#16:第3日 (7) 挙動監視システム

「では、車両挙動監視システムの説明です」

 巡査部長サージャントの話が続く。車の追跡は、歩行者よりも簡単。ライセンス・プレートの英数字をカメラで認識する。システム自体は昔からあるが、化石燃料車の運転が禁止されて以降、ライセンス・プレートの仕様を変更したので、認識が確実になった。

 以前は車両の種別により6種類の色分けをしていたのだが、目視では容易に認識できるのにカメラだと光の加減で色認識を間違うことがあった。そこでプレートの上部にバーコード様の縦縞を付けたのだ。

 加えて、全てのバスとタクシー、大型トラック、緊急車両、特殊車両、軍関係車両、政府公用車には、現在地を交通センターへ通知する装置が付けられている。市内各所にある路側装置の近くを通過すると路車間で通信を行い、車両IDが通知される仕組み。これによって多くの車両の位置が判るので、その流れや前後関係から、他の車の動きも検知しやすくなる。

 複数の映像にまたがる車の移動を追跡する仕組みは、歩行者と同じ。パターン学習の方法も同じ。問題行動は、交差点やラウンドアバウト周辺以外での急減速や急停止、急発進、長時間停車などを検出する。ただしバス、タクシー、緊急車両は例外。

「ここまでは容易に理解いただけると思います」

「うん、合衆国でも似たようなシステムがあるよ、だいぶ以前からね」

「一例を見ていただきます」

 ポリス・カーの例と、一般車両の例。どちらも先月1ヶ月間の軌跡が地図上に示される。ポリス・カーは警邏に使うだけあって、市内のいろんなところを走り回っている。一般車両は平日は自宅と職場の往復、休日は自宅から各地へドライヴ、というところだろうか。

「一般車両は、私の身内のものです。プライヴァシーには問題ありません」

「君の車は?」

「警察職員は、一部を除いて公共交通機関で通勤する決まりになっています。私は休日しか車に乗りません。もちろん、なるべく広い範囲を走り回って、システムの検証に役立てています」

「リオ市街を出たり」

はいスィン

「君はリオ市内に住んでるの?」

「ティジュカです。この西の、地下鉄メトロ1号線の終点の近くです」

 場所を訊くつもりはなかったんだが、まあいいか。

「君が駅まで歩いているところは歩行者監視システムで監視されているわけだ」

「もちろんです。これからその一部を説明します」

 ポリス・カーの今日の移動軌跡だけが表示された。短い。午前中、市の中心部からコパカバーナへ行って、戻ってきて、午後からプレジデンチ・ヴァルガス通りの辺りへ行って、戻ってきた。

「私が運転したのです」

「ほう」

「午前中の軌跡は、特に意味はありません。コパカバーナ・ビーチまで行って戻って来ただけです。午後からの軌跡は、コムブラテルまであなたを迎えに行ったのです」

「なるほど」

「この行動は、今から説明する複合監視システムの例を示すためです。車の運転者の顔を認識して、歩行者監視システムで検知した軌跡と合わせます」

 いくつかの軌跡が加わる。朝、自宅から地下鉄の駅まで歩いた軌跡。地下鉄を降りて警察の建物まで歩いた軌跡。昼食のために外へ出て戻った軌跡。そしてコムブラテルまで車で行った後、車を降りてから建物に入り、出て来て車に戻るまでの軌跡。

「警察周辺と車の乗り降りは当然として、朝、地下鉄へ乗ろうとした君の顔も、ちゃんと映像データの中から探してきたと」

「そのとおりです」

「最初に乗るところは、地下鉄の乗車時間を計算に入れて、降りたところから逆算した?」

「そのとおりです」

「変装したら見つけられなくなるかな」

「歩容を解析すると申し上げたはずです」

「それも偽装できるような人間なら、あるいは、ということか」

「この後か、明日にでも、あなた自身で試しますか?」

「検知に失敗したら一緒に夕食へ行ってくれるとか」

「それでも結構です」

 賭けを受けるとは思わなかったけど、そういう無表情で言われてもなあ。

「旅行者でも検知できるのは理由があるのかい」

「国際的犯罪者の出入りや動向を監視するのが目的です」

「つまり顔が登録されていればできる」

はいスィン

「じゃあ、国際的有名人でもできるわけだ」

「政府あるいは関係機関から要請があれば」

「要人警護にも使えると」

はいスィン

「俺は?」

「日曜日の件以降の行動軌跡を検索してよいということであれば」

「それもいいけど、その件以前の行動まで遡れるかい」

「できるはずです」

「やってみせてくれ」

「許可を書面でいただかないと」

 俺が合衆国民だからそんなことを言うのだろうか。ともあれ、タブレットの“行動追跡許可証”にサインして、検索してもらう。引ったくり以後の軌跡は出て来た。

 ホテルへ行って、昼食へ行って、ポン・ヂ・アスーカルからセラロン階段、大聖堂、コルコバード山へ登って、降りてきて、シェラトンへ夕食に行ってマリオットに戻るまで、全部把握されていた。

