#18:第4日 (9) 事件の結末
ディナーが済むと部屋へ戻ってくつろぐ。まだ7時過ぎなので、
「ミス・メシエからの手紙を読もうかしら」
食事の後に小難しいことを考えると消化に悪い気がするのだが、他にすることがないので「とりあえず君から読んで」と言う。
「とても長いわ。いったん全部読んで、ちゃんと理解してからあなたに説明した方がよさそうね」
「そうしてくれ」
「読んでいる途中で邪魔しないでね?」
「邪魔とは?」
手紙を読んでいる
しかし黙ってぼさっと座っているのも面白くないので、先にシャワーを浴びることにする。
が、
まだ時間がかかりそうなので、別の暇つぶしを考える。ホテルの中を見て回ろう。いいホテルなのに、どんな設備があるかを確認していない。
シャワーの後なので手順前後してしまったが、バス・ローブから明日のための服に着替え、部屋を出た。
フィットネス・ルームとスパくらいはあるだろう、と思っていたが、加えてプールまである。フィットネス・ルームには有酸素運動のマシーンとフリー・ウェイトがあった。シャワーの前にここへ来ればよかったと思う。
しかし食事の直後でもあるし、時間があるならもう少し後に、と考えつつ
女の声。振り返ると、帽子にサングラスにマスク、コート姿の痩せた……女が立っていた。前回のことがあるので、もう男と女は見間違わないと思う。絶対女だ。
しかしこの姿は怪しすぎる。どう見ても不審者だろ。よくホテルに入って来られたな。
「
「財団の研究員ですね?」
「
「名乗れなくて申し訳ありません。あなたの論文を読むことを希望するのです」
妙な訛りの英語だな。フランス訛りかと思うが、フランス語を話しても訛るだろうという気がする。まあ相手が誰かは予想できてるんで、構わないんだけど。
一応、姿を確認する。肌はオリーブ色で、顔の輪郭がほっそりしている。サングラスとマスクで隠していても、美しさが滲み出している感じ。
身体はコートで覆われているのでプロポーションの予想すらできないが、胸は標準くらいの大きさで、全体的にスリムで、特に足首が細い、ということだけは判る。
「論文か。たくさん書いたが、手持ちにしているのは少ないな。君が特定の企業か大学に所属しているのなら、インターネットで読めるだろう」
「もちろん試しました。しかし
そんな泣きそうな声を出さなくても。
「部屋に戻れば1本か2本あると思うが、君を部屋へ入れるわけにはいかないな」
「私もあなたの部屋に入ることができません。それに時間がありません。もうすぐ
ロビーなら他に人がいるから問題ないのか。だからって押しかけて来なくても。「5分待っていろ」と言って部屋に戻る。
「面白かったわ。事件の発端から、小説仕立てで書いてあったのよ。それが……」
「済まないが、それは後だ。君が手持ちにしている俺の論文を持って、ロビーへ行ってくれ」
「えっ、どうして? ……まさか、彼女が?」
5分後に戻ってきたが、まだ少し動揺している。
「驚いたわ。まさか本当に彼女がいらっしゃるなんて」
「ずいぶんたくさん持っていたが、何本渡した?」
「11本。1ダース用意していたの。1本だけ午後に渡したから、残りを全部」
「どうしてそんなに」
「天気が悪かったら出掛けられないから、部屋で読もうと思って」
「それだけあっても彼女はあっという間に読んでしまうかな」
「どうかしら? きっとお兄さまの目を盗んで読むと思うのよ。誰からもらったか、訊かれたら困るだろうし……」
もし兄貴の方が
とりあえずベッドに並んで座り、「手紙の話を聞こうか」。
「ええ、長かったから、結論だけね」
結局のところ、謎は「
「まず事件の経過を整理するわね。とても単純なのよ。手紙の中の言葉を引用するわ。『ベオグラード停車中、車掌や乗客の何人かがエマニュエル・ウィンストンを見ている』『ジュリアは到着直後に降りるところが目撃されて、以降は誰も見ていない』『ベオグラード出発以降、事件が発覚するまでエマニュエルを見た者はいない』『だから犯行は出発直後であり、犯人は列車に乗っているはずである』」
「しかし出発後に1・2号コンパートメントに出入りした者はいない。という車掌の証言があったはずだ」
「そう。では犯人は誰でしょうか。まさか車掌でしょうか?」
「それはないな」
「どうして?」
