#17:第2日 (10) ジェニーはご機嫌良好
「まだ仕事中だ。こうしてブースを見て回るのも仕事でね」
つきまとおうとするイングランド美女へも、ポーランド美女と同じことを言ってやった。どちらか一人を優遇するのは不公平だろう。二人だけじゃなくて、テオもそうだし。
「歩きながら、ほんの少しで結構です。ドクター・ナイトは28歳とまだお若いのに要職についていらっしゃるのですね。財団ではそのような人事がよくあるのですか?」
「それは今回の展示内容と関係ないね」
君の方からそれを訊きたいって言って近付いてきたんだぜ。いきなり趣旨を変えるなよ。それに財団の人事なんて俺は知るもんか。仮想世界のシナリオを書いた奴が決めたんだ。
「失礼しました。あのシミュレイターはあなたが開発したものですね?」
「俺はグランド・デザインを描いただけで、実際に開発したりモック・アップを作ったりしたのは他のメンバーだ」
「すると、あなたの仕事は研究ではなく
「どう呼ぼうと構わないよ。俺の仕事が形になったのが、あれだ。頭の中で考えた物事を、他人の目に見えるようにすることさ」
「では、あのシミュレイターのコンセプトを教えて下さい」
イングランドの
「君はあれでドライヴしなかったのか」
「大人気で、かなり待たないと乗れませんでしたので……」
「あれに乗って、ドライヴした人の感想が聞きたかったのさ。『何の役に立つか解らないが、ゲームみたいで面白かった』ってのが一番多いがね。ハイ、ドクター・ジェイ・サーティーズ。先ほどの発表は非常に面白かった。次回はバーミンガムだけでなくイングランド全体のシミュレイションをやってほしいね」
キャロラインをほったらかしてサーティーズ氏に話しかける。それから別のところへ行ったが、キャロラインはもう付いて来ようとしなかった。ずいぶん諦めがいい。
一回りして、財団のブースに戻る。間もなく6時、終了時間が近いのに、シミュレイターにはまだ列ができている。どうすんだよ、これ。
「会場がクローズしたら帰ってもらいますよ」
オリヴァーが答える。できてせいぜいあと一人?
「今並んでると、明日優先的にドライヴさせてやる、なんてことはしないよな」
「そんなつもりはないです。予約チケットも用意してませんよ」
珍しくオリヴァーがジョークを言った。それとも真面目に言ったのがジョークに聞こえただけ?
6時5分前に車に乗り込んだ客が、まだ運転している間に、ホール内に放送が流れてきた。「今日の展示は終了しました。来場者は速やかに退場して下さい。展示関係者は片付けをして下さい……」。それが英仏西の3ヶ国語と、あと二つの言葉で繰り返されている。たぶん、アラビア語とギリシャ語だな。
まだ列に並んでいる数人に、エリックたちが話しかけて退場を促す。明日の予約をしたいと頼んでくる奴がいて驚く。運転したけりゃ朝一番に来い、とでも言ってやりたいところだが、黙っておく。
6時3分過ぎに最後の客が車を降りて、本日の展示は終了。客を笑顔で見送ったジェニーに「グッド・ジョブ」と声をかけてやる。
「ありがとうございます! 最後、少し疲れましたけど、とても楽しかったです!」
君が楽しむものなのか? でも「何度も同じことをやって大変でした」って言われるよりはいいか。明日以降、まだ4日もやるんだから。
「10分に一人じゃなかったのか。最後、どうして時間をオーヴァーした?」
「5時半を過ぎてもたくさん人が並んでいたので、そこから
なるほど。その判断をしたのはオリヴァー? でも、明日からはそんなサーヴィス必要ないぜ。ジェニーの
とにかく無事終わったんだから、夕食に行こう。まだ片付けがある? 俺は手伝わなくていいのか。そうか。ジェニーは着替え? どこで。バックヤード? いや、覗くつもりはないって。
俺はマイクロ・バスで待っていればいいのか。俺を待ってる奴がいる? 誰だ。
「ドクター・ナイト?」
後ろにいた。テオだった。そうか、思い出した。1時間取ってたんだった。
「待たせたな、テオ。どこで話そうか」
とりあえず外に出る。マイクロ・バスの中でいいんじゃないか。
「でも、この後あなたはホテルへ戻るんでしょう?」
「そうだ」
