#18:[JAX] マギーの要望

  ジャクソンヴィル-2066年1月14日(木)


 OLたちオフェンシヴ・ラインメンとの“オーヴァー・オーヴァータイム”が終わってからアパートメントに戻ると、部屋の前でベスが待っていた。赤いコートがよく似合っている。笑顔だが、ちょっと疲れたような表情をしていた。先ほどの隙間時間では十分な話ができなかったので、これから詳しく説明してくれることになっている。

「俺の部屋で?」

「いいえ、まだがあるから、私の部屋で」

 盗聴器はまだ取り外されてないんだ。どこに仕掛けてあって、誰が取り外せるんだろう。それとも俺が部屋を出て行くしかないのか。

「リリーたちと一緒に話をするのか」

「いいえ、彼女たちは今、隣の部屋でジョニーに対する作戦会議中。彼は私の依頼者だから、明白に裏切るわけにはいかなくて、とにかく先延ばしすることを考えているのよ。その間に大元を断てばいいってわけ」

 ジョルジオを何とかしようと。その大役を果たそうとしているのはベス自身であって、どういうつらい仕事をしているのか。しかし今はまだ教えてくれないのだろう。どうやら週末のロス・アンジェルスへの移動がキー・タイムになるらしいので。

 荷物を置いてからフロアを移動し、ベスの部屋へ。初めて入るが、間取りは俺のところとどうやら同じ。そして俺のところほどではないが、物が少なくすっきりしている。質素な生活というか、ここが仮の宿りと思っているからか。

 リヴィング・ルームは見せたくないらしく、ダイニングで話をする。ベスがコートを脱ぐと、下はずいぶんと薄着だった。部屋の暖房は低めだから、少し寒そうに見える。キッチンでハーブ・ティーを淹れてくれた。

「まず話を整理しましょう。進行中のものは三つ。ジョニーの件、チャーリーの件、それからジョルジオの件。どれもまだ詳しいことが話せないわ。でもチャーリーの件は、週末にサイモンが話してくれるはず」

「解った」

「終わったのはチーム内のスパイを調べる件。解雇された3人がそれ。どうやって調べたのか話すわね」

 ベスはオフィス・エリアに入っていろいろと聞き回ることができるが、一日中ではない。それに盗み聞きもできない。

 そこで彼女も“密偵スパイ”を使うことにした。といっても、本来の意味ではない。オフィス内を自然に歩き回って、噂話を集めてくれる人たち。掃除人ジャニターズだ。

 普通のオフィスなら休日に掃除人が入るものだが、レビュラー・シーズン中のフットボール・チームに休日はない。週末でも誰かしら人がいる。もちろん掃除人はなるべく人が少ない日に来て作業をするのだが、そういうときに限って密会や密談をしている者がいたりするわけだ。

 ベスは掃除人たちと仲良くした。男も女も、年配も若手も、フル・タイマーもパート・タイマーも。彼女の人柄を考えると仲良くなるのは簡単だったろう。というか、彼女はチア・リーダーとして仕事を得て以来、オフィス内のあらゆる人と人脈を作ろうとしていたのだった。

 もちろん、噂を広めるのも彼らは役に立った。ベスのように掃除人と仲のいい人というのは他にもいて、それがたいていおしゃべりが好きなので、噂の“出し入れ”は非常に容易だったらしい。

 噂を集める方だが、決定的なネタを拾ってくれたのはフアナ・ハワードという若い女。去年の9月から働き始めたばかり。

「あなたも見たことはあるんじゃないかしら。ヒスパニックで、長い黒髪で、目鼻立ちがはっきりしていて、とても愛らしいのよ」

「見たことがあるかもしれないが、はっきりとは憶えていない」

「あなたのファンだと言っていたのに」

「本当に?」

「ジェシー・スティーヴンスもそうだけど、あなたって少女に人気があるのかしら」

「フットボールに興味がない層に人気があってもねえ」

 そんなことより、どんなネタを拾ったって?