 しかし、引ったくり以前、即ち俺がビーチに“放り出される”より前の軌跡はない。

「そんな……」

 巡査部長サージャントが初めて表情を変えた。別に、俺と夕食へ行くのが嫌だからではないと信じたい。しかし、このステージのシナリオを書いた奴も、俺を放り出す以前の軌跡を偽造すりゃいいのに。どうやってあそこへ行ったのか、質問されたら俺が困るんだぜ。

「空港からビーチまで、どうやって移動したのです?」

 ほら、訊かれた。

「あまり言いたくなかったんだが、実は軍の車に乗せてもらった」

「あっ……」

「空港でも、軍の専用口から入国させてもらってね。その方が審査が短いからと言われて。その後、ホテルまで送ってもらう時に、ちょっとわがままを言って、ビーチの端の要塞に入らせてもらった。そこから出て来たんだ」

「そういうこと……確かにそこは監視カメラが設置できないので……解りました。もちろん、今のことは他に漏らしません」

 巡査部長サージャントが少し悔しそうな表情になったのは気のせいか。とにかく、財団の肩書きを持っていてよかった。軍と関係していても不自然ではないと思ってもらえるし。

 しかし、このシステムを見て、解ったことがある。初日、マルーシャが「見張られている」と言ったのは、この存在を感じ取っていたからではないか。考え直すと、彼女が安心したような素振りを見せていたのは、建物の中と登山列車の中だけだ。歩いているときと車に乗っているときは、監視の“目”を感じていたに違いない。

 念のため、巡査部長サージャントにカメラの設置場所を訊く。「詳しい位置は教えられませんが」と前置きして、特に公共施設と駅周辺は多い、とのことだった。もちろん、観光施設の近くにも多いだろう。犯罪は、人が集まるところで起こりやすいのだから。

 さて、改めて複合監視システムの詳細説明を聞く。ポイントは、映像内の“顔”データベースの構築方法と検索方法。膨大な数の顔データの中から、いかに早く一致する顔を取り出すか。もちろんそこには、公共交通機関やタクシーでの移動時間を計算し、可能性のある時間帯の中から検索する、という技術も含まれている。

 その“可能性”の確率を計算するのに、俺の論文のシミュレイションが役に立ったとのこと。それで検索範囲を限定し、検索時間の短縮ができたそうだ。しかし巡査部長サージャントの表情からは、そのありがたさが伝わってこない。

「何かご質問は」

「このシステムを使って、人が行方不明になったことを検知できる?」

「ある時点以降、追跡ができなくなれば、それが行方不明、という定義であれば、できます」

「ほう、やはりできるのか」

「ですが、システムが能動的にそれを検知することはありません。どこからか要請があって、特定の人物の行動軌跡を調べた結果として判断することです」

「例えば“電撃誘拐エクスプレス・キッドナッピング”に対しては」

「それはほとんどの場合、誘拐される瞬間がカメラに写っています。ですから軌跡を追うことができます」

「なるほど。犯人を捕まえるのには役立つはずと」

はいスィン。ただ、最初に説明したとおり、カメラがない場所もあります。そこで誘拐が起こっても、カメラに最後に写った時点以降のことは判りません。観光客の場合は特に、治安の悪い地域へは行ってくれるなとしか言いようがありません」

「例えばファヴェーラとか」

はいスィン。ファヴェーラも決してカメラがないわけではありません。近隣の山や高い建物の上にカメラを設置して、監視しようとしてはいるのですが、距離的、角度的に映らない範囲もありますから」

「住民に協力を要請してファヴェーラ内にカメラを設置することはない?」

「盗電の元になってしまいます」

 そういうことか。フィルたちはファヴェーラの住人らしいが、ゲームをやったことがあるのは、盗電してるからなんだろうな。通信も、近くのホットスポットを無断で利用しているのに違いない。

「他にご質問は」

「監視システムは警察の外から使える?」

「外部のネットワークからログインする場合は、大幅な機能制限があります」

「たとえは交通局からは」

「使えません。そもそも、彼らには監視システムの存在を教えていません。知っているのは政府だけです」

「軍や軍警察も知らない? それとも、別の監視システムを作っているとか」

「それは文民警察では判りません。たとえあなたがご存じでも、我々に教えてくれることはないでしょう?」

 それはそうだ。守秘義務があるからな。それから、論文の細かい点について二、三、いや四つ五つ質問した。巡査部長サージャントの答えは明快で素晴らしい。

 そのうち、5時になった。あっという間の2時間半だったな。胸は何百回揺れたか判らないほどだ。

「素晴らしいプレゼンテイションをありがとう、サージャント・マシャド。大変参考になった」

「こちらこそ、あなたと直接議論を交わせて、大変幸運なことでした」

「可能であれば論文を送ってもらいたい」

「それには申請が必要ですが、おそらく許可されると思います。それで、私からもあなたにお伺いしたいことがいくつか」

 それは今日の議論の中で質問してくれても構わなかったんだけど。

「何でもどうぞ」

「いえ、時間がかかると思いますので、別の機会に」

「メールで?」

「いえ……」

 ここで初めて、巡査部長サージャントが躊躇した様子を見せた。どうしたんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る