#18:第2日 (7) 車内コンサート

「どういうことなんだ?」

 一人の男が俺に訊いてきた。なぜ俺が説明しなければならないんだ?

 説明責任があるのは列車長シェフ・ド・トランだ。あいつ、「救援の見込みが立ったらお知らせに参ります」と言って去ってしまった。せめて「何分くらい待つ予定」とか言えばいいものを。

 まあ、うっかり言ってしまったら、それを過ぎると乗客から「どうなってるんだ! いつになるんだ!」って責められるから、極力言わない方がいいってのは解るけど。

「そのうち、列車長シェフ・ド・トランがもう一度説明に来るだろう」

「しかし、あんたは解っているようだったが」

「解っているわけじゃない。想像しただけだ。外れているかもしれないから、言いたくない」

 結局、俺も列車長シェフ・ド・トランと同じ立場を取ってしまった。責任はないんだし、知ったかぶりで説明するのは格好悪いことだ。我が妻メグなら解ってくれるだろう。

 ホテルだって、内部で事件が起こったら「お客様に不安を与えない程度の説明」は必要だろうが、「はっきりした根拠もなく、お客様に期待を持たせるようなことは言うな」ということになっているはず。現に我が妻メグは「説明してあげたら」って言わないし。

 ウクライナ美女がフランス語で何か言っている。我が妻メグがそれを通訳する。

「『どういうことなのでしょうか?』」

 ああ、さっきまでの会話を解ってないんだ。ソフィア・ルスリチェンコだっけ? どうしてそんな、期待に満ちあふれた目をしてるんだよ。断りにくいだろ。

「簡単に説明して差し上げたら……」

 え、我が妻メグまでそんなことを言う? 君が美人に甘いなんて思わなかったよ。

「事実を部分的に知らされているだけでは、却って不安になるものなのよ。救援がいつになるかはあなたに責任のないことだけれど、何が行われようとしているかは説明しても構わないと思うの」

 だから、俺が想像してるだけだってのに。しょうがないなあ。

「では順を追って」


 ①現在走行している区間は複線である。ザグレブへ向かう方向を上り線インバウンド、反対を下り線アウトバウンドと称す。我々のオリエント急行エクスプレスは上り線を走行中であった。

 ②この先、架線が損傷しているため、電気機関車は走行できない。車両基地からディーゼル機関車を送り込み、列車の先頭につないで牽引し、断線区間を脱することになる。

 ③列車長シェフ・ド・トランの話では、ディーゼル機関車はヴィンコヴチから来るとのことだった。つまり、後方から来る。しかし上り線は当列車が立ち往生している。ディーゼル機関車を先頭につなぐには、この先の折り返し可能な駅――説明上、スラヴォンスキ・ブロドとしておこう――まで回送することになるが、下り線を逆走することになるため、線路を閉鎖する必要がある。

 ④すなわち、スラヴォンスキ・ブロドからヴィンコヴチまでの下り線を走行していた列車を退避可能な駅で停車させ、区間内の信号機を全て赤にして、逆走可能な状況を作る。


「どうして列車の後ろから機関車で押すのではダメなんだ?」

 さっきの男がまた訊いてきた。ほら、おとなしく聞かずに、こういう余計な口を挟む奴がいるから困る。


 ⑤後ろから押す、即ち推進運転は可能な限り避ける方がよい。脱線の可能性がある。特に今回の場合、先頭に無動力となる電気機関車をつないでいることと、吹雪で視界が悪いことから、ディーゼル機関車の運転士が目視で前方の安全を確認しながら運転を行うべきである。

 ⑥また、この列車の後ろに別の列車が走行していたとすると、それも臨時停車しているであろう。機関車がこの列車だけを押すことができないし、無理して複数の列車を押すと脱線の危険が高まる。連結器の型が違ったら、押すことすらできない。


 解ったか? では説明を続ける。


 ⑦スラヴォンスキ・ブロドまで回送したディーゼル機関車を、今度は上り線を逆走させ、この列車の先頭につなぐ。あるいは、この列車の前に別の列車がいるなら、それを救援してからということになるかもしれない。

 ⑧電気機関車の集電装置パンタグラフを下ろし、ディーゼル機関車の牽引によって断線区間を脱する。スラヴォンスキ・ブロドでディーゼル機関車を切り離し、その先は再び電気機関車の牽引によってザグレブ方面へ運行を続行する。

 ⑨ディーゼル機関車をスラヴォンスキ・ブロドまで回送するとしたが、もっと手前で折り返すことができるのなら、救援に来るのが早まるだろう。


「『大変わかりやすい説明でした』と彼女がおっしゃっているわ」

 我が妻メグは俺の説明を、ソフィアに通訳していた。もしかしてほぼ同時通訳だったろうか。君、すごい才能を持ってるなあ。

 一緒に聞いていた他の乗客も口々に何か言っているが、おおむね「救援はいつ頃になるのか」というもので、それについては俺に全く責任はない。しかし明け方までには何とかするんじゃないの。

 というか、動き出すのが2時間後とかだとザグレブに着くのが3時前になってしまう。そんな時間に下車してホテルへ行くのは大変だよ。朝まで停まってて欲しいくらいだね。そうしたら寝ていられる。

「とても興味深いことになったわ。本当に小説のようね」

 ルイーズだけは喜んでいる。新作のネタに使う? 読んでみたいけど、たぶん無理だろうな。


 我が妻メグとソフィアはフランス語で話をしている。俺は部分的にしか聞き取れない。なぜかコスティアンティン・チェルニアイエフと話をすることになった。相手は「コスティンと呼んでくれ」と言っているが、会話の中で名前を呼ぶ機会はないと思う。

