ステージ#18:101匹目の犬 (The Hound of Jacksonville.)

#18:バックステージ (開始前)

 マルーシャに訊きたかったことは二つ。中折れ帽ブリム・ハット記者ジャーナリストに報復したのは彼女なのか。それと、我が妻メグの指輪を届けたのは彼女なのか。

 前者はほぼ間違いない。しかし後者はよく判らない。届けるなら、俺の腕時計や財布と一緒でもよかったはず。それとも、あの時はまだ取り返していなくて、ターゲットを探している間に入手したのだろうか。中折れ帽ブリム・ハット記者ジャーナリストから。

 しかし機会は訪れなかった。レストランでの夕食中も、その後ゼウス神殿へ行くタクシーの中でも、彼女はずっと我が妻メグと話していた。主に、アテネでのオペラ公演が盛況だったこと。そしてアテネ観光のこと。本当はクレタ島にいたにもかかわらず、だ。

 過去にここを訪れた時の記憶を元に話しているのだろう。それが嘘であっても、我が妻メグが気付くはずがない。

 我が妻メグはクレタ島、ミコノス島、デロス島、そしてロドス島の観光について話した。どこも俺よりよく憶えている。当然だろう。観光ガイドをやったんだから。

 夕食の後、タクシーで行ったのはまずハドリアヌス門。ゼウス神殿の北西に建っていて、そこから西にアクロポリスが見える。もちろんライティング・アップされている。

 門のアーチしかない状態で、昼間見るとおそらく残念な遺跡なのだろうが、夜だとそれなりによく見える。

 そこから広場を歩いてゼウス神殿へ。クレタや他のところで見たのと同様に、残っているのは神殿の柱の何本かで、建物の範囲を示す礎石が埋まっている。

 その中へ踏む込むまでに、質問したかったのだが、我が妻メグを挟んで――俺としっかり腕を組んでいるのだ――マルーシャが歩いているので、口にするタイミングすらなかったのだった。


「ステージの結果について、クリエイターからのコメントをお伝えします」

 礎石の内側に踏み込んだ瞬間、我が妻メグの姿は固まって半透明なアヴァターとなり、マルーシャとの間に黒幕が降りてきた。その間、ほんの数秒。俺から質問をすることはできても、答えは聞けなかったに違いない。

 幕が下りきったらアヴァター・メグとなって話し出す。崩れかけた神殿のライティング・アップなんかより何千倍も美しい。

「今回のステージではキー・パーソンズと適切に会話し、訪問が必須の場所を全て訪れたため、ターゲット同定に必要な情報を全て集めることができた。また余計なイヴェントに対応しなかったため、考慮の時間が十分にあったはずである。にもかかわらず、最終的にターゲットの所在場所の推定を誤ったため、獲得することができなかった。情報の重要度を読み違えたためと考えられる。パートナーが得た情報の重要度が高いことを認識すべきである。また最終盤、他の競争者コンテスタントからターゲットを奪うことができる状況にあっても、実行しなかったことについては、注意を与える。なお、腕時計スマート・ウォッチ逸失ロストした場合について補足します」

「ビッティー、まず最初の質問だが」

「質問はまだです。先に補足をお聞き下さい」

 あれ? 評価は終わったんじゃないのか。ターゲットを獲得できなかったから、話半分にしか聞いてなかったよ。

「失礼した」

腕時計スマート・ウォッチ逸失ロスト、あるいは他の競争者コンクルサントに窃取された場合でも、奪還は不要です。再支給、あるいは返還されるまで待機してください」

「待機というのはどれくらい」

「最大3時間です」

 その間にビッティーと通信したくなったらどうしたらいいのかな。まあいいや。

「補足は以上かい」

「はい。先ほどのステージに対する質問を受け付けます」

「まずコメントについてだが、ターゲットの所在場所が違うということは、ディクテオン洞窟じゃなかったのか」

「違います」

 となると消去法でイデオン洞窟。しかしフェードラは言わなかったんだがなあ。祖母グランマアリアドネが忘れてたのか。その前の会話が足りなかったか。

 それともパートナーの情報の重要度が高いということは、イデオン洞窟のことを聞いてきた我が妻メグを信用しろということか。そんな早い段階で核心的な情報が得られるなんて思わないって。

「ターゲットを奪うことができる状況ということは、マルーシャが獲得していた」

「はい」

我が妻メグの目の前で無理矢理奪うなんてことはやりたくなくてね」

「拝覧を申し出て、返却せずに退出するということができます」

「そういう信義にもとることも避けたいんだよ」

「理由がどうあれ、機会の放棄については否定的な評価となります」

 ずっと前に言われたな、それ。久しぶりに聞いたよ。

「では次からは善処する」

「他に質問はありますでしょうか」

「ターゲットは古代の酒杯だろう」

「お答えできません」

 前回はセットトップ・ボックスだって教えてくれたのに。

「香水は関連してるよな」

「ターゲットを獲得するにはそれが必須だったということだけはお答えできます」

 名称を正確に言い当てないといけないのだろうか。聖酒の器セイクリッド・ワイン・ボトルとか? 博物館で見ておけばよかった。

「盗んでいい理由は」

「過去に盗掘されて遺失したという設定だからです」

「迷路の洞窟は仮想世界の中だけのものだよな?」

「そのとおりです」

 そりゃそうだ。あんな“いかにも迷路らしい”洞窟が自然に存在するわけない。やけに歩きやすかったし。

「他に質問はありますでしょうか」

 今回は親しくしたキー・パーソンズが少ないので、時間稼ぎの質問も少なくなりそうだな。待てよ、その前に一つ確認しておくことが。

「マルーシャが魔性の歌姫ディーヴァ・フェタールであるという噂が競争者コンテスタンツの間に流れていると聞いたんだが、本当か」

「噂というのは正しくありません。彼女と対戦した数人の競争者コンテスタンツが、何かの機会に他の競争者コンテスタンツに話したことにより、10人足らずの競争者コンテスタンツが彼女をそのように認識しているに過ぎません」

