#18:クラッキング
財団にて-2XXX年Y月Z日(月)
月曜の朝から、パトリシア・オニールは大きな問題を二つ抱えていた。
正確には、そのうち1件は朝ではなく未明から――日付が変わった瞬間からだ。
財団が誇る時空間シミュレイション・システムが内部からクラッキングされ、データとプログラムが改竄されたという報告が、警報メールとして自動発信された。もちろんパトリシアだけではなく、各部門のトップ、及び主要な上級管理職と研究員宛に。
改竄されたのは人格データとシナリオ・データの一部。シミュレイション・プログラムは無傷であるらしい。
データは前週のうちに新規作成・更新・修正されたものが、月曜の0時からデータベースに正規
通常はこのような場合、不審なデータと、それが影響を及ぼす関連データを除いてマージするのだが、人格データ管理部門とシナリオ・データ管理部門が調査したところ、既に投入済みのデータがいつの間にか改竄されており、それを更新すると整合が取れなくなるということで、投入が抑止されたということだった。
誰がどうやって改竄したかはまだ不明。何がどのように改竄されているかは各部門が調べるのだが、それらのデータを使用する側、即ちシミュレイションを実行する観察部門に対し、どのような影響が出るかを見積もる、という厄介な課題が、パトリシアに与えられたのだった。
もう一つの問題は、エリック・ネイサンの失踪。
データ改竄についてパトリシアは、エリックがやったものと確信していた。証拠はない。しかし彼には技術がある。全く足跡を残さすデータベースに侵入し、データを改竄する手腕が。おまけに機会もあれば動機もある。
問い質してもしらばくれるに違いないが、パトリシアは観察部門に連絡し、エリックを呼び出そうとした。しかし出勤していないという回答があった。電話もメールも通じないと。パトリシア自身でもそれを確認した。
そうなると、怪しいどころか黒にほぼ間違いないのだが、どうしようもない。
もう一つ……大きくはないが、困ったことがある。普段はパトリシアの手先となって働いてくれているアビーが、今週は休暇だ。休暇中の研究員は、業務上の緊急事態では呼び出しができないという規則がある。なおかつ、彼女も電話やメールが通じず、現在地も把握できないという状態なのだった。
ひとまずパトリシアは人格データ管理部門から、データが改竄された人物の一覧を取り寄せた。その上で、部門の研究員エリオット・アンドリューズに意見を聞くために、ヴォイス・チャットを接続した。改竄されたパラメータの一覧も添付されているのだが、パトリシアがその値だけを見ても、影響が判らないのだ。
「今のところ判っている改竄は、NPCのものだけということでいいかしら」
「そのとおりです」
パトリシアの質問に、エリオットは枯れたような声で答えた。未明からずっと調査をしていて、疲れているのだろう。
「改竄されたパラメータは、
「おそらくそうなると思うのですが、他のパラメータとも関連もあるので、程度はまだ不明です。今、パラメータ調整用のテスト・シナリオで動きを確認しているところです。それから、他に影響が大きそうなものは、アヴァターの付け替えです」
「アヴァター……IDしか書かれていないので、気付かなかったわ。別のIDと入れ替えられているのね?」
「はい。ご存じのとおり、NPCの造形は、シナリオにおいて関連する
「つまり接触するNPCの造形が、
「そうです。シナリオ管理データ部門も同意見です」
「NPCとシナリオはセットで改竄されているようだけれど」
「もちろんそうですが、簡易チェックで関連性を調べたところ、破綻しないような微妙な調整が施されていまして」
「つまりシミュレイションを実行して観察ができてしまうのね」
「そうです。しかし結果は明らかに影響を受けるでしょう」
「観察部門としては結果が大きく変わらなければいいだけなのよ。ただその“大きい”“小さい”の度合いに指標がないというだけ」
それを作れ、という指令がパトリシアに下っているようなものだ。作った指標が正しいかどうかは、誰が判断するというのか。間違っていた場合、誰が責任を取るのか。シミュレイター運用の最高責任者であるアーサーに判断してもらうしかないのではないか?
「本当にNPCだけなのかしら。
「それなんですが、基礎データは全く改竄されていません。これは確実です。ただ、ステージ開始前に
「シミュレイションが開始されるまで判らないということ? でも過去の調整から見積もれそうなものじゃないの」
「もちろん見積もっているところですが、数が多いものですから」
「
「そのとおりですが、もしやるなら観察部門でお願いできますか。チェック・ツールもチュートリアルもあります。こちらは全体を見ていかないといけませんので」
「了解。今のところはこれだけの情報で結構よ。続報を待っています」
チャットを切って、パトリシアは考え込んだ。
エリックのやった改竄の趣旨は判っている。過去の
そしてエリックは何を確かめたかったのか? 観察したかったのなら、なぜ失踪したのだろう。財団の外部から、シミュレイションの結果を覗くことは、絶対にできない。たとえエリック以上の技能があろうとも。いや唯一、アーサーなら可能かもしれないが……
エリックのことは措くとして、
「データ改竄の影響を調べているんだけれど、エリックがいないことと関係がある気がして。それで先週エリックと一緒のシミュレイションを観察をしたあなたの意見を聞こうと思ったの」
「ああ、はい、構いませんが」
オリヴァーは観察部門のメンバーで最年長、そしてサブ・リーダー。実直さが取り柄だが勘の鈍いところがあるので、彼ならパトリシアの狙いに気付かないかもしれない。
「調べたところ、エリックは最近、
「ええ、4回目だと言っていました」
「
「はい、それはもう」
「もし彼女がデータ改竄の影響を受けた場合、観察から、行動の変化が読み取れるものかしら」
「観察から行動の。うーん、それは非常に難しそうですね。おっしゃるとおり彼女は特異でして、観察者の誰も想像が付かない行動を取ることが多いものですから、それが“意外”か“異常”か見分けが付かないと思いますよ」
「では彼女と競合しているボナンザなら」
「それは……判るかもしれません。彼の行動は、NPCに対して非常に
オリヴァーはボナンザを1回しか観察していないはずだが、さすがに過去のデータから傾向を掴んでいるようだ。
「では彼の行動を指標にして、
「おっしゃることがよく解りませんが」
「
「それは……
「それは私の方でやるわ。それで今回、
「割り当てはランダムですよ。そのルールは曲げないでいただきたいですし、もし無理に通すならリーダーのウォードに相談してもらえますか」
実直なだけあって、融通が利かない。もちろんそれはパトリシアも解っている。
「当然、そうするわ。ただ、今回は正式の観測ではなく、テスト・ランをしてもらうことも考えていて」
「テスト・ランですか。ずいぶん上の方まで申請書を通さないといけない気がしますが」
「それもするなら私がやるわ。相談は以上。協力どうもありがとう」
チャットを切って、パトリシアは申請書を作り始めた。
テスト
しかし、逆に考えればデータ改竄の影響はそれほど大きいのだ。パトリシア一人では手に負えない。テスト
そしてその過程で、
テスト
これこそが、「アーサーに責任を取ってもらう」ことを意味するのではないだろうか?
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