#18:第1日 (5) 食堂車とサロン車
食堂車へ行くとエドワールが「ボンソワール、マダム・エ・ムッシュー」と挨拶してテーブルへ案内してくれる。テーブルは全部で12あり、進行方向右側が二人掛け、左側が四人掛け。なぜか車両中間に仕切りがあり、六つずつに分かれている。
案内されたのは四人掛けだった。
「船が欠航して、キャンセルが出たので、お客様が少ないのです。ピレウスの出発が少し遅れたのも、その影響です。10人くらいの団体で、後でヴェニスで追い付く予定だそうですが」
「ヴェニス? 二晩もキャンセルするのか」
「ええ、明日もどうなるか判らないからと」
「そんなに天気が悪かったのかい。アテネはさほどでもなかったのに」
「トルコのイズミルからだそうですので、そちらがひどい状況なのでしょう。それにこの先、クロアチアの辺りも大雪だそうで、ヴェニスに着くのが遅れるかもしれません。ただ、ヴェニスは停車時間が長いので、出発時には定刻に戻るでしょう。詳しくお知りになりたければ、
「アテネはトルコとクロアチアの間なのに、たまたまましな天気だったということか」
雑談をしているのは、その間に
その結果、
「ギリシャのデザートはとても甘い物ばかりなのよ」
「うん、それは俺も気付いてた」
ところで、注文した料理はギリシャ風が多かったように思うが。
「ヴェニスまでのシェフはギリシャ人だそうよ。パリで
そんな情報をいつの間にどこから。乗る前にもらった案内に書いてあったのかなあ。
料理を待つ間、
右斜め前に座っているのは若い女二人。こちらに見えている方は長いブロンド髪の知的な顔つきで、やはりアングロ・サクソン系なのだが、さっきの女とどことなく雰囲気が違うのは
隣は若い男女のペアで、これは明らかに日本人。東アジア系の中でも日本人だけが特に判別しやすいのは、温和な気質が関係していると思う。女は横顔しか見えていないが、
男ははっきり横を向かないと顔が見えないのだが、会話の中に「ネーサン」という単語が含まれているから、二人は姉と弟だということくらいしか判らない。
「隣のお二人は
「知ってるのか。有名?」
「いいえ、名前までは。でもプラットフォームで待っている時、楽器ケースを持っているのを見たのよ」
そういうことか。さすがに観察力が鋭いなあ。俺は列車がいつ来るかしか気にしてなかった。
「楽器は荷物室に入れなかったんだな」
「ええ、大事な物は皆さん常に手元に置きたがるものね」
チェロのケースなんて大きいだろうに、床にでも置いているのか。
「あなたの後ろには男性が二人座っているわ。おそらく私たちと同じ合衆国人。30代かしら。服はフォーマルだけど、仕草はちょっと粗野な感じね。斜め後ろは男性と女性。顔つきからは北イタリア系。私から見えている男性は40代の
おまけにちゃんと周りを観察してるし。しかし
この列車を舞台にしたミステリー小説では、客の階級や国籍や年齢が様々であると書いていたと思うが、今回はちょっと偏りがあるようだ。少なくとも老人がいない。ただ、周りは俺たちと同じ車両の客だと思うので、隣の車両の客はどうか。
もしかしたら、この後車内で殺人事件が……というシナリオかもしれないが、探偵役は誰だろう。それとも自分で謎を解かないとターゲットのヒントが手に入らない? それはちょっと勘弁して欲しい。
ディナーを終えると隣のサロン
四人掛けのソファー席があり、
俺の観察どおり姉と弟で、姉がサワムラ・カオル、弟がナオト。そして
「隣の車両にオペラ歌手とピアニストの姉妹が乗っているよ」
言ってもいいのかどうか判らないが、一応言っておく。
「ええ、知っているわ。マルーシャ・チュライとエステル・イヴァンチェンコでしょう。アテネ駅で乗る直前に挨拶したけれど、彼女たちも余暇だろうから、なるべくお邪魔をしたくないのよ」
「うん、俺たちもそうしようと思っているんだが、音楽の関係者にどれくらい知られているのか確かめようと思って」
「マルーシャは私たちとは比べものにならないわ。エステルはこの数ヶ月で急に名前が売れ出したけれど、顔はまだそれほど知られてないんじゃないかしら」
「しかし姉に似た美形だからすぐに顔も知られるようになるだろう」
「クラシック音楽のファンは憶えてくれるでしょうけど、一般の人が憶えるにはかなり時間がかかると思うわ」
クレタに来た日本人研究者のホシノ・ヒカリは口数が少なかったが、カオルは普通に話すようだ。表現者なので、積極的に自分をアピールする資質を持っているのだろう。しかも高貴な顔立ちとは対称的なフランクな話しぶり。
そして俺が財団の研究者だと聞いても、特に何とも思わないらしい。所属する組織に価値があるのではなく、本人の才能を確かめるまで評価は下さない、ということか。
そこで、過去のステージで俺が書いたことになっている論文についていくつか話す。
「やりたいことは判ったけれど、何に役立つのか思い付かないわ」
「実はそのとおりで、シミュレイション環境の宣伝のようなものだ。こういうことができるコンピューターがあるから、何か面白いシミュレイションを思い付いたら共同研究を申し込んでくれ、ってね」
「どれくらい申し込みがあるの?」
「意外なことにひっきりなしだよ。もちろん、研究者からだけど」
中にはカジノのディーラーってのもいたけどね。しかし、カオルはさほど興味を引かれないらしいので、ノルウェーのヴァイオリニスト姉妹が対象になった“脳波の同調の研究”の話をする。ただし、このステージではノルウェーに研究所があるか判らないので、場所についてはうやむやにしておく。
ついでにオデッサの姉妹が対象になった“調子はずれの音の研究”も。もちろんそれがマルーシャとティーラのことだとは言わない。そもそも“別世界”の二人の話だし。
「そういう研究なら興味深いわ。私と弟も、申し出があれば協力すると思う。ねえ、ナオト?」
「そうだね。長い時間拘束されるのでなければ」
弟の方はさっきからほとんど口を開かない。たぶん、話そうとしてもカオルが先に全部言ってしまうので、機会がないのだろう。それを嫌がってる様子はなくて、どちらかというと「話さない方が楽でいいや」と思っているように見受けられる。
「双子は特に同調度が高かったそうだが、
「さあ、歳が近ければもしかしたら高いかもしれないけれど、私たちは六つも離れてるから」
六年差? ヘイ、待て、カオル、君、いくつなんだ。まさか
「それだけ離れていても仲がよさそうだが」
「弟が気を使って私に合わせてくれるのよ。私、他の人と組むと自己主張が強くて対立することが多いけれど、弟は私の欠点を他人に長所と思わせるのが上手で」
よく判るぞ、それは。俺にとっての
「ヘイ、ナオト、この機会に君の姉に何か言っておくことはないのかい」
「特に何も。姉が欠点と言っているものは実は
「
仲がいいというか、気が合っていて喜ばしいことだが、彼らがキー・パーソンズなのかは、どうやったら確かめられるだろうか。
それとも俺じゃなくて
「カオル・サンはナオト・サンに、時にはわがままを言って欲しいと思ったりなさいますか?」
「二人でいる時はわがままの言い放題よ。欠点も遠慮なく指摘するし。私も最初のうちは言い返すけれど、続けざまに言われると、やっぱり反省しないといけないのかしら、って思って、だんだん何も言えなくなってきて」
笑ってるけど、笑いごとじゃないと思うぞ。
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