 コスティンは軍隊にいたとのことだったが、射撃の名手で、オリンピック代表になったことがあるらしい。ラピッド・ファイア・ピストル。残念ながらメダルは取れず、最高順位は4位。それでも入賞してるんだからたいしたものだと思う。彼はキー・パーソンだろうか。よく解らん。

 話をしながら、周りの様子を窺う。列車が止まってしまったことで、この場にいることを純粋に楽しんでいる人はいなさそう。コンパートメントにいると不安だからという理由でここにいる人もいそう。あるいはその不安を頭の中から追い払うために、アルコールを飲みまくっている人もいるに違いない。ただ誰も一様に、笑っていても何となく虚ろな感じがしている。

 こういう時は、皆の心が一つになるような何かをするのが一番いいかもしれない。例えば歌を唄うとか。

 もちろん俺はその扇動役になるつもりはない。それどころか、もし携帯端末ガジェットがあれば、コンパートメントへ戻ってNFLのプレイオフが見られるのに、と思っている。

 今、9時半。ここは中央ヨーロッパ時間で、合衆国の東部標準時との時差は6時間。つまりマイアミは今3時半。ワイルドカード・ラウンドの昼1時に開始したゲームが終盤に入った頃だ。対戦カードが思い出せないのが残念だけれども。

 そしてさっきからシャルロットがうろちょろと動き回っている。何も探偵することなんてないと思うんだけれども。

済みませんエクスキューズ・ミー聞いて下さいますかプリーズ・リスン・トゥ・ミー。|S'il vous plait écoute moi《スィル・ヴ・プレ・エクテ・モワ》」

 サロンカーの真ん中に立ったシャルロットが声を上げる。こちら向きとあちら向きで、2回同じことを言った。作ったような楽しげな笑顔が、なぜかブダペストのジゼルを思い起こさせる。

「先ほどから列車が止まってしまい、列車長シェフ・ド・トランからの追加の案内も特にありませんので、皆様さぞ不安になっていることと思います」

 それからフランス語。同じことを言っているのだろう。

「幸いにしてこの列車には3人の音楽家が乗っていらっしゃいました。ヴァイオリニスト、チェリスト、そしてピアニストです」

 またフランス語。隣で我が妻メグが、通訳したくてうずうずしている気がする。

「彼らのご厚意により、ここで小規模なコンサートを開催したいと思うのですが、皆様ご賛同いただけるでしょうか」

 最後のフランス語訳が終わるとざわめきが大きくなったが、何人かが拍手を始めると、すぐに輪が広がった。

 さて、ヴァイオリニストとチェリストは判っているのだが、ピアニストは誰か。ティーラはウィーンへ行ってしまったのに。いや、行方不明だったか?

 いずれにしろこの列車には乗っていないはずで、そうするとイスタンブールから来た車両にいたのだろうか。

「ありがとうございます。準備をいたしますのでしばらくお待ちください」

 シャルロットが言うと、向こうの方にいたカオルとナオトが立って、サロンカーを出るのが見えた。楽器を取りに行くのだろう。ピアニストは? ピアノの前にはいない。そもそも、サロンカーに入ってきた時から、誰もピアノを弾いていなかった。

 客を観察するのが得意な我が妻メグに、ピアニストについて訊いてみる。

「さあ、心当たりがないわ」

「そもそも君、イスタンブールからの編成にどんな客が乗ってるのか、知ってるのか」

「ベオグラードで列車長シェフ・ド・トランに訊いたけれど、有名な音楽家はサワムラ姉弟シブリングズ以外に乗っていないと」

 ベオグラードで? もしかして、出発するまでにコンパートメントに戻って来なかったのは、それを訊いてたから? 何て周到な。列車長シェフ・ド・トランも、相手がコンシエルジュだからって、他の客の情報を教えることないのに。

 しばらくしてサワムラ姉弟シブリングズが楽器を持って戻って来た。少し遅れて、シャルロットに付き添われるようにして長い黒髪の女が入ってきた。サロンカーの客が少しどよめく。女が目から上を隠す仮面マスクを着けていたからだ。

 しかし……それ、顔を隠したことになってる? 俺から見ると、明らかにティーラなんだけど!

 マルーシャの変装とは大違いだよ。もちろん、口紅をいつもより濃くしたり、少し派手なワイン・レッドのイヴニング・ドレスを着て違いを作ってるつもりだろうけど、胸の大きさを変えてないし。いや、そんなところで判別する俺もどうかしてると思うが、オデッサのステージで憶えてしまったんだよなあ。

 俺が判るくらいだから、観察力の鋭い我が妻メグも……と思ったのだが、笑顔を見る限り、判っているとは思えない。出発前に行方不明になったのを知ってるんだから、この編成に乗ってたら明らかに驚くはずだよなあ?

「ご存じの方も多いでしょうが、ご紹介しましょう。世界的チェリストのマドモワゼル・カオル・サワムラ」

 拍手の中でカオルが頭を下げる。こういう時に西洋式の礼をしないのが日本人らしい。続いてナオトも紹介され、同じように頭を下げる。

「そして本名をご紹介できなくて申し訳ありませんが、新進気鋭のピアニスト、マドモワゼル・ヴァレンティナです」

 がスカートの両脇を摘まみ上げて貴婦人の礼カーテシーをする。その仕草も明らかにティーラ。なぜこの編成に乗ってるんだ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る