が付けばマグマ坊主達からの攻撃が止んでいた。
「……はぁ…振り切れたか…」
「いきなりマグマを撃ち込んでくるとか、常識を疑うぜ…」
「モンスターに人の常識を問うても仕方ないでしょう?やはりバカなのですね。」
「分かってて言ったんだよ?!」
「この辺りはあまり暑くないな?」
「そうですね…マグマも見当たりませんし…」
この地帯全てがマグマ地帯という事でも無いらしい。場所によっては少し暑いだけの区域も存在している様だ。
「今日はここまでにして、明日先に進もう。」
「分かりました。」
この様な比較的安全な場所は所々に点在していて、そんな場所を見付けては一晩を明かす。を繰り返しながら先へと進む。
マグマ坊主はこの区域にはどこにでも居るらしく、何度も追われたが、回避しつつ先へ進んだ。
数日間そんな強行進行をしていると、それまでの環境とは違った場所へと辿り着く。今までは所々にマグマが顔を出していたが、その場所は逆。浮島の様にマグマの中に所々地面が顔を出している。有毒なガスも暑さもそれまでとは
「凄い場所ですね…」
「暑いを通り越して熱いな。」
「よく来たなぁ!」
くぐもった声が聞こえると、目の前のマグマがグググッと持ち上がる。ドロドロとしたマグマが持ち上がった所から下へと流れ落ちていく。
マグマの中から現れたのは、カナサイス。俺達がナーラと共に集めた鱗の持ち主だ。赤く、燃える鱗。深紅の瞳の上には
「カナサイス…」
「俺の名前を知ってるとはな。」
「北の最果てで大暴れしただろ。」
「北の最果て…?あー。あのブレナルガの奴と喧嘩した時の事か。」
「喧嘩?」
「あいつはいつもグチグチと細かい事を言うからな。あの時は何を言われたのだったか忘れたがな。」
「あれだけの大穴を作った理由を忘れたとはな…」
「喧嘩はいつもの事。ただ、あの時は止める奴がいなくていつもよりちょっと激しくなったからな!」
「いつもよりちょっと激しくなるとあんな大穴になるのかよ…」
「それより、試練を受けるらしいな。」
「そのつもりだ。」
「せっかく久しぶりに骨のある人型と一戦混じえる事が出来るかもと思ってたのによ。」
「まだ死ぬわけにはいかないからな。」
「けっ。詰まらねぇ。」
「俺達の様な弱者と戦っても仕方ないだろ?」
「何言ってやがる。人型では間違いなく一番強いだろうが。知らないとでも思ってたか?」
「本当に俺達は自分達が強いなんて思った事が無いんだがな。実際目の前にこんな奴が居ると余計にそんな事は考えられないだろ。」
「比較対象が俺達って所が間違ってんだろ?ドラゴンと比較している時点で強い証拠だろう。まぁいい。決まった事をグチグチ言った所で何も変わらんからな。俺から出す試練は……」
「なんだ?」
「そうだな。俺と戦うってのはどうだ?」
「なんでそうなる。」
「俺はお前達と戦いたい。」
「死ぬわけにはいかないと言ったろ?」
「別に殺しはしないなら良いだろ?俺から良いのを一本取ったら認めるって事でどうだ?」
「どれだけ戦いたいんだよ…」
「良いだろ?な!?」
「俺達は試練を受ける側だからな。文句は言えないさ。」
「よっしゃ!やったぜ!」
カナサイスの提案によって、俺達は炎のドラゴン、その中の最強の個体と闘うこととなった。足場が悪過ぎるという話をしたら、嬉嬉として足場の良い場所へと移動してくれた。
「まさか最強のうちの一体と戦う事になるとはな…」
「俺はこっちの方が分かりやすくて好きだけどな。」
「とことん筋肉バカですね。あの姿を見てそんな事が言えるなんて。」
「分かりやすい方が良いだろ?あーだこーだ考えなくて良いし!」
健の言う事にも一理ある。考え方は違うが、最強の一角と戦えるという事は悪い事ばかりでもない。どれだけの差があるにしろ、その差を知る事が出来るし、何より強者との戦闘からは得る物が多い。
「やる事は決まったんだ。少しでも多くのものをカナサイスから学んでいくとしよう。」
「今更何を言っても覆らない事は分かっていますが、もっと他に道はなかったのかと考えてしまいますよ…
あの鱗を拾った時でさえあれ程苦労したのですから。」
「たらればを考えても仕方ない。カナサイスもやる気満々みたいだしな。」
「一度やってみたらどれだけのものか分かる!取り敢えずやってみようぜ!」
「少しくらい手応えがあれば良いけど。」
「よーし!到着!ここならマグマも無いしやりやすいだろ!」
やる気に満ち満ちているカナサイスとの初めての戦闘が始まろうとしていた。
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