 そんなに多くないということか。しかし今回で2人増えたぞ。もっとも、中折れ帽ブリム・ハット記者ジャーナリストは彼女のことを歌姫ディーヴァだと知らないかもしれないけど。

「他に質問はありますでしょうか」

 君、もしかして俺が余計な質問をするのを待ってるのか。そういう配慮は好きだぞ。

「フェードラの両親はどうしてフェードラにアリアドネという名を付けなかったんだろう」

「お答えできません」

「フェードラは本当に初めて男を好きになったんだろうか」

「お答えできません」

「フェードラは恋を知ったことで精神的な変化があるだろうか」

「お答えできません」

「身体的な変化があるだろうか。例えば胸が大きくなったり尻が大きくなったり」

「お答えできません」

「男の身体を知りたいと思うようになったり」

「お答えできません」

「俺が教えてやった方がよかったか?」

「お答えできません」

「せめてキスくらいはしてやった方がよかったかも」

「お答えできません」

 俺がやってることは質問なのだろうか。

「アリアドネは香水の調合以外に何が趣味だったんだろう」

「お答えできません」

「目が見えないのに船の中をうろつき回ってるようだが、海に落ちたりしないのか」

「お答えできません」

「人工知能のアリアドネは、あの冷蔵庫みたいな本体の中に、人間の脳が入っていたりするのか?」

「お答えできません」

 男3人やその他の関係者はどうでもいいや。財団の連中も。東洋人の女……も、どうでもいいなあ。一言も話さなかったし。

「よし、次に行こう」

「それでは、アーティー・ナイトは第18ステージに移ります。ターゲットは“ダルメシアン”」

「それは犬のことか」

「質問は後でお願いします。競争者コンテスタントはあなたを含めて4名、制限時間は7日です。このステージでは、裁定者アービターとの通信が可能ですが、回数が制限されています。ターゲット獲得前に2回以内、ターゲット獲得または他者による獲得通知後に1回となります。指定の時刻に、指定の場所において、腕時計に向かって呼びかけて下さい」

 回数制限があるのは久しぶりだが、最初の2回は3日目以降、6日目まで、という制限まで付いているのはいったい何なんだ。

「このステージでは、裁定者アービターが同行します。アヴァターの造形をご確認下さい」

 おお、久しぶりに同行か。って、前のステージと何ら変わりないじゃないか。

「つまり君の自宅待機を選択できないんだな」

「いえ、アヴァターの造形にマーガレット・ナイト以外を指定することで、彼女を自宅待機とすることができます」

 いや、それは不健全だ!

 同行というのは確か、二人以上でないといけない制約があるはず。以前は船旅に参加するので二人用船室を利用するからということだった。つまり今回もそうなるのが必定。

 財団の秘書が同行する、なんて形にすると、その女と同室することは、我が妻メグに対する裏切りだ! そんなことは俺自身が許せない。

「俺が今の君以外の造形を指定する可能性があると思うのか」

「補正が可能です」

「なるほど」

 前回は年齢を変えられるか尋ねて、不可という答えだったんだよな。外見を調整しようとは思わなかった。しかし。せっかくだからちょっと遊んでみるか。

「試しに胸を限度いっぱいまで大きくしてみてくれ」

「5%大きくします」

 我が妻メグの胸は確か34インチだったから、5%大きくすると35インチ半くらいか? ブラウスの胸が明らかに盛り上がった。

 ……いや。いやいやいや!

 ダメだ。これは我が妻メグじゃない。

 なぜだろう。確かに俺は彼女に対して「もっと胸が大きかったら」なんて思ったことがないんだよな、一度も。

 彼女のプロポーションは、彼女にとって完璧だということか。

 同じように、マルーシャのプロポーションも彼女にとって、いやそれはどうでもよくて。

「キャンセルだ。元に戻してくれ。以後、造形は一切変更しない」

「了解しました。続けます。ターゲットを獲得したら、腕時計にかざして下さい。真のターゲットであることが確認できた場合、ゲートの位置を案内します。指定された時間内に、ゲートを通ってステージを退出して下さい。退出の際、ターゲットを確保している場合は宣言して下さい。装備の変更は、金銭の補充の他、防寒着を追加します。前のステージであなたが入手した装備は、継続して保持できます」

「防寒着を追加ということは、また冬山のようなところへ行くのか」

「場所は言及できませんが、マイアミの冬よりも寒い気候の場所となります」

 何という曖昧な表現。雪も降らないマイアミと比べてもしかたない。せめてシカゴと比べてくれないか。ブリザードが発生することだってあるんだぜ。

「ステージ開始のための全ての準備が整いました。次のステージに関する質問を受け付けます」

「今回の肩書きも財団の研究員」

「デフォルトではそのとおりです」

 変更すると我が妻メグの性格が変わるかもしれないんだったな。

「出張の扱い? これほど出張が多い研究員なんて実際にいるのかね」

NPCノン・プレイヤー・キャラクターは誰も不自然に思わない設定になっています」

 さすが仮想世界。集団催眠のようなものだな。

「よし、始めよう」

「それでは、心の準備ができましたら、お立ち下さい」

 ディレクターズ・チェアからゆっくりと立ち上がる。アヴァター・メグが並びかける。腕を組むことまではしないんだなあ。

「ステージを開始します。よい旅をハヴ・ア・ナイス・トリップ!」

 せめてその言葉の前に"Let's"を付けてくれないか?

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