片付けが終わり次第、出発。たぶん6時半頃になるだろう。6時40分頃、ホテル着。他の連中は荷物を置いたり着替えたりするために部屋へ戻るだろうけど、俺は戻るつもりはない。ロビーにいればいい。夕食は7時から。だから1時間弱ある。
「僕もバスに乗るんですか?」
「帰りのタクシー代は出すよ」
「そこまでしていただかなくても……」
「早く話を始めないと、どんどん時間がなくなるぜ」
「ああ、はい」
バスに乗って隣り合わせに座ると、テオが鞄からノートブックを取り出す。この時代に、まだ紙を使ってるんだな。そこに書いた方程式を見せてくる。項が足りないと指摘したり、式を変形しろと言ってやったり、変数を変換しろと示唆したり。
「その項は何に基づいているんですか?」
「『2.5次元』を見せてみな。このページのこの項と同じ意味だ」
「変形はどの式を参考にすれば……」
「こっちのこれだ。ただしこのままではシミュレイターに放り込めないので、分割する必要がある」
テオが真剣な眼差しで、俺が言うことをノートブックに書き留める。前々回、前回、今回と、真面目な研究者がいて大変嬉しい。しかし研究の話をしたいと言いつつ、よからぬ目的を持って近付いてくる痴女もいるので、気を付けなければならない。男ならその心配がないので安心だ。
誰かマイクロ・バスに乗り込んできた。オリヴァーたちだ。着替え終わったジェニーもいる。そんなに早く片付けが終わったのか。
「何言ってるんです、もう6時半を過ぎてますよ。急いでホテルに戻らないと」
本当に? 時計を見る。本当だった。どうして研究の話をしていると早く時間が経つんだ。俺はそんなに楽しいと思ってないぞ。
しかしホテルに戻る間も隣のテオと話し続ける。もちろん、ホテルに戻ってからも……
「
バスを降りてホテルのエントランスを入ったところで、
「テオ・クロニスだ。
「
ロビーのソファーに座り、話の続き。
テオは礼の後、「明日も少しお時間をいただければ」と言ってホテルを出て行った。本当にタクシー代を出さなくてよかったのかな。
「彼についてどう思う?」
ディナー会場へ行きながら、
「お優しそうな方ね」
笑顔で言ってるが、それだけ? 朝、ソクラテスを見たときは「
ディナーの部屋は昨夜と同じだが、今夜はそこに大きな丸テーブルを三つ並べてあった。俺が座るテーブルには、
席に着いたら……俺が挨拶? それは聞いてないぞ。しかし、大したことを言う必要はない。立って、全員を見渡せる位置に移動する。
「今日、俺は最初と最後だけしかブースの様子を見ていないが、オリヴァーによればたくさんのお客がシミュレイターを体験し、大変好評だったとのことなので安心した。それもここに集まってくれた全てのメンバーの協力によるものと思っている。特に、ミズ・エフゲニア・ミカロポウロウ!」
「
笑顔で俺の挨拶を聞いていたジェニーが、雷に打たれたように痙攣しながら返事をした。突然だったのでギリシャ語になってしまっている。
そのジェニーを手招きで呼び寄せる。
「彼女のアシストなくして、今日の盛況はなかっただろう。彼女の笑顔は一目見るだけで引き付けられる魅力を持っていて、もちろん男女ともにだが」
いや、なぜそこで笑いが起きるんだよ。
「他のブースでも何人かモデルを見たが、彼女が最も魅力的で優秀でかつ
「
「ありがとう。では、
挨拶を済ませて席へ戻ると、隣に座ったジェニーが涙を流している。どうした、急に呼んだので驚いたのか。
「それもありますが、フル・ネームで呼ばれたので嬉しくて……」
「嬉しい?」
「特に外国の方とお仕事をするときは、ファミリー・ネームは長くて発音が難しいのか、呼んでくれる人はほとんどいないんです。もちろん、ジェニーと呼んで下さいと私の方から言うからでもありますが……」
それでフル・ネームで呼んだのが嬉しかったって? でも今朝、ミキが君のことをフル・ネームで呼んでたぜ。
それに俺は、ディナー前の挨拶なんで
「そういうことなら、明日から君のことを毎回『ミズ・エフゲニア・ミカロポウロウ』と呼ぼうか」
「そんなことをして下さらなくても!」
ジェニーに笑顔が戻った。俺だって一度で十分だよ。毎回だとそのうち舌を噛みそうだ。ジェニーの方が呼びやすいに決まってる。
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