「一つはジニー・ルーミス部長マネージャーとケイス・スタンパー主任チーフがたびたび密談をしていたこと。上司と部下が話すにしてはやけに頻度が高いことと、あなたの名前がよく出ていたことから、フアナの目と耳に留まったのよ。もちろん彼女は二人が何の話をしているかは全く気にしていなくて、そこから先、詳しく調べるのは私がやったわ。マイアミ大出身で、ジョルジオとつながりがあることとか」

「なるほど」

「もう一つは、マギーのオフィスにアンジー・ランパートが出入りしていたこと。マギーのいない、早朝と夕方遅くに限って、というところがポイントね」

「盗聴器の付け外しをしていたのか」

「もちろん詳しいことは私が調べたわ。あと、ジニーの夫のオーデル・ルーミス福利厚生部長も解雇されたのよ。ここを斡旋してくれた人だから、少し申し訳なかったけれど」

 でも盗聴器を仕掛けるのには一役買ったんだろ。根こそぎだなあ。

「素晴らしい手際だ。今後、俺がどこかで探偵をするなら、掃除人からそれとなく情報を仕入れることにするよ」

「あまり親しくしすぎるのはダメよ。特に若い女性の場合は。逆にあなたが警戒されるわ。最初は仕事ぶりを褒めるくらいで、少しずつ親しくなること」

「それも憶えておく」

「全ての片が付いたら、あなたからフアナに何かプレゼントするといいと思うわ。理由はゲームに勝ったことにして」

「その時には君やリリーたちにも十分な礼をしたい。その時までにちゃんと考えておくよ」

「特別なものは必要ないわ。あなたが勝つことが一番のプレゼントよ。そのために私たちチア・リーダーがいるんですもの」

 やはり彼女はチア・リーダーとしても一流だ。ただ、スパイとして暗躍するチア・リーダーなんて、合衆国に二人といないんじゃないだろうか。


 いつもどおり7時に起きる。昨夜は遅くまでベスと話をして、少々寝不足だが、この後仮眠する時間がある。それなのにいつもどおりに起きるというのはおかしいかもしれないが、習慣を作ることの方が大事なのである。これで明日も7時に起きられるだろう。

 出掛ける準備をして、スタジアムのレストランへ。明日は移動日なので、次の新メニューは今日だ、とコックは張り切っていた。その成果を見届けてやろうと思う。もちろん、できたかどうかだけであって、味については俺の知ったことではない。

おはようモーニン、アーティー。今朝は、あー……ちょっと不出来でね。申し訳ない」

 食べる前から謝られてしまった。いったい何があったというのか。とりあえず新メニューを見せてもらう。ライスを三角形に固めて焼いたもののようだ。

「本当はカリフォルニア・ロールを作ろうとしたんですよ。そのためにいろいろ準備したり、作り方を調べたりしてね。寿司職人スシ・シェフにも相談したんです。ところがねえ……ライスの炊き方や酢飯ヴィネガード・ライスの作り方、ライスの巻き方がどれも難しいの何の。それに時間がかかってたくさん作れないときてる。それで仕方なく作ったのがこれで」

「何て料理なんだ?」

焼きおにぎりグリルド・ライス・ボールです」

 まるっきり日本料理だな。

「どこが西海岸風なんだ?」

「食べてみてくださいよ」

 三角を一つ皿に取る。手で食べればいいのか。香ばしい匂いが……これはおそらく醤油ソイ・ソースだな。

「この三角だって、たくさん作るのは大変じゃないのか」

「いや、それは型があるんですよ。下の型にライスを詰めて、上から型を合わせると、同じ形のがいくらでもできるんです」

 そんなのどうやって用意したんだ。レンタルか。三角の端っこをかじる。中に何か入っているようだ。これは?

