#16:第6日 (8) 好きなことの代償
食べ終わって、店を出て、車に乗る。もちろん俺は、マヌエラと二人で後ろへ。食べた直後は満足そうな表情を見せていたのに、今はまた仏頂面。しかし、並んで座るのを嫌がっているわけではなさそう。ドアの方へ身を寄せたりしないし。
「君は契約と言っていたが、俺としてはそういう形にしたくないんだ」
「呼び方なんて、何だっていいわよ。とにかく、あんたの手伝いをするのは条件付きってだけ」
そうかな、昨日は何の条件も付けなかったはずなんだが。命令に従うのは、条件じゃないだろう。それとも、彼女の頭の中では何か違う変換がされているのか。
あるいは、彼女自身に対する適切な言い訳が欲しいだけかも。その糸口を探ってみようか。まずはレジーナと同じく、名前から。
「ユーザーネームだけじゃなく、友人にもローナと呼ばれているが、本名のマヌエラよりも気に入ってるのかね」
「別に、どっちでもいいのよ。どっちだって私のことなんだし」
“名前
「マヌエラの由来はヘブライ語聖書に出てくるイマヌエルで、意味は“
「よく知ってるわね、そんなこと」
大学の時に、デートに誘ったマヌエラって女が、そういうことを言ってたんだよ。1回で振られたけどな。
「神は君のそばにいると思うかね」
「いないに決まってるわ。私の願いを聞いてくれたことなんて、一度もないもの」
「俺のそばにもいないんだ」
「まさか」
冗談なもんか。こんな仮想世界に囚われてる男なんて、神に見放されてるに決まってるだろう。そもそも神の存在すら信じちゃいないが。
「じゃあ、神がそばにいると、どういうことが起こると思う? 何でも願い事が叶うのかい」
「何でもってことはないわよ。でも、年に一つか二つは叶うんじゃないの」
誕生日とクリスマスのことだな。
「俺は今までに二つしか叶ったことがないんだ。一つはクリスマス・プレゼントで自転車をもらったこと。おっと、これは親が叶えてくれたんで、神じゃないな」
それ以外のプレゼントは、俺のウィッシュ・リストに入ってたものが、一つもなかった。クリスマスだけじゃない、誕生日プレゼントもだ。俺の選択がおかしいのか、親の考え方がおかしいのかは、いまだに判らない。
「プレゼントをもらえるだけでもいいわよ」
「欲しくないのをもらうのは、もらえないのと同じことさ。それを使わないんだから。もう一つは、オレンジ・ボウルに出場できたこと」
「何、それ」
知るわけないよな。カレッジ・フットボールのクラシック・ゲームの一つで、と説明する。ついでに、正QBの怪我で代役を果たしたことも。
「大学に行けるだけでも恵まれてるわよ」
「でも、俺がマイアミ大へ行きたいって言ったら、親は学費を出してくれなかったんだぜ。奨学金もなかったし、生活費まで全部自分で稼いだんだ」
ただフットボール部に入ると、クラブ・ハウスがあるから住むところを探さなくていいし、食事も保証されるのがありがたいってだけ。そういや、その頃からずっとパート・タイマー生活が続いてるな。
「で、それが何だっての?」
「君が願っていたかどうかは知らないが、ゲームをすれば賞金が手に入る。既に一人1万ドル獲得してる。もう少し頑張れば、最大でその100倍だ。そうなれば、たいていの願いが叶うぜ」
「そのために、あんたの言うことを聞けっての?」
「チームが勝つことを願って、勝つために君ができることをしたいと思ってくれるなら、それでいいよ。俺のことは気にせずに。オリヴィアやウィルやフィルのためなら、できるんじゃないのかね」
「…………」
マヌエラは何も答えなかった。まあ、理由はだいたい判っている。彼女がゲームに参加しているのは、金のためでも、友人のためでもない。「全ては我が主のために」ということらしいので。その“我が主”を俺だとどうやって認めさせるかが問題だよ。命令じゃなしに。
「……あんたは、どうしてゲームに勝ちたいのよ」
「ヴィデオ・ゲームに関してなら、勝ちたいとは思ってないな。俺にとっては座興で、君らの足を引っ張らないことだけを考えながら、やってる」
「じゃあ……フットボールの、オレンジ何とかで勝ちたかったのは?」
オレンジ・ボウルくらい憶えてくれよ。
「まずフットボールについて。合衆国民はだいたいそうだが、フットボールが好きだ。それには理由がない。ブラジル人がサッカーを好きなのと同じだ。君がどうかは知らないが、他の人を見ていれば解るだろう。見ていると楽しい。やっていると面白い。好きなことに理由なんかない」
「そうかしら」
それを否定されると困るな。話が続かない。まあいい。
「好きなことをやりたいと思うのにも、理由は要らない。そして好きなスポーツなら、他の誰よりもうまくプレイしたいと思う。これも説明は不要だろう」
「そのために、何かを代償にするんじゃないの?」
