#17:第7日 (5) 暗闇の迷路
通路の先は、左右二手に分かれていた。右が船首、左が船尾へ向かう廊下。足跡は右へ続いていた。
そちらへ向かう前に、ちょっとだけ船尾の方へ寄り道。テオはレヴェル1に倉庫とコンピューター室があると言っていた。
コンピューターを船の制御に使っているのなら、
廊下の両側にドアが延々と並んでいる。倉庫かそれとも監禁部屋か。やがて行き止まって、正面にドアが現れた。ノブの上に鍵穴があるが、形状はピンシリンダーだ。若干、セキュリティーが高い。つまりこの向こうに重要な設備があるということ。
ピックでかき回して錠を開ける。もちろん簡単に開くが、ノブを押しても引いてもドアが動かない。向こう側から
右舷の通路の先も同じだろうと想像する。コンピューター室の在り処が確認できなくて残念。しかしそろそろ足跡を追わねばならない。もう3分も経ってしまった。
廊下を戻り、分かれ道から前へ。こちらはすぐに行き止まったが、ドアがあって、足跡はその向こうへと続いているようだ。
鍵穴はあるが、ピックで触る前にドアを開けてみる。開いた。無施錠だった。入ると中はもちろん真っ暗なのだが、天井が高いのは容易に知れた。音の響き具合がさっきまでと全然違う。
おそらく広い船倉だろう。目の前にはコンテナーがたくさん置いてある。8フィート、いや8フィート半くらいの高さ。
床の足跡は、少し先で途切れていた。床が樹脂系舗装材に変わっていて、埃を拭った跡がある。こんなところを船員が掃除するわけないので、ロボット
そして足跡を消す理由とは? 当然、足跡をたどられたら困るから。つまりここは秘密の隠れ家ってわけだ。察するに、コンテナーを並べて迷路にしてあるんじゃないかと思うね。これまでさんざん遺跡を見て来て、迷路のようだと思ってたけど、どこに本物の迷路があるのかと疑ってたら、まさか船の中とは!
で、この迷路はどこかの遺跡を模しているのか。そうかもしれないけど、真正直に取り組むのは勘弁して欲しいな。時間がない上に、泥棒は
さてその
そこから見れば、迷路の概要がわかるはず。現にデロス島では山の上から遺跡を見下ろしたことがあった。だが、灯りがないのでは上がるだけ無駄。電源を探す時間も惜しい。
となると、迷路の“壁”に登るという技はどうか。迷路の“道”を通るよりも解りやすい上に、困ったら隣の壁に跳び移ることができるので、非常に実用性が高い。もちろんこういう開放型の迷路でしか使えないけれども、使えるのなら使うべし。
では、いざ壁の上へ。コンテナーというのはあちこちに凹凸があるのでとても登りやすい。ただし、ライターで片手が塞がっているとさすがに無理なので、登るまでは消しておく。かなり長く使ってるので、あとどれくらいガスが保つか、気にしておかなければならない。
コンテナの上に乗ってみたものの、真っ暗なので見える景色はさほど変わらない。ただ、壁と通路の幅はほぼ同じだということが判る。8フィートほどか。コンテナーのサイズに国際規格があるからだろう。
で、目標とする場所はどこなのか。迷路の中に少し広めの“部屋”が作ってあって、そこに明かりでも灯っているかと思ってたのだが、なさそう。そこだけどうにかして屋根が張ってあるのか。
とりあえず、倉庫の中心あたりに向かって歩き出す。しかしすぐに“行き止まり”になってしまった。要するに壁が尽きたというわけ。
しかたないのでちょいと助走を付けてジャンプする。8フィートを跳ぶのはたやすいが、着地の音が倉庫内に響き渡るのはよろしくないかもしれない。泥棒が来たのを相手に知らせるようなものだ。
ただそういうことを気にして、コンテナーをそっと登り下りしているような時間もないので、どんどん先へ進む。どうやら俺のルート選定が悪いようで、5、6回も跳ばなければならなかったが、ようやく少し広くなったところに到達したようだ。
「壁の上に、誰かいるのですか」
おまけに人の気配がして、落ち着いた声で問いかけてくれる。テオよりも少し高い、女の声。しかし真っ暗な中で、何をしているのかねえ。寝る以外にすることがあるのか。いや、様々な香りが漂っているのは判るんだけれども。
「
「
「いや、テオプラストスの友人だ。それともいつもはフェードラと呼んでいるかい」
「では彼女と一緒なのですか。高いところは怖いはずですけれど」
「暗いところも怖いと言うので、倉庫の外で待ってもらってるんだ。ここ、灯りは点かないのかい?」