「アヴォカドと塩昆布ソルテッド・ケルプです。アヴォカドを使うならこれがいいと寿司職人スシ・シェフが」

 つまりアヴォカドが西海岸風なのか? 4分の1インチ角くらいの賽の目ダイスに切り、塩昆布ソルテッド・ケルプと混ぜたものを三角の真ん中に詰める。あまり量を多くしないのがいいそうだ。

「さらに焼くときに真ん中までは火が通らないようにするのがいいとかで。それは時間を計れば済むので、手間じゃないんですがね」

「でも……たぶん行けると思うぞ。少なくともスパム・サンドウィッチよりはうまい」

「本当ですか! じゃあ、好評なら昼にも作ります」

 朝限定のつもりだったのか。しかし間食にはちょうどいいんじゃないか。手で持って食べるのは、フィールドで摘まむの適してるし。

 食べ終わったら、どこかの空き部屋に潜り込んで仮眠しよう。今日はマギーのオフィスに行かないので時間がある。


 長距離移動の前日ということで、練習を早めに終える。オーヴァータイムのトレイニングもキャンセル。早く帰って、早く寝ろ、ということなのだが、俺は出掛けることにしていた。

 マギーの泊まっているホテルへ行こうと思う。彼女は一種の“逃亡生活”を続けていて、ホテルに一日中缶詰め。食事も全てルーム・サーヴィスを取っているらしい。

 ベスやサイモンとの相談で決めたのかと思ったら、職場からの指示でもあるようだ。別居または家出中の配偶者に対して離婚協議をする際は、直接の面談を避けた方がいい場合があると。だから自宅から離れて密やかに過ごし、短期休職することも認められているということだ。

 申請書が裁判所に届いた時点で元の生活に戻れるようなのだが、いつになることか。週末のゲームはもちろんGame Passで観戦するしかないだろうな。

 ホテルはベスに教えてもらった。絶対に誰にも尾行されないで、とのことだったので、バスとタクシーを3回も乗り継ぎ、実距離の2倍以上の遠回りをして、市の中心部から南東8マイルほどのところにあるマリオット・ジャクソンヴィルまで来た。あらかじめマギーにもホテルにも連絡してあったので、部屋に通してもらうことができた。

 キング・サイズのベッドが置かれたツイン・ルームで、窓際にはソファー、壁際にデスクと大型のTVディスプレイ。1週間くらいなら快適に過ごせそうだが、昼間でもカーテンを開けない、と聞くと、ちょっと息苦しく感じる。

「わざわざお越しいただいてありがとうございました、ミスター・ナイト。経過はミス・チャンドラーからも伺っています」

 迎えてくれたマギーはいつもながらの無表情なのだが、多少疲れも見える。もちろん精神的なものだろう。俺は窓際のソファー、マギーはそのそばのベッドの端に腰かける。

「ベスとサイモンの見立てでは、君の夫は明日にでも……つまり俺たちの移動に合わせてカリフォルニアへ帰るのでは、ということだった。だからもうあと一日二日ほど我慢してくれれば」

「はい、それは心づもりしています」

「土曜のゲームもこの部屋で見た方がいいんじゃないかと思う。ところで、そうすると君の次の休みは、日曜?」

「はい、基本はゲームの翌日ですので、その予定です」

「俺はその日の午後には帰ってくるんだが、ベスたちと一緒にパーティーをしようかと思っていて。もちろん、ゲームのを兼ねて」

「そうですか」

「だから君もまたアパートメントに来てくれれば」

「予定しておきます」

 いろいろと話し続けるのだが、マギーの目が何となく虚ろだ。俺を見つめたかと思えば焦点が合わなくなったり、視線を逸らしたり。何か心の中にもやもやしたものがあるのは理解できるが、俺はどうすればいいのか。

 1時間ほど話をして――差し向かいでこんなに長い時間話したのは初めてだ――帰ることにする。

「一つだけ……お願いがあるのですが、聞いてくださいますか」

「何でも」

 見送りに立ったマギーの目が、切ない光を帯びている。これも初めてだ。いや、彼女がオフィスに泊まろうと思っている、という話をしたときに、これに近かった感じが。

「とても不躾で、もしかしたら無神経なお願いなのですが」

「君の頼みならできる限りのことをするよ」

「ありがとうございます……それで、その」

 マギーが口を閉じた。言うための決心をしているところだろう。急かしたり催促したりしてはならない。やがて意を決したように口を開く。

「……今夜、ここに泊まっていただけないでしょうか」

「…………」

「一人で、寝られそうにないのです……」

 それはさすがに予想外だった。君は何を言ってるか自分で解って……いや、解っているに違いない。十分に思慮しての上なのだ。俺はこの願いを、叶えてやるべきなのだろうか。

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