#16:第3日 (8) 秘書の食欲

「3時間ほど、かかることなのです」

 少し間を置いてから、巡査部長サージャントが言った。顔は、また冷静に戻っている。

「議論が必要か」

はいスィン

「今日はこの後、夜遅くまで用があるんだ」

「それは聞いています。e-Utopiaから迎えが来ると」

「明日も時間があるか判らない」

ISTイーエステー-Rioの誰かと会う予定でも?」

 なぜか巡査部長サージャントの目が光った。

「そういうわけじゃない。今日のe-Utopiaでの結果次第なんだ」

 ゲームの第2ステージに進出することになれば、水曜日と木曜日は空かない。ただ、ゲームの開始時間は8時より早くなるかもしれない。その日は2組だから。

 さらに最終ステージに進出することになれば……そこまでは考えすぎかなあ。

「では、あなたからの連絡を待ちます」

「明朝、ここに電話すればいいかい」

「できれば私の携帯端末ガジェットに連絡をいただく方が」

 電話番号とメッセージ・アドレスのメモを受け取る。知的な人物にふさわしい、知的な字だ。立って、改めて礼を言い、別れの握手をする。

「下まで送ります」

「ここ、そんなに複雑な構造なのかね」

「見られたくないところもあるのですよ。そのわりに、セキュリティーが甘いのです。厳重なのは署長室のあるフロアと、ここくらいです」

 お役所は、そうなんだろうな。きっと予算がないんだ。暴漢の侵入に備えて出入り口さえ固めれば、中はどうでもいいと思っているのに違いない。

 また延々と階段を降りて、1階へたどり着いた。外へ出る前に、もう一度握手。最後まで、巡査部長サージャントに笑顔はなかった。


 外へ出ると、見覚えのある笑顔の女が立っていた。もちろん、カリナ。今朝言っていたとおり、別の服に着替えている。胸の大きさを強調しているな。さっきまで見ていた巡査部長サージャントより大きいよなあ。何インチ違うかは考えないでおこう。

「延長にならなくてよかったですわ」

「警察は時間を守るようにしているらしいんでね」

「車はあちらです。大聖堂の駐車場に」

 ここ、大聖堂の近くだったのか。気付いてなかった。東へ200ヤード歩くと、あの特異な円錐台の建物が見えた。

「警察では何をお聞きになりました?」

 車に乗る前に、カリナが訊いてくる。こうして昼間見る彼女は、昨夜と全然違っている。有能この上なしの美人秘書、という、典型的なイメージそのまま。

「交通管制システムのようなものや、いろいろとね」

 詳しく言うわけにはいかないので、口を濁す。

「ビーチへ戻ってランニングをなさる時間はないですし、少し早いですが、どこかで夕食をお摂りになりますか?」

「君がいいところを紹介してくれるかい」

「もちろんですわ。この辺りはちょうど、いいレストランの多いところです。カジュアルですが」

 カリナがすぐに電話をかける。接待のためにレストランの場所や評価を憶えているのだろう。電話を切って、「こちらへ」とカリナが案内する。駐車場を南へ横切り、メン・ヂ・サー通りを西へ。カリナが、まるで恋人のように腕を組んでくる。もちろん、俺の肘は彼女の胸に当たっている。

「夕食代は君の社で出すとか言うんじゃないだろうね。俺に出させてくれよ」

「あら、ありがとうございます。では、たくさん食べられますね」

 やっぱり君、大食いなのか。『ア・カペラ』というレストランに入った。名前からしてイタリア料理だろうが、別に毎日ブラジル料理を食べねばならぬというものでもないから、構わないだろう。

 5時というのはブラジルの夕食時間には早過ぎるようで、他に客はいない。奥の一番いい席に向かい合って座る。

「たくさん食べる女性を、どう思われます?」

 カリナが笑顔で訊いてくる。正直だね、君。

「知人に何人かいるが、みんな素晴らしいプロポーションの持ち主ばかりだから、気にならないよ」

 ただし、仮想世界限定だけどね。マルーシャの他に、誰がいたっけ。ロシア人のオペラ歌手、それからスペインの人妻ダマスキナード職人がそうだったんじゃないか。現実に大食する女は、肥満ばかりだよ。合衆国の女の体質だろう。

「あら、嬉しいですわ。私がたくさん食べるのが好きと言うと、みんなに驚かれるんです。言ったときには驚かなくても、実際に食べるところを見て驚かれたり」

「3人前くらい食べるのかね」

「食べたいときには、そうですね」

「今日はどれくらいの気分?」

「褒められて嬉しいですから、3人前にしますわ」

 別に褒めたつもりはないが、好きにすればいいと思うね。マルーシャが大量に食べるのを見てると、気分がスカッとするくらいだし。もちろんそれは、彼女の食べ方が上品なのも相俟ってのことで、がさつな食べ方をしたら嫌な気分になるかもしれない。

 英語のメニューはあったが、カリナに注文してもらう。

「ランプ・ステーキとフライド・ポテトとブロッコリー・ライスのプレートを二つ、バカラオのソテー、カマラオン・ソースがけ、フランゴ・ア・パルメジアーナを」

 イタリア料理じゃないんだな。イタリア風ブラジル料理か。カマラオンは小エビ、フランゴ・ア・パルメジアーナはチキン・カットレットにチーズとトマト・ソースをかけたもの。もちろん、最初のプレートだけが俺ので、他はみんなカリナが食べるはず。

