#18:第3日 (5) 犬の散歩
起きたのは9時だった。お楽しみを終えたのが確か4時過ぎなので、5時間も寝ていないことになる。ただ列車の中で少し仮眠をしたので十分だ、と信じる。現にそれほど眠く……いや、まだちょっと眠いか。
「
ついでに
支度を終えたらレストランへ。まだビュッフェの時間帯だが、
そしてこういう時の常として、
トーストとスクランブルド・エッグとサラダ。飲み物はオレンジ・ジュース。それにイチジクのジャム?
「とても有名なんですって。ファンシー・フード・ショウで何度も入賞してるそうよ」
何だ、そのショウは。合衆国で毎年夏と冬の2回やってる食品見本市? 料理を作るTV
どれどれ。ふーん、素朴な味だね。イチジクはドライ・フルーツでしか食べたことがなかったが、ジャムにするとこういう味か。やみつきになる、という感じではない。
そういえばオックスフォードで食べたマーマレードは何日か続けて食べてしまった。あれはおそらく
「他にクロアチアで有名な料理って何だい」
「あなたが朝から食事のことに興味を持つとは思わなかったわ」
まだ調べてないと。メグにしては抜かってるな。
「今夜は夕食会だから、明日までに調べてくれればいいよ」
「一つだけは知っているのよ。ザグレバチキ・オドレザク。ザグレブ風カットレットよ。チーズとハムを豚肉で巻いて揚げたもの。きっと夕食会にも出るわ」
「名物で、揚げ物ならそうだろうな」
「クロアチアは大きく五つの地域に分かれていて、それぞれで料理にも特色があるのよ。中央部、スラヴォニア、イストラ・クヴァルネル、リカ・カルロヴァツ、ダルマチア。中央とダルマチアは後でちゃんと調べておくわね。ダルマチアはおそらく地中海系で、魚介類がおいしいと思うけれど」
「ところで君の皿に載っているデザートは」
「あなたがデザートに興味を持つとは思わなかったわ」
嬉しそうに言うんじゃない。クレタ以来、君が甘い物を摂りすぎじゃないかって心配してるんだよ。
「食べないけど、教えてくれ」
「クレムシュニタ。カスタード・クリームをパイ生地で挟んだものよ。地方によって作り方が違うらしいけれど、これはザグレブ風」
デザートのことだけはしっかり調べてるのか。マルーシャの影響……でもないよな。
「もう一つ、クラフナという揚げドーナツのようなお菓子があるけれど、これは明日にでも……」
今食べてしまえばいいのに。どうせ別腹なんだろうから。
先に俺が食べ終わり、
ブランチを済ませたら散歩に出ることにした。迎えが来るのは昼で、2時間半もある。その間を部屋でだらだらと過ごすのはつまらない。この2日間の運動不足を解消する意味もある。
ホテルを出ると、前夜に降った雪があらかた解けていた。気温もだいぶ上がっているようだ。この分では明日はもう少し暖かいかもしれない。仮想世界のシナリオというのは天候までよくできている。
すぐ近くの交差点へ行くと、五叉路になっている。東西と南北が交わる道に、北東から延びてきた道が合しているのだ。その斜めの道をたどる。
別に行き当たりばったりではなく、その先に広場があり、アート・ギャラリーがあるのが判っている。
ほんの300ヤードで広場に着く。トルグ・ズルタヴァ・ファシズマ、“ファシズムの犠牲者広場”という物騒な名前。
しかしその由来がよく判らない。けっこう頻繁に名前が変えられているのだ。最初は“N広場”、次に“解放者ピョートル1世広場”、“
国が頻繁に変わっているから、その時どきの事情に合わせて変えているのかもしれない。さすがにその経緯までは、
とにかく広場の真ん中には美術協会のギャラリーが建っていて、それを見に来た。メストリヴィチェフ・パヴィリョン。1930年代の見本市会場を再利用したもの。円柱形の建物で、周囲に四角い柱が等間隔に立っている。ハムスターの遊ぶ回し車が横倒しになったかのよう。どうせなら神殿のように円柱にすればよかったのにと思う。
展示してあるのは前衛芸術作品。だから俺には良さが解らない。
30分ほどで見終えて、外へ。ここで、犬の散歩をしている女を発見。犬はダルメシアン。ターゲットに関係ありそう。だから目に入った。別に女が目的ではない。
犬は俺を見て吠える。いつもどおりだ。しかし
「まあ、この子、いつもは知らない人には頭を触らせないのに、どうしたのかしら」
女が驚きながらも笑顔を見せる。犬好きは、犬に好かれている人には徹底的に無警戒だ。
ところで女はクロアチア語で話しているようなのだが、
「この近くにお住まいですか?」
英語だった。しかも犬のことではなく飼い主のことを訊くのかよ。
「はい、すぐそこのフラネ・ブリチャ通り」
英語で答えが返ってきた。意外。
「牡ですか、牝ですか?」
「牝」
「何才ですか」
「3才」
「名前は?」
「ヴァンダ」
まあこの程度ならクロアチア人でも受け答えできるか。
その願いが通じたか、
「
最後だけはクロアチア語。さすが
「さて次はどこに行こうか」
「マクシミール公園へ行ってみましょう。少し遠いけれど、
散歩に出て来たのに
南西の入り口から入る。いわゆる森林公園で、広さは316ヘクタール。観光客は少なく、地元民の憩いの場であるらしいが、冬場の平日の昼前ということで、閑散としている。
森の中の小道があり、芝生の広場があり、池があり、
もしかしたら人目がなく二人きりになれるところを探しているのかもしれない。しかしほとんど人がいないにもかかわらず、進んで行くと必ず人が目に入ってくる。
「あら、また犬の散歩をしている人が」
ダルメシアンを連れている女。どうして飼い主は女ばかりなのだろう。いや、まだ2例しか見てないけれども。
何もせずすれ違うかに思いきや、犬の方から
牡か牝か、何歳か、名前は何かを訊いてから別れる。ヒントになっているかどうかはよく解らない。しかし
ただ、単に接触するだけではなく、共通点は何か、を探さないといけないのだろうと思うけれども。
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