#16:第2日 (5) ポン・ヂ・ケイジョ

 バイオマス・エタノールの生産についても、質問してみる。もちろん、サトウキビの糖分を発酵させることによってエタノールを得るのだが、絞り汁をそのまま使うのではなく、糖分を精製したときに出る廃糖蜜モラセスを主に使う。さらに、サトウキビの絞り滓バガスやエタノールを蒸留した後の廃液ビナスも利用する。

 なにしろ、ブラジルのサトウキビ生産量は世界の半分。研究材料には事欠かないから、そのうちノーベル化学賞が獲れるのではないかというくらいの進展ぶりだそうだ。

「じゃあ、有名なブラジル人研究者の名前を挙げてみてくれ」

「すいません、それは知りません」

 ヘーベがしょげる。いるのかね、本当に。

 ブラジルは昔から、発展すると言われながら、なかなか発展できない。それはひとえに、教育に問題があるとされている。俺が知る限り、タイムズ・ハイアー・エデュケイションの大学ランキングで、ブラジルの大学が100位以内に入ったことはない。

 だったらバイオマス研究者も、研究費を目当てに他の国から集まっているという可能性がある。もちろん、そんなことはこのステージの趣旨とは関係ないだろうから、指摘するつもりもない。

 なので、研究者のことはさておいて、車の腐食対策を教えてもらう。もちろん、エンジンはもう冷え切っているので、ボンネットフードを開けて、ヘーベがあれこれと説明してくれた。

「では約束どおり、昼食に行こうか。まだ食べてないな?」

「はい、とてもお腹が空いています! ですが、プロフェソールはさっきお召し上がりになったのでは?」

 アーティーと呼ぶ気は最後までないようだな。

「もう少し食べたいと思っててね」

「お誘いいただいて嬉しいのですが、実はついさっき、次の視察場所が決まりまして、3時までにそこへお連れすることになっているんです」

 今、2時半だから、あと30分。そこまで何分かかるのか知らないが、ファスト・フードくらいしか食べられないな。

「じゃあ、君がお薦めの、何か手っ取り早く食べられるものがあれば」

「えーと、では、カサ・ド・ポン・ヂ・ケイジョへ行きます。この近くに最近できたファスト・フード店で、いろいろな種類のポン・ヂ・ケイジョが食べられるんです。一度、食べてみたかったんですよ」

 車に乗り込み、嬉々とした顔でヘーベが言う。ポン・ヂ・ケイジョって、昨日の夜に食べたチーズ・パンか。軽食にはちょうどいいけど、君、そんなので足りるのかね。まあ、たくさん買って、車の中で食えばいいか。

 次の行き先は西のマラカナン地区だが、ちょうどその途中に店があった。路駐してヘーベが買いに行き、俺は車の中で待つ。警察が来たらどんな言い訳をしようかと考える間もなく、ヘーベが大きな紙袋を持って戻って笑顔で来た。中には紙カップが四つ。巨大な二つには、一口大のパンがゴロゴロ入っており、残り二つは飲み物。

 この紙カップ入りのポン・ヂ・ケイジョが人気商品なのだそうだ。12個入りで、ソフト・チーズ入りや練乳入りなど6種類の味が楽しめる。見た目で何味か判るので、一つずつ食べて、残り六つはヘーベにやったら、大いに喜んでいた。若い女は単純でいい。

 マラカナン地区には、サッカー場として有名なエスタヂオ・ド・マラカナンの他、屋内競技場やプールもある。西には木曜日に行く予定の州立大学があり、これから行くe-Utopiaという会社の建物は、マラカナンと大学のちょうど間。何の会社なのかよく解っていないが、運転中にヘーベに話しかけても返事は絶対返って来ないので、着いてから訊くことにする。

 3本の幹線道路に囲まれ、そこだけ高層ビルディングが固まった、リオ・デ・ジャネイロらしからぬ一角でヘーベが車を停めた。さて、何の会社であるか。

「世界的なヴィデオ・ゲーム開発会社ヂセンヴォルヴェドールの南米支社です。ご存じなかったですか?」

 ご存じないね。仮想世界の中の、架空の私企業の名前なんて、どうして知ってるはずがあるんだよ。俺は自分が所属している財団の存在さえ知らなかったんだぞ。

「あいにく、ヴィデオ・ゲームには興味がなくてね。マッデンNFLすらプレイしたことがないんだ」

「そうでしたか。アカデミーの担当者は、あなたの論文がこの会社のゲームでいくつも使用されているので、招待のオファーが入っていたと」

 でも、最初の予定には入ってなかったじゃないか。私企業は外してたのか。まあいいや、俺が空いてるスケジュールを埋めろと言ったら、招待されることになってたんだろう。そうなると、ここはきっと重要な訪問先だぞ。

 帰りはこの会社の誰かホテルまで送ってくれるらしいので、ヘーベとはここでお別れ。「昼食、ありがとうございましたオブリガード・ペロ・アウモーソ!」と笑顔で言って、ヘーベは去っていった。

 さて、e-Utopia。“ユートピア”と発音するらしい。やはりガラス張りの建物で、中心街でもさほど多くなかった40階・500フィート超え。周囲に高い建物が全くないので、この一角だけ浮いている。掃き溜めに鶴ア・ジュウェル・イン・ア・ダンヒル