「それが真相だとしたら、つまらないからさ」
「そうね。ミス・メシエがこんな手紙を送ってくることもないわ」
「だからさっき君が言った経過のどこかに、錯誤がある」
「それは?」
「俺が推理するの?」
「ぜひ挑戦して欲しいのよ」
「シャルロットはともかく、君も実は解決にたどり着いたんじゃないのかなあ。ラヴリー・リタ?」
「そんなことを気にする必要はないわ」
「俺の推理が間違っていても、軽蔑しない?」
「するわけないじゃないの」
「ベッドの中のサーヴィスが減ったり」
「明日は移動日だから今夜は多めの予定よ?」
寝坊したら観光する時間が減るな。
「錯誤の可能性は一点しかない。犯行の時刻。ベオグラード出発後と思われているが、実際は出発前だった。もしかしたら到着前かもしれない」
「では停車中に車掌やあなたが見たエマニュエル・ウィンストンは?」
「誰かの変装。確か俳優が乗っていたよな。車掌はどうか知らないが、俺はウィンストンの顔をよく憶えていないから、騙される可能性がある」
「ミスター・ブルックスかミスター・マシューズ?」
「確か、マシューズは出発の前後に車掌が姿を確認していないんだったな」
「とすると、彼が犯人なのかしら?」
「いいや、違う」
「じゃあミスター・ブルックス?」
「それも違う」
「誰かしら?」
人差し指を立てて顎に当てる、なんていう可愛らしい仕草をするんじゃない。
「ジュリア・ウィンストン」
確か、ベオグラード停車中に俳優の男二人から声をかけられていたはず。その時ジュリアは、エマニュエルに怪我をさせてしまったことを二人に告白し、二人は彼女のアリバイ作りに協力したのではないか。彼女が列車に戻らず、その間にエマニュエルの姿を誰かが見ていれば、彼女は犯人ではないと判断されるはず。
「そうなった理由までは解らない。俳優二人とは話をしてないからね」
「ミス・ウィンストンはどこへ行ったのかしら。まだベオグラードにいる?」
「いいや、密かに出国してシェンゲン圏にいると思うね。つまりもう一つのオリエント
「それには向こうの列車内に協力者が必要と思うけれど? たとえば密かにコンパートメントに匿ってくれるような……」
「君、とても親切な女性があっちの列車に乗ってるのを知ってるじゃないか。どうだい、これでどれくらい合っている?」
もちろんそういうことをするのはマルーシャに決まっている。
ジュリアは無審査で国境を通過することになるが、外交官なんだから大きな問題になることはない。
「B+。ミス・ウィンストンがそんなことをした理由まで推理できたら、A+にするわ」
「材料もないのに推理しろって言われても」
「他に関係しそうな乗客はいないかしら?」
他の乗客? 誰が乗ってたんだっけ。アテネ-カレー車両に限定していいんだよな。俺と
イタリアの男女がいたな? 確か男が美術評論家、女が彫刻家。それが関係しているとでも?
そういえばウィンストン兄妹の赴任先はイタリアだった。列車の中で、そのことを話題にしてもおかしくない……
「全くの
「ええ、もちろん。あなたは得意だものね」
「君、俺に話してくれた以上に、車掌から情報をもらってるんじゃないか?」
「
そういう条件付きの隠しごとはやめてくれないか!?
「エマニュエルは、イタリアの彫刻家の女性に何か失礼なことをした。性的なことかもしれないし、美術に関して侮辱的なことを言ったとか……」
「ええ、朝食の時に同じテーブルになって、よくない雰囲気だったとスチュワードが証言していたわ」
やっぱり知ってるんだ。
「それで、ウィンストンのコンパートメントへ行って、話し合いをするうちに、何かの弾みで事件が。もしかしたら、評論家がカッとなって殴ったとか……」
「イタリアの二人が1・2号コンパートメントを出入りしたのは、車掌が憶えていたわ。ただトラブルがあったかどうかは知らないと」
「エマニュエルに非があることが明らかだったので、ジュリアは自分が罪を被るつもりで、二人をコンパートメントから送り出した。何事もなかったかのように装って。そして事件がベオグラードに着いてから起こったように見せかけようとしたが、俳優の二人が彼女を助けようと……」
「A+!」
最高評価にはキスのご褒美が付いていた。
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