「私には必要ありませんが、あなたに必要というのなら」
わびしい明かりが灯った。電池式のランタンだろう。広くなったところ、と思っていたのにせいぜい24フィート……8ヤード四方のスペースだった。そこにテオによく似た、髪の長い女が立って、俺の方を見上げている。飾り気のない白いドレスを着て、身体つきはフェードラよりもずっと女らしい。
しかし、視線の焦点は合っていなかった。俺を見ているようで、見ていない。声のする方を向いているだけなのだ。
もちろん状況から予想はしていた。灯りを必要とせず、何不自由なく活動できるのなら、それは盲人だろうと。
「ミス・アリアドネ・クロニス?」
「そうです」
「断りもなく突然邪魔をして申し訳ない」
「いいえ、誰かがいらっしゃったのは音で判りましたから」
「騒がしくして、重ねて申し訳ない。しかし君と少し話したかったものだから」
「歓迎します。下りてらっしゃいますか?」
全く驚きも警戒もしてないのな。むしろ喜ばれてるのか。
「そうしたいところだが、テオ……フェードラの同席は必要かな」
「私はどちらでも構いません」
「彼女を待たせてると言ったのを憶えてるかい。真っ暗だから、15分で戻ると約束してしまったんだ。もうそろそろ戻らなきゃならない。30分待つよう改めて頼むか、それとも連れて来るか」
「フィーはどこにいるのです? 階段のところですか。では私がここを出ましょう」
「君は優しくて大変助かる。ところで、ここで何をしていたんだ?」
「香水の調合です。最近、それが一番楽しいんです。フィーにも一つ作ってあげたんですよ。国際会議で知り合った合衆国の研究者と会う時に着ける、神話の曙の女神をイメージしたものと言われて作ったんですが、もしかしてあなたのためだったのでしょうか?」
「そうだ。彼女はテオではなく、フェードラとしての姿で会いに来たよ」
暗がりの中でも、アリアドネが優しげに微笑んだのが判った。
「彼女がそんなことをするなんて、よほどあなたのことを気に入ったのですね。もしかしてあなたを愛してしまったのでしょうか」
「そういう話もしたいんだが、今ちょっとした緊急事態でね。プロムナード・デッキに出られなくて困ってるんだ。君はいつもどうやってここから出ているのか、教えてくれるとありがたい」
「階段から出られないのですか。では一緒に出口を探しましょう。先にフィーのところへ戻っていて下さい」
もちろんアリアドネは迷路の抜け方が解っているので、自分は通路を行く、と言ってるわけだ。「では後で」と言ってから、来たとおりに壁の上を引き返す。出口から出ないのは心苦しいのだが、もし道案内してもらえるのなら後で行くことにしよう。
入り口のドアから出て、廊下を戻ると、フェードラのカウントダウンが聞こえてくる。いかにも心細そうな感じで、すぐに駆け寄って安心しなよと言いつつ肩を抱いてやりたくなる。だがそれはここから出られてからにしよう。ぬか喜びをさせるのはよくないし、何より
「30、29、28……」
おやおや、残り
「ハイ、
「
うむ、完全に女の状態だな。きっと満面に笑みをたたえているだろう。しかしシーツ姿を羞じらってるくらいなんだから、女らしい笑顔だななんて言ってやったら恥ずかしさのあまり失神するかもしれない。
「残り1秒でも諦めるなよ。まあフットボールと違って時間を止める手段はないけど」
「ごめんなさい、その表現はよく解りません……ところで、誰もいなかったんですか?」
「いたよ、君の妹、アリアドネが。挨拶してきた」
「挨拶だけですか」
「閉じ込められて困っているので助けてくれと言ったら、ここへ来てくれると」
「来る……って? ええっ!? 彼女、もしかしてあなたと普通に話をしたんですか?」
「もちろん」
君よりずっと普通だったぞ、と言ってやりたいくらいだが、もしかして彼女は自閉症で知らない人とは話したがらないとか、そういうタイプだったのだろうか。
改めてライターを点け、フェードラの近くへ。
倉庫の中にコンテナーで迷路が作られていて、そこにアリアドネがいて、と状況をフェードラに説明する。
それにしても、元は客船だというのに、どうしてあんな大きな倉庫があるのだろう。何か他の目的で使っていたスペースを、造り替えたのだろうか。アリアドネのために。
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