「飲み物は何になさいます?」

「オレンジ・ジュース。君も車を運転するんだから、酒は飲めないだろう」

「少しくらいなら大丈夫なのですけれど」

 君の少しがどれくらいか判らないから、飲まない方がいいよ。

「飲みたいなら、ゲームを見ている間にすれば」

「プレイ・ルームのフロアでお酒を飲むのは禁止されていますから」

 酔って暴れる奴もいるから、そうしてるんだろうな。さて、今日のゲームについてだが。

「ウィルたちはホテルでどうしていただろう?」

「存じません。プレイ・ルームに6時に入りたいと連絡してきたので、断りました」

「前の組がまだ終わってないから?」

「そうです」

「でも君は、7時に行った方がいいと言ってたよ」

「参加者の待合室を、1時間前から提供することになっているんです。2階の外部会議室です」

「それをもっと前から使うことは?」

「あなたがどうしてもとお願いされるのでしたら、私には断れませんわ」

 でも、それってきっと交換条件なんだろ。また俺のホテルの部屋に入るつもりだ。支社長のエンリケ氏はカリナのこの悪い癖を知ってるんだろうか。

「あとでウィルに意志ウィルを訊いてみよう」

「そうなさってください」

「オリヴィアたちはちゃんと来るかな」

「それは私には責任が持てません」

「君は他の特別参加者とも一緒に食事へ行っているのか」

「特別参加はめったにありませんわ。あなたの前は、3ヶ月ほどなかったと思います」

「食事に行くこともあれば、行かないこともあった?」

「私の方からお誘いしたのは初めてです」

 なるほど、それで察してくれと。つまり、俺は彼女から目を付けられてしまったわけだ。しかし、彼女の言うことが本当とは限らないわけで、誰にでも同じことを言って誘っている可能性も……

「ところで君はゲームに興味があって今の仕事を選んだのか」

「いいえ、ゲームは子供の頃に少し遊んだ頃があるだけです。それに私、正社員ではありません。派遣です」

「秘書を派遣する会社?」

「はい。もちろん、e-Utopiaでの待遇には満足していますわ」

 確かに、秘書はどこの会社でもやることは似たようなものだな。カリナが自分で言ったとおり、主な仕事はスケジュール管理と来客対応なのだろう。今よりも条件のいいところがあれば移るつもりで、来客に手を出している、と考えられなくもない。

 でも、俺に手を出しても、どこにも就職できないぞ。そう言ってやるべきなのかな。料理が来た。ステーキ、ポテト、ライスの盛り合わせプレートと、バカラオ。チキンはもう少し後だと。

 さて、大食いを自称するカリナの食べ方は。

「バカラオを少しいかがですか?」

「上にかかっているエビを少しだけもらおう」

 ソースにエビのむき身がゴロゴロ入っていてヴォリュームがある。3匹ほど、プレートの隅に載せてもらった。ところで、ブラジル人は皿をシェアするのだろうか。

 改めて、カリナの食べ方。やはり、口の開け方と食べ物の入れ方が少し淫ら。しかしこれはこれで絵になっているだろう。少なくとも、見て喜ぶ男はいるはず。

「今日のゲームのことは考えてらっしゃいますか?」

「全く。ウィルたちがうまくやるだろう。少なくとも、俺は足を引っ張らないようにするだけさ」

「昨日、あなたは他の3人とは全然違う動きをされていましたわね。でも、ゲームでは往々にして、無駄に思えることが解決につながることがあるものですわ」

「確かにね。つまらない物を拾うとか、何でもない壁を叩くとか、不自然な感じに置いてある物を動かすとか」

「無関係に思えるNPCを口説いてみるのはいかがです?」

「重要な情報をくれるかな?」

「秘密の合い言葉を教えてくれるかもしれません」

 それはあるね。博物館で、アヴァター・カリナに全く関係ない質問をしていたら、どうなっていたかな。その前にどこかで聞いた言葉を言ったら、秘密の地下室へ案内してくれるとか? 鉱山の町だから、建物の地下にトンネルが掘ってあってもおかしくないよなあ。湖のほとりの架空の国でもそうだった。

 チキン・カットレットが運ばれてきた。カリナが流れるように、しかも官能的に食べるので、隣のテーブルの男たちが見入っている。俺がいなかったら口説きに来たかもしれない。

「他人がプレイするゲームを3時間も見ているのは、退屈じゃないかい」

「十分楽しいですわ。それに、あなたがそんなことをおっしゃるとは思っていませんでした」

「どうして?」

「アメリカン・フットボールの平均ゲーム時間は3時間ほどではありませんの? それで観客は退屈せずに楽しんでいるのでしょう?」

 確かにそのとおり。でも、プレイしている方も見ている方も、3時間かかってると思ってないんだよな。“60分”だと思って見ているわけで。それ以外に明確に認識する時間は、クォーター・タイムとハーフ・タイムとツーミニッツ・ワーニングだな。それにタイムアウトとチャレンジと……うーん、意外に間伸びしてるな、フットボールは。

 ステーキは硬くて噛みごたえがある。ポテトは普通の味。ブロッコリー・ライスは青臭い。エビは、下味を付けてないんじゃないかなあ。しかし、おおむね満足のいく味だった。

 カリナは俺の3倍の速さで食べて、俺が食べ終わると同時に、綺麗に平らげた。隣の男たちも驚いている。

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