 とにかく、入る。が、入り口に二人の守衛ガーズがいて、行く手を遮りながら作り笑顔で「お名前とご用件を」。

「財団のアーティー・ナイトだ」

 例のカードを見せながら言うと、守衛ガーズが表情を変え、顔を見合わせ、急に愛想がよくなって、「お待ちしていました、プロフェソール」。やっぱり通用するんだ。

 二人のうち年配の方が若手に「受付に連絡を」と言い、俺に「こちらへ」と促す。受付に連絡って、ここ、入ってから受付まで、そんなに距離があるのかね。

 年配の守衛ガードに付いて入ると、中は高さ30フィートはありそうな吹き抜け。そこに神殿のような柱が何本もそそり立っている。周りはほとんどガラスで、明るい。フロアの真ん中に、受付と思われるような一角があって、その前に目の覚めるような美形でプロポーションのいい、スーツ姿の女が立っていた。マルーシャの変装かと心配しなければならないほど。

 守衛はその女のところまで俺を連れて行くと、「彼女が案内します」と俺に告げ、エントランスに戻っていった。この程度って、案内されるような距離かよ。彼女がエントランスに来るまで待ってりゃよかったんじゃねえの。

「ようこそe-Utopiaユートピア南米統括支社へ、ドトール・ナイト。支社長秘書のカリナ・ダ・シウヴァです。暫定スケジュールが変更になって、当社へご来訪いただくことになり、社長も大変喜んでおりますわ。これからお連れしますので」

 挨拶を受けながら、さりげなく彼女を観察する。マルーシャの変装を疑った理由が、自分でも飲み込めた。プロポーションはともかく、肌が白いのと、ブロンド系のストレート・ヘアからだろう。どちらもブラジルでは少数派で、特に両方の特徴を持つのは稀だと思う。

 グレーのジャケットに、インナーは胸元が広く開いた白のUネック、タイト・スカートはジャケットと同色で、丈が太腿の中程までしかない。その太腿が、眩しいくらいに白い。

「急なことに対応してもらってありがとう。せっかく来たのに、時間が空くのが残念だったんでね」

「いいえ、アカデミーからあなたの来訪を知らされたとき、当社が一番に招待の名乗りを上げたんですわ。それなのに外されて、今日まで毎日打診していましたのよ」

「そうか、金曜日が空いてたんだけど」

 手振りで案内され、受付の裏へ。そこがエレヴェイターの乗り場だった。既にドアが開いたのがあって、そこへ乗り込む。

「それも判っていましたが、なぜかオファーが通らなくて。でも、こうしていらしていただけたのですから、もう問題にしませんわ」

 美人が嬉しそうにしているのを見るのは楽しい。彼女の場合、単に美人なのではなく、笑顔に知性を感じさせるところがいい。もっとも、知能テストをしたわけではないので、彼女に本当に知性があるのかは不明。それでも別に構わない。

 エレヴェターの壁は一部が窓で、外が見えていて、ものすごい速さで上がっているのが判るのに、揺れもなく静かだ。おそらく日本製だろう。

 あっという間に40階に着いて、カリナの尻に付いて行く。顔はブラジル人らしくなくても、尻はやはりブラジル人だなと思う。

 白い壁、グレーのカーペットの廊下を歩き、ドアが開いている部屋に入ると、いかにもラテンと南アメリカ先住民の混血という顔つきの、髭面の暑苦しい感じの男が立っていた。

 ただ、目元は涼しげで知的。服装はさっぱりした白い半袖シャツにグレーの緩いスラックス。体格はすらりとしているが、バネがありそうな感じ。両手を広げ、大袈裟に歓迎の意を見せる。35歳くらいかな。これで社長なら若い。

「ようこそe-Utopiaユートピアへ、ドトール・ナイト! 南米統括支社長ブランチ・プレジデントのマルセロ・エンリケだ。財団の研究者の中でも、君の研究と論文は当社に最も役立っているので、こちらから表敬訪問するべきとかねがね思っていたよ。シアトル本社の連中と会ったことは?」

 見かけ同様、言動もフランクで、握手してきた後――ハグされなくてよかった――、キャスター椅子を勧めてきて、テーブルの角を挟んで座った。どうやらここは会議室のようだが、大きな企業だろうにずいぶんと質素なテーブルと椅子だ。

 もっとも、会議室は会議をするところであって居座る場所ではないので、備品が粗末でも大した問題ではない。そもそも2045年ともなれば、会議室に集まる習慣なんてなくなってるだろう。みんな自分のオフィスからリモートで参加するに決まっている。

「俺の論文に限らず、財団の研究はゲーム業界にずいぶん貢献してると思ってるけど、訪問を受けたことはないし、感謝状をもらったこともないよ」

「財団の研究は世界の公共資産だからね。それに財団研究員は公務員であって、研究内容を利用する企業体が過剰な利益供与を禁じられてるのも、もちろん知ってるさ。北米本社が君にゲーム機とソフトウェア利用権を送ろうとしただけで断られたって噂も聞いてる」

「家の中でするゲームはあまり興味がなくてね。外で走り回るゲームの方が性格に合ってるんだ」

「しかし、最近は広い場所で身体を動かすヴィデオ・ゲームもあるんだよ。それに君の論文がふんだんに使われているんだ。今日はそれを紹介しようと思って。しかし、まずは型どおり当社の営業理念と実績から説明しよう」

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