[財団] 観察・前半

「それではこの3日分のシミュレイションについて、総括しましょうか」

 オリヴァーは言った。グレイの役割ロールとして。

 パトリシア・オニール博士の依頼によるテスト・ランでのこと。特殊な環境に基づく観察ゆえ、観察者の選抜方法もいつもと違っていた。ランダムではなく、希望制。

 条件を付けていた。「駒鳥クックロビンとボナンザのシミュレイションを、どちらも一度以上担当していること」。もちろん二人が同じステージの場合でも、別々のステージの場合でも構わない。更に、希望する役割ロールがあれば併せて申し出ること。

 条件を満たすものは、十数人いた。しかし希望者は少なかった。わずか4人。もちろん、抽選されることなく決まった。四つの役割ロールが全て埋まったのは幸運と言えるだろう。

 希望者の中には、当然オリヴァーもいた。もっともそれは、観察部門のサブ・リーダーとしての義務と考えたからでもある。他にいなければ自分がやろう……ということだが、まさにそのとおりになったのだった。

 しかし、日程が合わせにくかった。そこで本来なら5日間でやるシミュレイションを、3日に短縮することにした。それでもできるという目算が、オリヴァーにはあった。駒鳥クックロビンの行動は、いつもより鈍いだろうから、大部分で早送りが可能だということで。いつもなら初日からでも真夜中に行動するけれど、今回はないだろうという読みだ。

「では、まずグリーンから」

「難しいですね。ほとんど動きがなかったので」

 ホログラム・ディスプレイの向こうから声が返ってきた。姿は見えないが、茶色の短髪の一部が、今日も寝癖のようにピンと跳ね上がっているはずである。ポール・ジェラルド。好意的な意見者の役割ロール

「もちろん解っています。特に月曜日は、ほどんど何もしなかったと言っていい。スタディアムを見に行っただけでしたね?」

 駒鳥クックロビンはステージの開始時に、スタディアムの南にあるメトロポリタン・パークの船着き場に立っていた。南を流れる、セント・ジョンズ川を見ながら。

 そこから見える景色だけでは、合衆国フロリダ州ジャクソンヴィルにいるということなど、判るはずがない。彼女の現実世界の経歴では、行ったことがないのだ。

 ジャクソンヴィルはフロリダ州で人口第4位の都市だが、観光のために訪れるようなところではない。上位であるマイアミ、タンパ、オーランドとはそこが違っている。規模が小さくても、保養地であるデイトナ・ビーチやパーム・ビーチの方が有名だろう。あるいはケネディー宇宙センターのあるケープ・カナベラル。

 出現してから1時間ほど、駒鳥クックロビンは一歩も動かなかった。ただひたすら川と対岸の景色を見ていた。いや、顔がそちらを向いていただけで、景色が目に入っていたかは、観察者には判らない。

 おまけに同伴者は別のところにいた。ダウンタウンのハイアット・リージェンシー・ホテルの部屋。連れを一人置いて、駒鳥クックロビンだけが外出したというていになっていた。

 ようやく動き始めたと思ったら北へ向かって早足で歩き出し、公園の北側の道路を、横断歩道のないところで強引に横切って、その向こうにあるスタディアムの駐車場へ入り込んだ。そして真ん中辺りにある戦没者慰霊碑ヴェテランズ・メモリアル・ウォールの前で、また1時間ばかり立ちつくしたのである。

 碑に刻まれた戦没者の名前を読んでいたかは判らない。しかし見終えると、歩いてホテルへ戻った。そして同伴者と少し話した後で、ベッドで眠ってしまった――翌朝まで。

 だから、スタディアムを見に行った、というのは間違いかもしれない。

「しかし……おそらくは、いろいろなところにある表示の単語を見て、合衆国だと察したに違いないです。どこかに"Jacksonville"があったのも見つけたでしょう。彼女ならそれがフロリダ州の都市であることも知っているでしょうし、NFLチームのフランチャイズであることも……そうすると、ステージの隠れたテーマがフットボールであるということも察知するはずです。もし。そしてフットボール・プレイヤーと接触しようとするでしょう。あるいはその役目を同伴者に任せて、他の調査をするかもしれませんが……」

「ふむ、ジャクソンヴィルが観光地ではないということが、ヒントになっているというのですね。確かにそれは論理的な思考過程です」

「月曜日については、これ以上言えることはありません。火曜日のことも言いましょうか?」

「それはまた後で。ではレッド、お願いします」

「グリーンの目の付け所はさすがだと思ったわ。普通のステージは保養地だものね。駒鳥クックロビンの判断力が正常なら、気付くと思う」

 オリヴァーの左に、横顔が見えている。東洋風だが目鼻立ちのくっきりした顔つき。長い黒髪を赤いリボンでポニー・テイルにくくっている。キャシー・ドレッセル。批判的な意見者の役割ロール

「正常ならね」

「ええ、でも今はどうかしら。戦没者慰霊碑ヴェテランズ・メモリアル・ウォールに気付いたのは、偶然かも。歩いていて、道路の向こうに広場があったら、それが駐車場であっても、見に行くものでしょ。刻まれた名前の中に、アルテムって名前か、その変名を探していたのかもしれない。判断力が鈍っている時って、そういう一見無意味なことをするものよ。ああそれと、場所がジャクソンビルであることは、ホテルの名前で気付いたんじゃない? 仮想記憶の中に入ってるんでしょ。迷いなく戻ったし」