「代償? 何のことだろう。何をするにせよ、ある程度の時間か金か、その両方がかかるのは当然であって、それを代償とは言わない。何かを我慢する、あるいは他に大事なものを失う。それが君の言う代償だろうが、フットボールに関する限り、俺はそれを払ったことがない。練習は苦にならないし、フットボールとその他のことは適宜天秤にかけるから、常にフットボールが優先ということもない。だから俺の態度を見て、もっと打ち込めという奴もいた。全てをフットボールに捧げろとね。でも、俺はそんなことはしない。フットボールが楽しくなくなったら、それこそつまらないからさ」
「私には、それほど好きなものはないわ」
「だったら、これから作ればいいだけだ。何か、やりたいと思ってたことはないのか? 金さえあればできることで」
「…………」
マヌエラがまた黙り込む。あるはずだけど、言えないんだろう。そのうちに、e-Utopiaに着いてしまった。さて、この続きは明日の昼ということになるのか。いや、昼はカリナと話があるか。その後でマヌエラを、5分か10分でやる気にさせないといけないんだが、どうしよう。
「ヘイ、行くぞ」
カリナが地下駐車場に車を停め、俺が降りてもマヌエラが出ようとしないので、声をかける。なぜだか判らないが、呆然としているようだ。それとも、やりたいことを考えてるのかね。
ヘイ、ヘイ、ヘイと3度呼んだら、ようやくこっちを見た。
「あんたの話……」
「何だ?」
「何でもないわ」
そんな訳あるか。たぶん「もっと聞きたい」って言おうとしたんじゃないか? しかし、君と話してる時間はもうほとんどないぜ。ゲームが終わって、駅へ送っていく間だけだ。
降りたマヌエラを引き連れ、2階の外部会議室へ。3人は既に集まっていた。
「“契約”できたの?」
オリヴィアが半笑いを浮かべながら訊いてくる。マヌエラが言い淀んでいるので、代わりに「交渉中だ。明日締結する」と答えておく。
「そうねえ、ローナの出番はたぶん明日だし。また私と交代するのかしら」
「今日の展開を見て決めよう」
「僕は絶対代わらないからね!」
ウィルが力強く拒否する。奴は一番使えそうだから代える予定はないが、フィルも探し物がうまいから、捨てがたいな。ダンジョンだと、アイテムの収集で力を発揮するだろうし。
それはともかく、アヴァターの微調整と、オープニング・シーケンスの作成だっけ。そのためか、ラップトップ・コンピューターが1台持ち込んである。しかし、俺はアヴァターの調整は不要だ。ウィルとフィルも変更せず。オリヴィアは。
「スーツの色を変えるわ」
青いバニーが、何色になるのやら。カリナがラップトップを操作し、オリヴィアが指示して変更している。マヌエラも画面を覗き込んでいる。女はやはり、他の女の服装が気になるのか。俺は見ないし、ウィルとフィルも興味なさそう。
ほんの1分ほどで終わってしまい、今度はマヌエラ。「鎧のデザインを……」と遠慮がちにカリナに言う。
「データをどこかから取り込むのかしら?」
「じゃなくて、ゲームで用意されてるリストから、選び直すだけ」
やはりカリナが操作し、マヌエラが選んでいるが、選び直すだけにしてはやけに時間がかかっている。たくさんデザインがあって、探しているのか。タイプ別に分かれてたりするんじゃないのかね。
ようやく選んだと思ったら、今度は「色を……」。おそらく、鎧のパーツごとに色が選べたりするのだろう。そして色だけでなく、テクスチャーまで細々と調整している。
こういうの、女の服の買い物に付き合ってると、あるんだよな。俺は経験が少ないんだけどさ。一度くらい、メグの買い物に付いて行ってみるか。自分の服や俺の服を選ぶのに、どれだけ時間をかけているんだろう。
「ウアゥ!」
オリヴィアがなぜか嬉しそうな声を上げる。それから俺の方をちらりと見た。なぜだ。俺の目を引きそうなデザインってこと? どうしてそういうの、君が解るんだよ。俺の嗜好なんて知らないくせに。
20分以上もかかって、ようやく調整が終わった。望みどおりになったはずなのに、マヌエラの表情が中途半端。むしろ、オリヴィアの方が満足げだ。
それから、カリナが俺を呼ぶ。
「あなたの自己紹介と
イヤーフォンを渡された。これで聞けと。装着すると、カリナがラップトップ画面上のプレイ・ボタンを押す。いや、文章を作ったのなら、それを読むだけでいいんじゃないのか?
「2042年、軍法会議で無実の罪を着せられた俺たちブラジル陸軍特殊工作部隊は、すぐさま軍刑務所を脱走し、リオ・デ・ジャネイロの地下組織に潜り込んだ。今では、政府や司法団体から依頼を受ける
俺はリーダー、ホアン・ダ・シウヴァ。通称ハンニバル。裏世界でその名を知られた、戦略と戦術の天才だ。個性派揃いのメンバーを指揮して、今回も秘密を探り出すぜ」
……いやはや、これじゃあ20世紀の合衆国のTVドラマ・シリーズだよ。ブラジルでは今でもこんなのが受けるのか?
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