「なるほど。しかしそれがフロリダ州ということは知識の中にあったでしょう。まさかノース・カロライナ州のジャクソンヴィルとか、その他の州の同名都市だとは、さすがに」

「ええ、それはもちろん。でもフットボールと関係があるのは気付いても、やる気にはなっていないようね。水曜日までの間にほとんど動きは……」

「まあまあ、火曜日以降のことはまた後で。意見は以上ですか。では次にブルー、お願いします」

「先のお二人の見解を、マージしたようになってしまうのですが」

 オリヴァーの右に座っている。横から見るだけでもゲルマン系の整った顔立ちとわかるが、精巧に作られた人形ドールのように冷たい表情だ。トリッシュ・フリードマン。分析的かつ自由な意見者の役割ロール。彼女がそれを希望したのは、オリヴァーにとってちょっとした驚きだった。

「どうぞ、自由にしてください。それが役割ロールです」

駒鳥クックロビンは、思考は正常に働いていると思うのです。ただ今のところ行動に表さないだけで。これまでのステージでも、行動よりも思考がずっと先に進んでいたことが、何度も……ほとんど常にそうだったと思います。ステージが始まってすぐに、結末まで全てを見通しているかのようなこともありました。今回もそうで、しかし行動する気力が足りないというだけなのでは。ですから何か大きなきっかけがあれば、一気に動き始めるのではないかと……」

「そのきっかけは何だと思いますか」

「もちろん“A”が関係していると思います」

「それは最初からみんな解っていますし、オニール博士の狙いでもありますので、どんなイヴェントが予想されるかだけでも」

 どんなイヴェント、といっても、シナリオ内に全てが書き尽くされているので、そのうちのどれかということになる。しかしトリッシュは「まだ解りません」と言った。

「少し先走って、水曜日までの結果を見ても?」

「はい」

「結構です。では火曜日の行動を確認しましょうか」

 月曜日は午後から始まったので、元々短かった。火曜日はもちろん丸一日ある。

 朝6時半、駒鳥クックロビンは同伴者よりも少し早く起きて、ホテルの部屋の窓から川を見下ろしていた。すぐ西に、対岸へ渡るジョン・T・オルソップJr.ジュニア橋が架かっている。7時半に同伴者が起きるまで眺めて、レストランへ二人で朝食を摂りに行った。

 その後、二人でホテルを出て、橋の下をくぐり、リヴァー・フロント・プラザを少し覗いた。噴水のある広場を馬蹄形の建物が囲み、レストランやカフェがある。

 さらに川沿いを歩いて、カマー・ミュージアム・オブ・アート&ガーデンズに至った。地元の慈善家が作った、絵画や磁器などの美術品と、庭園のある美術館。そこで午前中を過ごし、ホテルに戻って……駒鳥クックロビンは、また眠ってしまった。同伴者は一人でダウンタウンの現代美術館へ行った。

「この行動は、どう評価しますか、グリーン」

「起き抜けの、窓から外を見た行動だけに意味があると思っていて」

「というと?」

「向こう岸のボード・ウォークが見えるんです。そこに“A”がいました。彼女は気付いたに違いないです」

「しかしすぐに接触はしなかったのですね」

「ええ、まだやる気がないのでしょう。同伴者を単独行動させたのは……何らかのイヴェントが起こると期待したとか」

「レッド、どう思いますか?」

「批判するほどの行動をしていないので、パスさせてもらえません? 何もしないのを批判するのは今さらでしょう」

「了解です。ブルー、あなたは?」

「川の対岸を意識してる……とは思います。それ以上のことは読み取れません」

「了解です。では水曜日」

 朝起きて窓の外を眺めるのは前日と同じ。朝食の後、「海を見に行きましょう」という同伴者の勧めに従って、ホテルのコンシエルジュに相談し、アメリア・シティーを紹介してもらった。タクシーで30分ほどかけて行き、昼食の後までそこで過ごして、タクシーでホテルへ戻ってきた。駒鳥クックロビンはまた眠り、同伴者は川を船で渡って対岸の科学歴史博物館へ。

「さて、グリーン?」

「海へ行こうという同伴者の提案に乗ったのはよかったですが……残念ながら、一日遅れましたね。キー・パーソンを他の競争者コンテスタントに取られた後でした。他にはいいところが何もない……」

「レッドはどんな批判を」

「やはりやる気にかけるからか、行動が緩慢で、このままだと他のキー・パーソンも取れないでしょうね」

「今回、キー・パーソンは両手に余るほどいるのですがねえ」

「もちろん彼女の名声を利用すればすぐにつながれるでしょうけど、それを煩わしく思うに違いないから」

「ブルー、いかがですか」

「同伴者次第でしょう。彼女が、いつスタディアムに足を向けるか……ダウンタウンでもフットボールの情報に接することができますから、どこかで“A”の姿が目に入れば、あるいは……」

「そのイヴェントは確実に起こるはずですが、タイミングは確定していませんから、運次第ですね。以上ですか。さて、今後の展望について何かご意見は。ブルー、楽観的なことでもいいのでお願いできますか」

「他の競争者コンテスタンツと接触することがあれば、きっかけになるかと。彼女のことを知る競争者コンテスタンツが二人いますし、そのうちの一人“磁器人形ビスク・ドール”は友好的ですから」

「ヴァケイション中の競争者コンテスタンツにも彼女の名前を知っている人がいますが、それはどうです?」

「名前だけでは何とも。“観察”をしたがる程度ではないですか。扶助しようとは思わないでしょう」

「ありがとうございました。では続きは明日。木曜日と金曜日を見ます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る